7.満月の夜、貴方は誰ですか
その夜は満月だった。
明かりの無い伯爵の書斎に、二人の男の声がする。
「どういうつもりだ!!」
アンダロスが、弟を責めた。
弟は、ひたすら平身低頭する。
「申し訳ありません。自分でも己がこれ程、意志薄弱だったとは、と、驚いています」
「馬鹿なことを」
「申し訳ありません」
「兄上、そろそろ、義姉上に本当の事を仰った方が」
「お前が言うか。お前の言い出した事だろう」
「……はい。ですがこれ以上は」
「まだ駄目だ。まだ、……まだ早い」
「……はい」
エレイナの寝室。
初夜以来、――というか、実は初夜においても――エレイナは、一人で寝ていた。
月の明かりの入らない夜の闇の中。ベッドに横になったエレイナは、思う。
旦那様とキス出来そうだったのに……。やっぱり旦那様は来て下さらないのね。私は不要な人間だから、仕方ないか……。
エレイナは、今までは、どうせ私は不要、と最初から望みを持たない様にする事で、辛さに気付かない様にしていた。
けれど、今は、自分で不要と思っただけで、心が苦しかった。
体を左から右に向ける。寝室の壁際の深い闇が目に入る。
昼間の事が頭から離れない。なかなか、眠れない。
旦那様と、キスしそうになって。
犬耳の男の子と、キスして。
エレイナは、ん? と、眉間に皺を寄せる。
――ちょっと待って、どうしたの急に!?――
心の中で、叫ぶ。
エレイナは、怖くなって、毛布の中で体を縮めた。
どういう事?!
男の人と付き合うなんて今まで一度も無かったのに。キスも一度も無かったのに。
それが、急に!!
キスされそうになったり、キスされたり!!
不幸の前兆じゃないの、これ?!
怖い!!怖すぎる!! これから何が起きるの?!
いやああ~!!
ぎしっと、窓の軋む音がした。
びくうっ!
と、エレイナが、体を震わせ、固まる。
なな、な、な、な、何いぃ~?!
怖くてぎゅっと目を瞑る。
神様~!!
雲に隠れていた月が、出て来た。
月明りが、窓から差し込み、その中に、人影が浮かび上がる。
「エレイナ」
その声に、エレイナは、息を呑み瞼を開く。
聞き覚えの無い声だった。
低い、落ち着いた、穏やかな男性の声。
不思議と、他人と思えない。
誰……?
胸が、どきどきしている。
エレイナは、体をよじりながら上半身を起こした。そして、見た。
癖のある鈍色の髪。薄い青の混じる灰色の瞳。
伯爵より、一回り年上に見える、拳一つ背の高い男が、窓際に立っていた。
エレイナは、目を見開く。
私は、この方を知っている――……
エレイナは、何故か、そう思った。