35.アルの真実
エレイナは、焼き菓子の入った籠を持って、城の別棟へ向かっていた。
夫アンダロスに焼き菓子を食べてもらう為、自分で作ったものだった。
台所で働く者達の中では、エレイナの焼き菓子好きは周知の事実となっていた。
「奥様、またお作りになるのですか?」
使用人たちは、仕事場を使われるのが本当は嫌なのだが、
「ごめんなさい。すみません。でもどうしても旦那様に食べてもらいたいのです」
と、低姿勢で頼まれると何故か協力してしまう。
エレイナの人徳なのだろうか。
エレイナは、使用人たちに助言を貰いながら、うきうきと焼き菓子を作った。
それで、今、愛しい夫の元へ、持って行く所なのだ。
「旦那様」
部屋の扉をノックする。
しん。
反応が無かった。
「旦那様?」
来る時に侍従長さんにお会いして、お部屋にいらっしゃるとお伺いしたのだけれど……。
「旦那様、エレイナです。入りますよ」
扉を開けた。その瞬間、エレイナは息を呑み、焼き菓子の入った籠を落としてしまった。
「旦那様!!」
慌てて駆け寄る。
アルの姿の夫アンダロスが、苦しそうに胸を押さえてうずくまっていた。
「旦那様!! いやっ、死なないで!!」
エレイナは、苦しそうな夫の背中をさするが、自分にはこれ以上何も出来ないと気付き、立ち上がる。
部屋の外へ出て、侍従長を呼んだ。
「侍従長さん! 助けて! 助けて下さい!」
間も無く、廊下の先から侍従長と侍従長の助手が駆け付けてくる。
「エレイナ様!」
「旦那様が!」
三人が中に入ると、
「どうしたの?」
きょとんとした顔のアンダロスが立っていた。
「え?」
エレイナは、呆然とする。
「だって、さっきは凄く苦しまれてて」
「ちょっと、むせただけだよ」
「でも……」
エレイナは、納得いかなかったが、反論出来なかった。
侍従長が、困った様にエレイナを見る。足元の焼き菓子の入った籠に気が付いた。
「エレイナ様」
籠を拾って、エレイナに渡した。
「飲み物をお持ちしましょう」
「あ、はい……」
侍従長と助手は、部屋を出て行った。
「エレイナ」
アンダロスが微笑んだ。
エレイナは、目に涙を溜めて、黙り込む。
まだ、胸がドキドキしていた。
どうしたらいいか、分からない。
籠を持って、アンダロスの傍に歩み寄った。
アンダロスは、天使の様に微笑んで、ベッドに腰を下ろす。
「どうしたの」
エレイナは、笑おうとして、笑えない。
「これ……作ったんです。食べてください」
エレイナは、涙を零さない様にして、籠をアンダロスに渡した。
アンダロスは、籠を受け取った。
「焼き菓子だね。まだ僕、おねえちゃんの焼き菓子、食べたこと無かったんだ。ありがとう」
アンダロスは、子供の様に無邪気に微笑んだ。
エレイナは、違和感を覚える。
いつも、二人の時は、旦那様としてお話されるのに。まるで、本物の子供の様に話されている。
そして、やっと気が付いた。
「そんな!!」
思わず、両手で自分の口を押えた。
アンダロスの両腕が、白い毛に覆われていた。犬の様な手(いや脚か)になっている。
「に、にくきゅう……」
エレイナは、肉球があるのか確かめたく、夫の手を取り裏返した。
「ご!!」
確かに、肉球があった。
にくうう! きゅうううううん!!
「か、かわいいぃぃ」
あまりの感動に、涙が出てくる。
「どうしたの、おねえちゃん」
アルが、不思議そうに訊いて来る。
エレイナは、涙を流しながら、
「な、なんでもないんですぅぅ」
と答えた。
アルは、微笑む。
「おねえちゃんも座りなよ」
「うん」
エレイナは、アルの隣に座った。
「いただきます」
アルは、そう言って、焼き菓子を見た。
するりと、アルの顔から、感情が消えた。
「これ、どうやって食べるんだっけ……」
「え」
エレイナは、犬の手では焼き菓子を摘まめないと気が付き、自分が摘まんでアルの口まで運んだ。
「あーん」
「アーン」
アルが、小さな口を開き、焼き菓子を咥えた。
ぱきっと口の中で半分に折って、はぐはぐと食べる。
「おいし」
アルは、微笑んだ。
エレイナは、嬉しく微笑む。
「一杯ありますよ」
「失礼致します」
侍従長が、ティーセットをお盆に乗せて戻って来た。
アルの顔から、またしても感情が消える。
「だ、れ」
「え?」
「アンダロス様?」
侍従長は、顔を強張らせた。その脳裏に、先代当主の姿が蘇る。
「あアぁっ!」
アル、いや、アンダロスが、頭を押さえて苦しみだした。
「ああぁああっ!」
「旦那様?!」
アンダロスの頭の中に、エレイナの声が響いた。
だレ?
ダ、れ……
アンダロスの目が、銀色に輝く。
「エレイナ様!」
侍従長が、お盆を放り出す。
動けないでいるエレイナに、アンダロスが襲い掛かった。




