5.白き狼と、届かない想い
伯爵隠し子疑惑が発覚して数日。
エレイナは、ようやく正気を取り戻した。
私ったら。旦那様に既に子供がいたとしても、それを私がどうこう言う権利無いじゃない。なんたって私は誰にも必要とされていない、天下無敵の不要人なんだからっ。気にしなきゃいいのよっ。気にしなきゃっ。
エレイナは、持ち前の自己概念の低さで、もやもやを押し流した。
昼下がり。
エレイナは、広い、石畳と芝生、低木などを組み合わせ作られた中庭に出て来た。一見、自然の様子に見えて、良く手入れされている、立派な庭だ。
崖の上の孤島の様な城だが、庭の石造りのアーチを潜ると、眼下には町の赤茶色の屋根が見えた。その周りには一面の麦畑の緑、更にその周囲の山には同じ色が一つとしてない木々の艶やかな美しい緑が広がっていた。
春。いよいよ風が暖かくなってきた。
「本当にいい所」
呟いた、その時だった。
白い狼が、何処からともなく庭に現れた。
エレイナの目には、狼は空から降りて来たように見えた。
白い毛並みと青い目の美しい狼に、エレイナは、目を見張った。
「まあ、何て美しいの……」
エレイナは、思わず、狼に歩み寄る。
「貴方は、どこから来たの?」
と、狼は、急に踵を返し、走り去っていった。
「あっ」
エレイナは、声を上げるが、狼の姿は本当にあっと言う間に消えた。
「どうした」
伯爵の声がした。
エレイナは、振り返る。
「旦那様。先程、白い綺麗な狼が庭に」
「えっ?!」
伯爵は、慌てて周りを見回す。
「何処だ? 何処に行った?!」
「え、あの、あっという間にいなくなって……」
伯爵は、エレイナの前である事も忘れて、悲しみに顔を歪めた。
エレイナは、胸がずきりとした。
「旦那様……」
伯爵は、はっとしてエレイナを睨みつける。
「うるさい!!」
怒鳴り付け、さっさと中へ入って行った。
その日の夕食前。
食堂に、エレイナの姿が無い。
伯爵は、溜息をつく。
「またあの女がいないな。何をやっている」
侍従たちが顔を見合わす。
給仕長が、責任を感じ、
「探して参ります」
と言った。
伯爵は、顔を顰める。
「いや、いい。私が行くよ」
「いえいえ私も」
他の侍従も食堂を出て、エレイナを探しに行った。
皆で手分けして探している内に、伯爵は、ふと、思い立ち、中庭に出た。
息を呑んだ。
エレイナが、すっかり日の落ちた中庭に佇んでいた。暖かくなってきたとはいえ、朝夕はまだ涼しい。身を竦め、震えていた。
「何、やってる」
伯爵が、声を掛けた。
エレイナが、振り返る。
「旦那様。どうしてここに」
伯爵は、呆れてエレイナに歩み寄る。
「それはこちらの台詞だ。もう夜だぞ」
エレイナは、薄闇の中で苦笑を浮かべた。
「すみません。ここにいたら、またあの狼と会えるかと思って」
「え?」
伯爵が、目を見開いた。
エレイナは、申し訳なさそうに微笑む。
「旦那様に、あの綺麗な狼を会わせたくて。でも駄目ですね。こんな分かりやすい待ち伏せじゃ」
伯爵は、悲しみに打ちひしがれた様な、傷ついた顔をした。
それを見たエレイナの顔から、さっと笑みが消える。
旦那様……どうして、何故、そんなに悲しんでるの?
伯爵は、耐えきれなくなった様に、エレイナに近寄り、彼女を抱き締めた。
エレイナは、目を見開く。
訳が分からず、夫の胸に埋もれながら呟く。
「旦那様……?」
伯爵は、何も答えなかった。ひたすらエレイナを抱き締め続けた。
エレイナは、夫が、声を殺して泣いているのが分かった。
夫の背中に腕を回し、労る様に背中をさすった。
温かい背中だった。
そんな二人の姿を廊下の窓から、犬耳の男の子が潤んだ目で見つめていた。