Chapter 5
ユヅキとは相変わらず、つかず離れず。退屈して死にそうだったり、肉欲の渇きを覚えると、ふらっと舞い戻っては僕に甘え、抱かれたがった。まるでここが安心できる居場所ででもあるかのように。好み通りに調教され、カラダのスミからスミまで性感帯を把握しきっていた僕は、その望むとおりの奉仕で彼女を満足させることができた。性的ペット、セックス用愛玩動物じゃないけど、意識とは裏腹に、理屈抜きでその肉体が僕を要求していたのかもしれない。
「どう? 今から時間ある?」
「何時ごろ待ち合わせる?」
そんなお誘いの電話がきて、時間になると白のベンツのクーペがお迎えにくる。職場である司令部や宿舎の近くで僕を拾って、カフェやファスト・フード店に寄ったりして、それからラブ・ホテルや予約済みのシティ・ホテルにチェックイン。ひどい時はいきなりホテルに直行だ。まどろっこしいときは車の中でいたしちゃったり、カーセックスにおよぶこともしばしば。
以前から変わったことと言えば、もうケンカの種になるような話は一切しなくなったこと。もめごとの種になるようなことは極力避け、純粋にセックスを楽しもうとしているようだ。なんというか、今までならクダラナイ話が出そうな局面で、そこだけスッポリ欠落する、みたいな不自然さ。拍子抜けする。
お互い何かイチモツある感じで、以前とは関係性が様変わりした感があるのだが、彼女に求められて僕も悪い気はしない。いやなら拒絶すればいいんだろうけどあの、頭のテッペンから突き抜けるような、彼女の濃厚な性の奉仕はナニモノにも代えがたい悦楽、僕をトリコにしていた。ベッドの上での彼女の過敏なリアクションは僕を極度に興奮させ、性的好奇心を大いにくすぐった。そのモチモチの肌の質感といい、ぜい肉の付き具合といい、体形といい、彼女のカラダは僕にピッタリとフィットして吸い付くような感覚だったし、僕はいつだってアリったけの力を振り絞って、全エネルギーを、空っぽになるまで彼女の下腹部にぶちまけては果てた。若かったから、何もかもがモノめずらしくて飽きもっせず懲りもせず、毎日何度もセックスできるほど体力だって有り余っていたし。
男女の好き嫌いは頭と体で分離できるものらしい。ずいぶんとご都合主義にできている。ただ、体の相性は悪いけど無性に惹かれる異性、というのが成立するかは疑わしい。いつまで続くのかも疑問だ。少なくとも男と女を卒業するまでは……。
カラダだけ、ヤルだけの関係なんて、まるでスポーツみたいだけれど、これだってまぎれもなく男女関係。そんなところへもってきて、<愛とは何か?>とか言い出したらもう、収集がつかなくなるだけだ。男女関係から下半身を取りのぞいて、「さあ、これが真実の愛ですよ」とか言ってみたところで、何の意味がある?
相手のことを思う時間を楽しんだり、会えない時間をじれったく思うとか、喜ぶ顔がみたいとか、何かを捧げて達成感を味わうとか、そんなものは愛撫と挿入までの遠いプロセスでしかないのかもしれない。
<お決まりの”プロセス”があろうがなかろうが、男女関係は成立する>
そういうプロセスを省いた、恋愛感情の伴わない<純粋な行為>を金銭で買う……そんな市場が男女問わず存在するという事実こそがそれを物語る。継続的な性的パートナーがいる、いないにかかわらず、だ。そんな省エネ合理化したシチュエーションにおいてさえ、相手の個性とか容貌とかキャラとかいうのは重要なのだから。エクスタシーを得るうえにおいても。
風俗で欲求を処理しても、帰り路がわびしい……。
R-A-Aの日本人ホステスと遊んだ友軍兵士からそんな話を聞くと、ほれ、愛の伴わない行為は虚しいもんだ、とか思わず言いそうになるけど、逆に言えば、風俗嬢が自分に惚れて付いてきたら、それはもうホラー映画だ。また、客が自分に惚れてつきまとったら風俗嬢だって迷惑千万でしかないし、その時点でストーカー事件になる。
要するに、気に入った異性と継続的に肉体でコミュニケーションさえできれば、男だって女だって幸せになれる。飽きる前に相手と会えなくなると、それはストレスになるというだけの話。勝手な話、会えないとストレスになるけど、いつでも会えるとなるとアリガタみが無くなって、そのうち相手がイヤになるんだから、男と女なんていうイキモノはどうしようもない。消費しつくして、用が済んだらサッサとオサラバ。固定した特定の相手とだけ、というよりもその日の気分、日替わりで何人かのオキニをつまみ食いできればなおハッピー?
そうじゃない人がいるとしても別の理由、依存症とか不安とか孤独とか嫉妬とか独占欲とか、愛情以外の理由で特定の相手に執着してる可能性がなくはない。それを誰が否定できる?
世間では誰も自分に振り向いてくれなくて、自分のことを気にかけてくれる人が一人もなくて、という人が、自分だけを見つめてくれる人をやっと見つけたという場合、僕のこんな話はとんでもないだろう。また、いままで自分のお眼鏡に合うパートナーに出会ったことがない、という場合もそうだけど。
ただ、その人がお相手と何年も一緒にいたら、あるいはそんな人を試しに恋愛の自由市場に放り込んでみたら……同じようにならないという保証はない。
男女関係は本質的にスポーツに似ているかもしれない。人によって違うとすれば、スポーツ基本のベーシック・プランにお好みでオプションがついてきて、それで見た目がずいぶん変わる、というだけなのかもしれない。
ある日、僕はスナが気になって公衆衛生福祉局のある建物を訪ねた。司令部近くの生命保険会社の営業所を接収したオフィスには、常時数十人のスタッフが出入りしていて、なじみの僕は顔パスだった。
「よう、スナはいるかい? またフィールド調査かな?」
電話番のアンちゃんに聞くと、さあね、と返事がきた。
「ばっくれてんじゃないすか? 最近調子悪そうだし」
「へえ、行先はわかるかい?」
「まさか。おおかた司令部のフードコートあたりでしょ? 例の……」
司令部には飲食店のテナントが入った一角が地下に設けられている。ぶらっと一人で行くにはもってこいの場所だ。将校クラブのような入場制限はないから、近場で一杯、となると民間人要員はここを利用するしかない。フードコートってったって、ショッピングセンターのとはわけが違う。本格的な大人の空間で、材質といい、デザインといい、高級感ありありだ。
司令部に戻ってフードコートを見渡すと、いつものバーでスナが一人酒をしていた。僕は黙って隣のカウンターチェアに腰かけた。
とろんとした目つきでスナが僕を見た。
「ああ、ヨハン……」
「夕食前にもう出来あがってるなんて、感心しないね。カラダにさわるぞ」
グラスを取り上げて臭いをかぎ、ひいきの銘柄のバーボンだと確認してから小言を言うと、スナはため息をついた。
「つらいのよ……」
「どうしたってのさ」
「スミレちゃんのこと。ふと頭によぎるの。思い出したくもないんだけど」
ああ……僕はすぐに合点がいった。思いやりのあるスナらしい話だ。こっちはユヅキの相手をしている間ぐらい、それを忘れていられるけど、彼女はそれが職務だから逃げようがない。僕は気の毒に思うとともに、申し訳ない気持ちがした。思わずため息をもらした。
「ふぅ~っ……わかるよ。俺だってそうさ。でもね、君が飲んだくれたって彼女が生き返るわけでもないし。彼女の死について君に責任はないんだからね」
「わかってるわ、そんなこと。ただ理由もなくそうなるのよ。それにね……」
なんだい? 僕は話の続きを促した。
「あたしは悲しい死を見すぎたの……スミレちゃんばかりじゃないのよ。かわいい盛りの子供たちがあちらこちらで、毎日のように病に倒れ、死んでいくの。お年寄りや貧しい女性たちもね。人の役に立ちたい、と思って始めた仕事なんだけど、そうじゃなかったのよ。ただただ、悲劇を目の当たりにするだけで何もできない……見守るだけの自分。無力だわ」
僕は何かを言おうとしたけど、やめた。かける言葉もないし、彼女がそれを望んでいるわけでもなさそうだった。ただ傍にいて、黙って聞いてあげるべきだと思った。
「だけど、逃げられないの。放り出して逃げる気にはなれないのよ、いまさら。深入りしすぎちゃったのね。頭から離れなくなっている」
「自分のできることをやればいいよ。できる範囲でね。君は日本人を救うために生まれたわけじゃない。一人で背負う必要はないんだから。ただの行きがかりだってのを忘れちゃダメだよ。君には君の人生があるはずだ」
スナはため息をついてからうなずいた。
「そうだったわね。したことのない経験をしてみたかっただけだった。でもね、私はもう知ってしまったの」
「何を?」
「この世にはね、自分の隣の、同じ空間でつながった世界に、理不尽で悲惨な光景が広がっていて、大勢の人が苦しんでいるの。自分があたたかいゴハンを食べているその隣で、お腹を空かせて、愛情に飢えた人たちが救いを求めているの」
「やめなよ。もう、そんなことは考えるのはよせ。だからと言って君に何ができるというんだ。君がコンディションを崩してどうなるってんだ。我々にできることは限られてるって、僕に教えてくれたのは君だよ。その時の自分を思い出すんだ」
スナはようやく正気に戻ったように目の力を取り戻した。
「ほんとだ、立場が逆転しちゃったわね。でもヨハンの言う通りだわ、ありがとう」
「いいさ。人間生きてればつらい時もあるし、自分を見失うときもある、いいからパク君さそって、メシでも一緒に食べようよ」
「あたしはそこの辛ラーメンのサーバーでいいわ」
僕はトレイを2つとりだして麺をいれ、サーバーのお湯をそそいで茹でた。バーのカウンターに運んでやると、スナは辛いインスタント・ラーメンを涙を流しながらすすった。
「ほら、総理大臣のヒガシダっておったやろ」
「ああ、令和維新の」
「うん。尾籠な話で恐縮やが、あいつ下水道で死んでたらしい」
斜め後ろのテーブル席から声がした。みれば知的で上品そうな老紳士4人組が、そこで食事をともにしている。
僕とスナとパク君がファミリー・レストランで食事をしていたときのことだ。
この店のエビフライおいしい……スナが口を開いたのを、僕がジェスチャーでさえぎった。
チョットマッタ イマ ウシロノ ハナシ キイテルカラ
横でビールをたしなんでいた、もう一人が口を開いた。
「はあ、下等動物にはふさわしい死に方やな」
「まったくまったく。日本の恥、汚点。それが汚物まみれか、あっはっは」
ひとりの紳士が神妙な面持ちでつぶやいた。
「しかし他殺やとしたら、ヒガシダを下水にけり落とすような物好きって、おるんか?」
「そうさなあ。動機のある容疑者が多すぎて、皆目見当もつかん」
一同、爆笑となった。
「まあ、KCIAの仕業やという話もあるな」
「一国の元首相が失踪したのに、犯人はおろか遺体すらイッコウに見つからんから、これは占領軍の仕業やないかとウワサになっとったな」
「ヒガシダは嫌韓の権化みたいなヤツやったからな、さもありなんや」
「そういや下積み議員の時代、韓国人はオリジナリティがない、知的水準が低いからノーベル賞がとれん、とかほざいて炎上しとったな」
さきほど他殺説を唱えた紳士が、またも疑問を呈した。
「しかし、韓国がそこまでするかね。あんなクズ相手にして、国の威信にかかわるで」
「まあ、真相は闇の中や」
100年前の敗戦時、米軍占領下の日本でおきた国鉄総裁の暗殺事件だって、いまだに未解明のままだ。
高麗人の関与がなくはないかも……話を聞いて僕は思った。政府の方針で、というのではなく、このチャンスにどさくさにまぎれて……と思う輩の存在は可能性としてゼロでない。ヒガシダはその不適切発言で大韓民国からマークされる政治家の代表格だったから。
あるいは高麗のせいにして日本人の敵対勢力がどさくさにまぎれて……というのも同じぐらい可能性がある。ヒガシダという男は、左右を問わず日本人からも怒りと憎しみをかうようなクズだった。どうしてそんなヤツが一国の総理にまでのぼりつめられたのか? 民主国家で往々にしてあるハプニング。
「しかし、会計士ふぜいのヒガシダがノーベル賞を語るか。ウヨやってる時点で情報リテラシー能力すら欠如、丸出しやっちゅうのに」
「いや、公認会計士どころか、たんなる町の税理士あがりや、あいつ。専門は政策どころか歴史認識のみ、政治家としての<売り>はそれだけ」
「維新は典型的ポピュリズム政党やからな」
一同、笑いの渦にのみこまれた。
「売れない税理士が歯に衣着せぬ暴言で名を売って、総理にまで上り詰めた、か。この国の民度たるや、推して知るべしやな」
「ノーベル賞なんて、あっちこっちに気を配って、政治的配慮もして、バランスも考えながらのエンタメ・ショーにすぎん。あのアホは何にも知らんくせに知ったかブリするから。川端康成の文学賞かて実質的に決めたんは、選考委員から相談された在日アメリカ人の日本文学研究者や。そろそろアジア人、日本人を受賞させんとあかん、ちゅうてな。川端か三島か。キーンさんの鶴の一声で決まったそうやな。それも、川端の年齢が重視されて」
「右の連中の定番ネタやからなあ、ノーベル賞は。そうこうするうち韓国人の文学賞、生理学賞の受賞と続いたもんやからあいつ、マスコミにイジメられとった。<韓国人はオリジナリティがないのでは?>」
「ヒガシダは何て?」
「我が国の受賞者数は世界で指折り。日本人より韓国人はオリジナリティが低い、やと」
「あはははは、ハナシ変わっとるやないか。日本人こそ高度成長期までパクリ民族とか西洋人に言われてバカにされとったのに。詭弁、修正、言い逃れ、開き直りは<右向きアルアル>やな」
「西洋コンプレックスと敗戦でうちひしがれ、どん底やった100年前の戦後日本人。湯川秀樹が物理学賞受賞したとたん死ぬほど喜んで、ヒデキというの名のついた男の子が世間にあふれたもんや。すると今度は韓国をバカにして喜びだしたんやから。あの連中」
「そんで次の韓国人の物理学賞受賞ときて、早速またマスコミにイジメられとった。あいつ何てホザいたと思う?」
「何やろ? 今度こそ<参りました>、か?」
「日本人の受賞者のほうが多い、韓国人は日本人より下や、やと」
「アハハハハ、どアホがまた話が変わっとるやないか。ほな日本人はアメリカ人、ドイツ人より下なんか? アホくさ。あいつらウヨは日本人が世界最高、とかほざいてたんとちゃうんか? 呆れてものが言えん」
「ほんま、日本の恥さらし。口を開くたびに自己矛盾と自己否定や。庶民が言うならともかく、国を代表する公人がこれやから恥もええとこ。一緒にされたら迷惑やで」
再び爆笑が巻き起こった。
「右翼って、同じ日本人からもバカにされてるんですね」
パク君があきれて言った。
「我が国の極右連中も似たかよったかよ。同じようなことしてるもの」
スナが切り捨てた。
「悲しいことに、この人たちだって、右翼が国を支配していたころは沈黙して声を上げなかった。今になって本音を語れるようになっただけさ。それを責めたりはしないが褒めたりもできないね」
僕は左右双方をコキおろした。
言うまでもなく、日本の世論の動向は占領軍の重大な関心事だ。しかし調査に携わる身としては、これほど把握困難な話もない。強固な思想のもとで首尾一貫した態度の人などゴク少数だろうし、ほとんどの人は何かある度に意見が揺れる。突然180度転換、なんて話も珍しくはない。
意外なことに、強烈な維新政府バッシングをするのはその元支持者が多い。骨身を惜しまず奉仕して報われず、他人を巻き込んで立場を失い、信用していたのに裏切られた感がそうさせるのだろう。多数派に合わせていただけの付和雷同者の日本人は結果について自分ごととは思ってないし、反対派はそれみたことか、とタカをくくっているだけ。勝利の余韻に酔いしれ、むしろウヨへの態度は寛容だ。この老人たちのように。完全に見下している、と言っても過言ではない。見下された支持者は黙ってそれに耐え忍ばざるを得ず、その怒りの矛先を自らの指導部に向けるしかないのだ。
右旋回全盛の2000年代初頭までとはうって変わって、日本には自己批判的なサヨク進歩的知識人の全盛期が再び到来した。1945年以降の戦後日本のように。
ユヅキみたいなひとたちの時代。




