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あやかSide⑧ 公園

★★★あやかSide★★★


 店を出ると時間は二十時を回っていて、すっかり夜になっていた。

 電柱に取り付けられたライトが暗くなった道を照らし、夜の虫の鳴く声が帰り道を案内してくれている。

 私は虎太郎と手をつないで帰路につく。

 日中はお互い人目を気にしてか手をつなぐこと自体あまりないのだが、時間も遅いし周囲もこれだけ暗ければ知り合いに見られる心配も少ないだろう。


「……初めて入った店だけど良かったな。また来ようぜ」


「機会があればね」


「それは来ないやつのセリフだぞ……まだ機嫌直ってなかったのか」


「そんなことないケド」


 そう言って虎太郎の手を握る左手に力をこめる。


「なんだよ。ちゃんと奢ってあげただろ」


「それはありがとう」


 ここは自分に払わせてほしいとやたら真剣なまなざしを向けられたので、私は一も二もなく会計を譲ってあげた。

 彼氏ポイントの高い行動をしてくれて嬉しくないわけではない。

 ただ凛のことがずっと引っかかっているだけで。

 何かを言おうとして口を開きかけ、しかし今更吐いた唾を吞むような真似ができるはずもないと思いなおし、結果的にずっと無言で歩いていく。

 虎太郎はちらちらと私を見ていたが、何も言わなかった。

 ただ絡ませた手を私が緩めようとするたびに、決して離さないと主張するように力を込めてきた。

 そうしているうちに、最後の交差点までたどり着いた。このまま右に行けばすぐに私たちの家がある。


「……あやか、ちょっと寄り道しようぜ」


「……いいよ」


 だけど、私たちは示し合わせたように左側の道に進むことにした。

 虎太郎が気を遣ってくれたのだと思う。

 私たちは以心伝心の幼馴染だから、私の胸中なんて本当はとっくにお見通しなのだろう。


 そして間もなく着いたのは、小さいころによく遊んでいた公園だ。

 敷地内はそこそこ広くて、下段には広場、上段には鉄棒や滑り台といった遊具が置かれているごく普通の公園。

 見慣れた景色に懐かしい思い出がよみがえってきて、ふと口元が緩む。


「久しぶりに来たー。ってか全然変わってないね」


「……よく集まって遊んだよな。秘密基地とかまだあるのかな」


 虎太郎は先ほどまでの沈黙はなかったかのように応じた。

 夜の公園は静かなもので、周囲に人の気配はない。わずかな街灯の薄明りにはコバエがまとわりついていて、怪しい夜の世界を演出している。

 ひとまず、ぐるっと一周することにした。


「なあ」


「うん?」


 手をつないだまま虎太郎がつぶやく。


「たまにこういうデートも悪くないよな?」


「うん」


 私は素直に同意した。

 記憶の中にある滑り台よりもはるかに小さく見えるのは、それだけ私たちが大きくなった証だ。

 知っているようで少し違う景色。そういう発見があるのは面白い。


「あの頃と一番変わったと言えば、俺たちの関係かもしれないけどな」


「女の子二人の尻を追いかけてるんだから、変わらないでしょ」


「あのな……」


 口をとがらせて文句を言いたそうな虎太郎の腕を取って、奥まったところのベンチに肩を寄せて座る。


「な、なんだよ」


 二人の身長差から背の低い私が見上げる格好になったが、私がまっすぐに見つめると、虎太郎は居心地悪そうに身じろぎする。

 正面から見た虎太郎は決してブサイクではない。

 前髪がやや長くてボサボサしているため清潔感は微妙なところだが、目はきれいな二重だし、贔屓目なしにちゃんと整えればそこそこ人気が出るくらいの容姿ではあると思う。

 ひょろひょろなので頼れる感じはまったくしないけど、ぶっきらぼうなだけで案外優しいところもあるし。

 夜の公園という雰囲気にあてられたのだろうか、なんだかいつもの三割増しくらい格好よくみえた。


「……キス、しよ?」


 私は人差し指で唇をなぞって、この前の続きを誘った。


「……っ」


 明かりの薄い夜の公園でもそれと分かるくらい虎太郎の動揺が見て取れる。最近分かったことだが、この男は明らかにえっちな雰囲気に耐性がない。

 日ごろは屁理屈全開でモンスター童貞として君臨しているものの、いざ「そういう場」に居合わせると仮面がはがれて自信を失ってしまうのだ。

 へたれの彼氏に私は子供をあやすような優しい声で諭す。


「誰も見てないよ」


「だ、誰か来るかもしれないだろ」


「もし知り合いがいても見ないふりしてくれるよ。虎太郎だって茂みの奥でえっちしてるカップルがいたら見なかったことにして逃げるでしょ」


「そ、そういうことじゃあ――んっ!?」


 ごちゃごちゃ言い訳をはじめようとしたので、問答無用で唇を奪った。


「ん……ちゅぷ……えへへ」


「お、おまっ……!」


「ふふ、二回目のちゅー、だね?」


「……っ」


 虎太郎の顔全体がなにかを思い出したように真っ赤に染まる。


「ねえ、もうちょっとかがんで」


 ベンチからお尻を浮かせて、抱き着くような恰好で虎太郎を引き寄せる。一度キスしてしまえば虎太郎はなすがままだ。


「あっ、……んむ」


 軽く触れるだけの遠慮がちなキス。

 まだまだ「そういうこと」に慣れてない私たちにとっては、湿った感触が唇をなぞるだけで全身が泡立つ。


「虎太郎、くちびるにリップクリーム塗ったほうがいいよ」


「う、うるせー」


「それに、麻婆豆腐の味がする」


「いちいち色気のないこと言うな……」


 憎まれ口を叩いていても、お互いにお互いから目を離せなくなっている。

 とろんと溶けたような虎太郎の瞳の奥には、同じように惚けた表情の私が映っていた。

 痛いほど鼓動する心臓が、この先なにをするのか教えてくれているようで……緊張で視界がぶれていくのが分かる。

 ここまできてなにもせず帰ろうとはならないよね。


「ふふ。虎太郎がどうしてもって言うなら、いいよ?」


「あやかっ……」


 私の一言で我慢できなくなったのか、発情して勢いよくキスを迫ってきた虎太郎の歯がカチンとぶつかる。

 こいつキス下手くそだな。

 でもそれってつまり、経験がないということではなかろうか。


「ふふ。慌てないで。ゆっくり、ゆっくりでいいから」


「う、うん、ごめん」


 落ち着いてもう一度ゆっくり口元を近づけ、今度は互いについばむようなキスをはじめる。はむはむと下唇を甘噛みしてあげただけで、虎太郎は切なそうな声を上げた。


「ちゅ……ちゅっ……あむ……んっ……」


「んふぁ……あっ、あやかっ……ちゅぷ……」


 やば。

 頭ぼーっとしてきた。

 外で誰かに見られてるかもと思いながら口づけし合うこの背徳感、たまんないね。

 時折り震えるように漏れ出る息がかかって、すごくこそばゆかった。


「ん……んむ、ちゅっ……」


 軽く唇を噛んでみたり、舌でなぞってみたり。

 夜という非日常的な環境に耽って、私たちはだんだんと行為が大胆になっていく。


「ぷはっ……んんむっ……」


 今度は虎太郎が舌を入れてきた。

 粘り気のある唾液とともに互いの舌が絡みつき、ぬちゃぬちゃと卑猥な音を発していく。


「ぬちゅっ……ぷぁ……んむ…………」


 私も負けじと虎太郎の口の中に進出する。

 攻勢に出ると途端にきゅっと口元を閉じてガードしてきたが、舌先を丸めて何度かつついたらあっさり崩壊した。


「あやかっ……んっ……はぁ……」


「なぁに……こたろー…………あむっ……」


 気持ちよすぎて蕩けそう。

 私は全身の力を抜いて虎太郎に寄りかかり、身体のあちこちを密着させながら口元のぬめぬめした感触を確かめ続けた。


「はぁ、はぁ……あっつ」


「おまえ、ふく……」


 生温い夜風が吹き抜けて、気持ち悪いべたべたした汗が薄地のワイシャツ服に貼りつく。

 当然のように下着が透けて見えていたし、なんならキスに夢中になっているうちにワイシャツ自体も若干はだけていた。


「鼻のあな広がりすぎ。いやらしいこと想像したんだ」


「こ、こんなの想像しないほうが無理だろ……」


「まあそれもそうだね」


 お年頃の男女が誰にも邪魔されない空間でちゅっちゅしてたら、なにも感じないなんてありえないよね。

 生殖機能が働くのは人間の本能なんだからさ。


「「…………」」


 正直、私だって身体のほうはもう完全に準備できてるわけで。

 ……ここで私のはじめてをあげちゃうのかな。

 期待と不安がないまぜになって自分でもよくわからない感情のまま、私は虎太郎の下腹部あたりにそっと手を伸ばし、


「や、やっぱり待ってくれ!」


 素っ頓狂な声を上げて、突然虎太郎が後ずさった。

 大きな音にびっくりしたのか、あたりに潜んでいた猫かなにかがガサガサと一斉に散っていく。


「え、これはやる流れだったのでは。おあずけ?」


「っ、だから、その」


「私じゃダメだった? したくならない?」


「ち、違う! お、おれだって、正直やばい。でも……こんなところで雰囲気に流されてってのは、いやだ。それに年齢的にも……だから」


 なんか女の子が言いそうなことを口にし始めた。


「流されてもなにも、彼氏彼女なんだからいつかは通る道じゃない」


「そ、それはそうかもしれないんだが……俺はお前を大切にしたいんだよ……。『そういうこと』は、お前とは軽々しくできないだろ」


「そっか」


 意外とまっとうな答えが返ってきた。

 こいつ、思ったより私のこと好きなのかもしれない。

 行為に集中して二人の世界に浸っていたときには消えていた虫の音が、ようやく耳に届きはじめる。


「……そっか。ま、ハエがぶんぶん飛んでる夜の公園ではじめてってのも情緒がないとは思ったけどさ」


 周りのハエを手で払いながら、私は後ろを向いたままゆっくりと立ち上がって乱れた制服を整える。

 我ながら弱いなと思う。

 もし私がどうしても「そういうこと」したいんだってお願いしたら虎太郎は最後までしてくれたかもしれないのに。


「私、虎太郎のことちゃんと好きだよ」


 私はこれしか言えないんだ。

 きっと私も虎太郎に対する覚悟が足りてないから。


「な、なんだよ急に」


「虎太郎は私のこと好き?」


「……好きだよ。あやかのことが一番好きだ」


 後ろからそっと抱きしめられる。

 肌が触れた部分がじんわりと蒸れていくのを感じる。


「あついんだけど」


「俺もあついよ」


 だけどお互いに離れようとしなかった。


「私の身体、抱き心地いいかな?」


「……ああ」


 虎太郎は私のことを大切にしたいと言ってくれたけれど、手を出さないことは必ずしも優しさではないと思う。

 遠い未来の覚悟なんていらないから、最後まで求めてほしかった。

 心のつながりは目に見えないから。

 身体のつながりで、この不安な気持ちをどこかへ吹き飛ばしたかったのに。

 だって――。

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