あやかSide⑨ 尾行
★★★あやかSide★★★
週末。
「あやか、おはよう」
「おはよう凛。ってなにそんな難しい顔してんの」
「いやっ、その……今日着ていく服をどうしようかなって……」
「今日も季節外れに気温高くなったもんね。まあ少し薄手のものも何着かあるから、その中から選んでいけば大丈夫だと思うよ」
「あ、ありがとっ。でもその、悩んでたのは服というか下着というか……あやかも下着までは貸してくれないよねーって思ったら、どれにしようかなって。さっ、流石にないと思うんだけどねっ! 一応だよ、一応っ!」
――だって。これで安心なんて出来るわけないでしょ。
このむっつり女は今日下着を見せることになると思っているのか?
デート当日に家まで訪ねてきた凛の発言に、私は初っ端から眩暈がして倒れそうになる。
「下着ね……まあ、凛がどうしてもって言うなら貸してあげてもいいけど……」
「…………いいの?」
わりとガチの目だった。
親友の彼氏と二人でデートに行くことになった上に、もしもの時に備えてその親友から下着まで借りていこうとする女。
客観的に書くとカオスすぎないかな。
「あ、ブラはサイズ違うから無理だよ」
「そうだった……うぅ、この子供っぽいのつけてくしかないのかあ……わたしのサイズだとかわいい下着が全然ないから……」
なにやら絶望している凛だが、ここは何度でも主張しておきたい。
私も間違いなく大きいほうだと。
目の前のおっぱいおばけが高校生にあるまじきサイズ感と包容力に溢れすぎているというだけで。
「まあ下着類は今度一緒に買いにいくとして」
「お願いします」
「今日は流石にいいんじゃないの? いきなり万が一なんて……ありえないでしょ」
その光景を想像しただけで吐き気がするのだが。
「それはまあ……そうなんだけど……ただね、今履いてるのは本当に子供みたいなダサいぱんつなので……」
それはそれとして、かわいい女の子から涙目で下着事情を打ち明けられると、なにかよくないことをしている気分になる。
「どれ、ちょっと見せてみて」
ぺらっとスカートをまくって見てみると、ごく普通の白い無地のパンツだった。
「うーん。これでいいと思うけど。基本的に凛は清楚な感じで行ったほうがいいよ」
「でも外側はあやかのコーディネートなのに、中身だけわたしのままなのが不安で……」
どうやら私の服とのギャップを気にしているらしい。
そもそもの話、凛は自分の普段着ている格好でデートに行くのが一番いいと私は思っている。
そのほうが虎太郎の好みに合っているからだ。
セクシー路線より垢抜けていない身近な女の子路線。これは男女の理想の違いとして、あるある話なんじゃないかな。
私や凛は少しでも着飾ってきれいな自分になりたいけれど、男の子――特に虎太郎みたいなタイプにとっては、相手がおしゃれしすぎていると逆に気後れしてしまうものだったりする。
じゃあなんで私は自分の服を凛に着せているのか?
決まってる。
うまくいってほしくないからだ。
「うーん。確かに変に気になったせいでデートが失敗したら私も悲しいしなあ」
そんな気持ちを隠したくて、私は深い深い笑顔を表面に貼り付けている。
それでも醜い自分の心の声が漏れ出ないように、タンスの中を漁るフリをしてくるりと背を向けて顔を隠した。
「そこまで気にするなら、この黒いレースの下着貸してあげようか? 私もまだ一回も履いたことないけど」
「ほしい」
即答された。
そうかほしいか。これ勝負下着のつもりだったんだけどな……。
日本人形みたいな黒髪童顔の美少女がスカートめくったら黒いレースの下着を履いてるとか、なにかに目覚めそうだ。
「じゃあ、はい」
「ありがとう! ……すごいね、これ」
凛は私の下着をにぎにぎしながら、しばらく真っ赤な顔をして固まっていた。
「一人で履ける? 手伝ってあげようか?」
「な、何言ってるのっ」
一人で着替えるから待っててと部屋を追い出されて一分後。
私の下着を装着したらしい凛は、内股でスカートの手前をきゅっと抑えてもじもじしていた。見ないでほしいのだろうが、そうやって恥ずかしがっていると一層目に付くものだ。
「トイレ我慢してるみたい」
「違うよ……うう……分かってたけど、ちょっとえっちな下着だね……やっぱりあやかは大人だ……わたしなんかと比べものにならないや」
「どんな感じ? ちょっと自分でスカートたくし上げて見せてみて」
「いやだよ!? あやかはさっきから何言ってるの!?」
りんごのように顔を赤くする凛がかわいいので、ついつい意地悪をしてしまいたくなる。
「同性の私にも見せられないのに、虎太郎に見せるなんて絶対無理じゃない?」
「うっ」
図星をつかれた凛が目をバッテンにして怯む。
「やっぱりやめる?」
「ううん、これがいい」
私の助け舟を出しても、首を振って拒否した。
虎太郎に少しでもかわいい自分を見せたいという女の子の純粋な気持ちが勝ったようだ。
「……そっか」
とても一途で、とても健気。
はあ。応援するって言ったの、私だけどさあ。
胃がキリキリと痛む。
虎太郎は私の彼氏なんだよ。
私のもの、なんだよ?
あきらめてよ。なんでそんなにかわいいの。
そう言ってしまいたい気持ちを堪え、私は凛を鏡の前に座らせる。
彼女の艶やかな黒髪を梳いて、軽く目元を整えてあげただけで、アイドルと言われても納得できるほどきれいな女の子が仕上がっていく。
「すごい。わたしじゃないみたい」
「大したことやってないよ。ほんと、素材がいいってズルいよねー」
本心から吐露した。
素材がよければ薄いナチュラルメイクで十分なのだ。
「わたしなんかよりあやかのほうがかわいいと思うけど……でもあやかにかわいいって言ってもらえると自信出るかも」
「かわいいかわいい」
生意気なことを言うので、私はせっかく整えた髪を手でわしゃわしゃと崩す。凛は「わー」とか「やめてー」とか言いながらもされるがままになって喜んでいた。
「あやかはどうやってお化粧覚えたの?」
「うん? 雑誌とか動画の見よう見まねでなんとなく、かな。みんな同じなんじゃないの」
「同じかあ。わたし、こういうのは全然だから……」
凛は、同じクラスの子と話についていけないのが寂しいんだと眉尻を下げて笑う。
本人にとっては切実なことなのだろう。ともすれば自虐風自慢にも聞こえるような、持っている人間特有の悩みなのだが。
「いいんじゃないの。最近やっと『普通の女の子』が興味持つようなことを始めようとしてるわけでしょ」
「うん……でもわたしはあやかが羨ましいよ。あやかはわたしにとって女の子の理想像で、あやかみたいになりたかったなって思うこと、よくあるんだ」
「……」
どうやら本気で言っているらしい。
なぜ私なのだろうか。
私からすれば、見た目もスタイルも性格も才能も、すべて凛のほうが上だというのに。
「今日のデートだって、あやかならどうするのかなってことばかり考えてるよ」
そんなことを、彼女は欠片も自信なさそうにつぶやくのだ。
「……あのねえ。好きな人が出来て、その人に振り向いてほしくて。それで少しでもかわいい自分を見せようと頑張るのは、みんな同じだよ」
「あやかも?」
「ん?」
「あやかも……誰かに振り向いてほしくて勉強した、の? ……そういえばわたしはいつも助けてもらってるけど、あやかの好きな人、聞いてない」
あ。
私はうっかり失言した自分に気付く。
「……別に、一般論を言っただけでしょ」
「……うん。そう、だよね」
「そうだよ。はい、メイク終わり。ほらそろそろ支度して行かないと!」
言葉に詰まったところを悟られないようにと、私は強引に凛を立ち上がらせた。
「……」
なおもじっとこちらを凝視する凛。
「ねえ、あやか」
「な、なに?」
わずかな濁りもない澄んだ瞳に魅入られると、自分の心の中を読まれているように錯覚する。
一瞬の緊張。
凛は口を開くと、真剣な面持ちのままこう宣った。
「やっぱりブラジャー貸して」
「その胸は入りません」
どうでもいい話だった。
いや、どうでもいいとは言えないか。
顔から少し視線を外すと、その奥にあまりにもたわわなサイズのおっぱいがある。きっと触ったらふわふわで、抱き心地もさぞ素晴らしいものだろう。
これは人を殺せる凶器だ。
「凛、やっぱりその服だと着合わせがイマイチかも」
「えっ、でもあやかはよくこの上下で着てるよね?」
「私は金髪だから黒っぽい服着てもいいんだけど、凛は髪も目も全部黒だからねえ」
適当なことを言って、私は再びクローゼットの中をあれこれ物色する。そして、ちょうどすっぽりと身体のラインが隠れそうな、もこもこのファーコートを取り出して渡した。
「ちょっと厚手だから暑いかもしれないけど、一枚羽織っておこうか。寒さ暑さに耐えるのもおしゃれだからね」
凛はなにも疑わずに袖を通す。
「……これでいいかな? 変なところない?」
「うん、大丈夫。本当にかわいいよ」
くるりと一回転して不安そうにこちらを見る凛に、私は親指を立てて肯定した。
嘘なんて言っていない。誰よりもきらきらと輝いて眩しく感じるから。
「……じゃあ行ってきます」
「うん。いってらっしゃい」
ほどなくして出かけた凛を見送ったあと、私はクローゼットの奥底にしまっていた黒のパーカーを羽織り、虎太郎から拝借した野球帽を深く被りなおした。
「……さてと、私も行こうかな。こっそり彼氏と親友のデートを覗きにね」
新手の拷問かな?
なんにせよ貴重な休日を潰してやることではないなと自嘲しながらも、気になるんだから仕方ない。
長く苦痛な一日を覚悟して、ゆっくりと凛の後を追いかけていく。