Chapter 2
朝一番、司令部のオフィスでパク君と打ち合わせをしていたときのことだ。
どこか遠くで自動車の衝突か、爆発音のようなものが聞こえた。
二人は会話を中断して耳を澄ました。しかしそのあとは何も聞こえない。やがて何人かが叫ぶような声が聞こえて、エントランスのあたりから自動小銃の銃声のような音がパラパラ、パラパラっと散発的に響いた。
もうこの時点で尋常ではないとわかった。なにしろ、ここは都心のど真ん中。しかも警備が厳重な占領軍の中枢、GHQオフィスなのだから。もし、そこに武力攻撃が及んだのだとしたら、既に軍隊は存立危機状態である。
しばらくすると、ビーッ! ビーッ! っと、けたたましいサイレンの音が司令部に鳴り響いた。
パク君はモバイルを取り出すとGHQ職員専用アプリを立ち上げてチェックし、表情を一変させた。
「PFCONデルタ、スレットコン・デルタです、少尉!」
「なんだって?」
スレットコン・デルタ……それは軍事施設の警戒態勢のレベルを意味し、アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタと段階を追うごとに切迫してゆく。デルタは最終段階、つまりテロリストがすでに司令部に侵入して攻撃を開始した、ということを意味する。アナウンスが鳴り響いた。
「PFCONデルタ、PFCONデルタ、繰り返す、PFCONデルタ。QRFは所定の位置につけ。職員はただちに全員武装して攻撃に備え、あるいは今すぐ身の安全を確保せよ。緊急事態発生、PFCONデルタ! これは演習ではない! 敵は司令部に侵入し、攻撃を開始。PFCONデルタ、PFCONデルタ……繰り返す、これは演習ではない…………」
この後、あちらこちらから職員が入り乱れて走る音が建物にこだまし、叫び声が交錯した。僕はパク君に近くのパニック・ルームへの避難を指示し、自らは緊急用の武器庫へと向かった。武器庫は建物の偶数階の階段横に設置してある。たどりつくともう誰かが扉を開けて、何人かは武装を終えたようだった。
僕はスナのことが気になり、電話をかけようとして思いとどまった。呼び出し音で賊がスナの居場所に気づくかもしれない……困ったな。しかしその時、僕はひらめいた。今は勤務時間中だから、私的なSNSのメッセージ機能はマナーモードにしている確率が高い。イチかバチか、それにかけてみよう。僕はスナにメッセージを送った。
ースナ、無事か? 今どこにいる?
間もなく返事が来た。
ー8階東の女子トイレよ。今のところ無事。
ー武器はあるか?
ーない。
ーよし、そこから動くな。いまからそちらに向かう。武器は何が使える?
ーピストルなら回転式でもオートマチックでも、たいていは。ライフルはSIGのXM7なら何とか。シューティング・プラクティスのとき使ったのがそれ。
ー上等だ。オレが到着したらこのメッセージアプリで合図する。それ以外の人間には反応するな
ーわかったわ。ありがとうヨハン、ここで待ってる
僕は武器庫のラックからXM7-アサルトライフルを2丁取り出してストラップを肩にかけ、20発入りマガジンを10ばかりリュックにつめこんで、手榴弾がいくつかブラさがった皮のベルトを腰に巻いた。そしてSIGの軍用ピストル4丁に弾を装填し、一つは腰に、あとはリュックに入れ、17発入りマガジンも一掴みリュックに押し込んだ。もうこれだけで相当な重量だ。あまり欲張ると動きにくくなる。それに他の人にも残しておいてやらないといけない。
エレベータはいきなり敵とバッタリ遭遇しそうだから避け、僕は建物の東端の非常階段に向かい、踊り場から下を警戒しつつ階段を降りた。下にゆくにつれ周囲は騒然としてくる。
10階の踊り場で、階段を上がって来たひとりの少年に出くわした。手にはM16ライフルをかまえ、民間人の服装で……要するにデニムにパーカー、ナイキのスニーカーとか、そんなところだ。頭にはバンダナを巻いていた。
少年は僕を見つけると、ギョッとして目を見開いた。こっちはすでにライフルを構えて射撃体勢にある。
「武器を捨てろ!」
僕は日本語で警告した。少年は極度に緊張したまま凍り付いていたが、いきなり叫び声を上げるとライフルを乱射した。すでに少年のミゾオチのあたりに照準を合わせていた僕は、反射的に引き金を引いた。
タララッ!
トリガーを引くとXM7は3発の弾を発射、ギャッ!という悲鳴とともに少年はウシロにのけぞって頭から地面に激突した。そのノドもとからはシユ―ッ、シュ―ッと血が噴水のようにふき上がり、血だまりがじわじわと広がっていった。
ド素人のガキをぶっ殺した、何とも言えない胸糞の悪さに顔をしかめつつ、僕は少年の肩を足でゆすって意識があるかを確かめ、ライフルを取り上げた。そして弾を抜き取ってあたりにまき散らすとライフルを遠くに放り投げた。フィリピンかどっかの密造銃だろうか、しかも相当使い込んだ中古品のようで、バレルはイカれて摩耗しまくっているようなシロモノだ。これじゃどこに弾が飛んでいくかわからないし、いつ弾詰まりをおこすかわからない。日本陸軍といえば超精密で高性能な<HONDA40式6.8mm小銃>があるじゃないか。それがこんな密造銃で武装するほど落ちぶれたのか。しかも年端もいかないガキまで巻き込んで。
8階のトイレにたどり着くと、僕はスナにメッセージを送った。スナはすぐにトイレから出てくると僕からライフルを受け取り、ハイヒールを脱ぎ捨てた。
「こんなことは言いたくないが、ついでに、そのタイト・スカートも脱いだほうがいい。みっともないけど死ぬよりはましだと思う」
僕がこういうと、スナは「OK」と、何の躊躇もなく大胆にスカートとジャケットを脱ぎ捨て、ブラウスとパンティとパンティストッキングだけになった。
「パンストもクルブシから下は破いたほうがいいね」
スナはクルブシから下のパンストをちぎって捨てた。
「よし、行こう。とにかく外に出るんだ」
僕が先導し、スナが後にしたがった。
途中、若い高麗兵が階段の踊り場で倒れていた。QRF(緊急即応部隊)の当番兵だろう。血だまりにうつ伏せで死んでいる。かわいそうに、今日が当番の日でなければ彼は今でも生きていたはず。運の悪いやつだ。胸の前で十字を切ってそこを通過する。
2階の踊り場にたどり着くと、そこには窓際でしゃがみこんでいるショーンがいた。弾に当たらないよう窓を背に、手にはXM-7ライフルを構えている。いきなり声をかけて驚かせ、撃たれでもしたらつまらない、僕は身を潜めながらショーンに呼びかけた。
Friendlies coming in!
It’s Me,Sean!
DON SHOOT!
Got it?
俺だショーン! ヨハンだ―!
撃つなー!
ショーンは僕の姿をみると、ホッとしたように笑顔を浮かべた。
「ヨハン、無事やったんかいな! よう来てくれたわホンマぁ、ベッピンさん連れて」
「無事で何よりだった。10階で敵と遭遇したよ。ここは危ない、とにかく外に出よう。武器はあるか?」
「こいつで十分や。よっしゃ!行こう」
1階に降りてみると、プラスチックの焦げる臭いと火薬の臭いはしたものの、そこは拍子抜けするほどの日常だった。
窓の外ではすでに装甲車両やパトカー、何十、何百人ものジュラルミン製RIOT SHIELDがものものしくヒシめいている。
友軍だー!
撃つなー!
翻訳通訳部所属、ヤン・ヨハンほか3名が、これより外に出るー!
僕がそう叫ぶと、拡声器の声で応答があった。
「了解! 東側の非常扉から外に出ろ! 今なら安全だ!」
そうして僕たちは身の安全を確保しつつ、味方と合流できたのである。
3人は外でふるまわれた紙コップいりのコーヒーをすすりつつ、事態が推移するのを見守っていた。
「ヤッバあー、エゲツなー。おしっこチビりそうやったわぁん♡」
ショーンはまだ動揺を隠せないでいた。
あたりは高麗軍のスナイパーや突入部隊の兵たちが入り乱れ、あちこちでグループが打ち合わせをしている。騒然として、ものものしい雰囲気だ。
「おう、無事だったか」
振り返るとキム部長がいた。職員の安否確認で走り回っているようだ。
「おかげさまで。それより、どうです? 中の様子は」
「ああ、どうやら一室にたてこもってしまったようだ。急に動きがなくなった」
「状況は把握されてるのでしょうか?」
「いや、まだだ。どうやらテロリストは日本軍のゲリラらしい。規模は中隊クラスのようだが装備がわからん。爆弾を抱えているかもしれんから、ウカツには踏み込めんのだ。数が少ないからと油断はできんな。かなり大胆な襲撃だし、相当な準備と練度と見るべきだからな」
「しかし時間の問題ですね、立てこもったとなると」
「コントロール可能かもしれんな。ヨハン、俺について来い」
そういうと部長は僕をつれ、その場を離れた。
日も暮れかけたころ、いきなりゲリラが投降すると申し入れてきた。徹夜の警備を覚悟していた司令部の幹部たちは拍子抜けしたが、安堵の色を浮かべたのは言うまでもない。彼らは白旗を掲げ、手を挙げて一列になって、ゾロゾロと正面エントランスから出てきた。
そのあと、ゲリラの指揮官だった少佐ひとりを立ち会わせて、現場検証が行われることになった。キム部長の補佐で、僕は一緒に立ち会うことになった。襲撃現場に爆発物などがないか、処理班が安全確認をしている間、捕虜となった少佐の尋問が簡単に行われた。それによると……。
部隊は80人ほどの規模で、作戦目的はケイイチ・ムラカミの奪還。手筈としては司令部の職員を人質にとってたてこもり、ケイイチ・ムラカミの釈放を要求する。失敗したなら高性能爆弾で司令部ごと吹っ飛ばして、ムラカミともども全員が殉死するつもりだったらしい。部隊はムラカミの奪還には成功したが、ムラカミが作戦の継続を阻止したという。
「もう、ここらでいいだろう。命を無駄にするな」
水盃を幹部と交わしたあと、ムラカミは部下に投降を命じ、自身は切腹して果てた。介錯は腹心の部下、指揮官の少佐がつとめた。少佐はムラカミの生首をカーテンでくるみ、デスクの上に置いたという。
もし、成功していたなら我が占領軍は壊滅状態。相当期間混乱が続いただろう。かなりやばかったようだ。僕も今ここに生きてはいられなかったろう。
安全が確認されたあと、現場検証の担当者らが司令部を視察した。僕と部長もゲリラが立てこもった部屋を訪れ、ムラカミの遺体と遭遇した。ムラカミの首は布にくるまれ、血まみれのデスクの上に安置されていた。遺体は血だまりの横に置かれ、カーテンがかけられていた。検死担当者が布をほどき、生首と遺体を確認し、記録撮影していった。
部長はハンカチで口もとを覆い、悲痛な面持ちでそれを凝視していた。僕は言うべき言葉がわからず、傍に立ち尽くすしかなかった。
「部長、お気持ち、お察しします」
部長は遺体を見つめながら言った。
「気持ち? 気持ちもくそもあるか。こうなることは薄々わかっていたことだ。想定の範囲さ」
「予期しておられたんですね。さぞおつらいことでしょう。彼とは幼馴染でしたから」
「……悲しいとか、うれしいとか、そんな個人的なことは問題じゃない。これは任務だ」
「……」
部長は淡々としてそう言ってのけた。
こんな壮絶な現場を見て、しかもそれが親友の最後だったのだから、部長の心中が穏やかなハズはない。部長がいかに人間離れした性格だったとしても、なんとも思わないと言えば嘘になるだろう。部長の強がりに決まってる。いや、むしろそういう虚勢こそ彼の心痛の現れなのかもしれない。
「……アホンダラ」
部長が最後に親友にかけた言葉はそれだった。
部長は日本語でそれだけ言うと、黙って現場を離れて行った。
表に出ると、スナがまだ僕を待っていた。学生が着るような緑色のジャージ姿が滑稽で笑えた。いつもはスーツでビシッと決めているもんだから。
「たいへんな一日だったわ。ヨハン、今日はこれからシャワーでも浴びて、おいしいお酒でもたらふく飲んで、ぐっすり寝ましょう。つきあいなさいよ」
正直、僕の頭はまだ血だまりと生首のままだった。頭の切り替えができなかった。それでも気分転換に申し出に乗ったほうがよさそうだと思った。
「そうだね。そうするとしようか。ツルハシでサンゲタンとマッコリでもやるとするか?」
「あたしの気分はワインとステーキだけど。まあ、いいわ」
「じゃ、両方ハシゴしようよ」
二人は大笑いすると、腕を組んで宿舎に向かう輸送車両に向かって歩いた。