Priest
chapter1
ケンチャナヨ、ケンチャナヨ、ケンチャナヨ♪~ ア~ハ~♪
K-POP、最高やね!
モバイルフォンの向こうから、やたら陽気な歌声が。
「ショーン・マーフィーでおまんにゃわ~。お入りください、ありがとう」
その瞬間、僕はデスクワークをあきらめた。キーボードから手を放し、椅子の背もたれに深くもたれかかって足を組む。コーヒーをください……僕はアシスタントにそう身振りで伝えた。
僕にそういう笑いが理解できると、彼はマジで思っているのだろうか?
正直、ちょっと呆気にとられつつも冷静に対応する。
「やあ、先日はどうも。ずいぶんとご機嫌だね。僕の報告書は読んでくれた? 例のカワヒガシの分」
ショーンは悪びれることもなしにスルーしてくれた。
「いや、まだです(キッパリ)。……それより、イヨイヨでんなあ♪」
どうでもいいのか、読むつもりもなさそうだな、と落胆しつつ。
「何が?」
「ほれ、ゲリラの親玉。ケイイチ・ムラカミ」
「ああ、いよいよですね。また君が立ち会うの?」
「あったりまえでんがな。これこそメイン・イベント。逃す手はおまへんでぇ~」
ショーンはやたらめったらにハイテンションだ。
「ムラカミは陸士出身ながら、階級こそ大佐どまりやけど派閥内では思想的なリーダー格。影響力は絶大ですわ。それこそ将官クラスからも一目どころか二目・三目、尊敬を集めてるっ、ちゅうんやから」
「へええ。軍の垣根を超えた次元の世界ですね」
「まあ、母体の宗教団体の格付と軍内部の階級はまた別やからね。下から軍部を浸食していったんでしょ。宗教団体が選挙を握れば政治に顔がきく。政治に顔がきけば当然、軍隊での出世にも影響する。そうなると軍内部でもハブリがようなります」
「なるほど」
「ムラカミは2046年春、クマノ掃討作戦で高麗軍に身柄を確保されて以来、一年以上にわたって一切の尋問拒否を貫いてるんですわ。敵ながらアッパレ~、なかなか手ごわい相手です」
「ああ、僕はその作戦に立ち合いました。収容所に連行したのも僕です」
「ああ、そやったんかいな。ごくろうさんでおまんにゃわ」
「まあ壮絶な作戦でした。けど、それだと今回の尋問も空振りでは?」
「いや、それが次回はちょっと趣向をこらしててね。期待してエエおもいまっせ。ホナまた、そのうち」
なんだろうと思いつつ、僕はモバイルの通話アプリを閉じた。
数日後、僕とショーンはGHQ/KAOFで合流し、打ち合わせの後、ムラカミの待つ取調室に向かった。
ドアを2回ノックしてから部屋に入ると、そこには中年の男の姿があった。背筋を伸ばし、きちんと居住まいを正している。まぶたは軽く閉じ、瞑想しているようだ。短く刈り上げた坊主頭には白髪がちらほら。眉毛はところどころ長く伸び、頬はこけて、ワザとらしいぐらいに喉ボトケは尽きだしている。かなりやつれたその風貌は、まるで禅僧だ。
マジック・ミラーで隔てられた隣室には、韓米のお歴々がこぞってコチラをのぞき込んでいる。僕とショーンは軍隊の行進のように足並みをそろえて入室し、大佐の前でクルリと向きを変えると直立不動で敬礼した。
「米陸軍少尉、ショーン・マーフィーならびに高麗陸軍少尉、ヤン・ヨハンであります。本日はご足労いただきありがとうございます、大佐殿。センだってはクマノからの移送にご協力いただき、ありがとうございました。失礼ながらこれより本官ら2名、および主任尋問官が途中合流し、連合国軍としてお話を伺います。ご協力のほどを」
するとムラカミは静かに目を開き、こちらを見た。
「あいわかった。座れ」
僕とショーンは一礼ののち、机をはさんで相対し、パイプ椅子に座った。僕は書類をクリア・フォルダから出してそろえ、ショーンはモバイルPCのフタを開けて電源を入れた。
「大佐どの。日本軍の武装解除は終了しましたが、戦闘継続中につき戦闘員として、積み重ねてこられた武勲にかんがみ特別に、連合国は貴官を大佐クラスとして処遇させていただきます」
ムラカミはじっとこちらを見据えている。
「連合国軍のご高配に感謝する」
「確認いたします。生年は2004年6月7日、ご出身は大阪市。大阪大学理学部をご卒業後、メーカー勤務を経て皇国陸軍士官学校に学士入学、ご卒業ののち陸軍第四空挺師団に配属。アメリカ駐在武官を経て原隊復帰。2045年、連合国軍との首都防衛作戦に参加。同年、皇国陸軍の武装解除により解任。今身柄拘束まで和歌山を中心にゲリラ活動。以上で相違ありませんか?」
目を閉じ、黙って話を聞いていたムラカミは静かに答えた。
「戦争捕虜に関する国際条約にのっとり、氏名と階級、所属部隊の供述義務は果たすが、それ以外は黙秘権を行使する。すまんな少尉。悪く思うな」
「いえ、とんでもありません、大佐殿。了解であります。戦争捕虜に関する規定はいうまでもなく、戦闘員にも適用されます」
「本官は大日本皇国陸軍大佐、ムラカミ・ケイイチである。所属は諸事情により現在、第3連隊付属第12特別遊撃班付きだ」
僕とショーンは目を合わせて見開いた。滲み出す威厳とオーラはサムライそのものだ。相対した者をすべて委縮させ、敬意を生じさせるとともに、知らぬ間にスッパリと首を切り落とされそうな妖気を放っている。
「その部隊は現在、存在しません」
その時、ドアを2回ノックする者があり、誰かが部屋に入るのを背中で感じた。
僕は後ろを振り返って目を見開き、思わず息をのんだ。なんと、そこには敬愛する我が上司、翻訳通訳部長のキム大佐が立っているではないか。
ムラカミは静かに目を見開いて侵入者を確認すると、やがてマナコを輝かせた。
「サリャ……キㇺ・サリャ……」
部長は笑みを浮かべると、ゆっくりとムラカミのもとに歩み寄り、ガッチリと握手を交わした。ムラカミは握手をしたまま静かに椅子から立ち上がり、部長を抱きしめると激しく左右にゆすった。あっけにとられる僕とショーンを放ったらかしたまま、二人はしばらく抱き合った。
「サリャ! しばらくやないか。元気しとったんか!」
二人はようやく笑顔で会話を交わした。ムラカミの目は少し潤んでいる。
「覚えててくれたんか、ケーやん。うれしいで。キサマちょっとヤツれたな」
驚いたことに、二人は関西弁で会話をはじめた。しかもショーン並みのネイティブ関西弁だ。
どうして部長が日本語を流暢に? しかもローカルな関西弁で?
頭が混乱して動悸が激しくなる。
これはいったい何のサプライズ? 僕はショーンに向かって尋ねた。
「君が前に言っていた、新しい趣向ってのはこれ?」
ショーンは首を横に振り、詳しくは知らない、と答えた。
「手こずりに手こずって、ヨハンの部長はん、最後の切り札ってとこなんかな?」
「当たり前やないか。キサマかて髪の毛真っ白や……サリャ、オモニはご健在か?」
ムラカミからはサムライのオーラはすっかり消えさり、もはや普通の<大阪のオッサン>と化している。
「いや、数年前にガンで亡くなった。相当苦しんだけど、最後は穏やかな表情で旅立った」
ムラカミの目はウツロになり、何かを言おうとして首をうなだれた。
「ほうか……まだお若いのに残念。ご挨拶せんといかん、とは常々思うとった。ホンマ不義理で申し訳ない」
「ケーやん、そらしゃあないで。なにしろ時代が時代や、キサマがどう思おうが無理なもんは無理や」
「うん、ええオモニやったな……いつも思い出しては感謝感謝。忘れたことはないで」
「オオキ、ありがと。もうそれで充分や。お前も立派になったし、オモニもあの世で喜んでることやろ」
部長はムラカミに椅子をすすめ、僕からパイプ椅子を受け取って相対で座った。
「しかしキサマとは腐れ縁やのう。身柄確保の命令を受けたときは正直、頭真っ白になったで」
「ああ、アリゾナの日米韓オフィサー・トレーニング・キャンプもな。びっくりやった。つくづく人の縁とは不思議なもんや」
「おお、オモニもなあ、あのときの写真見せたら、お前の立派な姿見て、泣いて喜んどったで。ケーやん、いっぱいいっぱい苦労したけんど、立派になったー。よかった、よかった、って。キサマの写真を何度も指でなぞりながらな」
それを聞くとムラカミは言葉にならない言葉を発し、息をつまらせ、机の上に泣き伏した。
部長は温かい目でムラカミを見守り、しずかに言葉を待った。
「ケーやん。実はな、こいつは俺が目ぇかけたってる男でな、俺の部下や。縁あって、しばらくの間仕込んだろ、思とる。まあ、俺に気兼ねや遠慮は必要ないが、差しさわりのない範囲でええから、アンジョウ相手したってくれへんか?」
涙をぬぐいながら、ムラカミは何度も何度もうなずいた。
「いまはお互い敵味方、立場上、私情ははさむべくもない。悪いがコレばっかりはな」
大佐はパイプ椅子を持って僕らの後ろに移動し、アゴで<尋問を続けろ>と指示した。
どうやら主任尋問官というのはキム大佐だったようだ。サムライから妖気を吹き飛ばすほどの、このキム大佐とはいったい何者なのか? 混乱は収まらないが、尋問は続けなければならない。
ムラカミは供述を明確に拒否し、その意思は強固と認められるので、連合国軍の尋問マニュアルに従い、僕は雑談に移行することにした。果たしてそれでいいのか? いまはそういうタイミングか? はハナハダ疑問だったが。
大佐どの。個人的にも、ぜひお伺いしたいことがあります。僕はどうも納得できないのです。あなたは物理学の学位もお持ちの科学者でありながら、どうして信仰の道に、しかも非科学的で不合理な天皇教の信者でいらっしゃるのですか?
「貴官は物理学を理解しているのか? 大学では何を専攻した?」
自分は法学士であります。
「文系出身者はすぐ、そういうステレオ・タイプのレッテル張りをする。サリャの恩義に免じて教えてやるが、キサマは量子力学の根本発想とブッダの仏教哲学には一致点があるのを知っているか? 現代物理の最先端の物質的本質の理解がすでに紀元前に、しかも一宗教家によって既に看破されていたのだ。天文学とその対極にある量子力学。物理の世界は究極までいくと神話の世界に通じる。だとしたら科学と信仰の共存に、何の不思議がある?」
さすがのショーンもまったく内容が把握できずに、ただ僕を見つめている。
僕は僕で、全くの斜め上からの回答に対応しきれず、ポカンとするしかない。
やがて大佐はお経を唱えはじめた。
「舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色……意味がわかるか?」
キム部長の大爆笑が後ろから聞こえた。いいえ……僕はやっとのことでそれだけ返事した。
「般若心経だ。シャーリプトラよ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色すなわちこれ空、空これすなわち色である……要するにだな、この世では目に見えるものには実体がない、実体がないということが物質的現象なのだ。もっとも、実体がないとはいえ物質的現象を無視するのではない。物質的現象は実体がないことを離れて物質的現象であるのではない、というほどの意味だ」
大佐が日本語を話していることは間違いないが、何を言ってるのかサッパリわからない。
「わからんか? 量子力学は1mmの1000万分の1以下のミクロの世界の話だが、電子の性質は粒でもあり波でもある。しかもだ、量子物理学の父、ニールス・ボーアは言う。<我々が見ていないときだけ、電子は波のように広がっている>と。ある場所にもあるし、別の場所にもある。我々が電子を観測すると電子の波は収縮する」
そっ、それが仏教とどう関係するのですか?
「キサマに理解できるとは思えんが、ハッタリをかましたと思われてはつまらん。参考までに教えてやろう。お前という存在、大宇宙の星々や大地の山河、この机や椅子……そういうものが存在していて、それぞれが別個の存在であると、お前は信じている」
は、はあ……もちろんです。
「しかし量子力学の世界ではすべての事象が、我々が見ていないときには存在していないのだ。つまりバーチャル。言い換えれば、観測しないかぎりすべてのものはそこに存在しない。物質的現象には実体がない、これ即ち<空>なり」
ケーやん、お手柔らかに、とキム部長が合いの手をいれた。必死で笑いをこらえている。
僕は応えた。確かに大佐のお話は私には理解が及ばない次元であること、そしてあなたの問題意識がどのあたりにあるのか、という点は承りました。自ら理解できない問いを発した不明を恥じるのみです。なるほど、物質世界の本質を突き詰めると、そこにはむしろ形而上学的な世界が広がっているというわけですね?
「なかなか小洒落れた説明だ。キサマなかなかやるな。気にいったぞ」
そこへショーンが割って入った。
「なるほど、宗教だから非科学的だ、というのは違うかもしれない。しかしブッダの仏教哲学と国家神道・天皇教のモノセイズムとはまた別の話です。私の理解では神道は単なる自然崇拝の原始的アニミズムに過ぎない。山とか石コロとか巨木とかを神格化してありがたがる。その後、紀元ごろ、中国呪術を先進文明だとありがたがったニッポン原始人がそれをパクったことから、シャーマニズムの要素が入りこんだ。一貫性のないキメラ的カルト、時代錯誤の迷信です。宗教哲学とは無縁のね。いまだにカメの甲羅を焼いたり、鹿の骨を削ったりして、何の意味があるんです? 皇室の神事などブードゥー教と大してかわらない。現に八百万の神と呪術がチャンポンになったあとに入ってきた仏教は、神道とさらにチャンポンになって、神仏習合とか、わけがわからなくなってしまった。八百万の神が仏だとか、八幡神が阿弥陀如来だとか、アマテラス、伊勢大神が大日如来だとか、イチキシマヒメが弁天だとか。もうほとんど意味不明、おママごとかギャグですね、これじゃ。とてもじゃないが仏教哲学を理解し、まじめに取り入れたとは思えないし、そうは理解されてない」
ドヤ!、決まった!……シタリ顔のショーンがふんぞり返った。
しかしムラカミが動じることはない。
「文献史学、考古学的な神道の研究成果を否定するつもりも、その必要もない。本官が問題にしているのは日本のクニガラ、国体、ニッポン国のあり方の原理なのだ」
と、申しますと?
「うむ。先ほど本官は、すべてのものには実体がない、空である、といった」
はい。
「俺という個人が生まれ、苦しみ、病を得て、やがては老い、死んでいく。そんなことに大した意味はない。どうってことないし、どうだっていい。すべては空だというのに、自我や執着を持つから苦しみが生じる。自我を捨て、無になることで人間は解脱し悟りが開ける。これこそが原始仏教の哲学だ」
そのようです。
「我々ニッポン国民もそういうふうに自我を捨て、何も欲しがらず、すべてが無となれれば争うこともない。利害を超えて容易に一体となれるはずだ。ただひたすら無私を貫き、すべてを天皇と集団に捧げることだけを考えていれば一体化でき、個としても、集団としても道徳的に完成できる。そして天皇は唯一にして至高の存在であり、我々ニッポン国民すべての拠り所であると考えれば、天皇と国民も容易に一体となれるはずだ」
<自我の苦しみ>と<天皇と国民の一体化>の間には飛躍があります。
ショーンは食い下がった。
「まあ、最後まで聞け。論理の帰結ではなく、日本国の国柄、あり方の理解についての話だ。すべてを捨てて無になり、一体化してすべてを国家と天皇に捧げれば、道徳的にも日本は完成する。それが日本人とニッポン国のあり方だと考えればいい。物理学上の物質秩序も然り……いい悪いは別にして、俺の考え方の筋道は把握できたか?」
ショーンは何かに衝撃を受けたのか、何度も頷きながら、必死でムラカミの発言をメモしている。
僕は話を聞きながら、そのときユヅキの言葉を思い出していた。
……毎日毎日お三度の用意をして、着飾ってはまたぬいで、お風呂に入って寝て、起きたらまた食事の用意をして食べて寝て。同じような病気にかかって何度も病院に行ったり、伸びた髪を定期的にカットしに出かけたり。ただ生きているだけでものすごい資源の消費をしているのよ? それだけじゃなく、とてつもない辛い思いをしたり、何かのためにコツコツ準備しなければいけない。どうせ死ぬなら全部無駄じゃない。で、誰かが死ねばまた誰かが生まれてきて、また同じことの繰り返し。何度も何度も同じことを繰り返して、わかりきったことをまた繰り返して悩み苦しんで……何か目的でもない限り、すごい無駄だと思わない?
生きる目的が何なのか、はじめからわかっていれば楽なのに。
いちいち考えたり迷ったりするのが面倒だわ。
もし何の意味もないのだとしたら、初めから生まれて来なければいいのに……。本当迷惑
私は親の決めた結婚をして運命を受け入れたの。
そんな私だから言うんだけど、もし私に自由な選択というものがなくて、迷いなく運命を受け入れるだけでよかったなら、こんなに苦しまなくてよかったと思う。何も考えずに生きていけたわ。
他に素晴らしい人生があったかも知れないと思うから苦しいのよ
やりたいことなんてない。夢なんてないの。 思いついたことはたいていもうとっくに誰かがやってるし、勉強しなくたってAIが何でも教えてくれるもの。したいことは全部AIがやってくれるし、何かに備えて準備するなんて面倒くさいだけ。
いつだってそう。何か新しいことを、って考えるんだけど、たいてい誰かが体験済みで全部ありきたり……
僕の首筋には冷や汗がにじんだ。
空だ
無私だ
ミンナのために生きるなら、たしかに些細な自分の煩悩など超えられるだろう。
自分、という存在など、命のバトンをつなぐ歯車の一つにすぎない。
たしかに、それなら人生の充足感も得られるかもしれない。
ああ、アブナイ、アブナイ……なんだか引き込まれそうだ。怖い……
「お話の道筋はよく理解できました、大佐どの」
そう返事をすると、ショーンは驚いたように僕の顔を見た。
「しかしながら、日本国政府の実態と軍部の実態、何よりあなたの所属するゲリラ部隊はそうはなっていない。残念ですが、むしろその逆と言っていい。政府は腐敗堕落し、国民を顧みず権力の奪取と維持だけを考えた。軍部は自分たちの能力を維持拡大し、それを誇示することしか考えてなかった。悲しいことに、国民は自分が今日食べるもののみに執着し、他をふみにじることを厭わない。お言葉ですが、私が従事してきた日本国の実態把握では、現実はあなたの理想とは真逆です」
ムラカミは動じなかった。
「悲しいかな、キサマの言うとおりだ……上は功のみにて天下を顧みることなし。下は自己保身のみにて怨嗟の声大地を覆う。占領すれば敵として飽くことなき殺傷。止まることなき略奪。悲しむべき呼」
あなたとお会いしたクマノの掃討作戦では、大義に殉じる義士も、潔く戦に散るサムライも存在しなかった。目にしたのは、死におびえる小市民のみでした。だったらいったい彼らは何のために戦い、死んでいったというのですか?
「武士道などくだらん。サムライは恥を最大の辱めと心得る。しかしだ。人間、死ぬ覚悟さえあれば恥など、どうということはない。そんなものは私情にすぎん。無私には到底及ばんのだ」
では、何のためにあなたは命をかけ戦うのですか?
「キサマのいう、何かのため、とかいう問いの設定自体が<私>だ。俺はニッポンの道徳的完成のために戦う。そこに何のためとか、個人的な理想や信条だとか、そういう私情をはさむ余地はない」
天皇と一体化し、その手足となることで完成していると?
「すべては陛下の御聖断のままに。それ以上でも、以下でもない」
生命すら問題視しないまでに無私を貫く……共感はできませんが、私なりに納得はできました。
衝撃です……。
となりでは、ショーンがときどき何かを考えては、また筆を走らせることを繰り返している。
キム部長がその時、椅子から立ち上がった。
「よし、今日のところはこれぐらいでいいだろう」
部長は備え付けのインターホンで<コーヒーを2つ持ってこい>と誰かに命令し、ムラカミの手にぶらさがっていた手錠を外した。
「部長……」
「構わん、責任は俺がとる。キサマはもう下がっていいぞ」
そういうと部長はパイプ椅子をムラカミの前に移動させた。
二人とも言葉はないが、にこやかで穏やかな表情だ。
取調室から出て扉を閉め、僕は言った。
「ショーン、これはただの政治結社ではないね。君の言うような宗教と言えるかどうかはわからないが、強烈な信念、思想信条であることは確かだ。僕たちはどっちも間違っていたね」
「うん、まったくそやね。僕の想像していたのとは全然ちがった。思ってたほどレベルの低い話でもないけど、生命軽視で倒錯してるし意味不明やね。戦争でカミカゼをクレイジーと呼んだ僕ら先輩の気持ちがよくわかる。衝撃やったろうなあ」
ショーンはそういうと走りだした。
「取り急ぎ、上司に報告せんならん。すまんけど行くわ」