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avidya

 米軍・連絡将校のショーン・マーフィー少尉は、いつも忙しく動きまわっている。さっきいたと思ったらもういない、いないと思ったら将校クラブでお茶を飲んでいる。そんな神出鬼没さだ。仕事ぶりは至極まじめと言っていい。資料やアドバイスを求めて、僕のいる翻訳通訳部にしょっちゅう出入りしているからすっかり顔なじみになった。 

 何をしているのか、まではわからない。我が司令部の一角を間借りした「連合国軍・大阪ブランチ」のオフィスに何人かの同僚と陣取って、そこを拠点に絶えずウロチョロ何かをかぎまわっている。たぶん政府の上層部から直接特命でも受けているんだろう。情報機関か軍上層部か知らないが、モバイルPCやスマホで逐一何かを報告したり、指示を受けたりしている。上官や同僚に遠慮することも特になく、気ままに活動を許されている風だから。 

 彼はいわゆる「変な外人」だ。

「アホちゃいまんねん、パーでんねん。ショーンと申します、よろしゅうに」

 それが彼の自己紹介の口上の枕だ。関西ローカルの日本人にしか理解できない笑いが至極お気に入り。

 栗色の巻き毛とソバカス。身長は高くないし足も短い。見た目は、どこからどう見ても典型的な白人ヤンキーだ。それこそハリウッド映画のエキストラに出てきそうな、ありふれたアメリカのニーチャンなのに、ひとたびしゃべり始めるとまるで漫才師。典型的な関西人にしか見えない。そういう意味では、彼はここでの仕事に適任、と言っていい。

 アイルランド移民の家系で、一族の本拠はニューヨーク、ブルックリン。牧師である父親の仕事の関係で、幼少期にキョート・シティの郊外にしばらく住んでいたことがあるという。道理で関西弁がネイティブなわけだ。母語/第一言語はひょっとすると関西弁なのではないだろうか、と勘ぐりたくなる(英語もしゃべれる関西人?疑惑)。彼の英語がなんとなく関西弁っぽく聞こえるのは偏見からか。

 家は裕福ではなかったからROTCで大学に進んだ。専攻は東西比較文化論。人気の大学の割には”偏差値が低い”不人気学部で、”なじみがありそうなテーマで単位も適当にとれそう”というので選んだ分野だ。 

 ただ、どうも話がややこしすぎて、どこからどこまでを真に受けるべきか、疑問なしとしない。父親が神職なら、ROTCなんか使わなくても教会から奨学金でも出そうなもんだし、アイリッシュと言えばカトリックだから、プロテスタントの牧師の家庭というのも変な話。

「そーいうのを固定観念、ちゅうねんなー」

 彼にとっては今の自分が当たり前だから、ステレオタイプの周囲の連中が勝手に自分を色眼鏡で見ることにひどくご立腹である。のちのち知るのだが、彼の人生はそういう偏見との戦いの連続だった。だから、彼の不満は至極もっともな反応。アイリッシュのなかには改宗する人もいるし、プロテスタントのドイツ系移民と結婚したり、世代を経るごとに複雑多様化している。……のだそうだ。

 そういうことで、彼と話すときはたいてい日本語。一部不明瞭な部分は英語でおぎなったりすることもある。だがショーンの日本語は完全なネイティブ、そういうシチュエーションはめったにない。こちらの問題で補足することのほうが多い。

「貴官は日本語が堪能で助かります。文法ミスに気を取られて英語は詰まることがありますから」

 これがショーンには少々意外だったようである。大学で出会ったアジア系留学生は英語が堪能な中国人と韓国人。記憶のなかの日本人留学生は非社交的で日本人同士で群れたがり、英会話が億劫なのばかりだったという。

「コリアンも日本人と同じ? 英語は彼らより少しマシやと思てたけど」

「コリアンもジャパニーズも似た系統の言語ですから」

「諸説ありますけど。ヨーロッパのラテン語みたいなもんかな?」

「それが、中国語の構文は英語に近いから面白いですね。モンゴリアン、コリアン、ジャパニーズが同じククリみたいです」


 クマノで確保した捕虜の尋問を高麗国軍が担当するというので、僕は連合国軍側の人間として立会いを命じられた。捕虜の経歴や発言内容を報告書にまとめる。ショーンが米側の立会人というので同席することになった。

「よう、ひさしぶり」

「最近顔をみなかったね」 

 二人は再会を喜び、将校クラブでお茶を共にした。

 御多分にもれず、彼もゲームやアニメというサブカル好きだった。しかし親しめば親しむほど、その闇の部分が見えてきたという。

「なんちゅうかな……つまり、日本のソーシャル・ネットワークに寄生する、差別・排外主義ね。本来サブカルと差別の間に直接の関連はないはずやけど、どうも支持層が重なるみたいで闇の部分が見え隠れする。今の任務にも関連するんですけど、ネット嫌韓右翼ての」

 ショーンはそう前置きした。

「ああ、どの分野にも蔓延してますね」

「僕の祖先はアイルランド系移民。ジャガイモ飢饉のときのね。アメリカでは随分ひどい目に合わされた。それでそういうのには自然と敏感になります。いじめ、迫害、誹謗中傷……まあコリアン・ジャパニーズへの差別と似たようなもんで、アイルランド人は怠慢だ、無知だ、酒飲みだと蔑まれてね」

 

 No Irish need apply


「・・・そんな露骨な就職差別もありーの、低賃金で危険、汚い仕事にしかつけなかったみたいです。〈White Ethnic〉ちゅう言葉があるくらいやから、白人のなかで非白人扱いされた時代もあったんやね」

「ああ、イタリア系とアイルランド系アメリカ人の歴史は何かの本で読んだことがあります。日本じゃ沖縄県民は日本国民だけど、琉球民族だから似たような差別をされていたみたいですね。見くびられて、仲間はずれにされて家貸さないとか、就職差別とか結婚差別とか。在日コリアン差別のことは、僕は話でしか知らないんです。父方が昔、日本で暮らしていただけで」

「……Damn!。差別されるガワが、同じアジア人を差別する。日本人差別もアメリカではすごかったっちゅうのに。クライとか、うす笑いがキモイとか、何考えてるかわからんとか、サカナ臭いとか言われて毛嫌いされてねえ。嫌日アメリカ人団体からアイツらを何とかしろ、と政府に陳情まであった。なにせ、アメリカでは非白人との性交渉が法律で禁止されていたような時代。日米戦争が始まってからは、さらにすごかった。野蛮だ、狂暴だ、というので最期は収容所送りですわ」

「アイリッシュもコリアンもオキナワンも全然別の集団で、違う地域のマイノリティなのに、誹謗中傷の内容とか受ける差別は同じなんですねえ。皮肉なことに、差別しているのがそもそも<同じ>人間だからですね、これが」

 二人ともここで吹き出し笑いした。 

「要するに適当でデタラメ。差別のうすっぺらさ、いい加減さが垣間見える話です。やつら、外国人がいない時代には同じ日本人同士で差別しあっていたんだから。カーストの差別ですね。これは相当深刻でした」

 ショーンはぬるくなったコーヒーを飲み干してカップを置き、話題を変えた。

「まったく……。例のゲリラですが、これが典型的なネット右翼でね。タチが悪くて。本当に胸糞の悪いクズ野郎です。ジャップときたら、我々西洋人にはコンプレックスの塊で尻尾を振るくせに、同じアジアの民衆には白人気取りで上から目線やから……人間として最も尊敬されないタイプの連中です」

「日本の右翼は自らを西洋人に勝るとも劣らない民族だ、と自負してます。どこまで本気かは別として。日本人、とひとことで言っても本当に様々です。愛すべき人も多い。良識的な日本人は連中を嫌悪しています。まあ貴国と我が国を含め、人間、外から自分が見えないものなんですよ。ところで貴国は連中のどこに関心がおありです?」

「嫌韓ネット右翼の連中は保守系の右翼青年団体との人的関連があって、そこは人材を政財界その他各界に広範に送り込んでます。敗戦前に軍事物資を隠匿してゲリラとなった連中は、その宗教部門の団体の構成員が中心。日本軍内部の有力派閥です。そういう意味で、影響力の大きさに我々は注目してます」

「なるほど。で、今までにどんなことがわかりました?」

 マーフィー少尉は少しあらたまって居住まいを正し、パソコンの画面に目をやった。

「団体の名称は〈こころの宿り木〉。まず、日本の文化と伝統の尊重、天皇崇拝が教団思想の基軸のようです。教義自体は昔からあるような手垢のついた右翼思想の羅列で実に退屈。しかし仏教や神道等の既存の宗教とは一線を画し、市民運動的な装いです。ネットの様々なサイトを使って自分達の主義主張を垂れ流し、大学サークルやカルチャー教室、自己啓発セミナー等を隠れ蓑に信者を勧誘しているようです」

「宗教団体ねえ……お話からはそれほど危険な団体ではないように思えますが」

「だからこそ我々も見過ごしていたのですが……何か特殊な洗脳教育でも施しているのではないかと疑っているのです。とにかく、皆が皆一斉に同じことを言う。まるで何かの呪文をコピペしたみたいに、まるで自分の考えなどないみたいにね」

「ほう。確かに市民運動とは異質な感じですね。狂信的だ」

「不気味でしょう? よくわからないんです。彼らの中ではあらかじめ結論が想定されていて、それにそったディテールを並べ立てる。すべてが自分達のエコーチェンバー内で完結しているのです。基本的発想は陳腐な陰謀論。一切批判を受けつけないのも特徴的です。自分たちの主張に都合の悪い事実は全部ウソ。あるいは陰謀か宣伝工作……所詮、目的を同じくする政治家とか宗教界、財界が結託し、リテラシー能力のないバカを集めて扇動しているだけですけど。ニッポンをとりもどす、みたいな」

 マーフィー少佐は両手の人差し指と中指を2度曲げ伸ばし、”戦争犯罪人の手に”、と付け加えた。

「なんだかネットウヨの掲示板みたいですね。それ自体は大昔からあるような、オタクの世界です。しかし、そんな団体のために命まで投げ出すというのですか?」

「どうでしょう……意味不明の自尊心とでも言うか、思い込みの使命感のようなものに突き動かされているのかなあ。愛国心と呼ぶにはレベルが低過ぎる」

「タリバンやISとは随分違う。根本的に違いますね」

「オタク的で他とは一線を画しています……他に生きる目的がないとか、狭い人間関係から抜け切れないとか、その程度なのかもしれませんが」

「それなら社会心理学とか社会学の問題ですね」

「いや、学術研究ではなく実在する組織の実態把握なんです。教義ももちろん大切ですが、どんな人間がどれほどいて、どんな活動でどんな世界を侵食しているのか、具体的事例を集めるのがミッションです。サンプルは多ければ多いほどいい」

「なるほど、よくわかりました」


 その後、取調室とマジックミラーで隔てられた控室に僕とマーフィー少尉は陣取った。取り調べ室では米軍の下士官と刑務所の刑務官数人が机を挟み、一人のゲリラと対峙していた。

 ゲリラは四○歳ぐらいの小男で見覚えのない顔。顔に火傷の跡があるのはあの時、ヘルファイア誘導ミサイルに焼かれたときのものだろうか? 内向的な感じでオタクというよりはガテン系労働者風。目つき顔つきが猜疑心に満ち、だみ声を張り上げ、世間的にはあまり好感を持たれないタイプの男だ。


―Mr.ニシムラ。それで、君たちは武器をとって何をしたい?

 取調役の下士官が尋問を始めた。中国人だか高麗人だか日系人だかわからないが、アジア系アメリカ人だ。

「何度同じことを言わせる。それはもう話したはずだ」

 ゲリラはふてくされてまともに相手をしようとはしない。

―俺は初めてだから知らない。是非話を聞かせてくれ。

「お前らを日本から追い出して日本を取り戻す。それ以外に何がある?」

―君たちは世界を敵に回して勝てるとでも思っているのか?

「勝てる勝てないは問題ではない。俺は日本人として、一人のサムライとして、歴史の要求する通りに義務を果たすだけだ」

―格好つけるなよ……カミカゼが吹くとでも?

「あるいはな」

 投げやりな答えをしてゲリラは押し黙った。

―君たちを支援しているのは誰だ? どこから資金を得ている?

「知らんね。俺は武器をもらって戦うだけだ」

― 他のネット右翼どもは口先ばかりで、戦争が始まったら一目散に逃げ出した。自分だけが命を張るのは損だとは思わないのか?

「他の奴など知ったことか。アホウは右翼だろうが左翼だろうがいるさ。俺は国と家族と自分のために戦う。異民族の支配は受け入れられないし、抵抗しなければ日本の歴史にキズがつくからな」

 このターゲットはまだ協力的になってない、と取調官は判断し、雑談を始めた。

―日本は百年前の戦争で侵略国家、戦争犯罪国家として致命的なキズを負った。今回も国際社会に反旗を翻し、国際法に違反して核武装をした。だから滅ぼされたのではないのか?

「それは戦勝国のプロパガンダだ。日本はアジア解放のために立ち上がり戦った。この度の戦争においても、核武装は主権国家の自衛権の範疇だ。だから日本は何も悪くない」

―それは事実に反する。百年前の戦争も、客観的には自国の権益を守るためにアジア諸国の資源を収奪し、抵抗する民衆を虐殺したに過ぎない。諸君に都合のいい事実も多少はあっただろうが、お手盛りの偽装かタダの偶然だ。今回も国際法に違反した。だのになぜ日本に非がないなどと言える?

「目的遂行に犠牲はつきものだ。犠牲があったからと言って目的が間違っているとは言えない」

―アジア解放のためにアジアの民衆を虐殺する? 君は自分の主張が矛盾していることに気づかないのか? 健康のためなら死んでもいい、と言っているようなものだぞ?

「戦勝国史観に毒された貴様らの脳みそでは矛盾しているように思えるだけだ。俺たちの主張は戦前戦後、一九三○年代からずっと一貫している。それに核軍縮条約は核保有国優遇の不平等条約だ。正当性など全くない」

―核武装が自国の自衛権の範疇なら、君らはどうして北朝鮮を非難できる? あまりにも身勝手ではないか? 個人崇拝だとか核開発だとか、思想統一とか民族至上主義とか、君らの理想国家、地上の楽園はどうやら北朝鮮みたいだな(笑い)

「非人道的な独裁国家と我が大日本を一緒にするな!」

 ゲリラは怒りのあまり激昂した。当人たちはともかく、外国人にゲリラのこだわりは伝わらない。傍目からは似たりよったりでしかない。取調官は幾分シラケ気味で言い返した。

―問題は国際法違反かどうかだ。それをすり替えるな。君達の教団は天皇を神格化して個人崇拝をしているし、連合国に徹底抗戦して一億玉砕だとか何だとか民族集団自殺を主張している。狂信的な宗教カルトや北朝鮮とどう違うというのだ?

「この不敬の輩、陛下と共産ゲリラの親玉を一緒にするな! 無礼にもほどがある!」   

 そう言うとゲリラは机を蹴り上げ暴れだした。たちまち複数の刑務官が取り調べ室に雪崩れ込み、ゲリラを殴る蹴るして抑えこんだ。

「あの取調官、優秀ですね。いい線行ってます。PSYOPS(心理作戦部隊)の人ですか?」

 僕は下士官をほめたたえた。

「彼は大学で日本近現代史を専攻している士官候補です。まだ半分学生ですよ」

 ゲリラは刑務官に取り押さえられて徐々におとなしくなり、無理やり椅子に座り直させられた。口元を怪我したのか血を流している。

 取調役が倒れた椅子を起こし、座りなおして言った。

―貴国の国家元首と共産ゲリラの親玉がどう違うのか、戦勝国史観に毒された脳みそにわかるよう、教えてくれ

「いいか、よく聞け野蛮人。日本の皇室はそこらの王室とはわけが違う。日本では君民一体、歴代天皇は常に民衆を思い、国の平和と繁栄のために祈り続けてきた。臣民は赤子として御上を支える。それに日本の皇室は世界最古で世界中から尊敬されているんだ。世界の王室の間では日本の天皇が一番偉いんだ。だからみな外国の指導者達はこぞって天皇と面会をしたがるし、頭を垂れて敬意を表す。お前は何も知らないだろうが」

 笑いをこらえながら黙って話を聞いていた取調役は、ゲリラが話し終えるのを辛抱強く待ってから口を開いた。

―君の話は一部日本人の願望以上のものではないし、マニア以外には通用しない対内的プロパガンダだ。王室外交の現実は外交プロトコルに基づく儀礼以上のものでも以下のものでもない。現代の王室にどこかより下とか上とかはない。民衆も然り。だいたいアメリカ人は日本がどこにあるのかも知らないし、中国共産党の書記長と天皇の区別すらついてはいないよ。欧州でもガキとマニア以外の人間はアジアに興味など無い。君が自国の元首を誇るのは自由だが、部外者の考えをどうこうしろと言えるようなレベルの話ではない。

「お前ら野蛮人には理解できまい。いいから俺達のことほっといてくれ」

―他人をどうこう言ったのは君じゃないか。面倒臭いやつだ。

「俺達日本人には天皇陛下のお言葉さえあればいい。あとは君臣仲睦まじく、徳の高い天皇陛下が導いてくださるまま黙ってついていけばいいのだ。俺達には神道がある。日本の文明は世界有数だ。おまえら野蛮人の西洋民主主義とか憲法など我々には必要ない。民主主義など非効率だ。手続きばかりで中身などない。俺達は俺達でうまいことやっていく。お前らは邪魔でしかないんだ」

―日本の文明? 笑わせるな。お前らの歴史に普遍的文明はない。日本は中華文明圏の文化的衛星国家で、日本文化は中国文化のバリエーションの一つというのが我々の理解だ。明治の西洋化まで国の公文書はずっと中国語だったし、西洋化した今でも異民族の中国文字を使っている。元号だって中華皇帝の模倣だろう? 絵画にしろ漢文学にしろ題材は大方中国がモチーフだし、中国のスタイルを至高のモデルとして発展してきた。西洋化するまでな。

「それでも遣唐使を廃止してからは自分たちの文化を育ててきたんだ。だから日本文化は日本固有の文化だ」

―あっはっはっは、根本がパクリだけどな。

「お前たちアメ公だって元植民地の移民国家で、寄せ集め文化じゃないか。偉そうに言うな!」

―俺たちはお前たちみたいに嘘で塗り固めた歴史を誇ったりしない。素直に違いを楽しみ、今を誇りに思っている。歴史を捻じ曲げ、嘘ついてまで見栄を張る、貧乏臭い田舎者成金を笑っているんだ。

「……」

―それに何だ? 神道があるだと? そもそも天皇からしてずっと仏教徒じゃないか。聖武天皇は自分を「仏のシモベ」とまで言っているのを知らんのか? 歴代天皇は中華文明や仏教を畏敬崇拝してきたし、皇室には孔子という中国人を崇拝する行事まであったんだ。

「嘘をつけ。聞いたことがないね。俺たちはおおらかな民族だから、何でも受け入れるんだ。それだけだ」

―ハハ、そんなことも知らないでネトウヨしていたのか? 情けないやつだ。じゃ、もっと教えてやろう……。明治維新の立役者、西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人」だ。これ自体「儒教」という中国思想の受け売りだ。幕府がわざわざ朝鮮から儒学者を招聘してまで推奨した、朱子学の革命思想によって幕府は倒された。皮肉な話だがな。武士の教養といえば中国の古典だのみで、儒学という中国の思想にどっぷり浸かって近代化を成し遂げた。頭の中身は中国のまま、やろうとしていたことは西洋化・近代化だったんだ。

「……だから何だというんだ」

―まだまだあるぞ。日本で最初の株式会社を設立した資本主義の祖、渋沢栄一を知っているか? 彼の座右の銘は「論語とソロバン」だ。これは人格形成は論語で、暮らしの豊かさは実学で、ということ意味している。日本資本主義の祖からして、中国の学問的素養で人格形成をしろと言っているんだぞ? オリジナルな日本の文明などどこにある? パクリ専門のお前らが偉そうに、中国の影響を否定して民族純化路線をとろうとすればするほど自己否定に陥るんだ。令和の元号選定のときのようにな。アッハッハ!

「……」

―日本に文明などあるもんか。日本的な文化と言ったって、それはパクリそこねた中華文明と西洋文明とのキメラ文化じゃないか。パクリとコピーのハイブリッド文化と言ってもいい。百聞は一見に如かず、明治時代の滑稽な擬洋風建築や袴にブーツ姿を見ろ! 醜いキメラそのものじゃないか。

「日本を否定しようとする奴は許さない。おれはここから逃げ出して、必ずお前らを皆殺しにしてやる」

 ゲリラは反論に窮し、とうとう逆切れした。

―いいか? 日本が発展したのは国を開いて外国から優れたものを受け入れたからだ。今の日本を支えているのは実際、そういう外来の文明だ。君は被害妄想という言葉を知っているか? なぜありもしないオリジナリティを捏造してまで誇りたがる? 

「日本人は世界で一番優秀だ。俺達は神に選ばれた民族なんだ。俺達は清潔でモラルが高くて勤勉、知能が高い。おまけに勇猛で屈強だから日本軍は世界一強い。全て武士道のおかげだ。日本は世界中で一番いい国だから外国人が皆、何とかして取り入ろうとしてくる。侵略の危機に常に晒されているんだ。お前たちアメ公は日本を食い物にする、邪悪で汚い侵略者だ」

―申し訳ないが、客観的事実や統計は君の主張とは反対の姿を示している。日本人のモラルや清潔度はもともと低く、これじゃ恥ずかしくて東京オリンピックが開けない、ということで1960年代にマナー改善運動が始まった。当時を知る日本人が言っているんだ。パクリと不潔の90年代の中国の高度成長期よりひどかったってね。そもそもポルノやセックス産業、詐欺犯罪のパイオニアの日本がモラルを語れるのか? 何より、知能とモラルの高さについては君自身が有力な反証だと言わざるを得ない。優秀で清潔な人もいれば、そうでない人もいる。一体何を根拠に妄想を語っているんだ?

「明治以来日本を訪れた外国人が証言しているんだ。何も知らなければ偉そうに言うな。統計がどうした?、事実が何だ?」

―君たちは俺たち占領軍だけでなく、同じ日本人に対しても反日だとか非国民だとか罵って排除しようとしているね。君たちが日本の代表だなんておこがましい。日本を支えてきたのは君ら以外の実直な日本人の努力じゃないか。君らの先輩の戦争犯罪人たちは日本を破滅させよう、孤立させようとしてきただけだ。

「残念ながら俺達日本人にも裏切り者はいる。バカどもは左翼や外国人にだまされて、意味もわからず日本をダメにしようとしている。奴らを排除しなければ日本の未来は危うい」

―やれやれ……君が言っていることは結局、日本人とは君と思想が同じ日本人のことで、それ以外の日本人と外国人はみな野蛮人ということだ。そして自分たちの妄想通りの虚構の世界を実現しようとしているだけだ。

「青臭いこと言いやがって。国家があってこその民族だ。その国家をないがしろにするような連中は非国民だ」

―いいか? 我々文明人は国家以前に人間があると考える。それに国家というのはお前と利害が必ずしも一致しているものではない。国家というのは他人を利用して誰かが得をする制度だというのがわからんのか? 同胞の助け合いという美名のもとに、誰かがお前を利用して得をしているんだぞ。

「それはお前らアメ公の国のことだ。一緒にするな」

―では見てみろ、お前らの政府のやったことを。奴ら何をした? 国を滅ぼしただけじゃないか。国民を扇動し、国を軍国主義化して、わけのわからない核開発をした。いったい何を守るために、どこに向かって核を使うというのだ? 要するに、外に敵を作って自分たちの言うことを聞くように国民を洗脳し、利用しただけさ。結果、お前のようにおだてに乗って浮かれた勘違いどもが大騒ぎしただけのこと。そして結果はこの通りさ。国土は汚染され荒廃し、大勢の人が飢え、傷つき、死んでいった。もうこの国は二度と元には戻らないだろう。

「もういい、お前とはこれ以上話をしても無駄だ。俺達は俺達でやるからほっといてくれ」

―いいだろう。俺達だって俺達でやるさ。どこかで核兵器で武装するイカレた害虫がいたら、俺達は勝手に駆除するからそう思え、ブタ野郎。お前も地獄送りにしてやるからな。

「勝手にしろ。所詮世界の現実は弱肉強食、生存競争だ。敗れれば仕方ない」

―国家を運営する責任ある立場の人間は、そんな無責任なことは言いたくても言えないぞ。やはり君には日本を代表する資格はない。そんなバカどもを支持する日本人はいないだろうから、君たちが日本から出て行ったほうが早いのではないか?

「うるさい! 知ったことか。糞食らえ! FUCK!」


 そこでマーフィー少尉は僕を部屋の外に連れだした。

「これ以上付き合っても無駄でしょう。まあ、ちゃんと反論してきただけ、まだマシな方でした。だいたいこの程度かそれ以下です」

「たしかにワンパターンですね。どこにでもいそうなタイプだ」

「それでも知能の高い奴は収容期間中に学習して改宗してくれます。最初はあんなでも見事に有能なスパイになってくれるんです、これが。バカは最後まで洗脳から解けませんがね」

 マーフィ少尉は彼らを擁護することも忘れなかった。

「ハハハ、改宗だなんて。彼らのような俗物に信仰があるとも思えませんが。見た限りでは政治結社の構成員です」

 そう言って僕が笑うと、マーフィ少尉は真顔になった。

「いいえ、これは立派な宗教ですよ。ないものをある、あるものをないと思い込むには信仰の力を借りるしかない。自分たちが妄想する日本の伝統とか美徳とかいうものが、歴史上ずっと存在していたかのように信じること。あるいは自分たちに都合の悪い過去や前科はでっち上げか歪曲と信じること。かつて猿マネ国家とかパクリ民族と西洋人から蔑まれた過去は忘れたい。侵略国家、人類の敵として世界中から宣戦布告をされたという事実はなかったことにしたい。他人が言わないなら自分達で言おう。事実でないならフィクションを現実化しよう。思い込みを否定する奴は排除しよう。美しい日本、クール・ジャパン……」

「なるほど。しかしそれはナルシシズムとの境界が微妙ですね」

「信じるのです。誰が何と言おうと、事実がどうであろうと。もうそれは信仰です。それでも変な政治結社よりは正直だし誠実だといえるでしょうね。嘘をついて他人を騙すのではなく、フィクションを信じようと仲間を説得するのだから。そこが政治やナルシシズムとの決定的違いです」

 マーフィ少尉は少々おどけて言ったが、内容は辛らつだ。

「なぜ温厚で協調性を重んじる民族が突然軍国主義化して戦争をおっぱじめるのか? 集団的ヒステリー、国家的被害妄想のようなものか? 同調圧力社会で付和雷同する国民性に問題があるのか? 少し考えさせられますね」

 マーフィー少尉は応えた。

「中央集権で統制が高まると、何百年に一回の頻度で国際秩序に挑戦し、敗れては鎖国を繰り返す民族です。白村江しかり、秀吉の朝鮮侵略しかり、対中・対米戦争しかり。今回もそうでした。閉鎖された島国、農耕民族、同質社会。そういうものの影響は古今東西の識者たちが指摘してきたことで人口に膾炙した話です。もっとも西洋の歴史だって寄り添っては争い、離れては反省することを繰り返してきましたがね。日本だけの現象と言いきれないところもありますが。中華の辺境、極東の島国。そういう地政学的な特殊性が投影された、集団心理の発露のようなものかもしれませんね」

 さすが比較文化論を学んだオタク。でも、僕から言わせればこれはただの政治結社だ。宗教団体が隠れ蓑でやり方が布教なだけ。


 報告書がまとまらないまま翌日となり、次の尋問は下っ端の若造。サンプルのバリエーションを増やすため、という以外にとりたてて注目すべきところのない部類だった。マーフィー少尉が今回スルーしたのはそのためだろうか。あるいはこの後に控える大物、ケイイチ・ムラカミ大佐の尋問が本命だからか。文書の記録が主任務の僕は逃げられないから、ひとりで報告書を書かされる羽目になった。

 今回は高麗軍の士官が尋問を担当した。捕虜はあたかも街の大学生風、どこにでもいそうなオタッキーな男だった。ライフルで武装していたようにはとうてい見えない。

ーどうしてゲリラになんかなったの? カワヒガシ君。

「そもそも世間知らずのノンポリだったんです、僕。街を歩いていたらネトウヨの工作員に勧誘されて。パーティサークルに連れていかれたんですけど、カワイコちゃんのいる。それがゲリラの下部組織でした」

ーなぜゲリラから逃げようとしなかったの?

「ゲリラ組織だなんて思わなかった。みんなともっと仲良くなりたくて、たまり場みたいなところに出入りするようになったんです。みなさん、とても親切で面倒見がよくて、すごく居心地がよかった。それに愛国心というのかなあ、誰もが信念を持っていて、世間が知らない本当のことを知っているように思えたんです。魅力的だったし、いつも目からウロコが落ちるような面白い話を聞かせてくれました」

ーああ、ハハハ。うんうん。よくあるね、そういうの。大学の新入生歓迎キャンペーンみたいな。

「君は知らないだろうけど、日本人は世界一すばらしい民族なんだよ。天皇陛下はそんなぼくたちの象徴なんだから当然世界一だ。だけど、特定アジアの国とか欧米の連中が日本が強くなるのを恐れていて僕たちを陥れようとする。日本は本当はいつも正しいことをしているんだけど、歪曲されてオトシメめられている。例えばこれはこう、あれはこう……。そういうのを聞いているうちに、はじめはびっくりしたけど、だんだん腹が立ってきて。それでもっともっと話が聞きたいと思うようになったんです。それと、ネトウヨのみなさんがすごい立派な人たちに思えて。日本のことをすごく褒めるし、日本人が一番だって言うんだから、ぼくはこの人たちこそ本当に日本のことをまじめに考えてると勘違いしました。」

ーほうほう、へええ。

「それで本格的に右翼の活動をはじめよう、世の中おかしいよ、正しい国になるように政治を変えないといけないと思うようになったんです。朝鮮人とサヨクを追い出して、ソーカガッカイを解散させて、憲法を改正して軍隊を作ろうって。最後はアメリカを追い出して核武装だー、なんてね。ニッポンを、とりもどーす」

ーゲリラ活動をするつもり、とかではなかったんだね。

「そんな度胸ないですよ僕。神社で神道行事に参加したり、ネットの掲示板で朝鮮人とか中国人の悪口書いたり、ネトウヨ政党の選挙運動に駆り出されたり、集会であおられて気勢をあげたり、飲み会で盛り上がったりしてもう、サイコーでした。自分は世界一の存在なんだ、日本の国はすばらしいんだ、真実を知っているのは僕たちだけで、ほかのサヨクとかノンポリのバカどもは何とかしてやらないと日本が危ないんだ、朝鮮人と中国人に乗っ取られるんだ。もうそれしか目にはいらなくなってしまって。ニッポンをとりもどーす!。敗戦が確実になったころ、政府が無条件降伏をするというからみんなでたちあがろう、俺たちと君しか日本を救う者はいない、って仲間たちと盛り上がって、そのまま流されて行った先がゲリラ部隊でした」

ー君の指導部への信頼が揺らいだのはなぜ?

「ゲリラになって実際やっていたのは銀行強盗とか市民の誘拐とか、要人の暗殺とか、そんなことばかりだったんです。最初は先輩の言うとおり、日本を取り戻すために必要な作業かなあって思っていたけれど、よくよく考えれば言ってることと、やってることが全然違うなあ、って気が付いたんです。日本を取り戻すために銀行強盗? 民間人をヒトゴロシ? もう否定しようがない。それにね、政治団体で教えられることとか、先輩たちの言ってることもだんだん嘘・誇張・歪曲だってわかってきたんですよ」

ーほうほう。例えば?

 数え上げればキリがないです。日本の侵略戦争とか、満州国でっちあげとか、アジアの解放とか、東京裁判とか、皇国史観とか。どこのアジア解放したんだって。本当にバカでした。で結局、全体として冷静にみれば真実は右翼団体の主張と真逆だった。まあ、巧妙に事実を逆転させて吹聴させてるんだ。ちゃんと勉強してれば騙されることもなかったろうに。先輩たちがいろいろ教えてくれてなまじ知識がついてきたばかりか、他人に吹聴しだすようになると、いろいろ見聞きしてわかることが増えてきたんです。そういう意味では長い目でみて逆効果ですね、思想宣伝って。ネトウヨ団体の友人の中にもあれはおかしいよ、って気づき始めた連中もいて、みなで情報交換とかするわけですよ。そうしたら右翼の主張って、完全に嘘もあるし、都合のいいところだけ切り取ってきてそこばかり主張したり、つなげて一つのストーリーをでっち上げたり、そんなことのオンパレードでした。もう、ネット検索をしたり、町を歩いて普通に生活しているだけであちこちに反証が転がってるわけです。興味がなくてみてなかっただけで」

ーひどい話だねえ。それでどう思った?

 もう、正直呆然ですよ。いきなりハシゴを外されたみたいな衝撃。今までの俺って何だったの? でも、気づいた時には熊野の山の洞穴で、逃げ出せなかった。

ーでもまあ、よかったじゃない。最後まで騙されたままじゃなくて。

 いえ、もう取返しが付かない。僕は重大犯罪人です。

ー占領軍は君のような事情のある人は寛大に処遇するよ。いわば被害者だからね。たぶん君もこのまま釈放されるだろうねえ。僕たちに協力すればね。

「何をすればいいんですか?」

ーうん、知っていること、見聞きしたことを教えてくれればいい。それと、できれば昔の仲間と接触して、情報をくれればなおいい。

「わかりました。罪をつぐないわせてもらいます。やつらは刑務所か野垂れ死にがお似合いだ」

ーまあ、そうなってるねえ。実際。部隊に戻るのはリスクが大きい?

「まあ、怪しまれてリンチ殺害されるのがオチでしょうねえ。とにかくもう、指導部だけが元気いっぱいでゲリラ部隊は崩壊寸前ですから」

ーああそう。どんな感じなんだろう?

「とにかく士気は低下。戦意喪失。仲間割れとかリンチとか、締め上げとかつるし上げとか、それでなんとかもってるという、ひどい状況です。気に入らないやつだとか、指導部に批判的な動揺分子は悲惨な最前線の部隊に送られるか、悪いと後ろから味方に撃たれて終わりです」

ーうへえ、そりゃひどい。よくそんなところにいられるねえ。

「逃げられないんです。逆らったり逃げようとすれば裏切者呼ばわり、リンチか銃殺だから。最後に残ったのは行き場のない困った人たちだけです。それにね、指導部にも路線対立があって、一致団結というわけでもないんです。要するに、あいつ気に入らないから始まって、あいつはこんな悪いことをしたとか、何もいいことしないとか、理想派と現実派とか」

ー100年前の日本軍も似たような話あったなあ。これ以上苦しみたくないからひと思いに死のう、みたいな。

 ここで僕は思い切って尋問担当官に割り込みの許可を求めた。直接聞きたいことがあると。担当官は快く受け入れてくれて、同席を認めてくれた。

「はじめまして。少し聞きたいことがあるんだ」

 僕はゲリラの青年の目線の高さにしゃがみこんだ。

「何でしょうか?」

「うん、熊野で出会った君たちの仲間のことなんだ。極限の状況で侵略者に立ち向かう、勇敢な戦士ばかりを期待していたけれど、どうもそうではなかった。何というかそのう、信念みたいなものは感じられなくて不思議だったんだよ。君にはそういう感覚が理解できるかい?」

 青年は僕をまっすぐみて言った。

「どこの部隊かはわかりませんが、敵前逃亡者がいない部隊ならヤル気マンマンのはずです。それでも士気が低かったのだとしたら、あきらめとか、ナアナアの世界ではないでしょうか」

「あきらめとか、ナアナアで命を投げ出すの?」

「仲間を見捨てて自分だけ逃げられないとか、負けを認めたくないとか、人によっていろいろでしょう。うまく言えないけど、そういうのをあえてヒトくくりにするとすればそういう表現しかない」

「なるほど。潔く散る覚悟だけど、もうニッポンを取り戻せるとは思っていないんだね」

「思っている人がいたとしたら、とんでもない大馬鹿か、主義者ですね」

「目立ちたいとか、大義にのぼせ上っているだけとか、そういうバカはどうだろう?」

 すると青年は即答した。

「そういうのは緒戦の段階で死に絶えてます」


 宿舎に帰ってシャワーを浴び、ウイスキーのロックをちびちびやりながら今日の尋問の要約をまとめた。するとそこへ、いつもの呼び出しだ。一休みするか、とモバイルのアプリを立ち上げた。画面の向こうのIDは、当然のことながらCrescent814。

「ヘイヘイヘイ」

「ブーッ。陽気だねえいつも」

「何してるんだよー」

「仕事中だ」

「やりすぎは毒だよ。ほどほどにしな」

「うるさいよ」

 crescent814はパジャマ姿でメガネをかけていた。就寝前でコンタクトを外したんだろうか。モニター画面は身を乗り出したcrescent814の顔面のアップで一杯だ。

「で、今日はどんな一日だった?」

「ふっ、君はスパイか。いちいち報告できるもんか」

「ああ、なるほどね」

「ああ、今日はね、例のゲリラの尋問があったよ」

「へえ、面白そう。何かわかったことあったの?」

「そうだなあ、とりたててないけど。だけどね、少しクマノの山での一件のことが腑に落ちたかもしれない」

「わあ、すごい! 教えて教えて♡」

「真相はどうだったと思う?」

「真相って?」

「ほら。主義主張に殉じる愛国者か、ただの目立ちたがり屋か。はたまたどうしようもない変人か」

「ああ。うーん、どうだろうなあ。どっちでもなかったんだったっけ。変人といえば変人だろうけど、それじゃ何の教訓も引き出せないしなあ」

「まだ完全に分析できたわけじゃないよ」

「若気のいたり?」

「その日本語は知らない」

「英語だとね、えーっとなんだっけ? 英会話もう忘れちった。young and stupid? He was so young and so stupid……」

「ああ、あっはっは。高麗語でぴったりの言葉が出ない。でも、もうほとんど正解だね」

「なあんだ、そんなことだったら税金使って調べなくても、みなわかってることじゃない」

「まあ、そうだね。でも実際それが事実かどうかは確かめないと憶測の域だ」

「フフ、税金使ったアンケートね。ごくろうさん」

「彼はね、後悔していたよ。自分の愚かさを」

「もう遅いわ」

「それだけじゃない。ゲリラたちの心情を明かしてくれた」

「ほうほう。そりゃおもしろい」

「仲間割れがあって、いじめが横行して、モラハラ・パワハラがあって、リンチ殺人やらなんやら」

「何それ?、新選組みたい」

「シンセングミ?」

「ああ、明治のレボリューションの時の平民軍の話よ。日本じゃ有名」

「映画か何かで見たことあるかもしれない。それじゃ日本の伝統だね」

「連合赤軍事件、あさま山荘事件ってのもあったなあ。サヨク過激派の」

「ははは、思想のミギヒダリとは関係なく起こることなんだ。国民性だね、もはや」

「そうじゃないわ。外国だってカルト集団なんかだとあるんじゃない? コリアンだってあったはず」

「ああ。そうかもしれないね。いずれにせよ馬鹿げた話だ。レベルが低すぎて悲しくなる」

「そうだね。でも月並みってことは普通の人間が巻き込まれるってことね。こわいわ」

「ああ、確かにそうだねえ。僕はもう連中に関心がなくなったよ。おかげですっかり」

「100年前の戦争もそうだったんだって。騙されて、勝利を信じて疑わなかった人がポカーンとなったり、こんな戦争勝てるわけないって疑ってたけど周囲に合わせてただけの人がそれみろ、ってほくそ笑んだり。それまで鬼畜米英とか言ってた人が次の日から民主主義礼賛と軍国主義批判に寝返ったり」

「ああ、大韓民国時代にわが民族も同じ試練を経験したかもしれない。大日本帝国の崩壊と共産主義弾圧で。やりきれんね」

「そうそう、それよ」

「僕は今、ただただ、あのクマノの焼死体が憐れでならない」

「そうだね。何のための死だったんだろう」

「つまらないなあ。これだけの犠牲があったのだから、もうちょっとちゃんとした理由が欲しい」

「人生そのものが空だから、無理よ」

「おろかな人間。悲しい人生。寝るとするか」

「えええ! そんなあ、つまんない……」

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