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虎太郎Side⑭ 文化祭その4

★★★虎太郎Side★★★


 公演の四十五分前とやや余裕を持った時間に俺たちは体育館の舞台袖に到着した。

 ひとつ前のプログラムであるOB講演は順調に進んでおり、このままいけば予定通り十五時から凛の演奏がはじまるらしい。


「緊張してきたね」


「だ、だな」


 二人で軽く身を震わせる。

 ……俺が緊張しているのもおかしな話なんだけどな。


「始まっちゃうと案外大丈夫なんだけどね」


「分かる。自分の出番を待ってるときのほうが心臓バクバクなんだよな」


「そうそう」


 人としての才覚は天と地ほどの差がある俺たちだが、臆病で小市民な性格はよく似ていて、こういうときに話が合うのだ。


「緊張するときは観客をカボチャだと思えばいいんだっけか。あれ、ジャガイモだっけ」


「なんでもいいんだよ。人に見られてると思うと緊張するってことだから」


「緊張したときはいつもどう対処してるんだ?」


「ぎゅーって丸まって小さくなることかな。もちろん人のいないところで」


「なんだそれ」


 凛は控室の椅子のうえで丸くなってみせる。小動物みたいでかわいい。


「外から守られてるみたいで安心するというか……だから誰かにぎゅーってしてもらっても同じくらい落ち着くと思うんだけど」


 期待するようにじーっとこちらを見つめてくる。


「い、いまは人がいっぱいいるからな」


「むー」


 その頬を膨らませて不満そうにするの、心臓に悪いからやめてほしい。


「それより俺だよ俺」


「オレオレ詐欺?」


「ちげーよ。しょうもないギャグはさむな。俺も凛の演奏を録音で聞きながら一人で練習してきたけど、凛と一緒にやるのはぶっつけ本番なんだぞ。今ちょっとリハやったほうがよくないか」


「こんな静かなところで音出せないよ」


「ぐっ」


 確かに今はOB講演の最中で、ピアノ音を出せる空気ではない。


「それに一応全部暗譜で弾けるようにしてきたから、虎太郎くんはめくるとこ間違えても大丈夫だよ」


「なんだって?」


 それだと俺が練習してきた意味は?


「本番は楽譜見ないよ」


「……やはり俺、必要ないのでは?」


「ダメ。いるの。隣にいないとダメなの」


 また凛がすね始めた。

 こいつの「ダメ」と「イヤ」に俺が弱いこと見抜かれているんじゃないか。

 と、ちょうど会場のほうからぱちぱちと拍手が聞こえてきた。どうやら前のプログラムが終わったようだ。


「そこでデレデレしている男、OB講演が終わったからピアノ運ぶの手伝いなさい。雑用係でしょう」


「で、デレデレはしてないですよ」


 文実委員長からゴミを見るような目で命令される。

 おかしいな。この人本当にさっき凛に温かい言葉をかけていた人と同一人物なのかな。

 これ以上余計なことを考えると見透かされそうなので、俺は考えることをやめた。

 雑用係に徹して壇上でピアノを設置し終える頃には、にわかに体育館周りが活気づいていた。

 幕が下ろされて観客席の様子はうかがえないが、断片的な話し声からすると、ぞろぞろと入ってきた観客が前の席から順番に埋めていき、すぐに立見席になったようだ。

 それだけ同級生の天才ピアニストによる演奏を楽しみにしている人が多いのだろう。

 もちろん俺もその一人だ。

 間もなくピアノの最終確認をしていた凛が、オッケーを出した。

 司会の委員長がプログラムの説明をはじめ、ブザー音とともに舞台の幕が上がる。


「ねえ、虎太郎くん」


「おう」


「……あやかも聞いてくれてるかな?」


「っ、ああ。きっとどこかで聞いてるだろ。前に三人で帰った時も絶対聞きに行くからって言ってたしな」


「えへへ。そうだよね! ……うん、頑張ろう」


 凛の目から不安が消え去った。

 ああ。

 これは成功したな。

 シンと会場が静まり返り、彼女の一挙手一投足に注目が集まる。

 凛は目を閉じてすーっと大きく深呼吸をする。もう音楽の世界に入ったようだ。


(頑張れ、凛)


 声を出さずにエールを送る。もう心配する必要はないなと思いながら。

 撫でるような指使いから一つ目の鍵盤が音を響かせ、メドレーの一曲目がはじまった。


(……すごい)


 演奏がはじまってすぐに観衆全員が圧倒される。

 音が感情を持って叩きつけてくるのだ。強弱や勢いが絶妙なコントラストで奏でられ、まるで物語を聞いているかのように耳にすっと入ってくる。

 宣言通り、以前聞いた演奏よりもはるかに仕上がっていた。

 俺は途中から譜めくりの役も忘れて凛のピアノに聞き入っていた。ただ凛の世界を邪魔しないように漏れ出る息も殺して特等席での演奏を楽しんだ――。

 それから十分あまりの曲を弾き終えるのは一瞬だった。

 夢のような時間は一瞬で過ぎ去り、気づけば割れんばかりの拍手が沸き起こる。


「ふう」


 凛はすべてやり遂げたという表情をしていた。


「やったな」


「うん」


 壇上で短い労いの言葉を交わしていると、司会の委員長が一言お願いしますとマイクを持ってきた。

 まあ観客のボルテージも最高潮に達している状況で、主役の言葉がなくては物足りないだろう。

 是非みなさんの見えるところにと中央に誘導され、若干おどおどしながら凛はついていく。


「最高の演奏、ありがとうございました。凛様としては今日の演奏はいかがでしたか?」


 こいつも凛のファンじゃねーか。さっきゴミを見るような目を向けられた理由が判明した。


「とてもよかったです。思い通りに音が走ってくれたと思います」


「私のような素人目にも、いつもの演奏より一段と神がかっているように思いましたが……凛様はこの発表にかけるなにか特別な思いがあったのでしょうか?」


「そうですね……どうしても今日見に来てほしい人がいたので」


「それはまさか……」


 一瞬だけ非常に嫌そうな目線を俺に向けるが。


「親友のあやかです。絶対聞きに行くって言ってくれたので。あやか、どこかにいるの? 演奏聞いてくれた? 今も見てくれているの?」


 ……っ。


「虎太郎くんも来てよ」


 ちょいちょいと手招きされる。


「お、俺もかよ」


 なぜか催促されて凛の横に立つ。当然「誰だこいつは」という視線が突き刺さる。何度目でしょうねこの視線。


「もっと前に出て。こっちきて、もうちょっとかがんで。そのままそのまま……」



 ちゅ。



「――へ?」


 ほっぺたにほんのり温かい感触があった。


「ご清聴ありがとうございましたっ」


 凛は何事もなかったかのように深々とお辞儀をして、足早に舞台袖へと消えて行った。

 一瞬遅れて、黄色い歓声が体育館にこだまする。


「凛様が!」「どういうことだ!」と発狂しているやつもいれば、「え、今ガチでやったの!?」「大胆すぎー!!」と写真を撮り始めるやつもいる。


 一瞬なにが起きたのか分からなくなったが、周囲の反応でようやく理解が追い付いた。


「なっ、ななななな……!」


 俺が情けなく口をぱくぱくさせた音をマイクが拾い、今度は「だせえー」「キョドりすぎだろー」「やーい童貞」とヤジが飛ぶ。最後のやつは殺す。

「お、俺を置いていくなよ……っ」


「待ちなさい」


 逃げようとしたが発狂した委員長に退路を断たれた。

 舞台袖のほうを見やると、俺にしか見えない物陰からひょっこり顔を出した凛があのときと同じ恍惚とした表情をしている。

 ほほが真っ赤に蒸気しているのは照明が暑かったからというだけではないだろう。


「……屋上で待ってるから」


 俺にだけ分かるような口パクでそれだけ言い残すと、そそくさと会場を去っていった。

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