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虎太郎Side⑯ 真実

★★★虎太郎Side★★★



「あやかは、わたしのことが好きだったんだから」



 凛は断言した。


「……は?」


 一瞬、言葉が言葉として頭に入ってこなかった。

 突然外国語で話しかけられたときのように、単純に意味のある言葉の羅列として咀嚼できなかったのだ。


 あやかは、わたしのことが好きだった。


 わたしって誰だ?

 凛だ。


 好きってなんだ?

 女友達の間でよくある一生友達でいよう的な意味での好きなのか。それとも、俺のあやかに対する感情と同じ好きなのか。

 全然意味が分からない。なんでそんな荒唐無稽な話が出てきたんだ?

 彼女の発言の意味が分からず混乱する俺をよそに、凛はまだ少しこもった鼻声でさらっと言い始めた。


「だって告白されたもん」


「告白?」


「そうだよ。あやかが私に告白してきたの」


 それを聞いて、また頭の中がぐるぐると迷路を彷徨いはじめる。

 そしてすぐに脳が思考を拒否した。

 凛は今、なにかとても重要なことを言った気がする。

 二人の間でなにか決定的なことがあった。そしてそれを俺は知ってはいけない気がする。


「あやかは全部正直に話してくれたよ。自分が虎太郎くんと付き合っていること、わたしが虎太郎くんのこと好きだって昔から知っていたこと、わたしのこと応援するって言ったのにその実二人が既に恋仲だったこと。そのときはじめて二人の関係についての疑念が確信に変わった」


「……」


「あやか、泣いて謝ってたよ。今までこんなことしててごめんなさいって。許してくださいって。ほんと酷いよね。わたしが虎太郎くんに告白すること、あやかに相談してたのに」


 俺のいないところで、なにが起きていたのか。

 凛はすべてを明かそうとしている。


「でも、あやかはどうして今更わたしに白状したのか分からなくて。なんで今になってそんなこと言ったのかって聞いたんだ」


「…………」


『ねえあやか、なんでそんなこと言うの……? 嘘だよね? 二人が付き合ってるなんて冗談だよね? なんで、こんな……ひ、ひどいよ。わたしが叶うはずもない恋をしてるって、陰で笑ってたの……?』


『ち、違うの! そうじゃないの!』


『じゃあなんで!! なんで……!』


 一人二役の寸劇をはじめる凛。


『凛が、好きだから。大好きだから……っ』


『なにそれ、意味わかんないよ。虎太郎くんをあきらめてほしいってこと? 虎太郎くんと付き合ってるって言ってるのに今度はわたしが好きって、ひとつも分からないよ。あやかはおかしくなっちゃったの?』


『おかしくなってない。私は凛が好き。性的に好き。隣にいると狂いそうなくらい好き。全部大好き。信じて。私は凛が好きなの』


 狂気的な目を鎮めてぐりんとこちらを向く。


「――だって。虎太郎くんはこれがどういうことだったのか分かるかな?」


 分かってたまるか。

 と言いたいところだが、凛に嘘をついている様子はない。

 真実だとしても、そもそも凛に対して俺以上に過保護なあやかが、わざとでも凛を困らせようとするとは考えにくい。

 つまり。


「凛を通した俺に対する当てつけ……をするくらい精神的に辛かったんだと思う」


 全部はっきりしない俺のせい。


「確かにあやかは俺と凛が二人でいることを嫌がっていたよ。でも凛は俺たちが付き合っていることを今まで知らなかったわけで、俺が彼氏としてしっかりしていれば……あやかを不安にさせるようなことにならなかったはずなんだ」


 あやかは何度もサインを出していた。

 最初から凛の講演に猛反対したり、なにかにつけて報告するように求めたり、上書きするようにデートしようとしたり。

 そして、言葉ではなく身体の関係を求めてきたり。

 その原因が俺だけではなかったとしたら。

 自分の彼氏が好きなのだと、親友の凛から相談されていたことが事実だとしたら……すべてを知っていたあやかはどんな気持ちで俺たちのことを見ていたのだろうか。


「つまり虎太郎くんは、あやかがわたしに告白したのは錯乱しちゃったからだと思ってるわけだね」


「俺を凛から遠ざけようとしてうまくいかなかった。だから凛を俺から遠ざけようとしたんだと思う」


「違うよ?」


 凛はふるふると首を横に振った。


「無理やり押し倒されて、キスされて、そのまま舌入れられたよ? ファーストキスだったのに。普通ここまでするかな」


「あいつは目的のためなら手段を選ばない女だから……」


「いやいやいや。馬乗りになって服全部ひっぺがされて、そのときの理性飛んでる顔を見て流石に理解したんだ。この子は本当にわたしが好きなんだって。わたしもまさか親友の女の子に裸にされてこの屋上で貞操の危機を迎えるなんて思ってなかったけどね」


「……」


「これが正しいとしたら、間違っているのは虎太郎くんへの気持ちのほうなんじゃないかな。本当にあやかは虎太郎くんが好きだったって自信持てる? あやかに本心から好きだって言われてた? 一度でも違和感を覚えることはなかった?」


「…………ちゃんと好きだよ、って言われた」


 そんな言葉が出てくるくらいにはあやかは俺から遠かった。

 本気だったからこそ分かる。

 あやかに身体の関係を迫られたとき、最後までできなかったのは……彼女の心が自分のほうを向いていないと薄々感じていたから。


「虎太郎くんは当てつけだよ。わたしが虎太郎くんのこと好きだって知ってたから、取り上げれば自分のほうに振り向いてくれると思ってたんだって」


「やめろ」


 俺はスマホを取り出してメッセージを確認するが、最もほしいものは見当たらない。

 屋上の扉を祈るようにじっと見つめても、動く気配はない。


「もしかしてあやかを待ってるの? 絶対来ないよ?」


「なんで、だよ」


 違うと否定してほしい。メッセージじゃなくていいから、今すぐ屋上の扉を蹴りとばして登場して全部否定してくれればそれでいいから。


「電話出ろよ、くそっ!」


 電話をかけてもメッセージを送っても、なにも返事は来ない。

 錯乱する俺を無視したまま凛は目を細めて愛おしそうに語る。


「あやかは本当にかわいいよね。女の子らしくおしゃれで、いつもきらきら輝いてて。わたしの理想で憧れだった。振り回された虎太郎くんはかわいそうだけど、女の子ってそういうずるいところあるからね。それも含めてわたしの目標なんだ」


 あやかは凛が好きで。

 その凛は俺が好きで。

 そして俺はあやかが好きで。


「三角関係ってやつなのかな……たった三人しかいない幼馴染なのにめんどくさいよね」


 ふふっと自嘲的にほほ笑む。

 それはあやかがよくしていた仕草で、そんな細かい所作の一つ一つが可愛らしい。

 あやかが姉で凛が妹。そう言われても信じられるくらい二人はお互いに影響を与え合っていた。

 だというのに。


「あ。でも今はもう三角関係じゃないよね」


「え?」


 ちょうど思い出したとでもいうように、かすかな風にさえかき消されるような声で。

 凛は、言った。




「あやかは、一年前に死んじゃったもんね。二人しかいないのに三角関係にはならないよ」




 単なる事実の羅列、あるいは共有されているはずの認識の再確認。

 教科書を朗読するような抑揚のない語り口には、なんの感情も見つけられない。


「あ、分かってると思うけど、わたしが屋上であやかに襲われたのは一年前のことだよ。高校一年生の秋、文化祭の数日前……時間の流れは速いよね」


「な、なにを……言っているんだ」


「なにを言っているのはこっちのセリフだよ。あやかがいるから付き合えないって、なにそれ? 死んだ人に童貞捧げるつもり?」


「そ、そんなの知らない」


 一歩後退する。


「そうだよね知らないよね。だってわたしの身体に興味津々だったんだから」


「……それはっ」


「本当に虎太郎くんの中心には一生あやかがいるのかな。だとしたら悲しいことだよね、あやかがいたかったのはわたしの中だったはずなのに」


 凛はすべてを見透かす目で、俺の瞳の奥の深淵をのぞき込む。


「思い出してよ。あやかは死んだの。自殺しちゃったの」


「じっ……!」


 その言葉を聞いた瞬間、呼吸の仕方を忘れた。

 時が止まったように感じられた。

 それは呪いだ。

 自分の寄って立つ世界が、白く脆く、足元から崩れ落ちていく呪いの言葉。

 大人になった自分が想像出来ないからという理由で子供時代が永遠に続いていくと無邪気に考えていた子供が、十年の記憶をすっ飛ばしていきなり大人になっていたような感覚。

 世界に身体が馴染んでいない違和感を、しかし人間の生存本能は許してくれなかった。

 そしてフラッシュバック。

 校舎裏。

 致死量の血痕。

 虚ろな瞳を空に向けて、ゆっくりと目を閉じる***。


「お、おっぇええええええええええ!!」


 猛烈な吐き気を催してもなお、俺の頭の中は思い出したくもなかった映像が再生を続ける。

 けたたましいサイレンの音。

 全身を走るおぞましい動悸と吐き気。

 逃げ出した俺……!


「そう、一つ一つ思い出して。焦らなくていいからね。ゆっくり息を吸って、吐いて。ゆっくりだよ」


 凛に導かれるようにして、深い深い記憶の底に蓋をしていた呪いが解けようとしていた。

 屋上には立ち入り禁止のテープ。

 あの日まで、そんなものはなかった。


 あの日。

 そうだ、凛の指している一年前のあの日だ。


 忘れられるはずもない。

 優柔不断な俺を置いてふらふらと出ていったあやかが夜になっても帰っていないと連絡があった。

 俺は祈るように何度も何度も電話をかけたが、一向に電話に出る気配はなく。

 居ても立っても居られずに家を飛び出し、可能性のある場所を片っ端から回った。

 あいつはどんな気持ちで自分を抱いてほしいなんて言ったんだろう。

 俺はどうすればよかったんだろうと後悔と悪い予感が頭の中で渦巻きながら、みっともなく泣きながら走り続けて。


「あやか、あやか、あやか……!」


 俺は思わず目の前の女の子にすがりつく。


「わたしはあやかじゃないよ」


「教えてくれよ。一年前のお前がどんな思いで俺と凛を見ていたのか……俺はどうすればよかったのか…………全部受け止めるから……頼むよあやか…………!」


「だからわたしはあやかじゃないって」


「嘘をつくな!」


 枯れた喉から声を絞り出すように叫ぶ。




「だったらなんで――お前はあやかにそっくりの格好をしてるんだ……!!」




 屋上で告白されたときからずっと、凛はまるであやかの生き写しだった。

 トレードマークだったボブカットの黒髪は、いつの間にか肩にかかるくらいに伸びて金色に染まっていた。

 デートに着てきたおしゃれなコーデ、メイクに使っていたピンク色のルージュ。

 ふとしたときにこぼれる笑みや、俺をからかうときのにんまりした笑顔。

 近づいたときに香る匂いも、柔らかい唇の感触も。

 なにもかも、あやかとそっくりで。

 心の底から驚いたんだ。

 俺はずっと悪い夢を見ていただけなんだって。あやかに死ぬほど謝って、もう一回やり直せるんだって……!

 だがあやかの亡霊は俺の淡い希望を否定するように首を振った。


「虎太郎くんがあやかと付き合ってたって知って、わたしはずっと苦しかったんだよ。本当は二人を祝福したかったけど……とても気持ちの整理が出来なかった。それで感情ぐちゃぐちゃのまま、とりあえずあやかに相談したんだもん――『虎太郎くんに告白したいから応援して』って」


「っ!」


「去年の文化祭のこと、覚えてる? 去年もわたしがピアノの演奏をすることになって、虎太郎くんと二人で準備頑張ったよね。毎日二人で練習したり、休みの日に買い物に行ったりとかさ」


 覚えている。

 去年の文化祭も、凛のピアノ演奏が行われるはずだった。

 その途中であやかが***したからイベントは中止になったのだ。俺はとても学校行事なんかやってる気分になれなくて。ふさぎ込んでしばらく学校に行かなくなって、当日も休んだ。

 文化祭自体もほとんど中止になり、一部有志で小規模に開催したとは聞いている。


「虎太郎くんは幼馴染のよしみで手伝ってくれただけなのに、わたしは一人で嬉しくて舞い上がってさ。虎太郎くんにその気がまったくないこと分かってるのに、見栄張ってデートすることになったとか言ってみたり……そんなことしてるうちに思ったの」


「……」


「わたし我慢しなくていいんだって」


 臆病なはずの少女の背後に、獰猛なハンターのオーラを見た。


「あやかがいなければわたしが虎太郎くんと付き合ってたんだよ。間違いないもん。だって子供のころはお互い好き合ってたよね。大きくなったら結婚するって約束もしてたもんね」


「違う……俺はずっとあやか一筋で……」


「ほら。そうやっていつの間にか上書きされちゃった。わたしの代わりにずっと隣にいるのはあやかのほうで……だったら今度はわたしがあやかになれば、虎太郎くんに振り向いてもらえるんだよね?」


 それが、凛があやかの格好をしている理由。

 そんなことが。


「ごめんね。本当はもっと早く虎太郎くんを助けてあげたかったんだけど、あやかは髪が長かったからさ。同じくらいになるまで一年もかかっちゃった」


 マジで何言ってるんだろう。

 こいつ頭おかしくなったのか。


「あやか、なんで自殺したと思う?」


 あやかと同じ格好をした女の子から、あやかが死んだことについて問われる。

 なんだこれは。


「……俺のせいだ。俺はあやかの彼氏なのに、あやかを不安にさせるようなことをしていたから」


「違うよ。言ったでしょ? あやかは虎太郎くんのこと好きじゃなかったんだから。虎太郎くんとうまくいかないことがあっても、それで自殺するほど追い込まれることはない。これは確信を持ってるけど、あやかと虎太郎くんは最終的にどこかで破局していたと思うよ」


 絞り出した俺の答えを凛は一蹴した。


「じゃあなんで!」


「全部わたしのせい」


 そう言って、凛は全部を自分で背負ったのだ。

 それ以上の言葉はなかった。

 これまで聞いた断片的な話をつなぎ合わせればおぼろげながら当時の出来事が浮かんではくるが、はるか遠くを見つめる彼女の瞳には何らの感情も見出すことが出来ない。


「悲しくないのかよ」


「もちろん悲しいよ。たった一人の親友だったんだもん。鏡に映る自分の姿が気持ち悪すぎて数えきれないくらい吐いたし」


「ならそんな恰好するなよ」


「だって虎太郎くんが壊れたままなんだよ? そろそろ取り戻さないといけないじゃん。あやかだって今の情けない虎太郎くんなんて見たくないと思うけどなあ」


「偽物があやかを語るな。俺はそんなものに惑わされない」


「嘘つき。わたしのこと押し倒しておっぱい揉みしだいたくせに。あのとき虎太郎くんの中でわたしはどっちだったのかな。凛? それともあやか?」


「……っ」


「これからだんだんと忘れていくんだよ。少しずつ記憶の中で顔の輪郭がぼやけてきて、二人の楽しかった思い出も色あせていくの。やがて好きだった感情も薄れていって、ようやく乗り越えられるんだよ」


 その表情はどう見ても乗り越えた人間のものではなかった。

 闇。狂気。絶望。

 凛はとっくに壊れていて、俺の心の傷もまったく治っておらず、あやかは二度とこの世に戻ってこない……欠けた三角関係に永遠を捧げた囚人だ。


「やめろ! 俺は、俺だけはずっと忘れない。あやかの思い出と生きていくと決めたんだ!」


「わたしなら、なんでもしてあげるよ?」


 俺の決意を遮るように凛は話し始める。

 同時に遠くでキャンプファイヤーが点火され、「ハイハイハイ!」の合いの手とともにひと際大きな歓声が上がる。


「ほら。続き、しよ?」


 言いながら口元に近づき、そのままねっとりと絡みつくようなキスをはじめる。

 心は空っぽのはずなのに、あやかそっくりの格好をした女の子との行為が蕩けるくらいに気持ちよくて……身体の一部がむくむくと起き上がっていく。


「わたしは凛でもあやかでもどっちでもいいよ。虎太郎くんにとって好きなほうだと思ってくれればいいから」


 俺の惨めな葛藤もすべて受け入れると凛はささやく。

 一度囚われたら逃げられない底なし沼のように。


「わたしを抱いてください」


 一緒に壊れようという甘美な誘惑が、俺の脳を破壊した。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

所謂叙述トリックもので、連続した話に見えて実際は視点が一年ずれているという話でした。

※なので、虎太郎視点ではあやかが登場していません。


また新作書いたら投稿するので、そのときはよろしくお願いします!

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