49.修行ヲワリ
エレイナは、呪術神ハーディオニアこと、ハーディに連れて来られた屋敷で、呪力を目覚めさせる修行の真っ最中だった。……その筈だった。
「私の主人は、貴女を引き留めているのです」
侍女のレディが、はっきりと言った。
「貴女とずっと一緒に居たくて、貴女に施した封印を解除することを怠っているのです」
「レディ! ひどいよ! ひどいっ」
義弟ハルダロスの姿のハーディは、叫んで居間を出て行き、
「私が連れ戻してきます」
侍従のミニは、冷静にそう言うと、主の後を追った。
「エレイナ様」
レディが、言った。
「はい」
エレイナは、ハーディに騙されていた事の衝撃を引きずりながらも、応えた。
「この度は、主が、大変失礼な事を致しました。代わってお詫び申し上げます」
レディは、そう言って頭を下げた。隣にいた侍従のワイルドも、習って頭を下げた。
「あ、いえ、そんな、頭を上げて下さい」
レディとワイルドは頭を上げた。
エレイナは、思う。
確かに、騙されていた事は悲しいし、悔しい。気持ちが、もやもやする。
でも……
と、エレイナは、これまでハーディと過ごして来た時を思い出す。
いつも笑顔で、優しくて。そして、寂しそうだった。
ハーディ様は、ここに一人で、寂しかったのではないか。
侍従たちもいるけれど、それでもやっぱり寂しいのだ。
「私は、封印を解いて頂けたら、それでいいんです」
エレイナは、そう言って、自分の言った事が残酷だと思った。
どんなにハーディ様が寂しい思いをするとしても、私は、ここを出て行く。
旦那様の所に帰るのだ。
エレイナは、切実に、そう思った。
色とりどりの枯れ葉が舞い落ちる木の下に、主は膝を抱えて座っていた。
「ご主人様」
ミニは、主を見つけて歩み寄る。
主は、泣き疲れた様な感情の無い顔をして身じろぎ一つせず、座っている。
ミニは、傍に跪いた。
「戻りましょう」
ハーディは、目が覚めた様に一度瞬きをすると、目だけを動かしてミニを見た。
「呆れたかい? 愚かな主だろう、私は」
ハーディは、静かにそう言った。
ミニは、小さく微笑む。
「本当の愚か者は、自分が愚かであることも気付かない、と言いますよ」
「レディは、言い過ぎだよ。あんな風に作った覚えないのに」
「さあ、それはどういうことか判り兼ねますが……」
ハーディは、しっかりとミニを見た。
「君って、そんな風にしゃべる人だったの?」
「そのようですね」
ミニは、そう言って、肩を竦めた。
ハーディと、ミニが居間に戻ると、
「ハイ! あと十回! がんばれ! 負けるな! 自分に負けるな!」
「はいぃぃっ」
ワイルドの励ましを受けながら、エレイナが筋トレをしていた。エレイナは、きちんと身動きしやすい股の割れたワンピースを着ている。
ミニは、予想外の状況にきょとんとなった。
レディは、冷静にエレイナを見守っていたが、ハーディが戻って来た事に気付くと、小さく頭を下げた。
エレイナとワイルドは、トレーニングに必死で全然ハーディに気づいていない。
「あと三回! いけるいける!」
「ひいぃぃっ」
「ぷっ。何やってるんだよ」
ハーディは、目に涙を浮かべて笑った。
夕刻。
屋敷の周りの木々は、いつの間にか紅葉した木々に変わっていた。
神の空間であるここは、ハーディの意思によって風景が変わる。
夕日が木々を茜色に染め、見事な紅葉となっていた。
エレイナが、居間の窓から、外の景色を眺めていると、
「エレイナ」
エレイナの夫アンダロスの姿で現れたハーディは、若草色のドレスを抱えていた。光沢がありながら品の良いドレスだった。
「これを着て、私と踊ってくれないか」
エレイナは、目を見開いた。
「私、その、踊れないんです」
ハーディは、微笑む。
「大丈夫。私が教えるよ」
「エレイナ様」
レディが、現れ微笑んだ。
「お着替えをお手伝いします」
エレイナは、戸惑いながらも、
「はい」
と、応えた。
暫くして、エレイナが小広間に現れた。
中には、既にハーディが待っていた。ハーディは、アンダロスの姿で、正装をしている。
ハーディは、微笑む。
「似合ってるよ。エレイナ」
エレイナは、頬を赤らめた。まるで本物の夫に言われている様だった。
エレイナが、小広間の中央にいるハーディの元まで歩み寄ると、ハーディは、そっと右掌をエレイナに差し出した。
エレイナは、緊張しながらも、微笑んで、ハーディの右掌に自分の左手をそっと重ねた。
どこからか、美しい弦楽器の音色が聞こえてくる。
二人は呼吸する様に手を組み身体を寄せる。
旋律に合わせ、ハーディが、エレイナを導き、踊り出す。
最初はゆっくりと。
二人は見つめ合う様に、ステップを踏む。優雅に身体を右に揺らし、左に揺らす。
ハーディが、急にエレイナを回転させる。
くるっと回って、エレイナは、ハーディの腕の中に戻る。ハーディの顔が目の前だ。
「ハーディ様……」
「アンダロスでいいよ」
「ぁ……」
エレイナは、顔を真っ赤にした。胸がドキドキして苦しい。
旋律に合わせ、二人は踊り続ける。
ハーディがエレイナに顔を近付け、そっと囁く。
「エレイナ。封印を解除するのは、一瞬で出来る」
「え?」
エレイナは、驚いてハーディを見た。
「キスで解けるんだよ」
「ええ?!」
ゴホンッ! と、咳払いの声が響いた。
見ると、レディが、怖い顔をしてハーディを見ていた。
「ありゃ」
「レディさん?」
エレイナは、助けを得た様な気持ちで、レディを振り返った。
「エレイナを揶揄えなくなっちゃったね」
ハーディが、残念そうに苦笑を浮かべた。
「えっ?」
エレイナは、ハーディに向き直る。
二人は片手はつないだまま、両腕を伸ばす。身体が一度離れるも、エレイナの身体をハーディが迎えに行く。二人は顔を見合わせた。
ハーディは、微笑んで。
エレイナの額を軽く人差し指の先で、とん、と叩いた。
「思い出をありがとう、エレイナ」
ハーディは、そう言って、そっとエレイナから離れた。
そして、騎士が姫にやるように、右足を引き、左腕を背中に回し、右腕を胸の前で折り畳んで、軽く頭を下げた。
エレイナは、この時になって初めて、ハーディの気持ちを知った様な気がした。
もう、お別れなんですね。
エレイナは、そう思い、切なく微笑んだ。




