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Chapter 4

「君にとって、幸せとは何?」


 唐突な問いかけに、ワイングラスを片手にしたスナがケゲンな顔つきになった。

 いつもの仲良しグループの、カラオケ・バーでの飲み会で。 

「いきなり何……幸せ? 私、まじめに答えるべきなの?」

 カン少尉やパク君たちもほんの一瞬、僕たちの会話に耳をそばだてた。

「まじめに答えてくれるとうれしいね」

 僕は相手を当惑させたことに申し訳なさを感じつつ、同時に少し、カチンともきた。

「何それ?……漠然としてるわね。まず幸福の定義が前提ね」

 確かにそうだ、とカン少尉もスナに同調した。

「ヨハン、今日はどうした? なんか変なモンでも食ったのか?」

「いや、ちょっと聞いてみたくなっただけさ。みなも意見を聞かせてくれるとうれしい」

 4人の同席者は当惑の色を隠せなかった。僕は質問の趣旨を明確にしなければならなくなったようだ。

「いや、そのう……何もかも満たされているのにそれに気づかず、幸せの意味を問う人がいて、その人が一番知りたいのは、自分がなぜ、何のために生まれて、どう生きていけばいいのか……自問しているんだ」

 みなはますます当惑の色を濃くした。やさしいパク君が僕に助け舟を出す。

「その問いは人生の究極の核心で、それがわかれば誰も苦労しない、って話ですよね?」

「まったくだ」

 カン少尉が大きくうなずいた。

「ヨハンはどうなの?」

 スナが逆質問してきた。僕は言い出しっぺだから回答する義務がある。面倒だな。

「正直、僕は自分にそんな問いかけをしたことはない。たぶん、もう幸せなんだと思う……何が幸せかもわからないけれど。日々成りたい自分に向かって突き進んでいるだけさ」

「なりたい自分って、なんだ?」

 カン少尉が面白がって食いついてきた。

「うーん。わからないが、自分にはどんな才能があって、どこまで到達できるのか、知りたいんだ。自分の能力を発揮して充実したいのかも」

「それは自己顕示欲ってやつだな。外部的名誉感情を満足させたいってことさ」 

 カン少尉の分析に、スナが乗っかった。

「その人のように生きる意味を問う場合、外部的名誉感情の充足も意味を持つけれど、内面的な自己充足感とか達成感とか、自己実現が伴わないと虚しいわね。でないと世間体ばかりを気にしているみたいになっちゃうから」

 なるほど、たしかにそうだね、と僕は納得した。

「わからない。今は日々新しいことを吸収する時期だから、立ち止まって考えてみる余裕もないのかもしれない。子供のように何かを夢見て毎日を過ごしているだけかもしれないな」

「だとすると、その質問者は時間をもてあまして、これからの方向性を模索しているだけかも」

 スナはそう言った。

「スナの幸せって何?」

「そうねえ……ほしいモノを手に入れることかな? 物欲だけじゃなくね。あと、いつも新しい世界が展開していれば退屈しない」

 ……男とか? カン少尉が意地悪いヒヤカシを入れる。スナはカン少尉におしぼりを投げつけた。

「サンヒョはどうだ?」

「そうだな、欲望の充足、ってとこかな?」

 パク君は聞かれる前に、自分から言い出した。

「僕は自分のしたいこと、好きなことをやってれば幸せです。例えばすごい漫画やゲームを見つけたとか、かっこいいダンスを見つけて自分も踊れるようになったり」

 順番が回ってきたキム君は、水を差して申し訳ない、とでもいうように遠慮がちに言った。

「みなさん、なんか難しく考えすぎじゃないすか? メシ食ってうまかったとか、野球の試合に勝ったとか、その程度で十分でしょう。その人、ものすごいナイモノネダリしてるだけじゃ?」

 一同はキム君の<極論>に、肯定的な苦笑いを余儀なくされた。

「キム君の言う通りかもしれない。でも、その人はもっとディープな人間の渇きを抱えているかもしれない」

 僕の言葉にスナが問をなげかけた。

「そのひと……誰?」

「まあ、誰ってこともないよ……ただのネットで拾った話さ」

 僕はすこしドギマギしてしまって、言葉を濁した。

「じゃあ質問を変えよう。残された時間もない、未来がない人。未来があっても希望がない人はどうやって生きればいい? 絶望して死ぬしかないのか?」

 4人の同席者は、あまりにも自分とかけ離れた設定に、ますます困惑の色を濃くした。

「いったいどうしたっていうんだ? そんなこと考えて何になる?」

 カン少尉はしびれをきらしたようだ。

「まあ、思考実験ってやつさ。そうじれったがらないで意見を聞かせてくれ。例えばだな、みんながガンになって余命宣告されたとしよう。そうだな、3年ぐらいでどうだ? あるいは事故で首から下が不随になったり、筋ジストロフィーの診断を受けて四肢が不自由になることが確実になったとき。そんなに非現実的な設定ではないよ。誰しも起こりうることだ」

「何だか楽しくない話だな」

 カン少尉は興味を失って離脱しようとしている。スナが口を開いた。

「楽しくないけど、誰しもが一度くらいは考えるような話よ。私だったら絶望して生きながら死ぬかもしれない。愛する人のために、頑張って命を長らえるかもしれない。でも、それだけだと幸せではないわね。何か生きる意味を見いだせれば生きられるんだろうけれど、あとはQOL 次第ね」

「ほらほら、僕の問題意識の核心に迫ってきたぞ。みんなはどこに生きる意味を見いだせる?」

 僕はやっと思い通りの展開になったことに満足した。

「そんなこと、なってみないとわからんさ」

 カン少尉が話の腰を折ろうとしたが、引き留めた。

「今この時点でそうなったとしても、それほど不思議な話じゃないだろう?」

 パク君が口を開く。

「死ぬまでにやりたいこと、バケツリストってやつですね。僕に浮かぶのはそれぐらい。あ、でも四肢が不自由になれば、リストの項目も限られるか」

 キム君は会話についていけず、気配をひたすら消そうとしている。

「まあ、今の俺たちに浮かぶことといえば、せいぜいスナの話やヨンシㇰ(パク君)の話す程度のことだろう。おれにひきつけて言わせてもらえば、絶望したり奮闘したりを繰り返すうちにオダブツ、ってのがありそうな話だ」

「そうだな……おれもスナに一票、ヨンシギに一票ってとこかなあ。サンヒョの話の線も十分ある」 

 僕の言葉が終わると皆、そこで口をつぐんでしまった。

 しばらくの間、店ではカラオケを歌う者が途切れ、客が談笑する声と食器の触れ合うかすかな音が空間を満たしている。正面の壁にかかった大型モニターにはテレビの番組が流れていた。


「……では次のニュースです。今朝、淀屋橋近くの公園のトイレで女児の遺体が発見されました。遺体には刃物で一部を切除した跡があり、警察は殺人の容疑で捜査を開始しました。今週だけで浮浪児とみられる児童の殺人は一五件目です。なかには犯行の特徴から同一犯のものと推定される事案もあり、警察は連続猟奇殺人と組織的臓器売買の両面から捜査をすすめていました。次のニュースです……」


「体の一部、ってどこだろう?」

 パク君がフライドチキンを頬張りながらつぶやいた。いつもはコンタクトのパク君だが、今日は丸い黒縁フレームのメガネをかけていて、それもまたよく似合う。

 スナが答えて言った。

「いろいろね。臓器売買ならお腹、角膜狙いなら目。いたずら目的なら性器。元同僚によれば、いろいろな部位のコレクターだっているそうよ」

 スナは民間諜報局の元同僚からそんな話を聞いたという。

「げっ! フェチかサイコ野郎か。気持ち悪いね」

 パク君が吐き捨てた。キム君はさもありなん、という顔で言った。

「まあ、治安がいいのか悪いのか。表向きは平穏な日常がもどったけれど、目に見えないところではやりたい放題ですからねえ。とにかく警察の手がまわらないし、おっつかないから」

「日本ではオタクとか、人生に恵まれないイカレた連中が、何年かおきにこういう事件をおこしやがる。ロリコンのエロ漫画なんかは日本のお家芸、伝統だからな。けっこうオッサンのロリコン野郎もいるらしいぜ」

 そんなカン少尉の言葉を遮るように、スナがかぶせた。

「ロリコンの起こす事件は日本だけじゃないわ。ロリコンのエロ漫画と猟奇殺人の直接の因果関係はあやしいもんだけど、なくはないだろうな。事件の背景として」 

 僕はふと、スミレのことを思い出した。彼女は大丈夫なのだろうか。

「さあ、みんなどうした? もうちょっと飲もうぜ、せっかく来たんだからよ。今日はヨハンのバカのせいで湿っぽくなっちまったぜ。……ったく、ウサ晴らしにならねえじゃねえか」

 カン少尉がワインのボトルを開けて、みなのグラスに注いで回った。


 休日にでもスミレを訪ねてみようかな……そのとき僕はそんなことを考えていた。

 なぜかしら、あの愛くるしい笑顔が頭に浮かんできては、胸騒ぎがしてならなかった。

ここからは後半戦。 いよいよ佳境に入ります。ストーリーは本格展開、大きく動き出します。

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