ハムサンドがない
現実と空想の区別が付かない方は、この物語を読まないでください。
作者の羽波紙ごろりは幼い頃にドラムメジャーを学校で一年間経験しておりますが、この作品のようにメジャーバトンで相手を突き刺したり、アコーディオンでシールドを展開したり、リコーダーを軍刀のように振り回したり、シンバルで竜巻を起こしたり、バスドラムをトランポリンにする、相手を麺類扱いする、相手が不快に思うセクシャルハラスメント等といった行為は、現実世界では確実に禁止されていると思われるので、絶対に真似をしないでください。楽器を血で汚すことは、音楽に対する侮辱であるからです。音楽は平和の象徴であり、みんなが楽しむものです。誰かを傷つけるものではないのです。
どうせなら、音楽で誰かを救えたほうが、良いに決まっています。
この作品が伝えたいことは音楽で人を傷つけることではないです。
この物語は、遠いどこかの異世界で起きた出来事です。
我々の世界とは歴史や文化、社会性などが全く違います。
楽器による危険行為を、この作品は一切推奨しておりませんし、強制もしておりません。むしろ禁止したいです。
もし類似する事件・事故が発生しても、羽波紙ごろりは虫眼鏡の妖精紳士なので、人間のような責任を負えません。事件・事故の当事者同士で責任を負ってください。
物語は、寛容な心で楽しむものです。
悪しからず、よしなに。
2022年9月17日 羽波紙ごろり
夢の内容を自由自在に変えられるなら、僕はハッピーエンドを望みたい。
この悪夢を見るたびに、いつもそう願っている。良いじゃないか、夢だもの。その終わりくらいは、誰も苦しまないものを描いてほしい。現実とは、違うのだから。
「お父さん、お母さん。僕達はどこへ行くつもりなの」
しかし夢は寝ている間の無意識の産物だ。夢を操ることができるなら、誰も苦労はしないだろう。人間とは案外できないことを求めてしまう生き物なのかもしれない。
「ガーデルピア王国だ。もうすぐ、戦争が起こる。その前に王国へ避難するんだ」
「戦争?」
夢か、現か――これは、過去にあった現実を夢という形で巧妙に再現しているのだ。僕はこうして、頻繁にこの悪夢を見る。忘れたいのに、忘れてはいけない。忘れられない、この出来事を僕の無意識は何度でもリピートし続ける。嫌というほどに。
「チョージ、いらっしゃい。あなたの大好きなハムサンドを用意しているの。お母さんと一緒に食べましょう」
ガラリ、ガラリ。音が、聞こえる。何の音だろうか。耳を澄ませ、正体を突き止める。
これは、車輪が回る音だ。そして、馬の足音も聞こえる。
「わーい。僕、お母さんの作るハムサンド、大好き」
今見ているのに、今ではない。そんな強烈な違和感の中、僕は無意識の端に追いやられた意識をどうにかしてかき集めようとする。声を出そうとする。
父さん、母さん、そちらに行ってはいけない。ダメだ。ダメなんだ。
「どう? 美味しい?」
「うん!」
ドーン、ドーン。音が聞こえる。何の音だろうか。耳を澄ませ、正体を探る。
正体は――わからない。でも僕は、よく知っている。
「何だ? 遠くの方が騒がし――」
ああ、遅かった。無理だった。間に合わなかった。ダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ。
今回も、ダメだった。どのように足掻いても、結局はこうなってしまう。
「父さん?」
直後、視界がブレた。上下左右が反転し、見ている世界が猛烈な回転を始める。目玉の中を棒で掻き混ぜられるような感覚。一体、何が起きたのか。僕はよく知っている。
でも、わからなかった。
徐々に、徐々に、その回転が収まっていく。直後、意識を失いそうになるが、僕はゆっくりと起き上がり、状況を把握しようと幼くも懸命に、必死に視界を整える。
「あれ? ハムサンドが、ない」
周りの見渡し、持っていたハムサンドを探す。どこへ行ったのだろうか。せっかく母さんが作ってくれたのに。おかしいな、おかしいな。無我夢中でそれを探す。
「あ! あった! やっと見つけ――」
ハムサンドは、少し離れたところに落ちていた。しっかりと右手で握られている、ハムサンド。ああ、もったいない。せっかく母さんが作ってくれたのに。しっかりと右手で持っていたのに。おかしいな、おかしいな。右手で持っていたのに。
右手で、持っていたはずなのに――右、手。
「え――」
では、ハムサンドを握っていた僕の右手は、どこへ行ったと言うのだろう。
「あ、ああ……」
僕の右手はちゃんと、ハムサンドを守ってくれた。ハムサンドを、掴んで離さなかった。
でも、僕からは――離れてしまったようだ。
「ああああっ⁉ 僕の! 僕の腕が! 右手が!」
右手はもう、僕のモノではない。ハムサンドを掴んだまま、地面に落ちている。
襲い掛かる激痛。ああ、苦しい。熱い。何だ、何なのだ。
僕は、ただハムサンドを食べていただけではないか。それが、どうして――
「お父さん! お母さん! 痛いよ! 助けて! どこにいるのさ!」
父さんと母さんを探すが、いない。どこにも、いない。返事もない。できるはずがない。
だってもう、いないのだから。
「お父さ――」
あれはもう、命あるものではない。父さんと母さんとは言えない。呼べない。
もう、どちらが父さんで、どちらが母さんか――わからない。
彼らは人間としての尊厳を、奪われた。周囲に転がっている肉片を見て、僕は直観的に理解した。強制的に、理解させられた。
「う、嘘……嘘だよ! ひどい親だ! こんなことで僕を騙そうとしている! ちっとも驚かないよ! 騙されないよ! へへーん! だから、だからさ! 二人とも起きてよ!」
二人はもう、この世にはいない。死んだのだ。一瞬にして、何もかも奪われて。
「起きてよ! 起きてよ!」
僕の言葉を掻き消すように、遠くから轟音が鳴り響く。
何だ、この音は。この音は、僕にふさわしくない。必要ない。やめろ。やめてくれ。
音が、聞こえる。何の音だろうか。耳を澄ませる。正体は――演奏会。
最凶最悪の、不協和音。それは、戦争の始まりを告げる、号砲だった。