31.嫌われ父のヴァイオリン
エレイナの前に、突然現れた銀髪の男。
男は、エレイナに抱き着いたかと思えば、駆け付けた犬耳の男の子アルの姿の夫アンダロスと、夫の振りをしている義弟ハルダロスに向かって、
「元気だったか、息子よ」
そう、言い放った。
エレイナは、目を見開く。
「お義父様?」
男は、微笑んでエレイナを見た。皺の多い、笑った顔が、兄弟にそっくりだった。
「エレイナ。そうだ、お義父さんだよ」
「お義父様……」
エレイナは、涙目になる。兄弟から父親の事をあまり聞いていなかったので、てっきり両親とも亡くなっていると思い込んでいた。
「何の用だ」
伯爵の振りをしているハルダロスが、低く冷たい声で訊いた。
男は、息子を見る。
「ここは俺の家だ」
「ふざけるな。ここにお前の居場所はない。出て行け」
「そんな、旦那様」
エレイナは、悲しくなって口を挟んだ。
だがハルダロスは、つい感情的になってエレイナを睨む。
「エレイナ。お前には関係ない」
エレイナは、愕然となって立ち尽くした。
そんな、ハルダロス様……
「お前、そんな言い方ないだろう」
男が、息子に言った。
息子は、更に苛立つ。
「お前に言われる筋合いは無い!!」
ハルダロスの激しい剣幕に、皆静まった。
アルの姿のアンダロスは、悲しくハルダロスを見上げる。
「もういいよ。行こう」
薄く青の混ざる灰色の瞳が、潤んでいた。
「アル……」
ハルダロスは、アルの姿の兄を見て、苦しそうに顔を歪めた。
二人の息子は、父に背を向ける。
男は、慌てる。
「ちょっと待て! 久しぶりに帰ったのに」
ハルダロスは、勢い良く振り返ると鋭く男を睨んだ。
男は黙り込んだ。
「言った筈だ。ここにお前の居場所は無いと。さっさと何処かに行ってくれ」
ハルダロスは、吐き捨てる様にそう言って、兄を庇う様に去って行った。
「随分嫌われたもんだ」
ぽつりと男が呟いた。
その、寂しそうな義父の横顔を見て、エレイナは、胸が痛む。
自分も、家族に不要とされ、捨てられる様に嫁に出た。
家族にのけ者にされる気持ちが、自分には分かる。こんなに悲しいことは無い。
エレイナは、そう思った。
「エレイナ様、行きましょう」
アネルスが、言った。
エレイナは、このまま義父と別れるのは嫌だと思った。
「私は、お義父様とお話がしたいです」
アネルスは、驚く。
「いや、しかし」
「私は、お義父様と初めてお会いしたのです。もっとちゃんとお話がしたいです」
アネルスは、否と言えなかった。
エレイナは、微笑んで義父を見る。
「お義父様、お名前はなんと仰るのですか?」
男は、この娘は、自分について何も息子たちから聞いていないのだな、と、改めて思い、悲しく微笑む。
「ヴァルダロスだ。俺は、息子に嫌われている」
すかさずアネルスが、私も嫌いだ、と言いかけたが、エレイナの視線に気が付いて止めた。
エレイナは、微笑む。
「お義父様。一緒に昼食をどうですか? ね、アネルス、貴方も」
呼び掛けられたアネルスは、渋々、
「はい」
と、答えた。
ヴァルダロスは、遠慮がちに苦笑を浮かべる。
「いいのか? 俺なんかと飯食って」
「良いに決まってます!」
エレイナは、元気よく答えた。
エレイナとヴァルダロスは、昼食の用意が出来るまで、応接室で話すことにした。
アネルスは、二人を応接室に送って厨房に向かっている途中、向こうから来たキリオスと合流した。
キリオスが、顔を顰めて訊く。
「あいつは?」
「応接室だ。エレイナ様が、あの男と話がしたいと」
「あぁ……」
キリオスは、仕方がないか、と言いたげな声を漏らした。
「エレイナ様は、何もご存じないから」
アネルスが、不満そうに言った。
キリオスは、苦笑する。
「それはそうだよ。あの事については、お二人はまだお話をされていないから」
「そうだが」
「16年?」
「17年だ」
「今更、何で戻って来たんだろうな」
キリオスは、不思議に思った。
ふいに、弦楽器の低い穏やかな音色が聴こえて来た。
応接室に置いてあったのを弾いているのだろう。あの男がーーアネルスと、キリオスは、そう思った。
エレイナは、応接室のソファに座り、目の前で義父が奏でる音に身体を委ねていた。
本体の端を肩に乗せ顎で挟んで固定し弦を弓で擦る。長い首に張られた弦を指で押さえ、振るわせ、弓を走らせることで多彩な音を響かせる。その繊細な音色に、エレイナの目に涙が滲む。
とても美しい。でも、とても悲しい。
エレイナは、思った。
その音色は、城の隅々まで届く。
17年ぶりに帰って来た父の奏でる旋律が、伯爵の執務室にいた兄アンダロスと弟ハルダロスの耳にも確かに届いていた。




