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虎太郎Side⑥ 悪魔

★★★虎太郎Side★★★


「……っ、ぁ」


 凛も俺と同じ気持ちになっているようで、声にならないまま喘いだ。抑えようと思ったのに抑えきれなかったようなかすれた吐息混じりの声だ。

 先ほどよりもさらに至近距離で見つめあう。


 もう少し。


 もう少し。


 もう少し近づくと、ぷっくりと柔らかそうな唇がある。

 凛の目線もきっと俺の口元に注がれているだろう。それからなにか期待するような、受け入れるような表情で目をつむった。


「っ……」


 息を止めても緊張で震えて漏れ出る吐息が生暖かい風になって自分の顔にかかる。

 それがくすぐったくて一層興奮する。


「り、凛っ!」


 いよいよ理性の限界に達した俺は、凛を勢いよくベッドに押し倒し。


「っ――――?」


 右足に鈍い痛みを感じた。

 振り返ってみると、押し倒した拍子に机の角に足がぶつかったようで、床に飲み物がこぼれていた。

 からんからんと円を描くように転がるマグカップ。

 あやかが俺にくれた、マグカップ。

 それがゆっくりと静止していく様子になぜか目が釘付けになって――それから、俺はようやく冷静になった。


「あの……虎太郎、くん?」


 目をぎゅっと瞑っていた凛が、おそるおそるといった様子で薄目をあけてこちらを確認する。


「ご、ごめんっ!」


 俺は土下座する勢いで謝った。


「ごめん! 俺、今とんでもないことを……! 本当にごめん!!」


「あっ……う、ううううん! わたしのほうこそ突然変なことお願いしてごめん! 虎太郎くんはなにも悪くないから!」


 凛もようやく少し冷静さを取り戻したのか、目をあちこちにぐるぐる回して羞恥で耳まで真っ赤になっている。

 いつもの凛だった。


「いや、俺が悪いよ。空気に流されたというか、その、」


「そんなことないよ! わたしが変なお願いしちゃったのが悪いんだから!」


 お互い自分が悪いと譲り合いをする。


「いやいや俺が……」


「いいの。わたしはいいって言ったんだから……だって、虎太郎くんは付き合ってる人いないんでしょ? だから謝ることなんて一つもないよ」


「あっ……」


 今度は別の意味で謝りたくなってきた。


「その、うれし、かったし……ああもうなに言ってるんだろうわたし」


「ぐふ」


 今の凛とこれ以上二人きりでいるのは危険かもしれない。

 二人とも普通ではないその場の雰囲気に当てられて、また脳が言うことを聞かなくなる危険性がある。


「きょ、今日はここまでにしようぜ」


「……そ、そだね」


 ということで、早めに解散することにした。

 既に友達同士では絶対やらないようなことをやったわけで、手遅れ感は否めないが。


「あの、今日、久しぶりに虎太郎くんの部屋でお話しできてすごく嬉しかった。……無理させちゃってごめん」


「む、むりなんてしてないぞ? ……俺も、その、俺のほうこそごめん」


「ううん」


 もじもじと恥じらいながら上目遣いでこちらを見てくる凛は。


「それより……これでお互い気まずくなりたくない……かな」


「あっ」


 こんなことがあってもまだ、俺のことを好きでいてくれて。


「だからっ……、図々しいお願いだと思うんだけど……今度の週末、また、どうかな……? よかったら、その……今度は駅前のショッピングモールに行ったりとか……」


「それって」


 所在なさげに自分の髪を手で梳かしながら、永遠にも感じられる時間でも返事を待ち続ける。そのことが痛いほど伝わってきて……。


「ほ、ほら! 当日の買い出しも必要になるし! そのあとピアノの練習したりとか……いろいろやることあるし……」


「あ、ああ。わかった。一日空けとくから」


 流されちゃいけないと決意したはずの俺は、また「お願い」されるがままに頷くしかなかった。

 それを見た凛は、ほっとしたように息を吐いて、「やった、デートだ」と小さく呟く。そして深い笑みとともに内緒話とばかりに顔を近づけて、


「すごく嬉しい。ふふ。また週末、ね」


「……っ、ああ、また週末に」


 ドキッと心臓が跳ねたことを見透かすように目を細めたあと、小さく手を振って今度こそ出ていった。

 彼女の後姿を目で追いながら、改めて思う。

 俺が止まらなかったらどうなっていただろうか。

 あやかのことを思い出さなかったら、あのまま――。


 俺はかぶりを振って頭に浮かんだ妄想を否定した。

 そんなことはない。

 今日だって結局踏みとどまったのだ。偶然ではあったが、あの落ちたマグカップからは「虎太郎、ちゃんと監視してるからね」とあやかから忠告されたように感じた。

 また二人きりになったとき、今日の失敗が戒めになるはずだ。


 ……本当にそうなのか、と俺の中の悪魔が囁く。

 ――子供の頃、俺は凛のことが好きだったのを忘れたのか、と。


 確かにそうだった。好きになったきっかけはよく覚えていないが、気づけばいつも凛のことを意識するようになっていた。

 初恋というやつだろう。

 しかし、あやかに告白されて付き合いだしてからの俺は、あやか一筋だ。付き合いはじめこそ凛への淡い恋心は残っていたが……あやかとの時間が長くなるにつれて次第に忘れていった。


 そうだ。

 俺は、あやかが好きなんだ。


 だったらなんでまた今度の週末に凛とデートすることになったんだ?

 すっかり暗くなった夜道で、俺をあざ笑うかのようにカラスの群れが鳴いていた。

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