33.アンダロスの思い
月光樹の咲く山を目指して、エレイナたちは馬に乗って、町の中を歩く。
馴染みの粉屋のおばさんが声を掛けてくる。
「奥様、今日は何処へ?」
「お花見に行くんです!」
エレイナは、にこにこと答えた。
「ああ、いい頃合いだねぇ」
おばさんは、山の方を見た。
町の向こうにある山の中腹が、花の色で白く染まっているのが見えた。
「気をつけてね。楽しんでおいでよ」
「はい!」
家族とお花見なんて、私、初めて!
「アル、楽しみだね」
エレイナが、自分の前に座っている犬耳をフードで隠したアルをのぞき込んで言った。
「うん」
アルが、何処か寂しそうに答えた。
「伯爵様! お花見ですかい」
食堂の店主が、伯爵の振りをしているハルダロスに声を掛けた。おかみさんが、パンとチーズの入った籠を差し入れてくれた。
「ありがとう。大事に頂くよ」
「お気をつけて!」
先に城を出たヴァルダロスは、エレイナの前を悠然と一人で歩いている。町の人は、ヴァルダロスを知らないのか、誰も声を掛けない。アルの姿をした本物の伯爵アンダロスの目には、父の大きな背中が、寂しそうに見えた。
アンダロス自身、大手を振って町を歩けない。フードを被って、犬耳を隠し、上着の裾で尻尾を隠さなければいけない。呪いで、こんな姿になった自分が真の伯爵と知られてはいけない。
誰にも自分だと言えない、気付かれない寂しさ。
ヴァルダロスの背中は、自分の背中だとアンダロスは思った。
山道に入ると、そこかしこに月光樹の樹があり、小さな雪の様な花が枝にまとわりつく様に無数に咲き誇っていた。陽の下で見る月光樹の花は、名前の印象を裏切る様に、日の光を白く透かしていて美しかった。
「きれい……」
「な、来てよかったろ」
ヴァルダロスが後ろを振り返って言った。
「はい」
エレイナは、微笑んで答えた。
ここまでくれば、大丈夫と判断し、アンダロスは、フードを取った。
白い月光樹の花が、母の姿を蘇らせる。
潤んだ目で花を見つめるアンダロスをエレイナは、見つめた。
山の中腹にある開けた場所で、馬を止めた。
「ここでゆっくり花を見よう」
ヴァルダロスが、言った。
「食事にしましょう」
ハルダロスが、差し入れの籠を小さな岩の上に置いた。皆、その周りの小さな岩や草の上に座った。
「エレイナ」
アルの姿の夫アンダロスが、籠からチーズを取ってエレイナに差し出した。
エレイナは、嬉しい。
「ありがとう……ございます」
エレイナは、受け取ろうとしたが、アンダロスは、すっとチーズを上に上げてかわす。
「口開けて」
「え、え」
エレイナは、顔を真っ赤にして口を開ける。
アンダロスが、エレイナの口にチーズをそっと入れた。
「はぐ……おいひいれす」
はぐはぐとエレイナはチーズを食べた。
アンダロスは、他愛も無いこの一時が幸せで、失いたくなくて、エレイナに抱き着いた。
「エレイナ。ずっと一緒にいたいよ」
「旦那様……」
エレイナは、小さな背中をそっと抱く。
ヴァルダロスは、少し寂しそうに微笑んで、月光樹の花を見上げる。
「綺麗だなあ」
ハルダロスは、父を見つめる。
「貴方は、どうして、逃げ出したんですか」
ヴァルダロスは、花を見つめたまま、答えない。
「そのくせ、どうして戻って来たんです」
ハルダロスは、冷たく言った。追及を止められなくなった。
「貴方が逃げたせいで、母さんは当主にならざるを得なくなった。私たちは、まだ子供だったから」
背中でハルダロスの言葉を聞いていたアンダロスの身体が、びくりと堅くなった。
エレイナの耳にも、ハルダロスの言葉が入って来る。
「どういう事ですか……」
アンダロスを抱き締めたまま、エレイナが訊いた。
ハルダロスは、感情の凍った顔で、エレイナを見る。
「この男は、当主になるのが嫌で、逃げたんだよ。当主になる為の儀式を受ける直前にね」
「えっ」
エレイナは、想像していなかった事実に、顔を強張らせる。
ぎゅっと、アンダロスがエレイナを抱き締めた。
ハルダロスは、力無くエレイナを見る。
「母は、表向き、当主の代わりを務める振りをして、実際には自分が当主になる儀式を受けて当主になったんだ。代理だからと言う建前で、自分は表に出ない様にして、人と会わなければいけない時は代わりの者を立てた」
呪いを受け続け、獣化が始まると、別棟の今はアンダロスが使っているあの小さな部屋にこもった。
アンダロスは、母の最期の姿を見た。
まともな死に方は許されない。だが、逃げることは出来ない。母は、子供だった自分を守る為に当主になったのだから。
アンダロスは、そう思っている。
アンダロスは、ゆっくりとエレイナから離れると、父を振り返った。
「逃げたのは、当然と思う」
「兄上」
ハルダロスが、驚いて声を上げる。
「許すんですか」
「俺だって、逃げていたかもしれない」
「兄上……」
ハルダロスは、それきり黙り込んだ。
「何処でどうしてたの」
アンダロスが、父に訊いた。
ヴァルダロスは、傾いて来た日の光を浴びて、灰色の瞳を潤ませる。
「そう、俺は逃げ出した。ご先祖様みたいに、あちこち放浪したよ。それである時ふと思った。今更、俺は家には帰れない。家族の為に何もしてやれない。でも、もし呪いを掛けている奴が分かれば、家族を助けられるんじゃないか」
エレイナと、ハルダロスは、驚いて目を見開いた。
ハルダロスが訊く。
「それで、どうしたんです?!」
「ははは! もう全然分からなかったよ!」
ヴァルダロスは、あっけらかんと笑って言った。
ハルダロスは、目に見えて、肩を落とした。
「分からなくて、当たり前だよ」
アンダロスが、当然の様に言った。
エレイナも、正直そう思った。呪術家の娘であるエレイナは、その掟を嫌と言うほど父に聞かされた。
「王家を呪う様な裏の呪術師は、何処で誰に呪いを掛けているか、絶対に明かすことはありません。自分と、依頼主の命を守る為に、絶対分からないようにします」
アンダロスは、エレイナの言葉に小さく頷いた。
「そうだよ。少なくとも、普通の人には探せないよ」
呪いで王家を攻撃すると言うのは、行ってみれば、これは戦争である。
武器や兵士を用いない、呪術による、戦争。
である以上、反撃に遭わない様に自分の正体を隠すのは必然だ。
攻撃を受ける側は、相手が誰かを知らないので、反撃出来ず、受け続けるしかない。
「すまない」
ヴァルダロスが、兄弟に頭を下げた。
「役立たずな父親で、すまねえ」
アンダロスは、ヴァルダロスに歩み寄ると、父の膝に自分の小さな手を置いた。
ヴァルダロスは、アンダロスを見た。
「アンダロス……」
「もう、いいんだよ、父さん」
ヴァルダロスは、瞳を潤ませる。
「お前……むちゃ可愛いな!」
「へ?」
目が点になるアンダロスに、父ヴァルダロスは、勢い良く抱き着いた。
「ぐほおっ!」
あまりの勢いにアンダロスが呻き声を上げた。
唖然となる、エレイナとハルダロス。
「可愛いぞ! 愛してるぞ! 息子よぉ!!」
「ぐ、ぐるじ……」
エレイナは、思った。
同感です。
と。




