13.約束の、満月の夜
呪術市から戻ると、伯爵は、エレイナから距離を取る様になった。
食事も別々に摂るようになった。
エレイナは、伯爵と殆ど会えなくなった。
一緒の城に住んでいるのに。
だがエレイナは、伯爵に、何も言えなかった。
夜。
ここの所、エレイナは、窓辺で、月を見る様になった。
今夜の月はもう殆ど、満ちている。
いよいよ明日は満月。
――”今度の、満月の、夜に”――
アルは、秘密を話すと言ってくれた。
――”絶対怒る”――
アルは、秘密を話すと怒られると思っている。
そんなことないよ。
エレイナは、そう心の中で呟いて、力無く微笑む。
思わず、溜息をつく。
エレイナは、伯爵と会えないのが寂しかった。
――”結婚とは、愛のないものだろう”――
「そうですね。愛のないものです……」
エレイナは、ぽつりと呟いた。
所詮、私は、要らない人間。
家族は、私を捨てる為に、アンダロス様に嫁がせた。
そんな、私の捨て場所にされた旦那様が、私を愛して下さるなんて……――
「そんなこと、ある訳無いのに」
――どうして、そんな期待、してしまったんだろう――
エレイナは、初めて、夫に抱き締められた時の事を思い出す。
夫は、声を殺して泣いていた。
どうして。何故悲しんでいるのか。分からなかった。
けれど、あの方を癒して差し上げたかった。
微笑んでいる、夫。
私に顔を近付けて、キスをしようとしていた夫。
あれは。あれは……――
「あれは、幻。きっと……」
エレイナは、力無く呟いた。
もう、忘れなきゃ。
この結婚は、愛のない結婚なのよ。
クズはクズらしく、望みなど持たずに、生きなきゃ。
そう、思おうとすればする程、涙が溢れてくる。
だって。じゃあ、あの優しい眼差しは?
あの、手の温かさは、なんだったの?
忘れよう、エレイナ。
忘れるの。お願い。
望みを持てば持つほど、辛くなる。
幻を信じては、だめよ。
「忘れるの。エレイナ……」
エレイナは、涙を流しながら、微笑んだ。
翌日。
朝食が終ってから、エレイナはふと思い立ち、台所へ向かった。
「奥様。どうされましたか」
台所で働く者達は、手を動かしつつエレイナを見た。
エレイナは、皆の迷惑になってはいけないと思いながらも、どうしてもやりたいことがあった。
「あの、少しだけ、台所を使わせてもらえないでしょうか」
使用人たちは、顔を見合わせる。
台所長が、進み出る。
「今、昼食の準備をしていますので、片付けまで終わった後であれば」
「いいですか」
「ええ。差し支えなければ、何をされるのかお聞きしても?」
エレイナは、ほっとした様に微笑んだ。
夕刻前。
エレイナは、台所で焼き菓子を作って、伯爵の部屋へと向かっていた。
窯で、一口大の四角い焼き菓子を沢山焼いた。
まだ、温かさが残っている。
エレイナは、いつかピクニックに行った時の様に、焼き菓子を籠に入れ、腕に下げて、伯爵の部屋へと廊下を歩く。
うきうきと。微笑んで。
コンコン。
エレイナは、伯爵の執務室のドアをノックした。
「どうぞ」
中から、伯爵の声が聞こえた。
「失礼します」
エレイナは、扉を開けて、入っていく。
中に入ると、伯爵の傍にアルがいた。
「アル」
エレイナが、声を掛けると、アルは小さく微笑んだ。
「後でね、エレイナ」
アルは、そう言って、部屋を出て行く。エレイナは、それを見送って、伯爵の方へ振り返った。
伯爵は、仕事で数日城を離れるという事で、既に外出用の服を着ていた。
「どうした」
心なしか、伯爵の声は沈んでいる。
「あの」
エレイナは、焼き菓子の入った籠を差し出す。
「これ、良かったら、食べて下さい。固めに焼いたので、数日もちます」
伯爵は、目を見開いて、エレイナを見、籠を受け取った。
中を見て、苦笑を浮かべる。
「沢山焼いたね」
「はい」
伯爵は、思わず目を潤ませる。
――あんな仕打ちをした僕に、まだこんなに優しくしてくれるのか……――
「大事に食べるよ」
伯爵が、言った。
エレイナは、思いがけない言葉に、目を見開く。
「は、はい」
エレイナは、微かに涙ぐんで微笑んだ。
伯爵は、部下と共に城を出て行った。
見送ったエレイナは、初めての夫の不在に、急に不安な気持ちになった。
夕食は食堂で、アルと食べた。
アルは、今まで自室で食べていたが、
「今日は一緒がいい」
と、アルの方から言って来た。
「一緒に食べると美味しいね」
アルが、満面の笑みを浮かべて言った。
エレイナは、控えめに微笑む。
約束の、満月の夜。
夫はいない。
いつもと違う、夜。
エレイナの心に、そこはかとなく、不安が渦巻く。




