4.親戚の子って、本当ですか
結婚初夜の翌日。
「ふあ」
エレイナは、鳥のさえずりと共に目を覚ました。
ゆったりと上半身を起こし、窓から入る日の光を浴びる。
ほうっと溜息が漏れた。
なんて、安らかな朝だろう。
実家にいる時は、起きていても寝ていても、生きた心地がしなかった。悪夢ばかり見ていた。
侍女たちの話では、妹のヘレナが悪夢ばかり見るよう呪術を掛けていたらしいが。
「家を出たことで、呪いが届かなくなったのかしら。ああ、やっぱり結婚して良かった」
エレイナは、心底そう思った。
例え、伯爵に必要とされていなくとも。例え、愛されることは無いとしても。
否、旦那様の愛まで求めるのはおこがましい事よ。ここに引き取ってくれただけでも幸せなのだから。
エレイナは、つくづくそう思った。
ふと、隣を見ると、その旦那様の姿は、既にない。
アンダロスの寝ていた筈の場所は、冷たかった。
そんな。もう起きられたの?!
エレイナは、慌ててベッドを下りた。
身支度を整え、部屋に迎えに来てくれた侍従に教えられ食堂へ行く。
食堂の大きなテーブルには、夫が座っている。壁際には、侍従たちが立って、それぞれ神への祈りを捧げていた。
夫の座る右手側に、食事が置かれていた。エレイナの席である。エレイナは、顔を真っ赤にしながら、静かに座った。
間も無く、祈りが終り、顔を上げた夫がエレイナを見た。
「申し訳ありません」
エレイナは、謝った。
夫は、
「よく寝ていたようだ」
呆れた様子でぼそりと言った。
エレイナは、嬉しそうに微笑む。
「はい!それはもう、大変良い寝心地でした!」
夫が、目を丸くした。
ぷふっと侍女たちが噴き出して笑う。
夫が、侍女たちを睨み、侍女たちは、必死に笑いを堪えた。
「お前、笑われているぞ。みっともない」
夫が、言った。
「申し訳ありません」
エレイナが、眉尻を下げて言った。
夫は、もういい、とばかりに、パンに手を伸ばした。
エレイナは、目頭が熱くなった。
自分の前にも置かれた、パンの乗った皿と深皿に入った野菜のスープ。見ているだけで胸がいっぱいになる。
いつまでも食べようとしない妻を見て、夫が訝しむ。
「どうした、食べないのか?実家ではもっと豪勢だったか」
エレイナは、慌てて夫を見た。
「いえ。ただ……」
声が詰まる。
――ただ、食事の時、家族の輪に入れてもらえなかったから……――
エレイナは、家族とは別の場所で食事をする様に強要されていた。逆らっても無駄と、エレイナは受け入れ一人で食事をした。孤独だったが、その内、食事を与えられるだけましと思えてきた。とは言え、やはり誰かと共にできるのは、嬉しいのだ。
「なんでもありません」
エレイナは、潤んだ目で微笑んで祈りを捧げ、食事を始めた。
城の中は、使用人や侍従たちが仕事をするので、エレイナは、やることが無かった。
まだ、城の中、全てを見ていない。
そう思って、あちこち見て回っていた。
ふと、角を曲がった廊下の先に子供の姿を見つける。
鈍色の髪の六歳くらいの男の子だった。向こうも気が付いて、エレイナを見た。驚いた顔をしている。
誰の子かしら。
エレイナは、思いながら、子供の方に歩みを進める。と、子供の頭に、白い三角に尖ったモノが二つ見えた。
「ん? あれって」
エレイナは、目を凝らす。
その、頭に生えている様に見えるものは、どうも、間違いなく、
「い、犬耳……?」
エレイナは、足を止め、目を見開いた。
男の子も固まった様に動かず、目を見開いて、犬耳を立てている。
――い、犬耳……。どうして、人間の子供の頭に犬耳が……――
エレイナは、混乱しながらも、男の子を見つめる。
くりっとした薄い青を混ぜた灰色の瞳、ぽちゃっとした頬の可愛らしい男の子の顔と、癖のある鈍色の髪の中に極めて自然に溶け込み存在する、大き過ぎず、小さ過ぎもしない、白い毛に覆われた、もふもふとした犬耳が、一対。
「かわいい」
思わず、涙目でエレイナが呟いた。
足が動き出す。
男の子は、エレイナの興奮した様子に怯えて目を見開くが、身体が固まって動けない。
エレイナが、ずんずん男の子に迫る。つい、勢い余って走り出す。
「もふもふ~!!」
「やああああああ!!」
男の子は、脱兎の如く逃げ出す。
「待ってえ~!! もふもふ~!!」
「やだああああああ!!」
男の子は、逃げる。
廊下の向こうに、伯爵が現れた。一目で状況を把握する。
「何をしているのですか!!」
「あ、旦那様」
エレイナは、落ち着きを取り戻し、足を止めた。
「うええ~っ」
男の子は、伯爵に抱き着いた。
「えっえっえっ」
男の子は、伯爵の腰のあたりにしがみつき、泣きじゃくった。
伯爵が、顔を真っ赤にしてエレイナを見る。
「子供を追い回して! 何と恥知らずな!」
「え、も、申し訳ありません。私、ただ、、」
言いかけて、はっと、エレイナは息を呑んだ。男の子の臀部から生えている、更なるもふもふに目を奪われる。
へにょんと下がった、白い毛に覆われた太い尻尾!!
嘘だぁー!! こんな奇跡が、あっていいのかー!?
興奮が、エレイナを貫き、顔を朱く染めた。
危険を感じ、顔を顰める伯爵。
「お前、この子には金輪際、近づくな!指一本触れるな!」
「え!?な、なんで」
「お前の様なケダモノ、何をしでかすか分からぬ!」
「そ、そんな、私、ただ、その子が可愛くて、つい……」
「ついで済むか! すっかり怯えてるではないか!!」
「ごめんなさい。怖がらせるつもり無かったんです。本当に、ごめんなさい」
エレイナは、深々と頭を下げた。
男の子が、泣き止んで、エレイナの方を見た。
濡れた瞳が、怯えを残しながらも、はっきりとエレイナを求めていた。
エレイナは、視線を感じて、顔を上げた。
男の子と、目が合う。
エレイナは、小さく首を傾げる。
はて。この子? どこかで見た様な……?
エレイナは、伯爵を見る。
「あの、その子は、どなたのお子様なのですか」
伯爵が、顔を強張らせる。
「ああ、それは」
「それは」
「し、親戚の子供だ」
「へー」
説明がふんわりだ。
「兎に角、子供には近づくな。分かったな」
「はい。申し訳ございません」
エレイナは、もう一度、頭を下げた。
伯爵に守られるように、手を繋いで歩き去っていく男の子。
その小さな背中を見送り、エレイナは、思う。
旦那様と、顔が似ていた。あの子、まさか……!!
「だ、旦那様の、子供……」
エレイナは、自分の想像に衝撃を食らい、固まった。