52.待っていて下さい、旦那様
「カルヴァリオン家は、王家にお仕えしている立場ですので、当主になる為には、誰が次の当主になるのかを予め国王に届け出て、認証を受けなければいけません」
と、ハルダロスが言った。
「分かりました。どうしたら良いですか」
エレイナが訊いた。
ハルダロスは、答える。
「書類は私が書きます。明日にでも、王都に届けに行きましょう」
「あの、アンダロス様に、この事をお伝えしても良いですか?」
エレイナが、訊いた。
ハルダロスは、微笑む。
「勿論です。兄もきっと喜びます。宜しくお願いします」
エレイナは、城の別棟に来た。
侍従長と出くわし、事の顛末を話した。
侍従長は、前の当主で義母のリーシアの時も侍従長を務めていた。エレイナが当主になる事で現当主アンダロスが呪いから解放されることを知った侍従長は、言葉もなく、噛み締める様に項垂れた。
「侍従長さん?」
エレイナが、不安に思って侍従長に声を掛ける。
侍従長は、一拍、呼吸を整えるような間を置いて、顔を上げた。目が赤くなっていた。
「ありがとうございます。エレイナ様、本当に、ありがとうございます」
エレイナも涙目になる。
「侍従長さん、今まで、カルヴァリオン家に尽くして下さり、ありがとうございます」
「エレイナ様、どうか、旦那様をよろしくお願い致します」
エレイナは、夫の部屋の前まで来た。
扉は、以前は、獣化が進んだ夫が暴れた為に板が打ち付けてあったが、今は外されていた。
エレイナは、扉の取っ手を握った。
――”旦那様は今は落ち着いていらっしゃいます。ですが、獣化は進んでいるので、お会いにならなお方が良いかも知れません”――
侍従長の言葉が、エレイナの頭をよぎった。
「エレイナ?」
中から夫の声がした。
「旦那様!?」
エレイナは、思わず扉を開けようとする。だが、
「開けるな!」
それよりも早く、ぴしゃりとした夫の声がして、エレイナは、動きを止めた。
――私、馬鹿だ。一瞬でも躊躇ってしまった。旦那様がどんな姿になっているか、想像すると怖かった。どんな姿でも、旦那様なのに!――
「旦那様……」
エレイナは、涙声になった。
「すまない」
夫の労る声が聞こえた。
エレイナは、扉に縋り寄り、額を付けた。
「旦那様、お元気ですか」
「元気だよ」
夫が答えた。落ち着いた声だった。
「すまない。今の姿を見られたくないんだ」
エレイナは、泣きそうになるのを必死に堪えた。
「エレイナ」
まるでこちらの様子が見えているかのように、慰めるような夫の優しい声がした。
「エレイナ」
また呼ばれた。
エレイナは、勇気づけられて、微笑む。
「旦那様」
「愛してるよ」
「私もです」
エレイナは、当主の件を切り出す。
「旦那様、私、カルヴァリオン家の当主になります」
「え?」
アンダロスは、突然の話に不思議そうな声を出した。
エレイナは、呪術神ハーディオニアに封印を解かれた事や、自分の呪力があらゆる呪いを無効にすること等を夫に伝えた。
「儀式を受けて正式に当主になれば、アンダロス様をお救いすることが出来ます」
扉の向こうが、静かになった。
「旦那様?」
エレイナは、呼びかけるが、返事が無かった。
エレイナが、もう一度呼び掛けようとした時、
「エレイナ」
と、夫の声がした。
エレイナは、ほっとする。
「旦那様」
「エレイナ」
中の気配が、扉に近づいたのが分かった。声を殺して、泣いている気配がした。
――旦那様!――
「エレイナ」
夫の声が、震えていた。
エレイナは、泣くのを堪え、努めて笑顔になる。
「旦那様」
「うん」
「明日、国王の認証を受ける為に王都へ行ってきます」
「うん。分かった。エレイナ……」
とん、と、夫の頭が、扉に当たる音がした。
「ありがとう。気をつけて、行くんだよ」
「はい!」
エレイナは、元気よく答えた。
もう少しの辛抱です。待っていて下さい。旦那様!
エレイナは、心の中でそう叫んだ。




