第43話 もしもきれいなネトリーだったら(IFエンド)
※IFエンドです。
第33話で語られた事件の際、もしもネトリーが踏みとどまっていたら……という場合のストーリーです。
婚約破棄すら発生しない、まるきり別の世界線としてお楽しみください。
警戒心なんて欠片もないマリアンヌの背中。
ネトリーの視界の端に、折れた木の枝が映る。
拾う。
重い。
硬い。
マリアンヌの背後に立つ。
枝が、振り上げられない。
そのまま、固まる。
背後の気配を感じたマリアンヌが振り返った。
「どうしたの、ネトリー? 水が冷たくって気持ちいいよ!」
「えっ!? あ、ええと、なんでもないよ。それより、手がかりもないところでそんな風に顔を洗ってたら落っこちちゃうよ。ほら、これを杖にして」
拾った枝をマリアンヌに差し出すと、彼女は「ありがとう! でもそれはネトリーが使って!」と断った。
ネトリーは枝を泉に突き刺し、それを掴みながら片手で顔を洗う。
本当だ、冷たくて気持ちがいい。
沸かさずに飲んだって大丈夫そうな水だ。
顔を洗うたびに、何かが流れ落ちていく。
目の腫れが引いていく。
さっぱりした気持ちで立ち上がると、マリアンヌがハンカチを貸してくれた。
* * *
――数年後。貴族学校にて。
「きゃー! ネトリー、ひさしぶりー!」
「ちょっ、マリアンヌ! 抱きつかないでよ! 田舎者だと思われるじゃない!」
「いいじゃない、田舎者なんだし」
「私はライブラで1年以上も暮らしてたの! 王都なんかよりもずっと進んだ街なんだから」
貴族学校の門を潜ったネトリーに、薄紫色の髪をした少女が飛びついてくる。
学術都市とあだ名されるライブラの神学校で主席となったネトリーは、留学生として貴族学校に編入することになった。
ネトリーの専門は農学だ。3年前の魔虫の被害で王国が被った被害は甚大だった。実家や、故郷の村々を守るために、この世界の農業を改善したいと思ったのだ。
前世で農業をしていたわけではない。ライトノベルでノーフォーク農法だとかなんだとかを読んだことがある程度で、そんな知識が役立つわけもない。ゼロからの積み上げだ。
今回の留学は、そんな研究姿勢が耳に入ったとある大貴族からの推薦でなったことだ。王家を除けばこの国で一番の権勢を誇るその貴族家は、商売や民の暮らしの改善にも熱心な変わり者だった。
「こら、マリアンヌ。この学園にいる以上、そんなはしたない真似はやめなさいと言っているでしょう」
「げっ、イザベラ様!?」
「『げっ』とはなんですか、『げっ』とは。まったく。礼法の授業も真面目に受けなさいと何度言わせるのですか」
「はぁい、ごめんなさい……」
「はい、は伸ばさない!」
そこに現れたのは、濡れたカラスの羽のような黒髪と、一流の職人が磨き上げた黒瑪瑙のような瞳を持つ少女だった。
ネトリーはその姿をよく知っていた。前世で夢中になった乙女ゲーム『幻想繚乱イマギニア・アカデミア』に登場する悪役令嬢、イザベラ・ヴラドクロウだ。
もしも自分が乙女ゲームの主人公であったなら、彼女との対立はほとんどの分岐で避けられない。
――でも、いまの自分は乙女ゲームの主人公じゃない。
「あら、見ない顔ね? あなたが今日から転校してくるマリアンヌかしら? わたくしはイザベラ。ヴラドクロウ公爵家の長女です。わたくしも農学には関心がございますの。あなたの論文も拝読いたしましたわ」
思わず見惚れてしまう優美なカーテシー。
一瞬息を呑み、それから慌てて一礼を返す。
「いらしたばかりで何もわからないでしょう? わたくしが案内して差し上げますから、ついていらっしゃい。論文について気になるところもございますので、道々に教えていただけると幸いですわ」
「えー、私が案内したいのに―」
「はあ、貴女も一緒に来ればいいでしょう、マリアンヌ。それからそんな言葉遣いはやめなさいと――」
「わー、もう、わかってますございますって! 平民育ちだからうまくしゃべれないのでございますのよ!」
言い争いをしつつもどこか気安げな正ヒロインと悪役令嬢に、ネトリーはくすりと笑ってしまう。
この世界は乙女ゲームなんかじゃない。
正ヒロインも、悪役令嬢なんてものもいない。
それから――いまの私は、私の人生の主人公。
ネトリーは、マリアンヌとイザベラの背を追って、一歩を踏み出した。
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