虎太郎Side⑫ 文化祭その2
★★★虎太郎Side★★★
凛の講演会プログラムは十五時からとなっていて、事前準備として三十分前に集合することになっている。
実行委員の見回りは手伝う必要がないと言われているため、それまでは特にやることはない。
凛と合流するにもなるべく目立たないようにしようと思って教室の隅っこに陣取っているのだが、みんな忙しくしている中で一人手持無沙汰なのも気が引ける。
「じゃあクラスの焼うどん屋手伝えや。今日休みのやつがいてシフト埋まってねーんだよ」
クラスメートの鈴木に肩を叩かれて、そのまま「控室」と書かれた準備スペースに引きずり込まれた。
「俺は俺で文実のイベント担当として多忙の身なんだぞ」
「忙しいのは凛様だろ」
「凛様、ねえ……」
凛は可憐な天才ピアニストとして学校の有名人で、鈴木のようなファンからは凛様と呼ばれている。
つい最近凛から「恥ずかしくて困っている」と聞いて知った衝撃の事実だ。
「お前はただでさえ凛様と一緒に舞台に上がるなんていう分不相応な幸運に恵まれたんだから、そのぶんは働いて返せ。いっそ時間になってもここに拘束しておくべきか」
実はその凛様に文化祭一緒に回ろうと誘われたことを知ったらこいつ発狂しそうだな。
という冗談はさておき、確かに人手が足りてない状況で自分だけ遊んでいるのも気が引ける。
ちらとスマホを確認してみても、今のところ誰からもメッセージは来ていない。
「分かったよ。すごい混みそうだしちょっと手伝うわ。それで許してくれ」
「よし」
「なにすればいい」
「皿が足りないしうどんも注文した数が届いてないしおつりも用意してない。全部なんとかしてくれ」
「無理だ」
クラスの事前準備にはほとんど参加してなかったのだから、申し訳ないけど細かい作業は力になれない。
そう伝えると結局女子の代わりに接客レジ打ち係をやることになった。
一杯三百円なり。
「いらっしゃいませー。おいしい焼うどんいかがですかー」
最初はまばらだったお客さんも、ソースのいい匂いにつられてかどんどん列を作り始めていき、あっという間に大盛況となっていた。
料理自慢の女子が調理室でうどんを焼いてお皿に盛り付け、俺がそれを運んできて代金と交換。その反復作業を何度も繰り返す。
ふう。
身体も動かすわ人口密度も高いわで暑さに汗がしたたり落ちるのを服の袖で拭う。
時にはこういう単純労働も悪くない。無心で働いているうちは悩み事もなにもかも忘れられるから。
「らっしゃっせーあっさっせー」
「呼び込み適当すぎないかな、虎太郎くん」
かわいらしいソプラノの声に注意されて顔を上げてみれば、文化祭のしおりを片手に少しだけふくれっ面の凛がいた。
「もう。ずるいよ虎太郎くん。わたしもクラスの手伝いしようか悩んでたのに」
「ご、ごめん。バタバタしてて連絡出来てなかった……」
「ううん、この状況なら仕方ないよ」
凛にしてみれば約束をすっぽかされたというのに、それに怒る様子もなく、返事がなかったから心配して見に来たのだと笑ってくれた。
どうしてこの子はこんなにも優しいのだろう。
「凛様! 凛様ではないですか! 来てくださったんですね!」
感傷に浸る俺を無視して、凛のファンである鈴木が強引に登場した。しかも俺たちの間に割って入るように。
うぜえ。
「えっと、同級生なので凛様はちょっと……」
「この暑苦しい教室で凛様の存在はオアシスのようなもの! 砂漠の民にとって水が貴重なものであるように、我々にとっての清涼剤である凛様に敬称をつけて敬うのも当然なのです!」
「は、はい。そうですか」
凛は早くも説得をあきらめたようだ。
くるっとこちらに向き直るといつもの甘えた声でおねだりされる。
「虎太郎くんとこ焼うどんなんだね。食べたい食べたい」
「お、おう」
室内の温度が五度くらい下がった気がした。
特にファンの人の顔を見るのは怖すぎるので、何も考えずに焼うどんを二つ凛に手渡しする。
「わあい。虎太郎くん一緒に食べよう」
「食べる余裕があればな」
「虎太郎くんのシフトっていつまで?」
「……いつまでなんだろうな」
その答えを知っているはずの鈴木にちらと目配せすると、見たこともないような満面の笑みですり寄ってきた。
この反応には見覚えがある。
ガチであやかを怒らせたときだ。人間は怒りが頂点に達すると笑うらしい。
「彼はうちの重要な戦力でして、休みがないのです。ところで……先ほどから不思議に思っていたのですが、なぜ凛様はこの男を気にされるので?」
「えっと、一緒に回ろうかって約束してたからですけど……」
あ。
地雷踏んだ。
「ほう。なるほど、そうでしたか! 二人で! 一緒に!!」
鈴木が突然大声を張り上げ出す。
言葉はさわやかなのに表情が怒りで歪みまくっていて、歯ぎしりと怨恨の念がこちらまで伝わってきた。
かなり厄介なファンだった。
それに凛がびっくりして俺の背中に隠れようとするところを何事かと心配して集まってきたクラスの男子たちに目撃される。
「じゃそういうことで」
「待てや」