Chapter 3
「なによ。何回か寝ただけで所有者気取り? うぬぼれないで。思い上がらないで頂戴」
その夜、ユヅキは感情をあらわにした。
「あなた一体、私の何だっての? 嫌ならもう、会ってくれなくたっていいのよ」
そういうと、彼女はサイトから一方的にログアウトしてしまった。
最近、こんな調子でケンカすることが多くなった。パーソナル・スペースに踏み込むようになると、摩擦や軋轢がどうしても避けられなくなる。男女の密着となると、なおさらだ。互いのアラが目立ち始め、遠慮がなくなり、言いたいことを言い合うようになる。適度な距離を保っているスナとはそういうことはない。お互い遠慮というものがあるから。
ボーイフレンドの愚痴を聞かされて、そんなに嫌ならもう会わなければいい、と突き放してしまったのがいけなかったらしい。いつぞやは、行きずりの変態男に殺されても知らない、とか口走って、さすがにこれはもう終わりかと腹をくくった。しばらくは連絡が途切れ、ずいぶんと気をもんだが、しばらくすると何事もなかったかのように連絡が。彼女にも未練があったのかもしれない。だが、仏の顔も何度か、と言う話だってある。
つまらない独占欲か、やきもちか。はたまた思い通りにならない相手への苛立ちか。それもないとは言わないが、都合の良い時だけ擦り寄ってくる調子のよさ、女特有のウワベだけ、その場限りのおためごかし、心がこもらない耳障りのいい話ばかりだとか……いろいろと鼻につきだした。
お互い好意があるのに愛情、引きこもごも。チワ喧嘩。関係性が建設的で生産的でなくなってきたようで、うんざりしてきた。お互い飽きが出てきたか。そろそろ潮時なのかもしれない。
受けとり様によっては自由で対等な関係と言えなくもないが、お互い不満を抱えつつ、惰性と妥協と打算でなれ合っているだけの利害関係みたいで嘘くさい。いつ裏切られて捨てられるかわからないような、そんなのがマトモな男女関係と言えるかどうかは微妙だ。
しかし考えてみれば、二人はその場かぎりのイケナイ関係なのだから、相手をどうこういうようなシチュエーションでもない。適当に遊んで楽しめばいいんだろうし、相手もハナからそのつもりだ。一体何が気に入らないのか自分でもよくわからない。
そういえばこんな話を聞いた。哺乳類のオスというイキモノは、自分の子孫を独占的に残したいという遺伝子レベルの刷り込みがあるもんだから、メスを独占したくて他のオスを排除したがる。メスはメスで少しでも優秀な遺伝子を取り込みたいから、あちこち気が走る。生まれつき浮気性なイキモノだ。もしそうだとしたら、これは理屈抜きの不可避的な生理現象ということになるから、属性がそうである以上、フシダラだとか何だとか相手を非難してみてもはじまらない。その存在自体を否定するようなもんだし、仕方ない、どうしようもないと思うしかない話だ。人間の一夫一婦制などというものは、ある時期、特定の宗教をもつ人類の一部に存在したにすぎない歴史の遺物なのだろうから、多様性の尊重という観点からは、そのまま女性というものを受け入れ、愛すしかないということになる。
ユヅキに行き詰った僕は身勝手にも、スナにすり寄ろうとした。
ところが世間はそう甘くない。僕を中心には回ってくれない。あっちはあっちで自分の世界があるし、都合というものがあるのだ。スナだっていつも独りボッチというわけではないのである。
彼女には熱心な信者、要するに気を引いてくる男がいる。しかもこれが超エリートのサラブレッドときたもんだから始末が悪い。
男の名はチョ・ソンサ。李王朝時代の超大物ヤンバン(両班)の血筋で、高麗で知らない人はいないような、やんごとなき名門の家柄の出身。日本で言えば藤原氏とか近衛家とか、そんなクラスだ。一族は日本の植民地統治時代の抗日武装闘争の英雄で、韓国時代は政権と良好な関係を築いたオリガルヒ、財閥のオーナーでもある。そのうえ超名門ソウル大学出身で、経済財務部の財務官僚という超エリート。非のつけどころのない経歴の持ち主だ。学生時代はスケートでオリンピックの出場経験すらある。チョは経済財務部の主計からGHQのCPC/special staff section、すなわち幕僚部・民間財産管理局へ出向してきた逸材である。ルックスだって悪くない。いや、ハッキリいうと映画俳優並みだ。
それに引きかえこっちときたら、高麗社会ではB級C級の三等市民扱いの在日韓国人の家柄。アメリカ出身の韓国人家系からも一段下に見られる存在だ。ソウル大学に比べれば一段落ちる平壌大学出で、将来の保証などないに等しい、シガナイ弁護士稼業。ヤツと比べれば取るに足らないような、虫ケラみたいな存在なのだ。
チョは女にもマメなほうで、イベントで彼女への花束は欠かさない。それもさりげなくやってのける。だが、必要以上に深追いはしない。あくまでも効果的に、戦略的に、自己抑制的で冷静だ。
こんなエリートの、年下のイケメンに迫られて迷惑がる女など、この世に存在しない。皆無だろう。御多分にもれずスナだって悪い気はしていない。むしろ、下にも置かないお姫様扱いに自尊心をくすぐられ、こそばゆそうに、照れくさそうに彼に対応している。しかもしかも、僕の前ではそんな素振りは一切見せないように徹底して配慮しているから、それがかえって僕の自尊心を痛めつける。そっちが思うほどは愛していないだとか、退屈なオネンネちゃんだとか、今思えば思いあがって上から目線だった僕。しかし今や不安に苛まれている憐れな男だ。
幸いスナはまだ、僕への興味を失っていないように感じる。今のところ年下のチョはいいお友達以上ではないようだし、恋人未満でもなさそうだ。しかし自由競争の若い男女間、そんなことは俺の左右できる話ではないし、いつ何時どこまで発展してしまうかもわからないような話。
何だって思い通り。素敵な友人たちにも恵まれ、毎日が刺激的な、こんな幸せな環境で、どうして孤独感に苛まれなければいけないのか。不思議といえば 不思議な話だ。僕はスナとチョの関係に気をもみながらも、そんなことは素振りにも見せないように取り繕う。そしてそのことがシンドくて、情けなくて、自分に嫌気がさしてくるのである。
「おい、サンヒョ。今日は時間あるか? 今夜プルコギで一杯やらないか?」
気分がクサクサした僕は、カン少尉を飲みに誘った。
しかし、彼にまで袖にされてしまう始末。
「おお、悪い悪い、今日はサッカーの同好会があるんでな、また今度」
孤独とは、たった一人で感じるものではない。集団の中で感じるものなのである。