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Chapter 7

「彼を愛していたんじゃないわ。けっきょく、わたしは自分を愛していただけね」


 バラの花にうずもれながら、ユヅキはつぶやいた。

 その日、二人はローズ・ガーデンで時を過ごしていた。キョート方面のテーマ・パークにある、英国風の美しい庭園。ホワイト、ラベンダー、アプリコット……色とりどりの、ありとあらゆる種類のバラが咲き乱れ、甘い香りに満ちあふれる空間だ。秋バラが見たい、と彼女が言うのでシブシブついてきたが、いざ来てみれば見事な庭だった。天気もよく、ほんとうに気持ちがやすらぐ。地球温暖化の影響で見頃がうしろ倒しになっていた。


「あなたと同じ時間をすごしてみて、そのことに気づいたの」


 庭にそなえつけられたベンチに腰掛け、バラの香りを全身に浴びながら、ユヅキは問わず語りした。

 いきなり何を言い出すんだろう……とりとめもなくココロの心象風景を吐露する彼女に、僕は言うべき言葉が見つからない。


 それはいいことなの?

 ……さあね

 僕を愛するようになったということ?

 まさか、そういう意味じゃないわ

 なんだよ、それ


 思わず噴き出した僕。ユヅキは自分の内面世界を浮遊しているようだ。

「自分の生まれた星のもとや生い立ち、青春時代について思い煩うことも多かったけど……結婚して出産して子供をもうけてみて、いろいろとものごとが見えてきたり、考えが変わったり」

 人間って……人生って何なんでしょうね。そう彼女が言った。

「あなたは不幸せだったの? いま、幸せ?」

「どうだろ。それすらわからないわ そもそも幸せって何なんだろう? それが必要なのかどうかもわからないわ」

「幸せにこしたことはないね。願わくば」

 ユヅキがいったい何を言いたいのか、僕は測りかねていた。

「ヒトはただ、生まれて、生きて、老いて、死んでいくだけ……どんどん何かを失いながら。いろいろ思い悩んだり、楽しんだり、しばらく不幸せだったり、イイこともあったり。そんなこんなしてるうち、どんどん時間がすぎていって……ただ過ぎていって……」

 はらはらと、涙がユヅキの目からこぼれた。

 言うべき言葉がみつからない。僕はただ、彼女を見つめていた。

「人生に愛は、かならずしも必要ないわ。少なくとも幸せになるためには」

 バラの香りが人を酔わせ、そうさせるのか。脈絡なく彼女はつぶやき続ける。

「愛は重荷よ。それ自体、負担なの。失えば喪失感に変わるだけ」

 そんなこと、言ってみたってしょうがないよ、と僕は口答えした。

「望もうと、望むまいと、人はだれかに自然と惹かれてしまうもの。あるがままに楽しめばいい、人生を」

 僕の言葉を聞いているのか、聞こえていても意に介さないのか……独白は続く。

「悲しみは学びよ。そのことで何が大切なのかがわかるの。失ってはじめて何かを得るの」

 僕はもう、彼女との対話はあきらめた。ただ、聴いてやればいい。

「父は厳格で融通が効かない人だった。思い込みが激しく、自分の信念を現実に優先させるような頑固者。でも、そんな父から愛情を注がれた私は、彼を裏切ることができなかった。父の思い込みに振り回されないよう、だからといって彼を不幸にしないように向き合うとすれば、結局、その場限りのおためごかし。嘘デタラメ、表面的。つまり、場当たり的……時と場合によって態度を変えるしかない」

 ユヅキは黙りこんで、なにか考えをめぐらしている。

「ただ、こういうウワベだけの行き方は、自分自身に負担を強いる。自分を欺き信念を曲げる生き方だから。場当たり的で一貫性のない生き方から生じる様々な、ちぐはぐな結果を繕い合わせる、そんな弥縫策に忙殺され、頭を悩ませる日々。無意味でストレスフルで、負担の大きいこの作業は、人を腐らせるに十分だった……」

 ユヅキはまた黙り込んだ。遠くからは幼い子供の叫ぶ声や笑い声、大人たちの談笑する声が時をおいて聞こえてくる。

「君にとってお父様の存在は、とても大きかったんだね」

 しばらくの沈黙ののち、僕が言葉をつないだ。

「そうね……ただ、愛されたかった。父だけじゃないわ、母からも。そして父と母も、お互い愛し合っていて欲しかった」

 ユヅキの目からはポロポロと、また涙がこぼれた。

 ユヅキのお父様とお母さまは存命なのだろうか? まさか、幼いころ離婚した? 

 僕は気になったが、聞くことはしなかった。

 その日、秋の空は抜けるように青く、高かった……雲一つなく。


「もうよろしんですか?」 

 久しぶりに出勤した僕を、パク君は気遣った。

「でかいタンコブができちゃってね」

 僕が殴られた後頭部を差し出すと、パク君はそれをソッと人差し指で撫でた。

「こりゃ痛そうだ」

 たまった仕事を片付けなくては。そうして、また元の生活がウソみたいに始まった。まるで何事もなかったかのように。資料をまとめて、読み込んで、パソコンに入力して……。昼時には皆でランチをして、また仕事して、人と会って話をして、将校クラブでお茶をして、夕方まで働いて宿舎に戻る。僕はもう、スミレの殺害犯を探すことは忘れようとしていた。少なくとも、しばらくは触らないでおこうと。ところが、運命は僕を容赦しなかった。

 ある日、仕事帰りの僕が司令部の正面入り口から外へ出ると、表通りの舗道に人影が見えた。僕に気づくと、人影は両手をふってアピールする。誰だろうと思って近づいてみると、なんとそれはあの、クサカベ刑事。意味深な笑みを浮かべている。

「……や、こらどうも少尉さん。近くに来たんでご挨拶でも、と思てたら、ちょうどお会いできました」

 彼はいったい何しに来たのか? 不気味に思った僕は返答に困った。

「なにか御用ですか?」

「いやね、例の正義の守護神ですけど。ほれ、子供を食い物にする大人を懲らしめる。まあ、いくら悪人とはいえ、殺人や傷害などの事件が発生しますと我々の仕事が増えるんで、これは少々厄介なんですが、その分他の犯罪が減るんやったら話は違う。行って来い、ってやつですわ。つまり差し引きゼロ」

 不敵な笑みを浮かべながら、クサカベ刑事はそう言った。

「おまけに悪人が消えてくれればその分の捜査や裁判、時間と手間と費用も省略できる。税金の節約にもなるし社会の治安も守られる、ちゅうこってすわ」

 もう間違いない。この男は僕を疑っている。一体こいつは敵か? 味方か? だが冷静に考えてみれば、所詮彼は被占領国のイチ警察官。何を知っていようがいまいが、僕をどうこうできるはずもない。

「なるほど。御役目ご苦労さまです。でも、どうしてそれを僕に?」

 僕はしらばっくれ、しゃあしゃあと言ってのけた。

「あいや、以前捜査に関してお尋ねいただいたもんでね、別に意味はありまへん」

 刑事はそれ以上、突っ込まなかった。

「何かわかりましたらまた情報をください」

 僕は礼を言ってその場を離れようとした。

「ああ、そうそう」

 刑事は何かを思い出したかのように僕を呼び止めると、ポケットに手を突っ込み、メモのようなものを取り出した。

「ここに水曜の夜来てみなさい。女の子を連れている男があんたの搜してる奴かも知れん。意味はわかるね?」

 ……こいつ、いったいどこまで、何を知ってやがるんだ? 

 そう不気味に思いながらも、僕はしぶしぶメモを受け取った。

「少尉はん……人生どこに落とし穴があるかわかりまへんで。せいぜい用心しとくんなはれ。私も気ぃつけながら仕事しとります」

 刑事はそう言い残すと後ずさりして、僕から離れた。そして、くるりと向きをかえると足早に去っていった。

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