29.エレイナと、その夫と、偽夫と、義父
一夜明けて。
エレイナと、ハルダロス、アネルスは、昼前には城に帰って来れた。
「おねえちゃん!!」
馬小屋の前で馬を下りたエレイナの耳に、男の子の声が届いた。
「アル?!」
アル――真の夫であるアンダロスは、犬耳の男の子アルの姿で、全力で駆けて来る。
「おねえちゃん!!」
アルが、飛び付く様にエレイナに抱き着いた。
傍にいたハルダロスが、苦しそうに顔を歪める。
エレイナは、驚きつつも、跪いて夫を抱き締めた。
「帰りが遅くなって……ごめんね」
「ほんとだよ……どんだけ心配したと思ってるんだよ!」
アルは、涙声だった。
エレイナは、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「本当に、ごめんなさい」
「もういいよ……」
アルは、顔を上げた。潤んだ目でエレイナを見る。
「おかえり」
「ただいま」
エレイナは、微笑んだ。
アルは、傍らのハルダロスを見上げる。
「留守の間の事、話すよ」
「うん。聞くよ」
ハルダロスは、そう言って、兄と二人、中へ入って行った。
伯爵の執務室で、兄アンダロスと弟ハルダロスは、向き合う。
「どういうつもりだ。何故、昨日の内に帰らなかった」
アンダロスが、弟を激しく問い詰めた。
「それは、エレイナが手紙にも書いたと」
「”エレイナ”?!」
ハルダロスは、しまったと顔を歪める。
「申し訳ありません。義姉上が、手紙に」
「書いてあった。だが、信じられるか?! お前は、以前にもエレイナに手を出そうとしていたではないか!」
ハルダロスは、それについては、謝るしかない。
兄の隠された務めを助ける為、伯爵の振りをする弟ハルダロスは、いつの間にか兄の妻であるエレイナを好きになっていた。
三人でピクニックに出かけた折、ハルダロスは、いい雰囲気になったエレイナに思わずキスしようとした。この時は、アルの姿のアンダロスが邪魔をしてそれを止めた。
「あの時は、本当に、申し訳ありません。自分はどうかしてました。ですが、今回は、たまたま帰りが一緒になって……。暗い夜道を義姉上に歩かせる訳には行かないでしょう?!」
アンダロスは、黙り込んだ。こんな揚げ足取りのような事をするのは嫉妬の所為だという事は充分わかっていた。
アルの体のままでは、夫婦の営みどころか、エレイナと行動を共にする事すらままならない。
アンダロスは、夫の振りをして、いつもエレイナの傍にいられるハルダロスが羨ましかった。
「もういい」
アンダロスが、力無く言った。
「兄上……」
ハルダロスは、以前から考えていた事を口に出す。
「兄上、思い切って国王陛下にご相談申し上げてはいかがでしょう」
アンダロスは、眉を吊り上げる。
「何言ってる?! そんな事言える訳ないだろ!」
「どうしてですか。他に方法がありますか?」
「王家に降りかかる呪いを代わりに受ける務めをもう辞めたいですなどと、言える訳ないだろ! 盾を失くした王家に何かあれば、どうするつもりだ?! ひいては国家の存亡にも関わるのだぞ!」
「それは……」
「陛下無く、民をどう守る?」
アンダロスの問いに、ハルダロスは答えられなかった。
アンダロスは、まるで自分に言い聞かせている様だ、と思った。
一瞬でも、エレイナと共に過ごす幸せを夢見た自分が愚かだった。
少なくとも、呪いを代わりに引き受ける者が居なければ、自分は今の務めを放棄する訳にはいかない。
アンダロスは、溜息をついた。弟を見た。
伯爵の振りをしている弟は、もう真の当主になる事は出来ない。
自分には子供がいないので、跡継ぎは、親戚縁者を頼るしかない。彼らの子供はまだ若い。
自分は、出来る限り、長く呪いを受けるしかない。
だが、こんな事はもう、限界なのかも知れない。
「ハルダロス……」
アンダロスは、弟を見た。
「はい……」
ハルダロスは、兄を見た。
アンダロスが、次の言葉を発しようと口を開けたその時。
「アンダロス様!」
伯爵の部下、キリオスが執務室に飛び込んできた。
「どうした?!」
アンダロスが、訊く。
キリオスは、緊迫した顔で呼吸を整えると、言った。
「お父上が、お帰りになりました」
ちょうどその時、城の玄関では。
「エレイナー!!」
銀髪長髪、黒眼鏡の男が、エレイナに抱き着いていた。
「へ?」
エレイナは、いきなり見ず知らずの男に抱き着かれ、固まっていた。




