虎太郎Side⑬ 文化祭その3
★★★虎太郎Side★★★
クラスにいられなくなった俺たちは、図らずも二人で文化祭を回ることになった。
流石にデートのときのように腕を組むことはしないが、明らかに友人よりは距離が近く密着した状態で歩いていく。
……もちろん道行く人――街中よりも圧倒的に知り合いが多い――に見られているわけだが。
「あ。ベンチ空いてたよ。焼うどん冷める前に食べよう」
「そ、そうだな」
どうしたことか、いつも俺と同じかそれ以上に周囲の視線に敏感なはずの凛が、今日は一切気にした素振りを見せないのだ。
これで俺一人が挙動不審になっていると、周囲から「なんであんなダサいのと歩いてんの?」と凛が貶められることになる。
だから俺も気にしないふりをしてベンチに腰掛け、焼うどんを口いっぱいに頬張った。
うん。文化祭クオリティだ。
「これからどうしようか」
小さい口でもぐもぐ焼うどんを食べていた凛がようやく食べ終わったので、俺たちは次の行き先を探そうと広げたしおりに目を落とす。
「こうしてみると飲食系が多いな」
「飲食はちょっと怖いんだよね。演奏本番に影響出たら困るから」
「それもそうだな……」
凛のクラスでメイド喫茶を体験してみたくはあったが、演奏のことを引き合いに出されてしまっては難しい。
と、ズボンの右ポケットに入れたスマホから着信アラームが鳴り出した。
急に心拍数が上がる。
そして俺があわててスマホを取り出そうとすると、
「あ。ちょうどこのあとすぐ華道部でフラワーアレンジメントの体験会やるみたいだよ。これ行ってみたい」
凛がしおりの地図を指さしてそのまま俺の顔にぐいぐいと押し付けてきた。
ちょうど電話を遮るように。
「……じゃあ、行くか」
「うん!」
また着信が鳴る。
「……虎太郎くん、手、握ってもいい?」
俺がなにかを答えるより早く、凛は左手で俺の右手を取って一本ずつ指を絡ませていく。恋人つなぎというやつだ。
そして手を胸のあたりまでそっと持ち上げて嬉しそうにはにかむ。
「ちょっと恥ずかしいね」
なおも着信は鳴り続けている。
凛は気づかないふりをしてそっと手を引いていく。
取ろうと思えば空いている左手で取れるのだ。不格好にはなるけれど、少し腰をひねって右側のポケットに手を突っ込めばいい。
バイブレーションがうるさいから。
そうだ、ずっと振動していて気が散るから電源を切ると言えばいいじゃないか。
それなら凛だって嫌な顔はしないはずだ。
「今はわたしとデート中……だよ。スマホばっかり気にしてないで、わたしのことを見て」
「あ……」
たった一言で、脳内で張り続けた予防線は崩壊した。
悲しそうな目が俺の動きをすべて静止させ、もう一度ポケットに手を伸ばす勇気を失わせたのだ。
「独占欲が強い女でごめんね」
独占欲。
大切なものや人を他の誰にも渡したくない、自分だけのものにしたいという気持ちのことだ。
――凛は誰に何を渡したくないと思っているのだろうか。
「……なんの話だ。女の子のエスコートをしている最中に他のことに気を取られているような失礼なやつがいたら、怒られて当然だろ」
「ふふ。そうだね」
「……行こうぜ」
つないだ手に力を込めて歩き出そうとしたところで、逆にぱっと手を離された。
「ごめん、その前にちょっとお手洗いに行ってきていい? 先にお店で待っててくれればいいから」
「了解。じゃあ先に店で待ってるわ。三階だったよな」
もう一度しおりを開いて確認する。
「うん。先にいろいろ作品見ててよ。せっかくだからあやかのプレゼントにしてもいいと思うんだ」
「あ、あやか?」
「うん。あやかフラワーアレンジメント好きだったはずだから。部屋にも結構飾ってたし」
凛の口から急にあやかの名前が出てきて身構えてしまったが、二人は仲良しなんだからプレゼントを贈ることくらい当たり前か。
凛はすぐ追い付くからと言って、ぱたぱたと走っていった。
それを見送ってから一人花屋へと向かう。入り口付近にはキンモクセイがふんわりと甘い香りを漂わせており、心が癒されるのを感じる。
疲れた。
一人になってどっと疲れが押し寄せてきた。
クラスの手伝いに加え慣れない人混みを歩き回ったこと、そしてなにより精神的に気疲れしたのだろう。
このあとが本番だというのに現時点でこれだと先が思いやられる。
そもそも普段から凛の容姿は人目を惹きやすいのだが、今日は三倍増しくらいで視線がすごかった気がする。
文化祭の告知ポスターにも大々的に掲載されていたことも理由に挙げられるだろうか。あるいは、そんな主役の横にさえない男がずっとついて回っていたから奇異の目で見られていたのか……。
などと考えていると、またしてもスマホが着信音を鳴らし始めた。
俺は反射的に手を伸ばそうとして、途中で引っ込める。
ああ。
これは踏み絵か?
凛のいないところでも凛のことを一番に考えているかというテスト。
アホらしい。
凛がどこかで俺を観察しているとでも言うのかよ。
大事な電話かもしれないんだ。待ち望んでいる電話かもしれないんだ。出なかったら後で死ぬほど後悔するかもしれない。
それにもしかすると、その凛からの電話という可能性もあるじゃないか。
よし。
やはり確認すべきだ。
そう思っていよいよポケットに手を入れようとしたところで、
「……もしかして虎太郎か?」
突然ちゃらちゃらした格好の男に声をかけられた。
誰かと思えば中学校時代の同級生だった。田中という名前だった気がするが今一つ自信はない。
別の学校に進学したはずなので、今日はナンパにでも来たのだろうか。
三年間同じクラスだったこともあり連絡先を交換する程度の仲ではあったが、高校に入ってからは一度も連絡がきたことはなかった。まあよくある話だ。
まさかこのタイミングで声を掛けられるとは。
俺はさっと外面を取り繕って軽く手を振り返した。
「お、おう……久しぶり」
「中学校以来か? 懐かしいよなあ。てかお前ちょっとイケメンになったなー」
向こうは俺の微妙な態度に気づかないまま、人懐こい笑みを浮かべて近寄ってくる。
この「かつて友達だったやつと再会した」みたいなシチュエーションでも陽キャは気まずいとか思うことないのかね。
「そ、そうか? 別に変わらないだろ」
「髪もセットして決まってるじゃん。高校デビューか? 彼女できたんか?」
「ま、まあそうとも言えないわけでもないというか」
「照れんな照れんな。どうせ相手はあやかちゃんだろ? 俺も狙ってたのによお」
「ははは……」
コミュ力の差に絶望した俺は、かつての友人相手にも対陽キャテンプレ対応(場の空気を乱さないよう曖昧に笑って流す)に移行した。
そういえばこいつ、あやかのことかなり熱心に狙ってたな。玉砕してたけど。
……あれっ、もしかして俺と連絡先交換したのって、俺を経由してあやかと仲良くなるためとかだったりするのか?
「実はこの前も帰り道で見かけたてたんだけど、お前とあやかちゃん二人でなんかいい雰囲気だったから声かけられなくてさー。くっそー、あんな超絶美人捕まえられて羨ましいぜ。お前らいつから付き合い始めたんだ?」
「え」
今更ながら中学時代の友情の真実に気づき始めて絶望しているうちに、また気になることを言い始めた。
俺とあやかの関係を知らなかったことは特に不思議ではない。
あやかと付き合いだしたのは中学三年の冬だったが、表ではよそよそしい態度を取っていてカップル感は微塵もなかったから。
問題なのは俺とあやかが付き合っていると確信するにあたって、こいつがどこで何を見たのかということだ。帰り道というのもいろいろある。
(なんにせよ、こいつを凛に合わせるのはまずい)
そろそろ凛も戻ってくるだろうし、余計なことを言われる前に早めに切り上げてしまったほうがよいだろう。
「ごめん虎太郎くん、混んでて遅くなっちゃった……あれっ?」
とか考えてるうちに本人戻ってきちゃった。
「えっ、あやかちゃん……じゃなくて凛ちゃん、だよね? うわ久しぶり! 覚えてる? めちゃくちゃかわいくなったね! ……ってかどういうことだよ虎太郎!」」
案の定だが凛を見て目を丸くして驚いている。元々隠れて人気だったとはいえ、まあこれだけ変貌すればびっくりするだろう。
「あー、うん。お久しぶりです」
凛が目で助けてと言っている。俺と同じでこの手の陽キャは根っから苦手なタイプだからな……。
「じゃそういうことで」
「えっ」
俺は独り言のように呟くと、凛の手を引いて足早に逃げた。
「なんか今日は逃げてばっかりだな」
「……虎太郎くんのせいだけどね」
「いや、凛のせいなんだぞ」
「えー」
というか改めて考えれば別に逃げなくてもよかったかもしれないが……まあでもああいうやつが茶々入れてきて良い方向に転がることはないからな。
それこそ俺とあやかがクラス内カーストを意識しすぎて付き合っていることを隠していたのと同じように、俺と凛の間にも隔絶された見えない壁があるのだ。
世知辛い世の中だなあ。
小走りで息を切らせながら笑い合う俺たちにはそんな壁なんてないのに。
「……そろそろ本番だね」
「だな。ちょっと早いけどこのまま体育館に行くか」
「うん」
いよいよ凛の公演会がはじまる。
これまでのモヤモヤもそのあとのことも一旦未来の俺にぶん投げて、全力でサポートしようと心に決める。
「凛、調子はどうだ?」
「絶好調だよ。絶対虎太郎くんを驚かせるからね!」
そう言って、彼女にしては珍しくニッと歯を見せて笑うのだった。