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Chapter 4

 高麗占領軍総司令部・襲撃事件とケイイチ・ムラカミ大佐の割腹自殺の年、2048年。その年の春もすぎ、残暑というには厳しすぎる夏も、やがては地球温暖化で短くなった秋の季節に移ろうとしていた。


 スミレの消息は依然としてつかめなかった。このままではラチがあかない。僕は方針を転換し、公私混同も甚だしい職権乱用の手段にうって出ることにした。占領も3年がすぎたというこの段階でなお、GHQと日本国政府の間では互いの権限をめぐる争いが続いており、降伏文書の解釈について押し問答が続いてはいた。しかし日本の非軍事化と復興・平和国家建設という占領目的は広範囲にわたるから、権限行使に事実上制限はない。僕には業務に必要と認める範囲で日本の国家権力から情報提供を受ける調査権限が与えられていたから、その裁量権を活用することができた。たとえスミレの捜索という私的な目的があろうと、業務に必要かどうかは僕が決めることができる。監督権者のキム部長は僕が与えられた任務をこなしている以上、その活動についてイチイチ詮索などする気も暇もない。スミレとみられる遺体が発見されたあたりの期間の捜査情報について、僕は大阪府警本部に照会し、所轄警察署と担当刑事の情報をもらった。

 ハーレーにまたがって大阪府警東署を訪れると、署長と、その部下とみられる男がウヤウヤしく僕を出迎えてくれた。この男が担当刑事です、と紹介された男は50がらみ。鋭い目つきと脂ぎった四角い顔、ずんぐりした巨体の、むさくるしいそのオヤジは、自ら捜査一課のクサカベだと名乗った。頭のてっぺんに乗っかった、プリティな巻き毛が不釣り合いな印象を与える。クサカベは慇懃な態度だが決して媚びることはなく、とりいるスキすら見せない、といった風だ。やれやれ、こんなメンドウくさいヤツと当分の間やりとりするのか、と少々ゲンナリしたのが本音のところ。

「我々が日々扱う身元不明の遺体は一体、いくつあるとお思いで? 予算も人も足りんもんで、検死が済めば遺体はすぐ処分ですわ。ご照会の分だけでも資料はこんだけあります、どうぞ気の済むまでご覧になってください」

 捜査の進捗状況を尋ねると、彼は捜査資料のデータが入ったフラッシュ・メモリーをさしだした。

「実を言いますと、治安の悪化に対応するだけの体制が整わず、思うように捜査ができんのです。本件は連続殺人事件の可能性がありまして優先度は高いんですが、いかんせん被害者が浮浪児なもんですよって、どうしても捜査は後回しになります」

 僕はクサカベに礼をいい、今後いくつかの事実についてヤリトリをしたいと告げた。クサカベは表向きイヤな表情も見せず快く応じてくれた。何のための調査か、などとという無駄な質問はしなかった。


 宿舎に帰って資料に目を通してみたが、見覚えのある少女の無表情な遺体を見つけるのに、大した手間はかからなかった。

 犯行の手口は残忍なものばかりだった。浮浪児たちは暴力的な方法でさんざんイタズラされたあげく、虫けらのように殺されていた。陵辱された遺体は男女を問わなかったし、臓器をえぐり取られた子供の遺体は無造作にゴミ捨て場にうち捨てられていた。


 身元不明遺体・処理番号「大E2048jul20/10008ws」


 それが、身寄りのない憐れな戦災孤児につけられた、最後の名前だった。DNA鑑定の結果、ツヨシとの血縁関係が証明され、遺体の身元だけは明らかにできたのがせめてもの救いだ。

 鬼畜のような大人のおもちゃにされ、さんざん苦しみ抜いた挙句、誰に知られることもなく街の片隅にうち捨てられていたスミレ。せっかくこの世に生をうけたというのに、親からたっぷり注がれるはずだった愛情も、人なみの幸せも楽しみも味わうことなく、少女はむなしく消えてただの番号になった。

 変わり果てたスミレの写真を見るうち僕の胸はつかえ、涙が止めどなくあふれた。

 

 あんなに幼いスミレが誘拐されたあげく、刃物で切り刻まれて、どれほど怖くて苦しかっただろう……罪もない子が肉親を失った挙句、なぜこれほどの仕打ちを受けねばならないのか? あの時僕が保護してあげられれば、スミレはこんな目にあわなくてすんだはずだ……


 僕はどうしようもないほど無力だった。スミレがあまりにもかわいそうで、何もしてあげられなかった自分がふがいなくて、犯人への憎しみが押さえきれなくなって……怒りのあまり、やがて僕の手はブルブルとふるえだした。

「こうなったらスミレと同じだけ犯人を苦しめてやる。どんな事情があろうと慈悲などかけないぞ。殴りつけて切り刻んで、死ぬまで苦しめてやる。決してすぐ楽にしてなどやらないぞ」

「イカれた犯人には生きている資格などないのだから、この正義の復讐は神も許すはずだ。いや、例え許されなかったとしても、このまま見過ごすなんてできない。正義とか秩序とかどうだっていい、これは僕自身が納得するためだけの個人的復讐で十分だ」

「なにより、この世でスミレの仇をうてるのは僕だけだ。おまけに警察などあてにならないんだから、スミレに続く被害者を阻止できるのも僕しかいない。日本の支配者として、今の僕にはそれを実行する力があるはずだ……」

 僕はそう自分の心に誓った。そうすることで心の均衡を保とうとしたのかもしれない。

 

 数日後、僕は孤児収容施設のオッカサンを尋ね、スミレの遺体の確認をとった。

 オッカサンは突然口元を覆うと泣き顔を隠し、声を殺して泣いた。そして彼女は黙って奥に引っ込んだ。

 しばらくして戻ると、彼女は僕に一枚の便箋を手渡した。


 しあわせてなあに 

 よはんのおにいちやんとつなのおねちやんとらあめんたへました

 おとおちゃんとおかあちやんとたへたやつ

 おかしをたくさんくれました 

 おかねもいぱいくれました

 つよしもおいしやにいきました

 うれしか×た

 おとちやんとおかあちやんおもい○(不明)してなきました

 しあわせてなんやろ

 やさしいおとな○いることかな ごはんをたへることかな

 よはんのおにちやんくるかな

 くりすますにさんたさんにおねがいしよか

 

 それはスミレが施設にいたとき、作文の時間につづったものらしい。

 僕はオッカサンに手紙の内容を尋ねた。

「ヨハンてお兄さんのこと?」

「そうです」

「つなさんはお友達?」

「ああ、そうです。スナのことですね」

「ここにはね、ヨハンさんとつなさんとラーメンを食べた思い出が書いてあります」

「ああ! なるほど」

「お金をもらって、お菓子をもらって、弟のツヨシとどこかにいったんですね?」

「はい、病院に行きました」

「とても幸せやった、うれしかったそうです。お父さんとお母さんを思い出したそうです」

 それを聞いて、僕は思わず涙がでた。

「スミレにとって幸せは、優しい大人とゴハンを食べることだと書いてあります」

 僕はもう、まともに立っていられなかった。その場にうずくまって泣いた。

「クリスマスにサンタさんにお願いしようか、たぶんヨハンさんが来てくれるように、ということやね」

「そうなんです。僕は約束したのに会いにこなかった……」

 愛情を注がなかったことを悔やんだが、もう遅かった。

 僕はオッカサンに頼んで、その手紙をもらって施設をあとにした。



 手紙を見せてスミレが死んだことを伝えると、スナは無表情になった。


「ナン、ポギシロ……イロンゴ」(やだ、私こんなの見たくない……) 


 スナは手紙を突き返した。


「アイゴ……タッタッパダ」


 胸が痛くて苦しいわ……僕から話を聞いてそれだけ言うと、スナはさめざめと泣いた。

 二人して黙って泣いた。いつまでも泣いた。

 

 後日、僕たちはネットで海の見える霊園を探し出し、そこに小さなお墓を買って、スミレとツヨシの遺骨を葬った。せめて永遠の眠りにつく場所だけでも飾ってあげたい。僕はスナと二人して、季節のお花で墓標を飾ってあげた。


 死者を弔うということは、死者に何かをしてあげることではない。

 残されたものが自分を許すために行う儀式なのだ、とその時わかった。


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