チョイスな青春
夕暮れの土手で、少女がおもむろに首を傾げた。
背中に夕陽を背負う彼女は、とても綺麗でまるで天使のように輝いている。
だしぬけに拭き抜く風は、前髪をふわふわと浮き沈みさせて目力のある瞳を露わにした。
切れ長の目は何かを訴えかけているようで、動作以外何も言ってはくれない。
すると――眼鏡のレンズに何かが映し出された。焦点に合わせるように二つの文言が左右に示されたのだ。
【どうかした?】
【綺麗だね】
ただの会話のワンフレーズが二つ。
更には、まるでその選択肢を強要するかのように視点中央でカウントダウンが始まる。
5から始まり、心臓の音より遅く刻刻と数が小さくなっていく。
この選択肢によって僕とこの少女の運命が分岐する。
僕は今、胸がざわつく恋愛を強いられていた。
◇◇◇
「おい、ちゃんと聞いてんのか!」
夢うつつに壁に寄りかかっているのを友人に叩き起された。
昨日ずっと夜までゲームをしてて、若干の睡眠不足。仕方がないだろう。
にしても夢見が悪い今、目覚めて見る顔がこれとは我ながら女っ気がない。
真ん中分けをした冴えない眼鏡少年。紺色のブレザー制服を着た僕と同じ高校生だ。
この学校で数少ない僕の友人であり、恋愛を夢見る実に高校生らしい少年。
「たく、ハルもちゃんと今のうちに青春しておいた方がいいぞ!
例えば俺のように生徒会に入ったりだな。だが、生徒会長はやめとけ! 俺に敵うわけないからな!」
名を三島史郎。生徒会に在籍しているが、その理由は生徒会長に一目惚れしたからだとかなんとか。
「僕に言わせれば、監獄にわざわざ入りに行くようなもんだよ。特にあの監獄長相手に突き進んでいく勇気は賞賛に値するね」
「おいおい……わかってないな!
あのお方が監獄長だとして、俺は彼女を補佐する副長のような存在! ゆえに、勇気ではなく使命なのだよ。わかったかね、看守生?」
「なにが看守生だよ……。
そんなことより、今日は生徒会の仕事はないのか? 昨日はせっせとどっかにいったのに」
ピーンポーンパーンポーン。
僕の問を遮るように高らかにチャイムが鳴る。
学校の屋上からこの音を聞くと、教室にいる時より大きく聞こえた。スピーカーが近くにあるんだろう。
『ごらぁあ゛!! 三島!! 委員会サボってんじゃねえぞ!!!』
スピーカーからうるさいくらいの声が響き渡った。女性の声とは思えない口調は男の僕でもやらないくらい横柄だ。
この声の主こそ、史郎が恋する生徒会長。よくこんな相手に手を出したな、と呆れてしまうほどおっかない。
「ほら、言ったそばから呼び出しだぞ」
「ふふふ……この声を待っていた。愛しの先輩が俺を呼んでるぜ!」
何故か興奮気味の史郎は、僕を置いて階段を下って行ってしまった。
「忙しい奴。なんであんなに真直ぐになれるのかね……」
――ちゃんと今のうちに青春しておいた方がいいぞ。
「余計なお世話だっての……。
高校生でなんて、ましてやこんな僕に……。高望みなんだよ、恋愛なんて夢のような日常は」
「けして高望みなんかじゃあないぞ少年!」
「だ、誰だ!?」
やば……独白を聞かれた!?
と思ったけれど、声が聞こえた方を振り向いても誰もいなかった。代わりに僕の隣に並ぶようにクマの人形が腰を掛けていた。
よくあるクマの人形だ。青いシャツとズボンを着てはいるけれど、それ以外なんの変哲もない人形。
これが喋ったと思うなら僕はどうかしている。だから、再び「どこにいるんだ?」と呟いた。
「何を言っているんだ? 見えているのに信じないとは、これまた滑稽な少年だな。
百聞は一見に如かずと思い、こうしてこの場に固形物をよこしたというのに……」
突如として項垂れていたクマの顔がこちらを見上げたので、吃驚の声を上げる。
「く、く、く……クマが喋った!!?」
「落ち着け。クマではあるが、どちらかと言えば人形だ」
「人形が話すのもおかしいんだよ!!」
なんなんだこいつは……どうやって喋ってる!?
「おやおや……冷静さも欠けているようだ。データではもう少し頭のいいように記述されていたのだが――まあいいだろう」
「お、お前なんなんだ……? 妖精?」
「妖精とはいささか少女趣味が入ったファンタジーだな。まあ、これから始めるものに比べればトントンというところか」
「……何も見てない。
…………そう、何も見ていないしきいてない。だから、僕行くよ……午後の授業がもうすぐ始まるから」
「安心しろ、授業まではあと34分27秒ある。急ぐ必要はないだろう。
友人も少なくクラスでは基本一人。一応の友人はいるが、先程までいた三島史郎のみなのだから」
「なんで知ってるの!?」
「君の事は調べたさ。
宇都宮遥輝、特筆することのない平々凡々な高校二年生。身長168センチ、体重は50キロ前後。視力が右が0.5、左が0.4とそのバカに見えるような丸眼鏡を掛けなければ物がよく見えない」
「バカに見える……」
「成績は中の下で数学が得意らしいな。毎度のこと百点だが、国語は50点を超えたことがない。赤点ギリギリもしょっちゅう。
親も叱った方がいいのか褒めた方がいいのか悩みものだな」
「どうし――」
「どうして? そりゃあずっと君を観察してきたからさ。こうして簡単に話してはいるが、今に至るまでは長い時間が掛かっている。こちらの時間軸で言えばだが」
よくしゃべる人形だ。大人びているけれど、丁寧ではない口調。
おそらく人間だと思うが、機械を通して話している感じは一切無い。口も動いているし。
人形自体にもロボットのような動きではなく、命が宿ったかのように滑らかだ。
関わるのは嫌だったけど、なんかもう大人を真似した子供みたいでかわいく見えてきた。
「それどうやって喋っているんだ? 中身は人間だろ」
「無論だ。しかし、どうやってできているかは、私はそちらの専門家ではないのでな。
ざっと12万工程くらいしか話せん……」
それはもう詳しいって言っていいんじゃないだろうか……。
「はぁ……しまった……時間が限られているというのに、蛇足が過ぎたな。君の事は君自身がよく知っている。わざわざひけらかす必要はなかった。
さて、話を戻そう。私は――………一種のゲーム開発者だ。まあそこはいいだろう。
率直に言えば、君には我々の創った成果物のテストに協力してもらいたい」
「ゲームクリエイター……? なんか思っていたよりも普通……」
「厳密には違うが、時代にあった名称はこれくらいが適当だよ」
時代にあっただなんて……まるで昔の人みたいな言い回しだ。古風かぶれの人なんだろうか。
「ゲームには興味あるけど――」
「それはそうだろうな。昨日もゲームのし過ぎで、授業も夢うつつに聞いていたのだろう…………また余計なことを話してしまった。
私が説明しに来るのは間違っていたかもしれないな。しかし、証拠を頂くのは私が行うのが一番効率的だから仕方ない」
なんか勝手に自分で反省し始めた? 何しに来たんだこいつ……。
「ゲームは好きかい少年?」
「え、ああ……うん。高校生だし、運動は苦手だし……」
「愚文だったな。いやなに、ただ確認しただけだよ。
情報と現実が違う場合は往々にしてある。これで私の認識と君の実態に大きな差異がないことが判った。
これから君に体験して欲しいゲームは――」
「ちょ、ちょっと待て!」
「なんだい?」
「ゲームをやるなんて言ってないだろ」
僕がそう言うと、クマの人形の腕が左右に振られた。
「ちっちっち……君はこのゲームを気にいるさ、絶対にね!」
僕が気に入るゲーム……?
僕の素性に詳しかった。どんなゲームをしているくらいは把握しているはず。
なら、どんなゲームだ? アクションゲーム? RPG? シューティング?
「――恋愛ゲームさ!!」
……………………………………………………やったことねえ…………。
「今の君にとてもぴったりなゲームだろう? 愛に飢え、猪突猛進していける友人をうらやむ君にこそこのゲームは相応しい!」
満足気な顔でコクンコクンと頷く様は妙にイラついた。
「じゃあ戻るから、ごめんね」
「こらこら待たないか少年!」
人形を置いて踵を返そうとするのを呼び止められる。
こいつ……本当に僕のことを知っているのか? 僕は別に愛になんか飢えていないし、史郎をうらやんでなんかない。
少しだけすごいなとは思っているけど、うらやむほどじゃない。
「僕じゃない人の方があってるよ。恋愛ものは一切やったことがないからね」
「ああ、知っている。しかし、だからこそ君にあっているのさ!
恋愛を紛い物と思うことのない君だからこそ、ね」
「紛い物と思うことのない? ゲームなんだから紛い物には違いないだろ!」
「良い食いつきだ。それを待っていたよ」
可愛らしいクマの人形には似つかわしくない笑みが零れ、僕は思わず唾を飲み込んだ。
「このゲームは、ゲームであってゲームではない。
――現実と仮想がリンクしたこれまでにない最高傑作! もはや恋愛ゲームとは言えない新たなジャンルさ。それを私はこう名付けた。
真実と現実と愛。トゥルー・リアル・ラブで『TRL』!! これこそ新時代のゲームだよ!」
……まんま。ネーミングセンスは皆無だな。
「へえ…………まあ、そこまで言うなら……」
気は進まないけど、ただのゲームだろうし一週間もしないうちに終わるだろう。
恋愛物って話だし、なんなら今日中にだって終わるかもしれないよな。
「よく言ったよ少年! なあなあで押し切られてくれるところが君のいい所だよ! むしろ長所と言ってもいい!
なによりそののほほんとしている顔が気楽さを表していてこれからが実に楽しみだ!!」
これ褒めているつもりなのか……? 貶しているようにしか聞こえないんだが。
「じゃあデバイスだけ渡しといてくれるか? 終わったらレビューみたいなことをすればいいんだろ」
「そうだったな! では後ろのチャックを開けてくれ!」
「チャック?」
「この人形のチャックだ。ほら、ぐずぐずしないで早くしろ!」
どこか焦っているみたいだ。背中を向けてこちらのずいずいと強調してくる。
呆れるけど仕方ない、従っておくか。
「はいはい」と差し出された人形の背中のチャックに手を掛けた。
出てきたのが白い綿で心配になったけれど、それを掻き分けて中の物を引き出した。
出てきたのは眼鏡のようだった。透明のレンズに赤いつるの何の変哲もない眼鏡。
「俗にいうスマートグラスか? グルーグとかヤッホイとかが見れるっていうあの……。
使ったことはないけど、ゲーム用にカスタマイズでもしたのか? でも、ケーブルがないけど充電式? それなら充電器も貰っておきたいけど、フルでどれだけもつんだ?
あれ? でも充電器を刺せるような穴がないな……。もしかして最近のあれか? 置くだけで充電できるやつ?」
「なんでもいいからまず眼鏡をそっちに変えろ」
やるって言ってからいそいそしいな……。
「そういえば――」
「度なら入っている。早くしろ」
「もうちょっと優しく言ってくれればいいのに……」
「悪いが、私は他人に興味がなくコミュニケーションというものをあまりとってこなかった類だ。変に期待するな」
小声で言ったのに……地獄耳だこの人……。
眼鏡を掛けると、つるが伸び後頭部の方でガチャンと音がした。
「え? なに今の音……」
「よし、ここまでは計画通りだな!」
「なんだコレ……取れないんだけど!!?」
しっかりとくっついたみたいに眼鏡はどう動かしても取れなくなっていた。
もしかして掛けたら二度と取れない眼鏡だった?
後悔するにはもう遅く、人形がニヤリと笑った。
「ゲームの説明に入ろうか。なに、眼鏡を装着した時点で既にゲームは始まっている。逃げることはできない。
ゲームクリアかゲームオーバーするまでは外れないし、ゲームを終えることはできない。そういう設定だ」
「……図られた!!?」
「気を落とすことはない。ゲームと言っても、楽しくも胸躍る素晴らしいゲームであることを保証しよう!
さて、そろそろログイン処理も終えた頃だろう。そのスペルグラスは、言うなればゲーム画面の役割を担う」
全然話が入ってこないんだが……。
クマの言う通り眼鏡のレンズ中央にできた丸い円が開くように広がった。確かにゲームの画面みたいだ。
すると、《宇都宮遥輝がログインしました》とポップアップが表示されフェードアウトしていく。
「名前ももう決まってるのね……」
「先程言った通りこのゲームはゲームであってゲームではない。現実にゲームが干渉する。しかし、ARやVRとも少し違う」
「どういうことだ?」
「物は試し。ギリギリ間に合ったようだ。
既にゲームは始まっている。実際にやってみるのが一番だろう」
彼女の言葉を訝しんだけれど、矢継ぎ早に屋上の扉が開かれたのに注目する。
厚い扉が開かれるのと同時に奥から女子二人の声が聞こえてきた。
「ほらね。誰もいないでしょ?」
「ほんとだ……」
「風が強い日は危ないからって先生が止めているんだって。でも、このくらいだったら大丈夫だよね!」
その声を聞いて、僕はすぐさま隠れたくなってしまう。
声の主がモブであると自称する僕が唯一目を離せない程に輝く彼女だったから――
扉のある壁に張り付いて身を潜めると、二人の女子の背中が覗き見える。
紺色のブレザーにチェック柄のスカート。この高校の制服に身を包む二人のうち、グレーの腰まで伸びる長い髪をした彼女だ。
前を行く友人に連れられ、外の空気を吸うように腕を広げていた。
なんでこんな時に来るのが古賀さんなんだ……。
枝毛一つない長く綺麗な灰髪に綺麗な蒼い瞳と黄金比のプロポーション。
切れ長の目がかっこよく、また顔のパーツが整っている。歩き方一つとっても高嶺の花間違いなしの才色兼備な少女。
クラスどころか学内全部を見ても彼女以上に可愛く美しい人はいない。
「古賀美好。高校二年の同級生で教室も同じ。
一年生から陸上部のエースであり、県内でもトップクラスの実力の持ち主。しかし彼女はそれだけに限らず、勉学でも学内トップテンに入るほどの才女。
私と同等の美しさを持ちながらも人当たりがよく、誰からも慕われる存在。彼女がどれほどの人気ぶりかは知っているだろう。
――この学校で最上級の美女であり、今回のゲーム標的だ」
僕に気を遣ったのか、人形は囁くような声で説いた。
現実って、そういう意味かよ……!
「さあ、恋の開始だ!」
ピコン、と音が聞こえるとレンズに文字が表示された。
《あなたの選択でルートが分岐します。選択肢を選んでください》……? なんだこれ? これがゲームの内容?
「選択肢を選べと出ただろう? それと同時にカウントダウンが始まったはずだ」
人形の言う通りレンズの中央上部に30から始まりどんどん数が下降していっていた。
カウントダウンというのはこれなんだろう。
「カウントダウンが過ぎるとどうなる?」
「強制的にヒロインの好感度が下がるルートを選択させられるか、なにもなかったことになる。
まあそんなことはいいから、選択肢が表示されているはずだ。試しに片方選んでみろ」
右と左で別の文言が書かれていた。それが読んでみると、また意味不明なもので……。
【目が合う】
【風が吹く】
端的且つ内容の無い二択。
これがゲームなのなら、どちらかを選べばそれ相応のアクションがあるはず。でもこれは現実なんだぞ、そんな事がありえるのか……!?
「この選択肢は言わばゲームに参加するか否か。
しかし、早くしないとゲームが逃げていくぞ? あと5秒だ」
どちらかを選べと言われれば、ここにいるのがバレたくないので左の【風が吹く】だけど……。
っ――……どちらかを選んでゲームを始める……。
これは恋愛ゲームで、現実の彼女にアクションを起こす。
「さあ、選べ」
「――右だ!」
そう呟いた瞬間、表示されていた選択肢の中で【目が合う】の項目が光り、【風が吹く】が暗くなった。
何が起こるのか固唾を見守ろうと思った時、おもむろに彼女が僕の方を振り返った。
風に靡く髪の中で輝く古賀さんの驚いた顔と目が合った。
特に何かがあるわけじゃない。ただ目が合っただけだ。
だけど、僕にとって『目が合っただけ』には収まらないくらい嬉しい事だった。顔が熱くなり、胸が、鼓動が打ち鳴らされる。
選択肢を僕が選んだことによって、罪悪感を感じているのかもしれない。
友人は一人。ずっと影に身を潜め、異性ってだけで声を掛けることはできないし逃げてしまう。
モブの中のモブ。それが僕。
でも、この時だけは――世界最強に認められた村人の気分だった。
時間にして目が合った時間はほんの一瞬だったろう。
しかし、僕にとっては何十分にも感じられ、思わず顔がにやけそうになった。
だから僕は、逃げるようにして顔を隠しながら屋上を後にした。
《好感度が3上がりました》
屋上から階段を駆け下りる中、視界に映り込んだのはゲーム開始の狼煙だった。
◇◇◇
見てたのバレた……。
変な奴って思われたか。一人で屋上にいて、後ろから後ろ姿覗くような真似して……。
あんなのストーカーみたいじゃないか! ていうか、なんで僕……目が合うを選んだんだろう……。
自分で選んだ選択肢を後悔するなんて、この現実は後戻りなんてないのに……!
ていうか、現実がゲームの影響を受けるってなんなんだ!? 選択肢を選んだだけで古賀さんがその通りに動くっていうのか!?
「おい、大丈夫かハル?」
教室で一人頭を抱えて項垂れているのを史郎に肩を叩かれた。
いつの間にか授業が始まる時間になっていたらしい。
気色悪く唸っているのを変に思われたようで、史郎が苦笑いを浮かべていた。
「うん……ちょっと風当りが強すぎたかな。風邪をひいたかもしれない」
「あれお前、眼鏡変えた? イメチェンでもしたのか?」
「ま、まあね」
「それでドギマギでもしてたんだろ。俺達みたいなのを気にする奴なんてそうはいないから思いつめるなよな」
「あはは……」
んなわけないだろ……。
クマ人形のお遊びに付き合っていたなんて言っても信じてもらえないだろうから言わないけど。
「それよかお前って結構少女趣味なのな。そんなクマ人形なんかを机に飾ってさ、いつから置いてたんだ?」
「へ?」
茶化すような史郎の言葉に嫌な予感がした。
寒気を背負いながらも自分の机を見る。
そこにあったのは、さっきの人形がちょこんと所狭しと机の端に座り込んでいた。
ど、どうしてここに!!? さっき屋上に置いてきたのに……!
「誰かに貰ったとか思わないけどさ。流石に高校生の男子がそんなのを机に置いてるなんて、趣味が悪いと思われても仕方が無いぜ?」
「あ、あはは……ま、まあ色々あるんだよ僕にも。ほら、年頃の高校生は自分でも何しているかわからないものだろ?」
「ん? まあそんなもんか?」
愛想笑いで誤魔化しながら人形を机の横にあるリュックに押し込んだ。
人形は、屋上の時とは違って微動だにせずに動かすのに抵抗がなかった。
中身の女性は、今は操作していないのか。屋上からここまでどうやって移動したかは判らないけれど、ゲームが夢じゃないのは確かだ。
「おらー、席につけお前らー」
担任の柔和な男性教師が教室に入るのと同時期、始業を報せるチャイム音が鳴る。
考えたいことが多いのに、また授業か。
古賀さんは、さっきの事を変に思ったかな……。
「起立、礼」と始業の号令があった後、少し好奇心が宿り後ろを振り向いた。
古賀さんは最後列中央左側の席に位置し、僕はその一つ左の最前列に位置している。
彼女を見るには少し違和感があるくらい振り向かなければならない。ゆえに、僕は横目で古賀さんを見た。
こっちを見てる……気がする。やっぱりさっきの気にされてたのか!?
いや、考えすぎだ。古賀さんが僕なんかを意識するはずない。
このクマがゲームなんて言うから変に意識してしまっているだけだ。何も気にする必要なんてない……。
『ふむ……これが一般高校生の授業か。思っていたよりも緩そうだな』
また女性の声が聞こえてきた。
またクマが話しているのか!? 授業中までゲームに干渉されたんじゃ溜まったもんじゃないぞ!
クマの人形はリュックの中にあった。無造作に押し込まれたまま、頭部だけが上から見えた。
『そんなに人形を覗いても意味などない。
この声は今、君にしか聞こえていないんだ。眼鏡を通して話しているからな』
「これってイヤホン付きなのか?」
確かにさっきとは違って電話をしているみたいに機械的な音声だ。
「なんだ宇都宮、何か言ったか?」
「い、いえ、なにも!」
「なんだ? 俺がかっこいいとでも思ったんじゃないのか? あはははは!」
先生の機転のおかげで笑いが起きた。おかげで僕は笑いものだけど。
やば……会話しようとすると変に思われる。一方的に聞いているしかないみたいだ。
『なんとも面白い教師のようだ。こういうのは学校ならではだな。
君も今の内に学校生活を楽しんだ方がいい。つまりは、この青春を君なりに楽しんで欲しいということだな!』
僕は人知れずに溜息をつく。こちらの考えを知っていて追いやるこの声に飽き飽きし始めた為だ。
『まあそう邪見にするものじゃないぞ少年。まだ一度しか選択肢が出ていないというのに。
まだプロローグが流れただけだ。ゲームはこれからだぞ!』
人の気も知らないで……こっちは不安で一杯なんだよ!
ゲームっていうのは普通現実じゃないから面白いのであって、現実でしかもあんなに人気なマドンナ的相手にやるものじゃないんだ!
しかも恋愛ゲームだって?
向いてない……最悪に向いてないゲームだよ……。
イケメンでもなく女性と話せるわけでもない僕が、美少女な古賀さんをヒロインにゲームをしなければならないなんて。
「じゃあこの問題……古賀! 前に出て解いてみなさい」
「はい」
いつの間にか先生が演習問題を前の黒板に書いていた。
古賀さんが前に!?
まずい、目を合わせないようにしないと……!
俯き、問題に取り掛かっているフリをする中で古賀さんの足音が聞こえてくる。
隣を過ぎ去り、壇上へと上がる音に密かに耳を立てた。
他の人とは違って静かで歪さが皆無な足音。同一テンポで思わず聞き惚れてしまいそうになってしまう。
いけない……こんな変態みたいな――…………
――ピコン!
突如としてあの音が耳に入った。
この音は……
【聞いてるよ】
【僕の勝手だろ】
なんだこの選択肢……まるで古賀さんが話しかけてくるみたいな……。
でも、カウントダウンがない。任意の選択肢なのか?
「宇都宮くん?」
「へ?」
頭上から呼び掛けがあり、顔を上げた。
すると、早々に黒板に答えを書き終えた古賀さんが僕を見下ろしていた。
顔を顰めて少し怒っているようだけれど、そんな顔も麗しい。
睫毛が長く、瞳が大きいんだ。
その眼に映るのは僕はただ一人。おののくのも仕方ないだろう。
「ちゃんと授業聞いてるの!」
説教のような言葉にハッとさせられ、レンズに映るセリフを静かに口ずさむ。
「僕の勝手だろ……」
ブブ!
短い不正解のような音が聞こえた。
次の瞬間、古賀さんの顔が険悪になった。
「そ」
そっぽを向くように視線を切らされる。
機嫌悪そうに自分の席へと戻っていく後ろ姿を僕は目で追った。
《好感度が5下がりました》
なんで彼女は僕にあんな事を言ったんだろう……。
ゲームが始まったことによる影響を受けているのか?
「古賀さんが宇都宮に声を掛けたぞ……」
「宇都宮がぼうっとしているからだろ!」
「にしてもあの態度はなんだよ!? 古賀さんに向かって……!」
選択肢を選んだだけなのに、ゲームとは違って辛辣な現実だ……。
『早速好感度を下げてしまったな』
急だったから反応が難しかったんだよ、と言い返したい……。
『視界の最上部にあるメーターが好感度メーターになっている。最初の選択肢によって好感度が3ほど上昇したが、今のでマイナス5されたわけだ。
しかし安心していい。好感度メーターにマイナス値は存在しない為、最初期のゼロからスタートになる』
「……最悪じゃないか…………」
僕は、人知れず憂鬱に項垂れた。
◇◇◇
あの後、好感度が下がった為か選択肢を選ぶことはなく家へと帰ってきた。
もちろん例のクマ人形も持って帰ってきた。訊ねたいことが多いのと動く人形に興味があったからだ。
漫画本が敷き詰められた本棚以外これといった物の無い自室。
凄然とした部屋の端にある机の上に人形をセットする。
あれから眼鏡からも声が聞こえなくなったけど、またなにか言う事ができたら喋り出すだろう。
それにしても、クマの持ってきたゲームは色々と気掛かりが多い。
VRゲームともARゲームとも違うと言っていたけれど、その概要がいまいちわかっていない。
古賀さんの好感度が下がった。それだけ言われると、かなりくるものがある。
始めから付き合えるどころか関わり合いにすらなれないと思っていたけれど、それでも距離がいまよりも遠くなると思うと胸が締め付けられてしまう。
何を考えているんだ僕は……。
ベッドでうつ伏せになり、枕に顔を沈めているところ。
「なにをバカみたいに唸っているんだい?」
顔を上げれば呆れ顔のクマが机の上で仁王立ちしていた。
「今頃になっての登場かよ……」
「ほほう? ゲームを楽しんでいるようでなによりだよ少年。
仮想ではなく、現実でゲームを進めることでリアル感を増幅させる今作はかなり情調的だろう」
「このゲーム、途中でやめられないのか? それが無理ならリセットがしたい。ゲームならリセットも可能だろ」
「バカを言うな、現実に後戻りなど存在しないだろう」
「好感度を下げてしまったんだ。このまま進めるモチベーションはないよ……」
「このゲームのキモはそこなのだよ。リセットもなく、また途中で棄権することもできない。
現実的な恋愛を曖昧なルートのもとで施行していくだけさ。ただ君に随時選択肢を強制し、選択を迫るイベントを発生させるだけ! 終わりこそがこのゲームを終える唯一のルートなのさ!」
「じゃあどうやったら好感度を上げることができるんだ!? このままだと……」
その次の言葉を出すのが躊躇われた。
もしかしたら古賀さんの傍にいれるのではないだろうか、という淡い期待を持っていることを宣言するようなものだ。
それはこのクマの人形を被った女を喜ばせるだけになる。
「良い兆候だ! 好感度を上げたい、というのはプレイヤーとして当然の思考! 君もこのゲームを楽しもうとしている訳だからな!」
こちらの意図を見透かされたように生き生きとし始める。
自分で作ったゲームを褒められていると思ったのだろう。
「しかし、このゲームのコツは至ってシンプルで簡単なことだ」
もったいぶるように口を閉ざすクマに僕は「なんだよそれ」と訊ねた。
「――冷静でいることだ。
選択肢が現れる時、ときたまカウントダウンが始まる。今日の二度目の選択肢の時にはカウントダウンが起こらなかったが、君は咄嗟にも間違った選択をしてしまった。
今にして思えば、あの時選ぶべき選択はたった一つだけだったと気付いているはずだ。つまりは、冷静に選択しようと心掛ければよいだけなんだ。
ただカウントダウンという要因と周りの空気という要因を退ければいいだけの話なのだよ」
「……確かに……でも簡単じゃなさそう……」
「人はいくつもの選択肢を選び抜く上で人生を創り上げていく生き物だ。他の動物とは違い、自ら思考し自ら行動する以外己を守ることができないからだ。
このゲームはその選択肢を極小に狭め、未来の人生を細分化している。ゆえに、プレイヤーの人生を導いてあげているようなもの。
君は、現実のサポートを受けている程度に思っていればいい! 視界に映る好感度メーターや選択肢もあくまで要素とだけ認識し、ゲームを楽しんでくれればいいと私は思っている! 例えゴールと言われるクリアがどんな結末でもね」
「…………結末……。そうだ、ずっと気になってしょうがなかったんだ。
このゲームはどういう仕組みなんだ? 僕が【目が合う】と選んだら古賀さんは僕の方を振り返った!
古賀さんが僕に話し掛ける前に選択肢が現れた。まるで古賀さんが僕に何を言うのかがわかっているかのように!
計算したってそこまでわかるわけない! 人間の行動をたった一定期間分析しただけで、ずっと交流の無かった僕と何を話すかなんて絶対に想定できないはずだ!」
「ふむ……罪悪感もなく『バカ』と別称していたのを改めなければ、と自らを戒められるほど良い着眼点だぞ少年」
そう言う割には上から目線で全然そんな感じしないけどね……!
「しかし、その話はまた後にした方がいいだろう」
どういう意味だ?
そう訊き返そうとすると、何かが始まるようなBGMが聞こえてきた。
高テンポで懸賞かなにかで当選したかのような音楽に立ち上がった。
「イベントが始まった」
予見するかのようなクマの言葉が先駆け、後にレンズにイベント発生の文字が表れる。
「君は、選ばなくてはならない。このイベントに参加するか、棄権するか。
参加するならば、指定のポイントに制限時間までに移動しなくてはならない。棄権するのであれば、このまま家でじっとしているといい。制限時間以内に指定のポイントに移動できなければ、イベント失敗の告知がされる」
クマの言う説明とほぼ同じ説明がレンズにスライドで映りだされた。
これは根本的にはゲームなんだ。こういうイベントが偶に発生するのは頷ける。
もしかしたらさっきの失敗を帳消しにできるかもしれない。もしこのイベントが古賀さんに関わるものなのであれば、だけど。
「このイベントは古賀さんに関わるものなのか? このイベントをクリアしたら、好感度が上がるのか?」
「今の内に自覚しなければならないだろう。君は、心の底からこのゲームのクリア――つまるところ古賀美好と恋人関係になりたいと思っているか」
「…………僕は誰よりも何もできない影の存在だ。和気あいあいとした輪を外から見守るモブだ。
だけど、いつも思うんだ。もしかしたら他の人みたいにどこか、なにか違うところでもあれば少しはマシに見えるんじゃないかって」
「ならば、その為に足を踏み出せ。たとえ虚ろに塗れた世界にいようと、このゲームだけはクリアしてみせると奮起しろ! 己の渇望する欲望の対象を掴みとれ! 力の限り臆するな!!」
僕が無の世界に生きているかもしれない、と思っているのを見透かすような言葉に鳥肌が立った。
しかし、それは何故か大事な言葉に思えて乗せられるように頷いた。
秋風が肌寒く、身震いを起こす。
薄暮の空を見て、そろそろ暗く寒くなるだろうかと予想が立つ。しかし制限時間があるため、家の中に羽織る物を探しに行くことはしないので制服のままだ。
レンズにはマップが表示されており、周辺一帯の道路だと一目で判る。
赤い点が目的地を表しているようで、おそらくこの赤い点に向かえばいいのだろう。赤点以外に目ぼしい表記がなく、そう思った。
目的地は河川敷だ。この辺の少年野球チームが偶に野球をしている普通の河川敷。
特段なにかがある訳ではないと思うけれど、今そこに古賀さんがいるのか? クマは置いて来てしまったし、言ってみるしかないだろう。
マップは一応透けているが、このまま歩くのは歩きスマホをしているみたいで気が引ける。
どうにかどかせないかなと眼鏡に手を掛ける。すると、何かに触れたのかマップはすぐに消えて代わりに方向指示の矢印が現れた。
すご……今はこんなスマートグラスがあるのか。これなら方向音痴の僕でも迷うことはないな!
流石に近所で迷ったことはないけど。
◇◇◇
黄昏時、河川敷は夕日色に染まっていた。
細やかに風が吹き、土手のホソムギやネズミムギなどが靡いている。
ランニングをする人や帰る学生が疎らにいる。だが、その中でも彼女は一際異彩を放っていた。
燦然と輝く髪を含めた綺麗な容姿が注目を浴びていた。
古賀さんを見つけて丁度、残り10秒近い制限時間が消えた。
イベントクリア、になるんだろうか。
生唾を飲み込み、横目で近くを通る古賀さんを見る。
危ないな。歩きスマホじゃないけど、下を向きながら歩くなんて。
でも、あんな古賀さんを見るなんて珍しい。いつも誰かしら隣に連れているからかもしれないけれど、何か悩み事でもあるのかな。
って――僕はまた変態みたいに何を分析みたいなことをしているんだ!?
「宇都宮……くん?」
自分を戒める最中、不意に古賀さんに呼ばれた。
こんな所に僕がいるのが不思議だからか驚いているようだ。
「や、やあ……」
やばい……! 僕がなんでここに居るのか理由を考えていなかった!
ピコン!
【孤独な顔しているね】
【お腹でも痛いの?】
【偶然だね】
【こんな所でなにしてるの?】
前触れもなくレンズに四択の選択肢が表示された。
どれも僕が言うニュアンスに合わせてあり、どれを言っても正解になる可能性のある文言だ。
なんで四択? イベントというだけあって選択肢が多めなのか……!?
落ち着け……冷静なら大丈夫。
そう思考する間にカウントダウンが始まった。
今回のカウントは5秒。辛辣に僕の選択を焦らせる。
短い!
でも、選ばないと……!
どれだ!?
正解を……正解――…………
いや、違う。
――僕は、古賀さんと話がしたい。
「孤独な顔しているね」
「……」
古賀さんは図星なようで目を見開いた。
何故この選択肢を選んだのか。
たった5秒で考えられることはたかが知れている。だから、一番異彩の放っている文言を選んだ。
それが会話するのに一番近いものだと思ったからだ。
《好感度が3上昇しました》
早速結果が現れ、視界に映る古賀さんを中心に恥ずかしくもハートマークが飛び交った。
上昇ということは、一応は正解らしい。四択ならば最悪の選択肢を選ばなければいいはずという楽観的な考えはあっていたのだろうか。
「昼間のこと、怒ってるから!」
好感度は上がっても怒っているのは相殺できないか。そっぽを向いて上唇を尖らせている。
まあ現実なんだし、そりゃあそうか。たった一言で仲直りなんて都合のいいゲームなんかない、当然だ。
【びっくりしただけだろ!】
【何を怒っているの?】
【いつもここを通って帰ってるの?】
【ごめん】
続けざまに選択肢……。
イベントなだけあって会話のほとんどが選択肢によって流れていくのか。
「あの時はごめん……」
「本当に反省してるの?」
顔を顰めて歩み寄る彼女と目を合わせ、僕は「うん」と頷いた。
古賀さんの表情が明るくなると同時に先程と同じく好感度が上昇する旨が報せられる。
《好感度が3上昇しました》
よし……!
「それなら許してあげる!
運がいいね。わたしがこんなに早く許すなんてあまりないことなんだよ? この前だってお父さんと喧嘩したの一週間も怒ったままだったから」
「あはは……ちょっとそれも見てみたかったかな」
「なにそれ? もっと喜んでよね!」
「ちゃんと嬉しいよ」
「こうやって話すの何気に初めてじゃない? 宇都宮くんとは中学からずっと一緒なのに全然話したことなかったよね」
そうなんだ。僕と古賀さんは彼女がこの街に転校してきてからずっと同じクラスだった。
中学の時から高嶺の花のような存在で近寄りがたかった。それなのに、今は二人だけで話している。
――ありえないことだ。
【古賀さんは昔から変わらないよね】
【なにかあったの?】
【塾帰り?】
【古賀さんは猫が好きだよね】
イベント中は毎回5秒カウントなのか。
会話を切らせない為の配慮なのか選択肢が出てから発するまでのタイムラグを短くしようという裏の事情が垣間見える。
ゲームと現実の境界の限界というところか。
「なにかあったの?」
さっきの選択肢の文言的にこれが適切のはずだ。
「え、なんで?」
笑ってごまかそうとしているのがなんとなく判る。
【頭痛いのかと思ったから】
【僕がいるから大丈夫だよ】
【トイレ行きたいのかなって】
「【そんな顔してたらわかるよ】」
「わたし、そんなにわかりやすい?」
顔を赤らめながら隠すそぶりは可愛げで、思わずたじろいだ。
それ……反則だろ……!
「でも、 言いたくないなら言わなくてもいいと思うけど……」
「…………ね、少しいいかな?」
「え?」
腕を掴まれ、彼女に河川敷の坂道へと誘われた。
足下がおぼつかなく、案の定僕は足を踏み外して転んでしまう。
「あはは! ださいなー!」
「急にひっぱるからだろ……」
本当にださいな僕……恥ずかしい……。
「よっと!」
古賀さんは、倒れる僕の横に腰を下ろした。
してやり顔にはドキリとさせられ、肩がぶつかるほどの近さに迫られたことでまたドキリとさせられる。
ドキドキしすぎて鼓動の音聞かれる……!
落ち着け僕……冷静じゃないと選択肢を間違う! 今いい雰囲気なのにぶち壊したくない!
「宇都宮くんって部活したことあったっけ?」
「……中学の時は一時期吹奏楽部にいたけど、長くはいなかったな」
周りが女子ばかりで居心地悪くてすぐにやめちゃったんだよな。
結局そのまま何もせずに三年間放課後は家に帰るだけだった。今もそうだけど……。
「なにをやってたの?」
「オーボエっていうのなんだけど、知らないよね……」
「オーボエくらい知ってるし! バカにしてるでしょ!」
「してないしてない! ごめん……普通の人はあまり楽器のこと知らないから。
でも、そうだよね。古賀さんくらい頭良かったら知ってるよね」
わー……選択肢出てないのに好感度下げた気分。
だけど、好感度メーターに変動はない。選択肢の伴わない会話では好感度に変動がないのか?
「頭いいって言うけど、わたし宇都宮くんに一回も数学で勝ったことないんだよね!」
「中学1年生の時から一度も百点以外取ってないからね。それだけが僕の自慢できるところなんだ!」
「でも、前回のテストは同点だったね!」
「あ、あはは……そうだったね……」
楽しそうに話す彼女に僕は愛想笑いしながら相槌を打つ。
そう。数学が同じ百点だった時、初めて僕は古賀さんを身近に感じたんだ。
「すごいな。もう4年以上も同じことを続けているなんて……」
次第に顔色が曇り始めた。
川の方を見ているようだけど、僕にはそれ以上に遠くを見ている気がしてならなかった。
古賀さんには、いま何か悩んでいることがあるんだと示しているような気がした。
【部活で何かあった?】
【友達と何かあった?】
【学校がつまらない?】
【僕に逢いたくなかった?】
5のカウントが始まる。
三つはどれもありそうだけれど、僕に逢いたくなかったなんて発覚した時には明日学校に行ける気がしなくなるな。
まあでも、とっくにあった予想に当てはまる選択にしようか。
「部活で何かあったの? 古賀さんは、今は陸上部だったよね」
「え――」
古賀さんは、唖然しながら僕の方を振り返る。
図星だったようだ。
部活をやっている彼女が今の時間帯に帰っているのがおかしいと思ったんだ。
高校生が部活を終わって帰路に就くのはだいたい18時から19時、もしくはそれ以上。
でも今はまだ17時過ぎくらいだろう。運動系の部活にしては切り上げるのが早い。
だから僕は、最初から部活で何かあったんじゃないかと思っていた。
古賀さんは、考え込むように下を向いた。
言いたくないことだったのかもしれない。
これ以上掘り返すのはやぶ蛇なのかも……。
「わたし、中学じゃ途中で部活を辞めてるんだよね……」
それは、一時期噂になっていたことだ。
なんでも部活の先輩にいびられたとか聞いたけど、本当のところはどうだったんだろう。
これ、聞いでもいい事なのかな?
「部活って上下関係とかあるじゃん?
わたしは、そういうの苦手なんだよね……」
「もしかして中学の時のトラウマ……?」
「そうかも。こっちの先輩はみんないい人たちだよ。でも……だからかな、遠慮しちゃうんだよね。
無意識に自分が本気出してないような気がして、時々こうやって早く帰ってリフレッシュしてるの」
「じゃあ僕、邪魔しちゃってるんじゃ……」
「ううん、宇都宮くんのおかげでさっきまで頭から抜けてたし、むしろ感謝してる!
だ・け・ど、それはちょっと午後一番のあの言い草のせいでもあるんだけど!」
あはは……好感度下げたのに意外に役立っていた、のかな?
いや、古賀さんが優しいだけだな。
「宇都宮くんはここで何かしてたの?
とっくに帰ったと思ってたけど。部活入ってないでしょ?」
古賀さんが僕の情報を持ってる!?
それはちょっと嬉しかったり……。
【ちょっと散歩に】
【マラソンの練習】
【キミに逢いたくて】
【異世界を探してた】
また選択肢だ。
だけど、理由の選択肢適当すぎないか!?
「う、うん……ちょっと散歩にね……」
「いつもしてるの?」
「いつもじゃないよ。今日はたまたまで」
「そうなんだ? でもおかけで助かったよ。このまま家に帰りたくなかったし、憂鬱な気持ちが吹っ飛んでった気がするし」
「お役に立てたなら光栄です」
「お世話になってます!」
「ははは! なんか今の面白い!」
「お互いに敬語になるとね!
宇都宮くんがこんなに話せるなんて思わなかった」
「あはははは」
すごい僕……あの古賀さんと普通に話せてる。
いつもならギクシャクするか、全然言葉が出ないのに。
選択肢のおかげだ。何を話せばいいのか導かれるように色々出てくる。
ゲームによる強制力によって表現されるおかしいほどに歪さのない会話の流れに、足を踏み外すことなく乗れることができているから、なのかもしれない。
笑っていると、神妙な面持ちで顔を見られた。
静かで風の音ばかりが耳に入る。
僕は思わず唇を注視してしまった。
いい雰囲気が流れるままに満たされ、要らぬ想像をしてしまった。
しかし、目を逸らそうにも彼女の碧い瞳が宝石のように見つめてきた。
【どうかした?】
【綺麗だね】
ここに来て、たったの二択がレンズに映り込む。
おそらくこのイベントで最後の選択肢だろうと勘考できる。
5のカウントがゆっくりと、されど着実に0へと向かって歩き出す。
これから起こる何かへの期待と不安と妄想が数秒間の間に交差し、生唾を飲み込んだ。
ここでルートを踏み外す訳にはいかない。
これまでにひっかけはない。
悪い予感は先に待っている。
正解を選んでも、不正解を選んでも、どっちでも僕にとって最良か最悪かを判断するには時間が足りないし、きっと答えは出ない。
だから、自分を変えたいという欲を全うしたい。
「綺麗だね」
「……え?」
「――…………夕陽が、さ……」
しかし、選択肢を選んだからといって全てが思い通りになる訳じゃない。
僕は羞恥心で顔を染めながら彼女の背中に佇む夕日を指差した。
「あ……ああ……。
そ、そうだね! 帰り道の反対方向だからあまり見ないけど、綺麗……だよね」
ひよった……!!
一番大事なところで何をやっているんだ僕は!!
「あ、そろそろ帰るね! わたし……お母さんの手伝いしにいかないとだから!」
たどたどしい理由を残し、古賀さんは苦笑しながら走り去ってしまった。
しまった……結局変な奴って思われたままかな……。
「あ゛あ゛……!! もう〰〰!!」
◇◇◇
後悔しながらも家に帰ると、自室でクマが出迎えてきた。
ベッドの上で僕の雑誌を広げて読み漁っているようだった。
クマの体なのに器用なものだ。まるでグラビア雑誌でも見るようにゲーム攻略本なりを開いている。
「青春だな、少年」
「人の部屋でなにしてんだよ」
一人で何をしてたんだ……。こっちはずっと心臓バクバクで大変だったのに。
「ほう? 恋をして疲れているようだな。無縁だったがゆえに余計疲労感があるのか?」
「さあね!」
そんな話、恥ずかしすぎてできないに決まってるだろ!
僕は顔を羞恥に染めながらベッドに寄りかかるように座った。
確かに疲れたな。普通に運動するよりもずっと疲れた気がする。
体の疲れではなく精神の疲れだ。憧れの人を前にして一喜一憂して、確かに青春しているのかもしれない。
なにより楽しかった。古賀さんと話すのが楽しくてしょうがなかった……。
「いやなに……随分順調に好感度をあげたようで、私としても嬉しかったのでな。ついついちょっかいを出してしまうのは許容してくれ」
「そういえば好感度…………今どのくらいになったのかな?」
「最後の選択肢では好感度に変動がなかったが、それまでの選択によってかなり稼ぐことができたようだ。
現在の好感度は見ての通り、17ポイントといったところだ。なかなかの腕じゃないか」
「え、そんなに!?」
「イベントではかなりポイントを稼げる。積極的に参加した方がいいだろう」
「もしかして……見てた?」
「ふむ、エロ本はなかった。年頃の少年なのに……つまらなかったぞ」
「そういうことじゃないし! てか、何探してんだよ!?
僕と古賀さんの会話とか、その……」
「無論だ。私は言わば監視者だぞ。
ゲームの様子をきちんと見ておかなければ、上の者に説明するのに困る。
ぷくく……しかし、君が臆面もなく『綺麗だね』と言えたのにはふき出してしまったぞ! ははは! 華奢で内気な君からは考えられない言葉だ!」
柔らかい手でベッドを叩き面白がる姿は人形でもムカムカする。
更には心を抉ってくるからもやもやが溢れてしまった。
「がああああ! わかってるよ、わかってる!
僕だって選択肢じゃなきゃあんな言葉言わないよ! ていうか、あれが正解だと思ったんだ!!」
「ふ~ん? それにしては心からの言葉としか思えないほどに真面目な顔だったがな!」
「そそそ、そんなわけ……そんなわけないだろ!!」
本当は心底綺麗だって思いました……。
「でだしは上場だな。なかなか物分かりのいい君は、昼間の失敗を乗り越え大半の選択肢で好感度を得ることができた。
これほどまで短い期間で成長できたのは、ひとえに君の内なる期待が渇望しているからに他ならない!」
「期待って、僕は別に古賀さんと……こい、びと……とかなれるなんて……」
「恋人と言うだけでそれとは……やれやれ初々しいことだな!
君がいま望んでいるのは恋人ではないさ。君がそういう人格の持ち主ではないことくらい既にリサーチ済み。
では、君が何を求めているのか。それこそがこのゲームを円滑かつクリアに導く道しるべとなるだろう」
「なに……」
「先へと進みたい気持ちだ。
ゲームの先を見たいのもそう。彼女のコロコロ変わる表情もそう。そして成長する自分もそう。
君が望んでいるのは、未来なんだよ少年」
確かにそうかもしれない。
実際、ゲームを始めるキッカケとなったのは変わる自分が見たかったからだ。
「それでいい。このゲームは、未来に希望を見出し叶える機会を触発させる悪戯なのだよ」
「チャンスを触発させる悪戯……?」
「さて、次の選択肢は明日だ。それまで私も休ませてもらおう。
その間、この人形は机の上にでも置いておいてくれ。君はまた次が来るまで、彼女のことで頭を一杯にしているがいいさ」
「は!?」
恥ずかしいことを言ったかと思うと、クマの人形は本当の人形のように崩れ倒れた。
言いたいことだけ言って行ってしまったようだ。まだ聞きたいことは一杯あったのに……。
でも、まだゲームは続くし明日にでも訊けばいいよね。
今日は古賀さんと一杯話せたし、ちょっと昇格した気分だ。
そんなものなんてないけど、少しだけでも近づけたかな?
それから僕と古賀さんのゲームは続いた。
偶に現れる選択肢を選び、好感度メーターを上昇させていく。
全部が全部好感度を上げることができたわけじゃないけれど、着実に会話を進めていった。
好感度が30を超えてから古賀さんは僕と話す機械を増やしていった。
それまで一度も話す機会のなかった僕が、休み時間になると二回に一回は話している。
だけど、おかげで僕がクラス内で目を引くようになっていた――。
◇◇◇
背中を壁に打ちつけられ、へたりこんだ。
息がつまりながらも見上げて見えるのは虚無を誘う曇り空と怒りの形相をした男子。
髪を金髪に染めた185センチと高身長の須郷隆太。
「お前、最近調子乗ってるよな!」
睨みつける面持ちは威圧感があって怖い。
まるで鬼のような彼の怒号を僕はただ見て聞いているだけだ。
「美好さんは、お前みたいなのとつるむには似つかわしくないんだよ!!」
他に誰もいない体育館の裏。
これまで体育をやっていて、つい先程もゲームの選択肢を選んだばかり。
おかげでまた好感度を上げることはできたけれど、それが彼には気に食わなかったようだ。
「お前、俺が美好さんのことを好きなの知っててやってるんだろ!? そうやって他人を踏み台にするつもりなんだろ!!」
そんなの知らないよ。
そりゃあ古賀さんくらいなら片思いをしている人なんてごまんといるだろうけど。
そんなの全部気をつけてゲームを進めるなんて、できるわけないじゃないか。
それに、いったい僕が何をしたって言うんだ? ただ話していただけじゃないか。
「聞いてんのか!!」
襟首を掴まれ、今にも殴られそうなった。
その時だった。
「おいおい若人達、いったいこんな所でなにをやっているのかな?」
聡明そうで威厳もある狐目の女生徒がどこからともなく現れた。
どこか聞き馴染みのある声だと思ったら、生徒会長だ。
でも、三年生なのになんでこんな所に……?
「おやあ……? なんだいその拳は?
まさか、清い校風を持つ我が校でチャリンをせびろうと言うのではなかろうな?」
「っ……後で覚えてろよ!」
あ……行っちゃった。
この生徒会長の気迫には勝てなかったみたいだ。
いや、理由が古賀さんということで恥ずかしくなったのかもしれない。どちらにしても彼女にはお礼を言わなければ。
「張り合いの無い奴だ。それもこの生徒会長という肩書ありきだろうがな」
少し残念そうなのは勘違いか?
「すみません、助かりました」
「なに、我が校の生徒がピンチならばどこへでも顔を出すさ!
と、いうのは建前。全校生徒のピンチにいちいち顔を出せる訳はない。ハッハッハ!!」
いつも思うけど、なんで史郎はこの人を好きになったんだ……?
「そうだ少年! 君の名前は宇都宮遥輝で合っているかい?」
「え、ええ……」
「こういう物を拾ってね。確か我が校には宇都宮という性を持つ男子生徒は君しかいなかったはずなのでね!」
全校生徒の名前を覚えているのか!? さすがは生徒会長。性格はアレだけど、凄い。
生徒会長は、茶色の紙袋を持っていた。
中から何を出すのかと思うと不思議そうに彼女はクマ人形を掲げた。
「これは君のだろう? 背中に宇都宮遥輝と書かれた紙が貼られていてな」
「……………………はい、僕のです……」
なにやってんだよ……。
「やはりな。いや、ここに来るまでに拾ったのだが、なにぶん私がこれを持ち歩くのは威厳に関わると聞かぬ者がいてな。適当な紙袋に入れてきた。
可愛いな。男子が少女が持つような人形を学校にまで持ってくるとは。
いやしかし、私は好きだぞ! 自らの趣味を公言しにくい世の中など間違っているからな! フハハハハハ!!」
「そ、そうですね……」
苦笑いを浮かべながらも心の内では恥ずかしくて仕方が無かった。
「会長は、なぜこんな所に?」
ここは体育館裏で見つかりにくい場所として学内では有名だろう。
しかし、授業時間の合間であるこの時間に監視に来るとは思えない。
「それを拾ってすぐこちらの方へ歩いて行く君達を見つけてな。丁度この人形も渡したかったから、追いかけてしまった!」
「もうすぐ次の授業始まっちゃいますけど……」
「なに!? しまった! また八重に怒られてしまう!!
君も早く戻るぞ! この袋も貰ってくれ!」
「あ、ありがとうございます……」
「そうだ、私は生徒会長の夜面江夏。
近々修学旅行もあることだし、何か困ったことがあれば君の友人伝手でも構わないから相談しにくるといい! では、先に行く!」
まるで嵐のような人だ。
「ああいうのを嵐のような人、というのだろうな」
生徒会長の走り去る後ろ姿を見送った後、ただの人形の様に抱えられるクマが喋り出す。
僕以外の人前で動かないようにしているのは何故なんだろう。
あまりこの人形を分解分析されたくないからかな。もしかしたらまだ公表してはいけない技術を使っていたりするんだろうか。
「助けを呼んでくれたのか?」
「君がひ弱なのは周知の事実だからな。ああいう輩に付き合っていてはゲームに支障が出るだろう。
少しはマシな人物をけしかけようと思った中で思いついたのが生徒会長だったのだ。
彼女自身が言うように生徒会長という肩書は学内でもかなりの権力を誇っているらしい。案の定逃げ出していったな」
「……ありがとう、ございます」
「感謝ならば、ゲームをクリアできたら言うんだな。
それより授業が始まるぞ。さっさと教室に戻った方がいいだろう」
「あ、そうだった!」
結局、着替えもあって授業にはギリギリ間に合わなかった。
◇◇◇
放課後――。
放課後はいつもなにもなく帰る。それがゲームが始まる前までの当たり前だ。
しかし、ゲームが始まってからは少し違う。
彼女が部活に行く前に何かしらの一言があって、幸せな気持ちを持ちつつ帰路に就くことができる。
だからこそ、僕は警戒していた。
さっきの須郷くんみたいに僕と古賀さんが接触するのをよく思わない人が何人からいるからだ。
ここ最近は毎日と言っていいほどに刺々しい視線が四方八方から飛び交ってくるのだ。
それぞれ部活もあるだろうにわざわざ腰をあげずに僕を睨み付ける。
今日くらいはいいだろう、と僕は早々と帰ろうとした。
すると、僕を睨み付ける視線が増えたことに気付く。
――古賀さんだ。
横目に見る彼女は、頬を膨らませて友人の死角から睨んでいた。
今日はダメだ。何か話していきたい気持ちはあるけど、今日だけはダメなんだ。
僕は、古賀さんと須郷くんたちの視線から逃れるように急ぎ足で学校を出た。
《好感度が3下がりました》
住宅街まで来て周りに学生がいなくなったのを確認する。
誰もいないのが判り、やっと安堵の息が漏れた。
「かなり警戒していたようだな。
それだけ君にとって彼とのやり取りは気が引けるものだったのか?」
嘲笑うかのような声が背中のリュックの中のクマから出た。
かと思うと、いつの間にかチャックを開いて顔を出している。
「そりゃあそうだよ。ゲームをクリアする前に僕が不登校になるところだ!
……選択肢が出たら強制的に接触しないといけなかったけど、出なかったおかげでなんとかなった」
「君にとっては彼女の心か、高校生活か、どちらを取るかという選択を迫られたわけだ。
人生においてどちらかを選ばなければならないという場面は数多く存在する。学校という場は、それらを間接的に攻められる空間だな。
しかし、君はどちらに対しても臆してはいけない。それが選択肢を持つ者の通るべきルートなのだから」
「簡単に言うなよな。そんなこと言うなら、キミが僕に成り代わって選択肢を選んでくれよ」
「…………」
ゲームは悪くないと思えてきたけど、それで学校生活に支障をきたしたんじゃダメだろ……。
「宇都宮くん!」
大きな声で後ろから呼び掛けられた。
驚きながら振り返ると、古賀さんが立っていた。
走ってきたようで息を乱しながらも肌が仄かに熱を帯びている。
絶えず僕の顔を睨み付けては、歩み寄ってきた。
「選択肢は、彼女は、主人公を逃がすことなく行動を投げかける。
これが攻略を始めた少年への使命だよ」
たじろぐ僕を置き去りにして古賀さんは顔を近づけてきた。
「宇都宮くん、今日ずっとわたしのこと避けてるでしょ!!」
「え……えっと、なんで……?」
体育があった二限目からだったのによく気が付いたな……。
「見てたらわかるよ……。
わたしと話すの嫌なの……?」
寂しそうに項垂れる彼女を見て焦る。
そんな顔をするなんて思っていなかった。
「もしかして誰かに何か言われた? たまにそういう人がいるって話聞くし、もしそれで宇都宮くんが嫌になったんなら……」
聞きにくく問いかける姿は儚げで、今にも消えてしまいそうに後退っていく。
それを止めろと言わんばかりに、ピコンといういつもの音が耳を振動させた。
【キミと話すのって疲れるんだ】
【違うよ】
【キミのせいで脅された】
【なにもなかったよ】
「ち、違う……! 今日は……お、お腹が痛かっただけ、ね? あまり元気のない所とか見られたくなかったし」
「ホント?」
「ごめん。家に帰ったらちゃんと薬とか飲むし、明日はきっと……大丈夫だから!」
考えがごちゃごちゃになっている時に選択肢を選べって言われても考えがまとまらない。
なんでここに古賀さんがいるんだ? また部活に行かずに帰ってきたのか? バックも持っていないし、そうじゃないみたいだ。
じゃあ――どうして……?
「よかった……」
胸を撫で下ろし、彼女に笑みが戻った。
それに触発されたのか、僕まで安心してしまう。
《好感度が2上がりました》
プラマイマイナスだけど、ちょっとはマシになっただろうか。
「もしかしてそれが気になって……?」
そう訊ねると、古賀さんの顔が真っ赤になった。
え、え、え……なにそれ……???
「ち、違うもん!」
もん?
なにそれ……普段の古賀さんから出るとは思えない調子なんだけど!?
「あーもう……知らない!
いい? つぎ無視したら、ダメだからね!!」
古賀さんは逃げるように来た道を戻っていった。
取り残された僕は、唖然しながらスカートをはためかせながら走り去る彼女の背中を見ながら立ち尽くしていた。
か、か、か……可愛すぎる……!!?
「はまったな」
あいにくのこと今はクマに構ってやれるほど心に余裕がない。
考えていたことが全部吹っ飛ぶくらいの破壊力によって、彼女から目を離したくなくなっていた。
「知らなかったろう少年。これが日常という名の青春だよ。
青春は君に噛みつき、けして放さない。青春を強要するのは選択肢ではなく、他との関わり合いによって育まれた、たった一時でも記憶としては長い――恋なのさ」
知らなかった……僕がこんなにも古賀さんのこと好きになっているなんて……。
ダメなのに……結果なんてわかりきっていると思っていたのに……どうしても思ってしまう。
――恋がしたい……!
◇◇◇
高校生が街に出ようと思えば、普段外へ出ない男児は少しはマシに見えるような格好を気遣うだろう。
それは、周りに溶け込めていると自覚したいが為である。周りの視線が気になれば気になるほどに気遣うものだ。
僕もその一人であり、オシャレとは言えないにしても持っている衣服の中で最適解を思考した。
それがグレーのトレーナーとジーンズ。無難なところと思われるかもしれないが、僕の中ではお気に入りである。
モールへとやってきた。
バスで三十分くらいの場所にある、ここらでは一番大きめのショッピングモールだ。
修学旅行では一日だけ私服が許される日がある。その日の為に服を買いに来た。
ここにはクマも連れてきた。入ってろと念押ししたのだが、ショルダーバックから顔だけを出している。
僕が修学旅行で着る服がないと嘆き、クマに店に行くように提案されて来た。
それにしても人が多い。
ショッピングモールという名前だけで気圧されてしまいそうなくらいそこら中が騒然としている。
どこを見ても眼鏡、下着、服、菓子、靴、色々ある。ベンチがあれば一休みする人もいて、フードコートを見れば開いている席がないほどひしめいていた。
「やはりこういう所は人が多いな。ひしめきあう人混みの隙間に立つ他ないと思い知らされる」
「確かに何を求めてこんなに人がいるのか、ちょっと疑問に思う所はあるよ。
僕みたいのは月に一回も来ないけれど、毎週日曜はこんなに込んでいるのか気になる」
「おそらく遠方から遥々来る者達もいようが、私から言わせれば暇だなというだけだ。
まあ君のように夏休みの課題を最終日までとっておくように旅行前になって私服が気になりだすおっちょこちょいな者も中にはいるだろうが――そういう者はえてして長居はしないだろう」
見抜かれてるな……。
クマの言う通り、僕は服を買ったらすぐさま帰るつもりだ。
人が多い場所は苦手で、友人と来ているわけでもないのに長くいるつもりはまったくない。
「さて少年。今日は修学旅行に着ていく服を購入するんだったな。
適当な店にでも入って、様子を見るか。ちゃんとチャリンは持ってきたんだろうな?」
「チャリン? お金のこと? そりゃあまあ……」
あれ? このフレーズ前にも聞いたことがあったような……?
「言っておくが、ここらの店の服は高価だと思うぞ。何故そこまで高値で売られているのか理解できないくらいにな」
「さっきはこういう所に来たことないみたいな事言ってたのに、結構知っているんだな」
「まったく来ない訳じゃない。友人に連れられて何度かな。
何度行っても、私の目を引くものはなかった。ただし――今回は君がいる。現在、私にとって目が離せない実験材料。ううん! いい響きだ!」
「そりゃあよかった……」
ふと一人の少女と目が合った。
通りの中央に並べてあるベンチにちょこんと座る灰色の髪をしたハーフの子。
大きな瞳は目が離せなく、また彼女は両手で銜えるハンバーガーの手を止めていた。
周囲が暗くただの背景でしかなかったというのに、彼女が存在したというだけでいっきにゲームが動いた。
《イベントが発生しました》
「……」
「……」
なんで古賀さんがここにいるんだ……!?
古賀さんは、恥ずかしそうにハンバーガーを下ろして口を拭った。
リンゴのように顔を赤く染めて可愛い。
「な、なんでここに宇都宮くんがいるの……?」
「そ、それはこっちのセリフだよ!」
「わたしは、友達と一緒に来たの。たまたま部活が休みで、それで……」
「そ、そうなんだ……」
「あれ? その子……美好のクラスの子?」
どこからか別の少女が現れた。短髪で真ん中分けをした中背の少女。
ラメの入った黒いシャツに下は短パンのハイソックスで活発な印象だ。
見た目で判断してはいけないと思うけれど、恰好と印象を含めて少し苦手かもしれない。
「そ、そうだよ。宇都宮遥輝くんって言うの」
「へえ? 遥輝くん、ねえ……?」
蠱惑的な笑みには悪戯な意図が見え隠れしているような気がした。
「この子は苑麻鏡花ちゃん。同じ陸上部で、三組なんだよ」
「よ、よろしく……」
「ねえ遥輝くん、今日の美好かわいくない?」
もちろんめちゃくちゃ可愛い以外の言葉が見つからないくらいだよ。
上は、白いブラウスの上に紺色のカーディガンを着ている。スカートの丈は膝下で少し短め。
清楚な感じなのにどこか色気があって、つい目を奪われてしまう。
僕が見惚れていることに気付いた古賀さんは少しだけ口元が緩んだ気がした。
「え、えっと……」
ピコン、という音が聞こえてレンズがまた動作を始める。
【かわいい】
【普通】
【かわいくない】
【わからない】
こういう時、僕は嘘は言えない。
他人から受ける問に嘘をつくのに慣れていないのだ。
ゆえに、羞恥に頭が垂れ下がりながらも回答した。
「か、かわいい……です……」
「あはは! なんで敬語?」
「鏡花が変なこと聞くからでしょー……」
「でも、嬉しいんでしょ?」
「そ……そりゃあ悪い気はしないけど……ありがと……」
「いや……」
《好感度が2上がりました》
感謝受けて僕は更に恥ずかしくなった。
お礼を言われたこともそうだけど、それ以上に自分が二人と会話するに相応しい恰好をしていないのではないという不安からだ。
やばい……前回のこともあって古賀さんを直視するのが難しい……!
「どうせなら一緒に回る? 連れもいなさそうだし!」
「ちょ、鏡花……」
古賀さんも無理には止めず、僕を見てきた。
彼女もまた僕に選択肢を迫っている。
【一緒に行く】
【やめとく】
これはゲームでも現実でもあるのだから。
「一緒に行ってもいいの?」
「そりゃあもちろん! ねえ、美好?」
「う、うん!」
『面白くなってきたな少年! 棚から牡丹餅だぞ!』
そうだね……。
何かクマに言われたのを聞いたけれど、何を言ったのかは理解はしていなかった。
目的もなく僕達はモールの中を歩き始める。
道に沿っている中、二人の後追うように僕は後ろを歩いた。
すると、コミュ力が高いのだろう苑麻さんが振り返りながらも話し掛けてくれる。
「美好から聞いてるよ~? 遥輝くんは、いつも数学で満点だってすごいね!」
「あはは……でも、古賀さんもこの前満点だったよ」
「美好はどれもこれも点数高いから。もうあんまり驚かなくなったけど、実はずっと数学が百点取れないってテストの後はいつも言ってたんだよ! ねー美好?」
「それは言わないでよ! それに、別に数学だけ悔しかったわけじゃないから!」
「美好赤くなってる! 可愛い!」
苑麻さんが古賀さんに抱き着くと、古賀さんは仄かに笑みを浮かべながら良しとしていた。
二人はかなり仲のいい友達のようだ。休みに二人だけでココへ来ているのだから相当だろう。
いや、女子ならば別に特別なことでもないのかな? わからないけど。
『ほれ少年、もう少し会話にまざらないか! つまらない男と見られては立つ瀬がないぞ!
ゲームにヒロインの友人に対して選択肢は発生しない。攻略対象ではないのだから当然だが、友人との仲の良し悪しによってヒロインの好感度に影響を与えることは往々にして有り得る! 積極的に会話に混ざるほうが得策だ!!』
ええ……そんなこと言われても、女子の会話に僕が混ざるというのは難易度が高すぎる。
だ、だけど……クマが言うんだし、僕だってやればできるってところを見せないと!
「古賀さん、さっきのハンバーガー……早く食べないと冷めちゃうんじゃない?」
「え……」
虚を突くような僕の問に対し、古賀さんは口を歪ませた。
もしかしてまずいこと言った!?
「ハンバーガーはね、クイーンバーガーで買ったの! 美好、ここに来て早速ハンバーガーが食べたいって言いだしてね!
でも、そういえばさっきまでかぶりついてたのに、アレどうしたの?」
「あとで食べる……」
「ふーん……?」
ふう……訊ねる度にひやひやしてしまいそうだ。
やっぱり女子との会話には腰が引けてしまう。だけど、このまま終わるのはなんとなくダメだ。
「二人は今日は何しにここへ?」
「それはね! あたしが最初に誘ったんだけど、来週修学旅行じゃん? その時着る服がさ、ちょっと心許ないわけよ。そこで何かいいものでもあれば、候補に入れようと思ったってわけ!
ついでに美好とファッションショーみたいなことでもできればって思ったんだけど、今日は遥輝くんもいるし、どれがいいか選んでもらおうかな!」
え、誰にだって!?
「あ! あそこなんかいいかも! フルワグランデ!」
嗚呼……なんかこの人、めっちゃ凄い流れで色々進めていくんだけど……。
苑麻さんは、よさげな店を見つけたようで僕達を置いて行く勢いで駆けだした。
「ごめんね宇都宮くん、鏡花はいつもあんな感じなんだ」
ピコン!
【ついていけないかも】
【明るい人だね】
【元気はつらつって感じ?】
【よくあの人といられるよね】
選択肢を選べる時間がおよそ5秒。
この間に一息入れるのと冷静になる為、頭の中で不安を吐き出す。
僕、今日大丈夫かな……。
クラスの人に知られたら今度は虐められるくらいになっちゃうかも……。
想像しただけで胃に穴が空きそうだ。
よし!
「明るくていい人だね」
「うん、いつもあの子に助けられてる……」
「……何かあったら僕も……その、力になれることなら、だけど……」
「――うん。その時はすごーく助けてもらうから、覚悟しててね!」
偶に古賀さんは暗い目をする時がある。
何かを思い出しているような目で、何かを背負っている気がしてしまう。
そこがなんだか危うくて、僕は力になってあげないとと思うんだ。
今回はなんとか言葉にはなったけれど、最近は選択肢のない言葉を選ぶのがこんなにも難しいのだと思うようになった。
僕は審査員役を任されるようになった。
こんなことは初めてなので、審査員役が物凄く荷が重い。しかし、苑麻さんの前では意見を言う暇がないのだ。
「じゃーん! どうよ!」
先頭を切るように、苑麻さんが早速試着室で着替えて見せてきた。
長い丈の赤いチェック柄のコートに中にはタートルネックニット。
今日のような天気のいい日にはあれだけど、大人な雰囲気が増してかなりいい。
「すごくいい、です……」
「そう? やった! 男子に褒められるとホントに嬉しいね!」
「……でも、下と上で季節感違くない?」
「あ、やっぱり?」
古賀さんの指摘は最もで、苑麻さんは上着だけをコーディネイトして下はそのままの短パンだったのだ。
だから季節感が合わないというのは確かな指摘だ。さすが古賀さん、元々点数は高いのに百点にこだわるくらいの完璧主義。
「なら、次は美好がやってよ!」
「……宇都宮くんに、見てもらうの?」
「なに、男子に見られるのがそんなに恥ずかしいの~?」
意地悪な笑みは古賀さんを煽り、古賀さんは「そんなことないけど!」と意地になって服を選びだした。
なんにしても僕としてはまた新しい古賀さんが見れると思うと期待が膨らんでしまう……!
「はーい! 遥輝くんスタンバイオッケーでーす!」
なぜか僕がスタンバっていたみたいにカーテンの閉まった古賀さんにコールする。
すると、まるでカーテンの奥が光りを放つかのように開かれた。
「おお!」
苑麻さんにつられて僕も情けない声を挙げそうになるのをこらえる。
シングルブレストの白シャツにネクタイ。下は黒の長いスカートだが、白いソックスが見えている。
ワンポイントとしてリボンのようなもので髪を括っていて、かわいらしさを増している。
完全に清楚系なのに古賀さんが着ることで細やかな奇抜さをもたらしている気がする。それもそっぽを向いて恥ずかしそうに怒っているからだろうか。
「やっぱり似合うね! あたしの見立て通りだよ~!
髪型を変えたのも本気度が違うね! さすが美好! 可愛すぎる!!」
やっぱりこのファッションを着せたのは苑麻さんか。
しかし、古賀さんの良さを引き出す素晴らしい選択だった。ここは一応心の中だけでもありがとう、と言った方がいいかもしれない。
「ほら、遥輝くん! どう?」
【可愛い】
【ブサイク】
【綺麗】
【ないわ】
「あ……はい。すごく、素敵です!!」
古賀さんは、口を歪めた。更には、沸騰するかのように顔を赤らめて項垂れていく。
終始可愛すぎて、僕は心の中でガッツポーズを敢行してしまった。
よっしゃ……!!!
《好感度が5上がりました》
「んん……次は宇都宮くんの番……」
「へ?」
羞恥で悶えたかと思えば、古賀さんは顔を手で隠しながらも標的を僕へと移そうとしているようだった。
まっつ――
「うん、そうだね! ファッションショーは全員で!」
「え、ちょ……」
「ちょっとお客様……」
苦笑いした女性店員さんがにじり寄って来ていた。
「そのようなことを当店でするのは……」
古賀さんと苑麻さんの顔色が曇るのを悟った。
ピコンと音がなったすぐさま選択肢が出ようという中、僕の口は先走るようにして開かれた。
「すみません、次に選ぶのは購入するので!」
「あ、そうですか! では、何かお困りごとがあればおっしゃってくださいね……」
優しい人だ。今の流れを購入すると言っただけで許してくれた。
でも、確かに購入しないのにこうやって騒ぎ立てるのはよくなかったよね。
『成長したな少年。選択肢無しでキミは己のルートを切り開いたぞ』
そういえば、選択肢の音が出たけどそれを出る前に言ったから出なくなったな。
「ありがとう宇都宮くん。かっこよかったよ」
「え、あ、そう? あはは……」
古賀さんに褒められるとなんだかすごい事をしたみたいで照れすぎる!
「うんうん! じゃあ責任を持ってあたしたちが、主に美好が選ぶよ!」
「え、わたし……!?」
流石に古賀さんに選んでもらうなんて、夢みたいなこと……。
「うん、いいよ!」
「え……」
「嫌なの?」
「ううん! 嬉しい……」
いいの!?
「なら、いいけど……」
焦って否定すると、お互いに恥ずかしくなってしまった。
でも僕にとっては、好感度10プラスくらい嬉しいことだ。
◇◇◇
僕たちにとって待ちに待った修学旅行が幕を開ける。
目的地は、関西一帯だ。
初日に京都を見て周り、ホテルは広島。二日目は自由行動で、三日目は大阪へ行く。
まずは京都へ向かって新幹線で移動する。
新幹線の中は、学生が貸し切っていることもあって高校生だというのに騒がしい。
皆、浮かれて気持ちが抑えきれないようだ。
隣の窓側の席は、いつもと変わらず史郎だ。
本音を言えば、古賀さんの隣に座りたいが。
男子禁制の女子の輪に囲まれては誰も手出はできない。
だけど、その女子の輪とは向かいの一つ後ろの席に位置取れたので、運はあると思う。
度々目が合っては逸らしてができるし、個人的にはこの距離感が正解と思っている。
先日の偶然モールに出逢ったこともあって、好感度も上場のうちにこの修学旅行のイベントに乗り込むことが出来たのはありがたい。
「くう……女子はいるのに、なんで先輩はいないんだ……」
史郎はずっと残念そうだ。修学旅行というイベントを好きな人と過ごすチャンスがないのが悔しいのだろう。
「まだ言ってるのか? 三年生の生徒会長がどうして二年生の修学旅行に来れるんだよ」
「ん? なんだお前、最近心に余裕が感じられるぞ!?
まさか女か!? 俺より先にゴールインしたのかあ!?」
「そ、そんなわけないだろ!?」
「まっ、そうだよな! 相手がタカハナ過ぎるし、俺の方が先にラブラブになるからな! アハハハハハ!!!」
なんでそんな自信満々なんだ……?
ていうか、史郎だって高嶺の花だろうに。
史郎の高笑いに呆れていると、古賀さんもいる女子の輪から多くの視線が向けられている気がした。
古賀さんを含めて女子たちが皆僕の方を振り返ってまで見てくる。
怪訝に首を傾げると、ニヤニヤと笑ってくるので気になった。
「ねえ、遥輝くん! この前選んだ服、ちゃんと持ってきた?」
「え、あ、うん……」
「え、なになに!? なに!? おいなんの話だよ!」
中には苑麻さんもいて、面白がるようにして訊ねてきた。
おそらくこの前のモールの件で話が盛り上がったのだろう。
しかし、大衆の視線がまた酷く刺々しくなった気がしたのは気のせいだろうか。
「二日目にそれまた見せて! みんなも見たいって!」
僕はコクリとだけ頷いた。
恥ずかしすぎて顔を上げられない。
「なんのこと!? なんのことだよおい! おい!」
史郎が何度も訊ねてくるけれど、僕は一貫して口を開かなかった。
幾分か経ち、隣の史郎から寝息が聞こえ始める。
僕は、いつ選択肢が出るかもわからない為に寝れる気がしなかった。
「移動中は退屈だな。こんなに近くにいるというのに、二人きりになるチャンスがないどころか身動きがとりにくい」
クマがいつの間にか僕の膝上にいた。我が物顔をしながらくつろぐように胡坐座りしている。
「なんで出て来てんだよ!?」
説教をしようにも周囲が気になってそれどころじゃない。
小声でなんとかバックに戻って貰うよう説得を試みる。
「そう彼女をチラチラ見ていると、しつこいと思われてしまうかもしれないぞ」
「え、マジ!?」
「もしかしたら見てくるだけで何もしてくれない、とでも思っているかもな」
クマは僕を茶化してどういう反応をするのか、楽しんでいる節がある。
いつもクマの調子で話が進むからこちらとしては疲れるばかりだ。あまり調子に乗らないよう、きつく言いつけないと!
「…………そんなことより! 僕がクマの人形を持ちこんでたら馬鹿にされるだろ!」
「誰も君に注目などしないさ。修学旅行に浮足立った学生の思考など、たかが知れている。
自称モブである君よりも視界に入れたいものを入れるに決まっている」
こいつ……徐々に毒舌になってきたとは思ってたけど、最近になって僕を別称するのに躊躇いがなくなっているな。
「まあでも、その口ぶりなら新幹線内では選択肢は出現しないということだよな。それなら別に僕も寝ちゃっても構わないってことだ!」
「私はそんなことは言っていないぞ。選択肢に制限なるものは存在しないからな。むしろ新幹線内という要素を基にどんな選択肢が現れるのか興味がある」
ゲーム開発者って皆こんななのか? 僕を実験台と称すこいつは自分のゲームなのに興味津々なのか!?
「その人形、宇都宮くんの?」
「え!?」
顔を上げると、通路に古賀さんが立っていた。
「あ、えと……うん、まあ……ね」
恥ずかしい! これだからバックの中にいて欲しかったんだ!!
「可愛いね。そういうの好きなの?」
「まさか! 妹の人形が間違えて入っちゃっただけだよ」
「妹がいたんだ? 今度会ってみたいかも」
「あはは……古賀さん綺麗だから喜ぶ……」
え、え、え!!? 僕、今なんて言った!?
古賀さんは視線を逸らし、恥ずかしそうに自分の髪を弄り始めた。
思わず気まずい空気を作ってしまったことを後悔するも、立て直し方がわからない。
「えっと! 妹は綺麗な人が好きで、よく韓国系のアイドルとか見てるんだよ!
だから古賀さんも……って、こんなこと言ったらキモイよね。ごめん……」
わあああああ!! なに絡まってんだよ!
いきなりで驚いたけど! 話しかけてくれて嬉しかったけど! 急すぎてなに言っていたのか自分でもわからない!
選択肢の影響で口からなんでも出そうになる……!
「ううん、その……ありがと」
《好感度が3上がりました》
「え――」
顔を上げると、もうそこに古賀さんはいなかった。
「ふふふ、偉いぞ少年。選択肢無しで好感度をあげてみせた。
著しい成長に私も鼻が高い。このゲームの理念が徐々に芽を出し始めている証拠だからな!」
「おかげで心臓がいくらあっても足りない……」
「自分で起こした事だろう。私はもっと胸を張っていいと思ったがな!
先程のように人を褒めると、オキシトシンというホルモンが増える。人はオキシトシン等の幸せホルモンを出すと幸せに感じる為、もっと積極的に他人を褒める方がいいのだ。幸せを得られるのだから、自信をもって叫んでいいんだぞ!」
また変な知恵使って乗せようとする。その手には乗らないよ。
「あら、拗ねちゃってまあ……。
しかし、君にとってこの人形の体はあまり癒されるものではないらしい。愛らしくも愛おしいクマの人形だというのに、君という人間は理性の塊のようだな」
「ほっとけ」
「ふむ、これが思春期というやつか。君には無縁のように思えたが、今は心の余裕がないようだ。ここはちょっかいを出さずに成り行きを見守るとしよう」
やっと戻ってくれるのか。少しは威厳を感じて貰えたんだろうか。
「おっと、忘れていた」
「っ……なに?」
「修学旅行イベントだからといって、あまり気を抜かない方がいい。
以前の少年がどういう手で君を邪魔しようとするのか、わからないからな。どんな所でも気を引き締めえておけ」
『以前の少年』って須郷くんのことか? クマは結構警戒しているみたいだな。
「須郷くんだってそこまでのことはしないさ」
「人が人をたらしめるのは、他に嫉妬する瞬間だ。嫉妬とは時に恐ろしく、理性を壊して搾取を鬼気として行う。
金を持っている者からは金を、高価な物を持っている者からはその物を、地位を持っている者にはその地位から堕とそうとする。ただの土地争いの為に何千何万と殺めてきた歴史があるのだ。
彼女を懸けて彼が君に行動を起こす可能性は十二分にありうる。以前、覚えていろとまで言っていたのだからな」
僕は、鬼気迫る形相の人形に生唾を飲み込んだ。
須郷くんは、喧嘩っ早くて有名だ。気に喰わない先生にだって食って掛かるほどに沸点の低い人だ。
そんな不安がクマの言葉で蒸し返された。
「では、気を付けるんだぞ」
「……」
須郷くんは、正直言って怖い。何をしでかすかわからない怖さがある。
でも、彼が僕に目をつける原因になっているのは、クマが持ってきたゲームなんだよな……。
古賀さんと仲良くなれて幸せだけれど、こういう嫌な部分も含めてゲームみたいだから複雑だ。
◇◇◇
僕たちは、京都を訪れた。
教科書にも載る歴史文化遺産を眺めては圧巻させられた。
現在は三十三間堂付近の血天井を見上げている。
ガイドさんに連れられ、それぞれの建物や歴史の説明がされるが僕や史郎はみんなから離れて後ろの方で見ていた。
「まあ、予想はしてたけど一日目だから学校はこういう所に来させるよな」
「修学旅行だしね。でも、たまにはこういうのもいいよ」
なんたって古賀さんの近くにいれるしね。
古賀さん、少し怖がってるかな? 苑間さんたちに囲まれているけれど、彼女自身得意というわけじゃなさそうだ。
「おーい遥輝……あんまジロジロ見てると、変態みたいに思われるぞー」
「え、うそ!?」
「ニシシシシ! そういやお前、古賀さんのことが好きだったんだな。最近まで全然気づかなかったけど、いつからだよ?」
「別に、好きってわけじゃないけど……」
「嘘つけ! 最近になっていつも仲良く話してんじゃねえか。羨ましいぞこんちきしょうめ!!」
「何言ってんだよ、史郎は生徒会長だろ」
「その通り! 俺は一途な男! 陰キャくんとは違って俺は大海原を駆ける先輩のお供がしたい!!」
「おーい行くぞ眼鏡男子ども! ちゃんと着いてこーい!」
先生に呼ばれ、僕たちは適当な返事をして後を追った。
「にしても、気をつけた方がいいぞお前」
「え?」
「古賀さんを狙ってる人は何人もいるんだ。異性で話しているだけで、リンチにあうかもしれん!」
「あはは……まさか……」
「ついこの前だって、須郷に呼ばれてたんだろ? 先輩が言ってたぜ?」
「それは……そうだけど……」
「恋をするな、とは言わないけどな。もう少し身を潜めるっていうかさ、バレないようにしないとお前の身の安全が心配だよ俺は」
「……だから、別に僕は……」
「本当にその気はないのか?」
「……」
「男女に友情は成り立たないっていうけど、まさしくお前たちはそれだぜ? 傍から見ててわかりやすいくらいだ」
「僕には無理だよ……」
僕のゲームクリアは、ハッピーエンドでもバットエンドでもない。
おそらくあるだろう誰の迷惑にもならない最善のエンド。
――友情エンドだ。
だから、友情を成り立たせなくちゃいけないんだ……。
最善、なんだから……。
そう考えるのを他所に、僕の胸は棘を指したみたいな痛みに襲われていた。
諦めるや無理という思考が僕を痛みつける要因になっている。
「知ってるとは思うけど、古賀さん陸上部のエースで次は全国大会まで行っちまうかもってくらいなんだぜ!
早くしないとお前、なんにもないまま置いてかれちまうぞ!」
……違うよ史郎。僕は、とっくの昔から置いていかれているんだ。
古賀さんが意識しないだけで消えてしまいそうなところに僕はいるんだ。
古賀さんが僕を見てくれているのは、ゲームのおかげなんだ。ゲームがなければ、僕はまた陰に戻り、二度と関わることがなくなる。
今の夢のような時間を楽しむだけなんだよ。
◇◇◇
ホテルへ到着すると、早々に上着を脱いでベッドにダイブする。
僕達というのは、もちろん僕と史郎になる。
ビジネスホテルの一室にあるふたつのベッドはそれぞれが占有している形だ。
史郎が窓側で、僕が扉側。
ホテルに来るまでに広島風お好み焼きを食べてきてお腹もいっぱい。だから起き上がれる気がしない。
「風呂、行かないとな……」
「ほう? 遥輝くん、キミもこの修学旅行というイベントの真髄を理解しているようだね!!」
史郎がこちらに首だけを向けてきたので、僕は顔を合わせるようにして向き直る。
「どういうことだ?」
「ふふふ……わかっているくせに女々しいやつめ。
ノ・ゾ・キ、に決まっているじゃないか!!!」
こいつならやりかねなかった……!!
「このホテルは天然温泉がある! 女子ならば、部屋の風呂よりもそっちに目が行くはず!
さっきも入ろうという女子達の声をこの耳に納めている!! 他、男子もそれに聞き耳を立てていたことも知っている!!」
「やめとけって……どうせ先生達が見張りくらいしてるだろ。
見つかったらエロ史郎の烙印を押されて二度と口を利いて貰えなくなるぞ!」
「ふっ、今でこそそれほど口を利いて貰えないのにそんなものを気にしてどうする!?
むしろ、日頃の鬱憤を含めて晴らしに行くべきだ! 俺達に失うものはないだろ!!」
いつになく熱い。
こいつ、本当に覗きをするつもりなのか……?
「史郎はいいの? キミの中の生徒会長は、止めているんじゃないの!?」
「っ…………先輩が見ていなければ、問題にはならない……!」
「そ、そこまでなのか……! シロウ!」
「高校生だぞ! もうすぐ高校三年生になるんだぞ! 最後の修学旅行になるんだぞ!!」
「キミは、好きな人のハダ…………よりも、別になんとも思わない女子のでいいのか!!」
「バカ言うなっ!!」
「っ……」
「女子高生の風呂を覗くというのは、男子高校生の夢だろうが!!」
熱い!!
「行くぞ遥輝! 俺達を女子風呂が待っている!!」
「いや、僕は行かないけど」
「え――――――――!!?
ここまで茶番をしておきながら!!?」
「倫理的に有り得ない」
「…………お前はそういう奴だったのか……!
友情よりも怒られたくない自尊心か!!」
「なに言ってんだよ……」
「それなら、お前はここでナニでもしてればいいさ! 俺は……俺は! 古賀さんの裸体を見て来るからな!!」
はっ!!?
史郎は、僕の静止も聞かずに部屋を飛び出して行ってしまった。
古賀さんのハダ…………なんて、絶対ダメだ!
「待て史郎!!」
女子風呂を覗きたいと思っている訳じゃない。
見たくないというわけじゃないけれど、史郎が女子風呂を覗こうとしているのをそのままにしておくわけにはいかない。
友人を止める為、僕は彼の後を追った。
通路の角で身を潜めている史郎を見つける。
角の先を窺っているってことは、この先に先生か誰かがいるってことか。
もう諦めは付いただろう。
「ほら史郎、帰るよ」
「ばか、声出すなよ! もうすぐ女子達が中に入るんだからさ!」
まだ言ってる。
なんでそこまでするんだ? 僕的には無駄な努力とはこのことだと思うんだけど。
「ていうか、ここって風呂覗けるところなの?」
「お、いいこと聞くな遥輝。露天風呂なら、覗けるんだぜ! 既に調査済みさ!!」
「マジかよ……」
「よし、行った! 俺達も行くぞ!」
史郎は、しめしめと舌なめずりをしながら足を進めた。
後に続くように、と後ろの僕に指で合図を送る様はスパイアニメにでも影響されているみたいだ。
「ちょ、やめろってば!」
僕が止めようとするのも聞かずに角を曲がった矢先、史郎の足が止まる。
「あ……」
先を見ると、ぬっと別クラスの女性教師が温泉の向かいの角から姿を現していた。
「君達、何をしているのかな〜?」
「やっべ!!」
急に史郎の体が反転する。
驚きで足が止まってしまっていた僕は、彼を避けることができなかった。
史郎と僕は、互いに思いもよらない激突をした。
「悪い遥輝!」
僕は、後頭部を壁にぶつけながら倒れた。
朧気な視界に史郎の逃避姿が見える。
あの野郎……。
すっと、僕の意識は遠のいていった。
◇◇◇
目を覚ますと、誰かがこちらを見返していた。
史郎かと思ったが、そう思ったことを後悔する。
長く艶のある灰色の髪が揺らめいていた。
目を見開くそばから古賀さんの綺麗な顔と見合わせる。
「こ……古賀さん……?」
徐々に意識がハッキリしてきて、後頭部の柔らかくも調度良い硬さを感じる。
なんだこれ……どうなってるんだ? えと、いま僕は古賀さんの影で仰向けになっていて? どうしてか古賀さんと見つめあっている?
もしかして、膝枕されてる!?
「可愛いね」
にんまりと笑みを浮かべる浴衣姿の彼女を前に気が動転した。
すぐさま起き上がろうとするが、頭が重く途中でつっかえてしまう。
「ダメだよ。頭打ってるんだから、安静にしてないと」
「え……」
古賀さんは優しくゆっくりと僕の頭を自分の膝の上へと戻した。
心地よくも罪悪感を感じる楽園。
僕はまたキョトンとしながらも彼女の顔を見上げた。
「あまり見ないでよ、恥ずかしいから」
「あ、えと……ごめん……」
顔を赤らめ視線を逸らす彼女が愛らしく、目を離すのを遅らせる。
なんで古賀さんがここにいるんだ?
ていうか、ここどこ?
さっき僕は……史郎を止めようとしていたはずなのに……。
いや、そんなことは今はどうでもいいか。
浴衣姿の古賀さん、すごくいい。可愛いし、匂いも………これ、香水? 温泉に入ってきたのかな?
どこでも嗅いだことのないいい匂いがする。
匂いを嗅いでるのバレたら変態になっちゃうから言わないけど、いままでで一番落ち着く場所はここだ。
ふと温かい手に前髪を撫でられた。
ん?
「宇都宮くん、前髪上げた方がかっこいいかも」
「え……ホント?」
「下ろしてるのも可愛くていいけど、前髪上げるだけでイメージ変わりそう」
「……」
なにそれ、嬉しすぎる……!
今度やってみよう!!
【古賀さんもかっこいいよ】
【古賀さんは可愛くない】
ピコンと音がするも、僕ももう慣れたようだ。考える間もなく選択肢を選び出した。
「古賀さんも、陸上してる時の髪縛ってるのかっこいいよ」
「あはは……かっこいいかぁ」
見上げながら見る照れ顔も可愛い。
古賀さんがなにかする度にニヤケそうになってしまうからズルい。
「宇都宮くんは、お風呂になにしに行こうとしてたのかな?」
静かに古賀さんの顔が怖くなっていく気がした。
笑顔なのに不穏な空気を纏って目の奥が笑っていない。
「いや、僕は……」
やばい……なんて言い訳しよう。
古賀さんはたぶん事の成り行きを見ていないだろうし、史郎は帰っちゃったし……。
「ふふふっ! ごめんごめん、わかってるよ!」
「え……?」
「宇都宮くんは覗きなんてことしないって、ちゃんとわかってるよ」
「……どうして?」
「宇都宮くんにそんな度胸ないもん」
――好きだ。
好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ。
溢れそうなこの気持ちを、いっそのこと今吐き出してしまおうか。
僕は、彼女に見合わない。僕なんか……
今ならそんな理性を置いといて言えてしまえそうな気がする。
世迷言を脳裏で並べ立てる中、僕の右手がおもむろに古賀さんの頬へと伸びていた。
小首を傾げるだけで、拒絶しない彼女にもしかしたらを妄想する。
ダメなのに、古賀さんを求めてしまう。
愛おしくてたまらなくなる。
――クマ、僕はキミを恨むよ。
なんで僕に敵わない恋愛を持ってきたんだ。
なんでゲームのヒロインが、古賀さんなんだ。
古賀さんじゃなかったら、こんなに好きにならなかったんじゃないか。
古賀さんじゃなかったら、なんの隔たりもなくゲームを突き進めたんじゃないのか。
相手が古賀さんだから、僕はやめたくてもやめられない。
このゲームで攻略されているのは、古賀さんじゃない。
――僕が古賀さんに攻略されているんだ。
横目に人影が映った。僕達は、二人そろって人影の方振り返る。
苑麻さん達女子組がニヤニヤしながら僕達を見ていた。
「え……」
「あ、えっと!」
僕はすぐさま起き上がって古賀さんを距離を取った。
たぶんずっと見られていただろうけれど、誤魔化すように。
「も、もう大丈夫……です……」
「う、うん……」
古賀さんも恥ずかしくなっていた。
顔を羞恥に染めて壁の方を向いている。
代わりに苑麻さん達は残念そうな声を漏らしていていた。
何を期待していたんだ……。
「あの、僕……戻る、ます……」
「はい」
僕は、その後古賀さんと顔を合わせることなかった。
ニヤニヤした女子達の背中を通って自室へと戻っていった。
一日一日と過ぎる度、ゲームが終わってしまわなければいいと焦がれてしまう。
抑えようとしても、抑えられなくなってしまう時がくるのが怖い。
次に選択肢が来た時、僕はちゃんと(正解を)選ぶことができるだろうか。
「膝枕とは、なかなかに君とって喜ばしいイベントだったようだな」
クマ……。
部屋を抜け出して、廊下で僕を待っていたのか。
「ここまで好感度を上げ続けてきた甲斐があったというものだな! 彼女自身、君への印象がかなりいいようだ」
「クマ、僕はこのまま正解を選び続ける意味はあるのかな……」
「……また弱気か」
「…………」
黙り込む僕にクマは微笑んだ。
「場所を移そう」
彼女は僕の不安を大人らしく享受し、いつものようについてこいと歩き始めた。
◇◇◇
非常階段へと出ると、ホテルの壁を仕切りに夜景が覗き見えた。
僕の不安な感情を嘲笑うかのような美景に背中を向け、階段へと腰掛ける。
クマは、扉を閉めると僕と向き合った。
「なにをそんなに弱気になる必要があるんだ?
先程の君と彼女とのやりとりは青春そのもの。恋愛の模様を鮮やかに彩っていたではないか!」
「僕じゃダメなんだ。だから、どうせ僕は――」
「どうせダメ、僕じゃダメ。僕は、色の無いカカシだから。風景に馴染むモブキャラだから。とか、適当な言い訳を脳内でぐるぐる回しているところ悪いが、もっと自分を見ろ!
今の君はモブキャラじゃない! このゲームの主人公は、君なんだよ少年!! 他の誰でもない、君なんだ!
それをわかっていても、自分が何者か信じたくないだけだろ!!」
「今は、ゲームの恩恵で古賀さんの近くにいられているさ。でも、ゲームが終わったら? 僕と古賀さんの関係が最初からなかったみたいに消えてなくなってしまうんじゃないのか?」
「はぁ…………君は、よくネガティブに物事を考えすぎだ。
だいたい、このゲームに記憶消去のような画期的な要素は存在しない。そんなものは君が頭の中で思い描いている悪い妄想でしかないんだ!
悪い妄想をするのをやめろとは言わないが、どれもまやかしに過ぎないんだぞ?」
「今後、起こりうる現実だよ。僕には何もない。選択肢がなくなったら、ゲームがなくなったら――僕はただのモブに逆戻りになる。
モブは、ヒロインに関わることさえ叶わない」
「未来……か」
クマは小さくも動きにくい体でも階段を上って、更には僕の膝まで上ってきた。
呆気にとられる僕の目の前で、クマは指で差すように腕を上げる。
「――聞け、少年!!」
ただのクマの人形なのに、風格のある声で緊張させられた。
「どんな妄想も、結局は可能性でしかないのだ。未来に何が起こるのか、現在からは確かなことはわからない。
なぜなら未来はどう見繕っていても、もしもの世界でしかないからだ! それが幸福な未来でも、不幸な未来でもだ!
人間は浅はかにも未来を予想する。先で起こるだろう事に備える自己防衛機能が働いているからだ。
しかし、それらは全て完璧ではない。天気予報では雨だったのに、雨が降らなかった日なんていくらでもあるだろう。あれは機械を通しているが、君は機械さえ通していない。高性能なコンピューターでさえ予想のつかない未来を若干17歳が推し量れる未来など、せいぜい脳みその足らない友人があとどれくらいで寝るか、くらいなものだよ。
だから、未来をせめて少しでもよくする為に現在を精一杯に生きることを私はおすすめする。そうすることでしか、未来を創り上げることはできないからだ!
結果があるのは、それまでの過程として現在があるからに他ならない」
「未来があるのは、現在があるから……」
「今朝、私は人間をたらしめるのは嫉妬だと言ったが、正しくはそれだけではない。君のように理性がある。
君の理性は少し働き者だが、それなくしては人は人であることはできない。幸福をもたらす根幹とも言えるべきものだ。
理性は、時に良くも悪くもの働くもの。今の君のように妄想が肥大化してブレーキを利きすぎて逆に戻ろうと考えさせてしまう時がある。だから私は、嫉妬へと繋がりうるもう一つの諸刃の剣を勧めたい!
――本能だ!!
理性と相反するものだが、これなくして幸も不幸もない。君が彼女と紡いだ思い出の中で感じたこと、胸が躍動した理由となったことを今一度思い出してほしい! そこで感じたことで、描いた欲望こそが本能だ!!!」
――世界最強に認められた村人の気分だ。
――僕は、古賀さんと話がしたい。
――恋がしたい……!
――好きだ。
どれも僕の本能であり、本心。誰でもない僕自身が想い感じたことだ。
「もしもなど捨て置け! 主人公と彼女以外の他者など気にする必要はない!
自分を創り上げるのも未来と同じ! 現在からどれだけ歩き、己を磨くことができるかだ!!」
「っ――」
「足を進めろ! 君はもう歩き方を知っているだろう!!」
「…………――わかった。頑張ってみるよ!」
「よし! その意気だぞ少年!! フハハハハハ!!」
クマの説得に心を打たれ、僕はまた前を向いた。
しかし、どうして僕はクマにこれほどまであっさり懐柔されてしまうんだろう。
どうしてもクマの言葉に勝てる気がしない。というか、クマの言葉に乗ってみたくなってしまうんだ。
人形だから威厳だけが物足りないんだけどね。
こうして僕達の修学旅行一日目が幕を閉じた。
◇
すまない少年。
私はまだ、君に隠していることがある。
この先を進めるのに重大な秘密を、私はまだ話していない。
しかし許して欲しい。
結局のところ、私こそただの操り人形でしかないのだから――。
◇◇◇
次の日の修学旅行二日目――。
朝、駅で別れた後は各々別れて自由行動ということになる。
朝ということもあって肌寒く、しかし晴れることが予想されるだろう青空。
僕は、古賀さんと苑麻さんに選んでもらった私服を着ていた。
ゆえに、駅で珍しく4人程の女子に集られている。
それを見たがっていた人達が集まっている形だ。
古賀さんと苑麻さん以外の二人もこれまであまり話したことのない女子達だ。別のクラスだし当然だろうけど。
古賀さんとは陸上部仲間らしく、だからこそ友情も深いはずだ。
一人は、ショートボブで前髪ぱっつんの野々村澪さん。
初めて逢うが、私服も含めてオープンで明るい人だ。全然話したことのない僕とでも気兼ねなく話してくれそうである。
二人目は、黒髪ロングの桐木萌音さん。彼女は陸上部とはいってもマネージャーで華奢だ。
垂れ目ということもあって内向的に思える。しかし、服装は黒のジャケットでワイルドっぽさもあるのかもしれない。
女子達は陸上部のメンバーでそれに囲まれる僕はなんなんだろうか。
「どうよ!」
苑麻さんが僕が着ている服装を自慢するも、皆には「ほとんど美好が選んだんでしょ」とつっこまれていた。
「でも、いいじゃん! スウェットジャケットっていうんだっけ? 似合ってる!」
「うんうん、ワックスも付けてるみたいだし大人っぽい!」
古賀さんが選んでくれたコーデは好評のようで、古賀さんも嬉しそうだった。
僕もその古賀さんの嬉しそうな表情が見れて嬉しかったりする。
女子が指摘してくれたように上着は黒のスウェットジャケット。中は白いシャツで、明暗差がハッキリしている。
下はベージュ色のパンツで、カジュアルな印象だ。
「頭、いい感じだね」
「あ、ありがとう……」
好きな人に褒められるのは世界一嬉しい。
たったこれだけで喜んでしまう自分は世界一チョロいというところか。
照れながらも僕は彼女の褒め言葉を脳内データベースに大事に保存した。
ワックスは史郎の持ってきたやつを使ったのだが、昨日の事件もあってあえて言わないことにした。
あいつは反省した方がいい。
「遥輝くん、この前言ってたこと覚えてるよね?」
「ふっふっふ〜!」
苑麻さんの言葉に聞き耳を立てていた史郎が偉そうに背後から出てきた。
「この貧弱な男を連れていくというのなら、この私がご同行することになるが――、よろしいかな?」
モールの別れ際、僕達は修学旅行の二日目に一緒に行動する旨の約束をしていた。
もちろん選択肢ありきの選択だった。
しかし、男一人では女子の輪には入れない。そこで史郎を連れていく可能性がある話はしていた。
昨日、あんな事がなければもう少しマシな表情で迎えられていたのに……。
「ええ……」
閑古鳥が鳴くが如く静かな風が吹いた。
「だ、大丈夫だと思うよ。史郎が好きなのは生徒会長だし!」
さすがに助け舟を出さないわけにはいかない。
彼がいなければ、僕は古賀さんと共にいられないのだから。
「なんで言うんだよ!?」
「別にいいだろ。僕の前じゃ普通に言ってんだから!」
「理由になってねえよバカ野郎!!」
史郎が恥ずかしがりながらヒソヒソと話すのを他所に女子達の顔色が一変する。
「え、そうなの!?」
「高望みの恋ってやつ!?」
「えー知らなかった! だから生徒会に入ったの!?」
「もっと話聞かせて!!」
史郎が皆ににじり寄られようとした時、先生が「もう行っていいぞ」と簡単に声を発していた。
暫時気を取られている中、僕はおずおずと訊ねる。
「し、史郎も行くってことでいい……ですか?」
「まあ、恋バナをくれるなら仕方ないか!」
「そうだね。恋バナを前にしては仕方なし!」
「なああああああ!! 一緒にいけて嬉しいけど、怖すぎて素直に喜べねえ!!」
「うるさいでーす」
「さあ行きましょう!」
◇◇◇
女子達の行きたい場所は、最初から決まっているみたいだった。
迷いなく駅へと乗り込み、目的地まで電車に揺られた。
そして待ちに待った場所へとついに到着する。
「到着! ビバ、UFN!!」
苑麻さんたちが大きな門の前で堂々と叫んでいる。
意外なのは、史郎も混ざっていることだ。先程生徒会長の事に対して質問攻めにあっていたからそれで仲良くなったんだろう。
高校生ならではのおちゃらけぶりだが、僕と古賀さんは二人で彼らのノリに気後れしていた。
それどころか、古賀さんが僕と同じであの仲に入っていないのが気が合っているかも、という勘違いを引き起こしてしまっている。
「ほら、写真撮るよ! 美好たちも集まって!」
「行こ、宇都宮くん」
「うん」
ここは、大阪にある『ユニバーサル・ファイン・日本』略してUFNというテーマパーク。
全国から人がたくさんやってくるほどで、僕も一応興味はあった。
デートではないにしろ、こういう場所で古賀さんと思い出を作れると思うとなんてラッキーなんだろう。
「あれ? なんだ、お前等も来てたのかよ」
弾んだ調子の男性の声が聞こえてきた。
僕は、その声に顔面蒼白になってしまう。
なぜなら、この声の主が須郷くんのものであるからだ。
「須郷くんたちもここ? だよね~! やっぱここははずせないっしょ!」
「当然! てか、ここ以外興味ねえし!」
この場所は、人気のスポットだからわざとを疑うには証拠がなさすぎる。だけど、彼とこうして鉢合せしてしまうことがゲームの画策を怪しんでしまう。
「遥輝~。いいじゃんお前、似合ってるぞその格好!」
「ありがとう……」
須郷くんや須郷くんが連れている二人は制服だ。
私服の了承はあっても、制服でいる生徒は何人かいる。須郷くんもその一人だ。
しかし、彼のこの嘲笑うような笑みは僕をバカにしているようにしか見えない。
『似合っている』が『調子に乗るな』の意味が孕んでいると思うのは、普段の彼がそういう言動ばかりをするから。
「なんなら俺等も一緒に行っていいか?」
「うんいいよ! たくさんいた方が楽しそうだし!」
苑麻さんが二つ返事で了承してしまうのを少しだけ恨んでしまう。
少しだけでも嫌な雰囲気を醸し出してくれた方が救われた気がしたのに。
て、考えてても仕方ないか。こうなるような予感はずっとしてたから、予想通りと思ってこのまま進むしかない。
人数が9人に増えてUFNの中へと入っていった。
須郷くんは、ゲームの邪魔をしにきたと思っていた。だけど、ちょっと思っていたのとは違った。
古賀さんにアピールするように仕切ったり、古賀さんと積極的に話すようにしていた。
以前言っていた古賀さんのことが好きというのは、本気なのかもしれない。
その事実に面食らった僕は、二人の合間に入れなくなってしまった。
ジェットコースターに乗ることになると、須郷くんに古賀さんの隣を奪取されてしまう。
僕は二人の後ろで史郎ともやもやしながら前の席を眺めた。おかげで全然ジェットコースターを楽しめなかった。
その後も次々と古賀さんの隣を占領され、入る隙がない。
そのまま時間とアトラクションが過ぎていき、僕達はお化け屋敷に入ることになった。
人垣のできた列に並び、順番が来るのを待っている。
「古賀さん、怖いの苦手だったりする?」
「どうかな……」
僕は、苦笑いしながら相槌をうつ古賀さんを後ろの方から見ているのが嫌になっていた。
好感度でいえば、僕の方が上なのに……。
古賀さんは須郷くんと一緒にお化け屋敷入るのか……。
そんな恨めしい科白も胸の内で飲み込まなければならない現実。それを前にどんどん皆から遅れてしまう。
「やはり、こうなってしまったか」
カバンから聞こえてきた声に振り返る。
クマが顔を出していた。
「ゲームの中ではあまり出ないだろう邪魔キャラだな」
「どうすればいいんだ。正直、これ以上皆のところにはいたくない……」
「いや、そう沈み込む心配はないと思うぞ」
また始まった。
日頃、僕をネガティブと言っているけれど、その実クマがポジティブなだけな気がする。
「その目は信用していないな。しかし、私にはわかる。
彼女はあのアホ面の彼を異性として見ていないどころか少々苦手意識があるようだ。
先程から君の横で観察していたが、話が噛み合っていない。彼女は、君の方を向いて助けて欲しいと願っているようだったぞ!」
「それが本当だとして、僕はどうすればいいんだよ!」
「これは君のゲームだ。私の力を借りようと言うのならそうはいかない。
結局、現実はこんなものだと諦めるか――はたまた理想の自分へと立ち上がるか、不鮮明で不確定な選択肢を君自身が創り上げて選ぶしかない!
まあ、私に言えるのはそれだけだな」
選択肢を自分で創る?
いままで選択肢は僕を導いてくれた。確かな道を用意し、その先のビジョンまでも思い描かせてくれた。
だけど、自分で創るとなったらそれすらも自分で描かなければならない。
これは現実なんだ。そんなの当たり前じゃないか!
選択肢はいつだって創り上げることができる。そして、選ぶのも自己責任なんだ。
ここまできて、前に進む以外の道なんか嫌だ!!
「古賀さ――」
「美好、あたしと一緒に入ろう?」
「…………」
僕が呼びかけるのを遮るように苑麻さんが涙目で古賀さんに言い寄った。
も、もしかして苑麻さんって、怖いの苦手な人……?
「じゃあウチは萌音と入る!」
「ちぇ、仕方ねえか。じゃあ野郎は野郎とか……」
まずい……どんどんパートナーが決まっていく……!
「よし、遥輝は俺とな!」
「え……」
結局こうなってしまった……!!
「じゃあ先いくね〜!」
野々村さんと桐木さんが先に、次に須郷くんとその友人達がお化け屋敷へと入っていった。
「頑張って下さいね〜」
案内の人が元気よく送り出すのを見て、もう手遅れ感を消すことができなかった。
なんでこうなるんだよ! いつもいつも全然思い通りにいかない!
なんで僕がこんなに苦しんでいるのに選択肢は出てきてくれないんだ……!!
「やっぱりあたし、史郎くんと行くわ」
「鏡花?」
苑麻さんが古賀さんの下を離れて史郎へと駆け寄った。
ポカンと目を丸める僕に苑麻さんは言い放つ。
「遥輝くんは、美好とね!」
苑麻さんに背中を押され、僕は前で待っていた古賀さんの隣へと出た。
「宇都宮くん、大丈夫?」
「う、うん……」
後ろを振り返ると、苑麻さんが史郎の足を踏んづけながらサムズアップのジェスチャーをしていた。
苑麻さん……!!?
「じゃあいこっか」
「いいの、僕で?」
「わたし、怖いから頼りにしてるよ!」
全然そんな風には見えないっていうか、ワクワクしてる気がする……。
でも、僕も同じ気持ちだ。今日、初めて鼓動が高まってる気がする。
《お化け屋敷イベント発生!!》
イベント告知が現れ、僕の世界が再び色を帯びた。
僕は、古賀さんと共にお化け屋敷へと入っていった。
暗く、しかし仄かに道が分かる程度の碧い照明が施されており、僕らはそれに従い足を進める。
突如、古賀さん側の壁に思われていた暗闇が動いたように思えた。
女性の霊とおぼしき人影が大きな音と共に現れて瞳孔が開く。
ほとんど長い黒髪で顔は見えないが、血走った目が僕達を見降ろしていた。
白装束はまさに幽霊らしく、僕は怖がるのを堪えるのに必死だ。
古賀さんも僕と同じでその場に立ち尽くしながら女性の顔をガン見していた。
しかし、彼女はそれまで一度たりとも触れなかった僕の腕をしっかりと握り締めている。
おかげで僕も冷静さを取り戻し、彼女の前を行くことができた。
「古賀さん、行こう」
「う、うん……」
怖がりではないにしろ、確かに怖いものは怖いみたいだ。
ただ、怖いものを前にして呆然と立ち尽くしてしまうのは僕と同じだ。
「ごめん……強く握っちゃった……」
申し訳なさそうに手を放された。
少々勿体なく思うも、その感情に呼応するかのように選択肢は僕の下へと舞い降りる。
【手を握る】
【先に行く】
【怖かった?】
【大丈夫?】
僕は、静かに古賀さんの手を握った。
彼女の僅かな温度が手から伝わってくる。
ゆっくりとあがる顔と目が合い、僕は顔を真っ赤に染めた。
「えと……その、お化け屋敷の中なら……いい、んじゃないかな……」
既に手を掴んでしまっている。後戻りはできない。
必死に言い訳を取り繕うとしたけれど、これ以上出なかった。
彼女も顔を赤くしながらコクンと頷いてくれた。
古賀さんも優しく僕の手を握り返した。
進む足が怖さとドキドキで早まってしまうのを時々思い返しながら抑える。
気付くと、僕はお化け屋敷のドッキリを感じていなかった。ずっと古賀さんを守ることだけに注力していたからだ。
――【先を歩く】
――【怖くない?】
――【背中、掴んでていいよ】
幾度か選択肢を選んで好感度を上げつつ、どんどん前に進んだ。
もうすぐ出口というところで、僕の足が止まる。
もはやお化け屋敷内の仕掛け等は怖いうちに入らない。古賀さんと一緒にいるという事実の方が胸が波打つからだ。
しかし、背中に出口を背負う須郷くんの前では足を止めた。
「須郷……くん?」
なんでここにいるんだろう、という茶番はやめにしよう。
僕が古賀さんと二人でいるのを須郷くんが見逃すわけがない、と思っていたから。
「おい遥輝……お前、ちょっと来いよ。二人で話そうぜ」
作り笑いを見透かし、口籠る。
警戒心を解くには明らかに理由不足だ。
【待つ】
【逃げる】
【戦う】
【話す】
須郷くんを相手に選択肢が4つ……。
この選択肢はゲームによるものではなく、僕が空想で創り上げた架空の選択肢だ。カウントダウンも無ければ、答えも判らない不鮮明で不確定な選択肢。
どれが正解かもしれないし、どれも間違いかもしれない。しかし、この場面で僕が選べるイコール変えられる選択肢はこれ以外ない。
いつもなら逃げるを選んでいるだろう。須郷くんには勝てないし、話し合いになんてならないとわかっているから。
だけど、今の僕にとって【逃げる】は最悪手。後ろに古賀さんがいるのに、彼女を不安にさせたくない。
【戦う】も有り得ない。勝てる見込みもないし、この選択肢も古賀さんを怖がらせてしまうから。
【話す】か【待つ】か…………決めなければならない。
「――この人ですっ!」
女性の声が聞こえたかと思うと、桐木さんと野々村さんが店員さんのような正装に身を包む男性をを連れて奥から来ていた。
なにをしているんだ……? 二人して須郷くんを指差しているように見えるけれど……。
「この人、痴漢なんです!!」
「はぁ!!?」
驚嘆の声を漏らす須郷くんは唖然していた。
僕も思考が止まりそうになった。そんな中、ぼやけたレンズにたった一つの選択肢が現れる。
【走れ】
皆に背中を押されるような選択肢。
僕は、その選択肢をありがたくも楽しく享受した。
「走るよ古賀さん!」
「う、うん!」
立ち尽くす須郷くんを横切り、
ウインクする桐木さんと野々村さんを通り過ぎ、
僕達は、ドキドキハラハラなお化け屋敷からの脱出に成功した。
◇
やはりこの青春は面白いな少年。
時と共に状況が様変わりする現実では、選択肢も同じく変化する。それを学んだよ。
君は4つの限りある選択肢を超え、たった一つの正解を掴むに至った。
今回のように選択肢とは、自分だけでなく他によってもたらされることがある。それを掴む運を持った君は、この境地に届くに相応しいまでに成長した。
時間切れが刻々と近づいてきているのを実感してしまうな……。
◇◇◇
ホテルへと帰って来て暫く――。
僕と史郎は自分達の部屋で床に就いた。
「んじゃ、おやすみ~」
「おや~」
史郎の眠そうなおやすみに適当な相槌をして、僕は掛け布団を深く被った。
僕は、心の中で10のカウントを始める。史郎が寝るまでの秒数だ。
10~0までカウントし終わると、史郎の方から高いびきが聞こえて笑ってしまう。
クマの言う通り、僕は史郎の寝るまでの時間を予測できるようだ。
お化け屋敷を出た後、再び選択肢が出て古賀さんと二人で行動することができた。実質のデートの時間だ。
昼食を共にした一時間程度だけだったけれど、僕にとっては幸せな時間だった。
それ後はまた9人で行動することになった。だけど、それからもずっと古賀さんの隣にいたのは僕だった。
須郷くんは痴漢に間違われた、という恥ずかしい経験をして凄味が削れたみたいだった。終始高圧的な視線は感じたけれど、開き直って気にしないことにした。
それが古賀さんと一緒にいる時間を長引かせられる唯一の選択だと思ったからだ。
この思い出が修学旅行で僕にとって一番幸運な体験だ。
お化け屋敷では色々おかしな事があったけど、それも含めて古賀さんと共通の思い出を頂けたのがなによりの幸運だ。
しかし、修学旅行二日目はまだ終わっていない。
なぜなら、これから古賀さんにこっそり電話をするからである!!
今日の昼食時、古賀さんとMINEを交換して夜に電話する約束をこぎつけた。
選択肢の恩恵ではあるけれど、これでまた一つ彼女との距離を縮められている気がする。
よし、史郎も寝たみたいだし、電話するぞ……!
スマホを操作し、古賀さんのアカウントをよく確認する。
夜にこっそり電話する。そう思っただけでドキドキしてしまい、なかなか電話することができない。
僕は、今日のクマとのやり取りを思い出した。
なにかある度、いつも勇気づけてくれるのはクマだから。あいつの言葉を思い出せば、なんでもできそうな気になれる。
『結局、現実はこんなものだと諦めるか――はたまた理想の自分へと立ち上がるか、不鮮明で不確定な選択肢をキミが創り上げて選ぶしかない』
今回の僕の選択肢は、さしずめ【電話を掛ける】か【何もせずに寝る】かの二択。
そう――いま僕がいるのは、これまでもこれからも幾度となく存在する選択肢の岐路。
たとえゲーム上の選択肢でなくても、選ぶのは僕……。
掛けるぞ……僕が選ぶのは、古賀さんに【電話を掛ける】だ……!
ゆっくりと電話を掛けるボタンへと人差し指を付けようとした。
その刹那、スマホにコール音が鳴ってびっくりする。
ぴうっぴうっぴうっぴうっ!
電話を掛けてきた相手は、古賀さんだった。
古賀美好というフルネームがスマホの画面に出現しているので、思わず声を漏らしてしまった。
「古賀さん!!?」
僕は史郎を起こしてはいけないと、すぐさま電話に出た。
しかし、電話を耳に置いても何も聞こえない。
相手は古賀さんのはずだけど、どうしたんだ……。
「もしもし……」
静寂に耐えかねた僕は、声をできるだけ殺しながら話した。
「もしもし……」
古賀さんの囁き声が耳に入って思わずにやけた。
古賀さんだ……! 古賀さんが僕と電話してる! しかも古賀さんから僕に電話してきた! 夢みたいだ……!
「宇都宮くん、いる?」
泣きそうになるのを耐え、通常を装った。
「うん、いるよ。そっちも隠れて電話してるの?」
「うん。鏡花のこと起こしたくないし、部屋の外に出ると先生がいるかもしれないから。
そっちも三島くん寝ちゃったんだ?」
「10秒で寝ちゃったよ。寝つきが早かったんだ」
「あはは! でも、鏡花もそのぐらいだったかも。皆、歩きっぱなしで疲れてたんだね」
「でも、楽しかったよね。僕、今でも古賀さんと一緒に回れたのが夢みたいだよ……」
「え、どうして?」
「ふ、普段の僕は誰とも一緒にいないし、史郎は偶に一緒だけど委員会があるからずっとじゃないし。
だから、古賀さんや皆と一緒に修学旅行を回れたのが夢みたいというか……」
何言ってんだよ僕のバカ野郎……!
こんな話、古賀さんからしたら迷惑以外のなにものでもないだろ! もっと楽しい話をしたいのに、なんで僕はいつもこう……
「わたしは今日、宇都宮くんと一緒にいられてすごーく楽しかったよ!」
囁き声ながらめちゃくちゃになってしまいそうなくらい嬉しかった。
すぐ傍にいて話してくれているような錯覚を覚え、でも届かないこの手が寂しい。
お化け屋敷の時はずっと手を繋げていたのに、今はその温もりさえ忘れてしまいそうなのが悔しい。
「お化け屋敷の時、宇都宮くん先に行ってくれて。恥ずかしながら抱きついちゃっても、許してくれて。手を繋いでいるのに何度もこっちを向いて気遣ってくれて。
物凄く頼りになって、かっこよくて……今日は本当にありがと!」
言葉一つ一つを聞く度、胸が苦しくなる。
なんでキミは、ここにいないんだ。
今すぐに逢いたい! 顔を見て、ちゃんとキミに伝えたい! 今日の僕があれたのは、キミが僕が好きな彼女だったからなんだ……!
僕は、想いを押し殺し不安にさせないように返事をした。
「感謝したいのは、僕の方だよ。お化け屋敷の後、二人で昼食をしたいって僕の我儘を聞いてくれて凄く嬉しかった」
「あれは、皆なんか忙しいみたいだったからで……お礼を言われるほどじゃないよ」
「それでも僕は楽しかったし、修学旅行の思い出が増えてよかった。ありがとう」
「…………」
突如、古賀さんが黙り込んでしまった。
やばい……なんか変なこと言っちゃったかな? ていうか電話切れてる?
いや、切れてない。もしかして寝ちゃった?
本当の本当は今のセリフすごくきもかったとか!? どうしよう……。
「こ、古賀さん……?」
「ねえ宇都宮くん、これから逢わない?」
「え――」
ホテル内はあまり変わりげなく明かりがついていた。だけどどこか悽然に思えた。
人が誰もいないからかもしれない。もう十二時を過ぎているし、皆寝てしまっているからだろう。
こういう人の気配がどこかにはあって、でも自分しかいないというのは、まるでいつもの自分の世界に戻ったみたいに寂しくなってしまう。
僕の世界にはもう古賀さんがいないと、ダメなんだ……。
温泉に続く廊下にこじんまりとしたゲームセンターがある。
夜中なのに明かりもゲームの音もあって安心した。
そこにあるベンチに彼女を見つける。
「こんばんは」
「ふふふ……こんばんは」
クスクスと笑いながら挨拶を返してくれる古賀さんはいつもと違って髪を括っていた。
おかげで項がチラリと見えて浴衣姿が色っぽい。
それに、温泉の香りが仄かに残っていた。
「ごめんね呼び出しちゃって。迷惑だった?」
「ううん、眠れなかったし丁度いいよ」
夜中にこっそりと古賀さんに二人きりで会えるんだから、誰だって眠くても来るよ。
「卓球台、そこにあるだけどさ」
ゲームセンター横に雑に道具の置かれた卓球台があった。
「やったら、見つかっちゃうかな?」
「したいの?」
「鏡花は疲れてそうだったから誘わなかったけど、宇都宮くんは男の子だもんね!」
「明日になったら、もうできないかもしれないしね」
「もう明日だけど!」
「そっか……もう今日で終わりか……」
「修学旅行、終わってほしくないな……」
「……卓球しようか」
「おっ! やる?」
「でも、僕弱いから相手にならないかもしれないよ?」
「え~? 男の子なんだから、いいトコ見せてよ!」
ほんの数分でさえ大切にしながら、古賀さんとする卓球に勤しんだ。
古賀さんは、やっぱり運動が得意で僕なんかは全然相手にならない。
けれど、偶に得点するとそれだけで古賀さんは悔しそうにした。
「卓球してても誰も来ないね」
「まるでわたし達しかいない世界に来ちゃったみたい……」
もしそうなっていたら――
「もしそうなってたら、護ってね」
「……うん」
僕が必ず護るから。
だけど、時間が経つのは早くて古賀さんの独占も僅かとなってしまう。
卓球が終わり、廊下を二人で歩く。
静かで終わって欲しくない廊下をゆっくりと歩いた。
「高校生として生活できる半分はもう過ぎてて、来年どうしてるんだろうって思う時があるの。
そういう時ない?」
「僕は、ずっと流れに身を任せる性格だからあまり考えないようにしてるかな。
なったらなったでなんとかしようみたいな……。でも、これってあんまり良くないかも」
「宇都宮くんって、考えてないようで考えてるよね」
「え?」
「なんかいつもわたしのことわかってるようなコト言ってくれるから、そうなんじゃないかなって思ってた。違う?」
「ど、どうだろ……」
古賀さんそういう風に見てたんだ。なんか恥ずかしいな……。
「来年もまたこれたらいいのにな!」
「……また来よう! たぶん修学旅行みたいにはできないと思うけど、また来よう……!」
「……だったら、その時は宇都宮くんにエスコートしてもらおうかな?」
「僕でいいのなら!」
これが僕の勇気の限界。
『二人で』とは言えなかったけど、僕にしては頑張ったところだろう。
女子達が泊まる階に着いた。僕は一つ上の階なのでここでお別れ。
僕にとっての一日がここで終わる。
「宇都宮くん」
「ん?」
古賀さんは、虚を突くように僕の眼鏡を取った。
「やっぱり、眼鏡していないのもかっこいいよ!
…………じゃあ……また明日ね」
眼鏡を掛け直すと、顔を赤らめながら立ち去っていく。
「また明日……」
別れが勿体なく感じてしまう。
しかし互いに背を向けて各々の道を行く。胸の内を隠すように。
だけど僕は少しだけ足を進めて振り返った。
すると、彼女もまたこちらを見ていた。
何も言わなかったが、手を振って最後の別れとした。
◇◇◇
修学旅行を経て、気付けば好感度は80の大台へと乗っていた。
おかげで帰りの新幹線の中で《告白チャンス》という文字列が浮かび、その説明があった。
好感度が80より上になると、告白ができるようになるというシステムらしい。
いままで告白しようとしていたらどうなっていたんだろうか。まあそんな度胸はいつでもないんだけれど。
修学旅行から帰った後、1週間ほどクマが口を開かなかった。一度もクマの偉そうな口調と態度を見なかった。
それはもしかしたらアレのせいかもしれない。
今では夢だったんじゃないかって思っているけれど、僕には外せないこの眼鏡を古賀さんには外せたこと。
やっぱり僕には外せない。何度やっても、古賀さんのようにはいかなかった。
「このゲームの途中での終わり方があるとしたら、古賀さんに眼鏡を外してもらうことかもしれないな……」
自室で一人、小言を漏らす。
しかし、監視役であるはずのクマは動かず反論も無い。
クマが居ないことには慣れた。でも、やっぱりいままでいたヤツが急にいなくなられるのは調子が狂う。
「ちょっとは何か言えよな……。
好感度けっこう上がってるんだぞ……」
「そのくらい知っている」
だし抜けにクマが呆れるような表情へと変わる。
思わず「うわっ」と情けない声を漏らし、後ずさった。
「鈍臭いな相変わらず」
「い、いままで何をしてたんだよ……」
いつもいつも登場の時には俺を驚かせて……。
どうせ影で笑っているんだろ。意地の悪いやつだ。
「君に言えることはそう多くない」
「ああ、そうだったね! だから今回も――」
「しかし、今回は違う」
言葉を遮って言ったにしてはクマの表情が神妙だった。
真っ直ぐ僕の方を向いて、怖いくらいに。
「これまで私は君に多くのことを隠してきた。
企業名はもちろん、私の名前や素性といったもろもろをひた隠しにしてきた」
「だから僕はキミをクマと呼んでいるんだ。クマの人形相手にクマと呼ばせられていた僕の気持ちを少しはわかって欲しいね」
「別に適当に名前をつければよかったのにそうしなかったのは君だろう……」
「だって負けるみたいで嫌じゃないか」
「ふっ……君はちょっとばかり頑固だったな。主に私の前では、だが」
「うるさい」
「話がそれてしまったな、戻そう。
私は、 君に秘密と言って何も話さないことが多いが、それ以外にも君にあえて言わなかったことがある」
「な、なんだよそれ……」
「このゲームの仕組みだ。
どうできているのか、事細かく説明しようとしても君に理解できる範囲は限られる。しかし、私が教えていないこととはそれとはまた別。このゲームがどのように進められているのか、というところだ。
――現実とゲームをどう結んでいるのか……」
ずっと疑問には思っていたんだ。古賀さんは僕の選択肢によって行動……つまりはゲーム的アクションをなぜ行うのか。
最初の選択肢を選んだ時がまさにそうだった。
【目が合う】を選んだだけで古賀さんは僕の方を向いた。あれを単なる偶然では済まされない。
ゲームと古賀さんに何かしらの関わりがあったんだ……。
「率直に言おう。
古賀美好は、我々が脳にゲームの一部をプログラミングした実験体だ」
「…………は? 何言ってんだよ……。
モルモット? あれのことを言ってんの? 薬とか使う時の実験体としてネズミとかの……。
いやいやいや……何言ってんだよ。古賀さんがプログラミングを受けた? 脳に? そんなわけないだろ……だって古賀さんは普通の……」
「このゲームは、彼女もしくは彼となる個人の幼少時代にプログラミングを組み込ませ――」
「――何言ってんだよ!!」
焦燥が止まらない。
行き場のわからなくなった拳がクマの乗った机に振り下ろされる。
「はは……わかったぞ……いつもみたいに僕をからかってるんだろ!
もうその手には乗らないぞ! いつもいつも僕を子供扱いして影で嘲笑ってるんだろ!!」
「少年…………君がこれに対してよく思わないことは出逢う前から判っていた」
「だからこれまで言わなかったのか! 僕が意地でもゲームをしないと思って……!!」
「その通りだ」
「なんで僕だったんだ……。拒絶すると判っていたのに、なんで僕を選んだんだ……!!
僕じゃなくてよかったじゃないか! なんでこんなに僕を貶めるようなことするんだよっ!!」
「なんとなく君もわかっているだろう。君を選んだのは、古賀美好を中心に考えた結果だ。古賀美好と君との間にフラグが立った瞬間、君がこのゲームをする人間に選ばれたのだ。
もし君を選んだ者がいるのだとしたら、それは我々第三者でもなければ神などという不確定なものでもない。
古賀美好本人が宇都宮遥輝と恋をすることを選んだのだ」
「…………そうやってまた丸め込めると思っているんだろ……」
「私と出逢う前に既にこの青春は始まっていた。君ならば、覚えているだろう。
――あれが、始まりだったのさ」
「…………僕はもうやめる。
どっちみちキミの思い通りに動かされたのに変わりはないし。このスペルグラスも本当は外せるんだろ」
「古賀美好にそれを外された時はハラハラした。それを彼女が外せるようにしたのは私であり、誰にも言っていなかった秘密要素だったからな。
おかげで私はデータの改ざんと言い訳を繕うのに約一週間の時間を要した」
なぜそんなことを、と聞くのはもうやめよう。
僕にはもう関係のないことだ。今更そんなのどうでもいい。
「消えてくれ……もう僕に構わないでくれ……」
腰をベッドへと落とし、掛布団にくるまった。
全部まやかしだったんじゃないか……。
ゲームであったこと全部……僕の為に作られた幻想だったのか……。
憂い苦しむのを他所に眼鏡が独りでに取れていた。
◇◇◇
学校に行かないということはできなかった。
親の目もあるし、不登校にだけはなりたくなかったから。
ゲームのせいもあって古賀さんは僕に話しかけてきた。
だけど、クマに告げられた事実は重く、彼女と話す気にはなれなかった。
徐々に古賀さんの元気が薄らいでいくのを傍らに僕の胸は締め付けられた。
自分でここまで進んだ為、古賀さんを落ち込ませる要因になってしまっていることを後悔する。
――それでも僕は作り物は嫌だった。
また一週間と少しが経った。
あの眼鏡をしていないからわからないけれど、もう僕の好感度は崖から転落したくらいの落差で落ち込んだだろう。
クマも僕の前には現れない。人形だけを残していなくなった。
心の中に穴を穿たれた気分だ。なにしてもやる気が出ない。
あとひと月もしないうちに次のテストがあるというのに、いつもみたいに数学の勉強をしたくならない。
心が痛くなるから古賀さんを見るのもやめた。そう務めた。
だけど、直ぐには穴はふさがってはくれないんだ。
すぐ側に古賀さんもクマもいるような気がしてしまうから。
だから最近は帰って直ぐに布団に潜る。世界から目を閉じてしまいたいという欲に身を任せるように。
「――少年!!」
喝を入れられ目が覚める。
飛び起きた僕の上に乗っていたのは、クマだ。クマの人形だ。
いつぶりに現れた? ずっと動いていなかったからか埃塗れに見える。
「っ…………なんだよ…………」
僕は、キミに逢いたくないんだよ……。
「ゲームが終わる。最後のイベントだ」
ムカつくほどに当たり前のような告知。なんのつもりだよ。
「僕はあの眼鏡をしていない。イベントに参加する権限はないよ」
「スペルグラスならそこにある。ずっとそこにあった! 君がかけることを選ばなかっただけだ!」
クマが指さす机の上にクマと同じくらい埃をかぶった眼鏡が机の真ん中にあった。
全然気づかなかった。見ようともしなかったからか、それとも周りを感じたくなかったのか。
「で、でも……」
「これは最終イベントだ。つまり、ゲームの終わりを意味する。
古賀美好との思い出がこれで一つの終わりを迎える」
「作り物の感情に遊ばれたくはないんだよ……」
「……それは、君のことかい? それとも古賀美好のことを言っているのかい?
もし勘違いしているのなら訂正しておく。古賀美好も、君も、互いに育んだ思い出や感情は作り物でもなければ紛い物でもない。現実で実際にあった事実だ!!」
「古賀さんにプログラミングしたんだろ。彼女の行動をキミ達が強制させてたんだろ!
だったらそれは、強制されたゲーム的行動の上に成り立った紛い物なんだよ!!」
「彼女に施したプログラムは、出逢いを起こした瞬間にゲームを始めることと、思考していることを我々が作り出した人工知能に渡すこと。
――そして、ゲームのイベントに対してゲーム的で彼女なりの行動を起こすこと。その三つだ。
しかし、感情の制御はしていないし、君を好きになるよう仕向けたこともない」
また怒りが湧き上がる。弄ばれた事実が頭の中をでんぐり返しした。
「……だったらなんなんだよ。
わかってんのか!? キミ達がしたのは、人間を冒涜する愚かな行為なんだぞ!!
人間の頭を弄って、意図もしないことをさせた! 人としてどうかしてるよ!!」
「未来では、赦されている」
「っ…………じゃあやっぱり……。
おかしいと思ったんだ。なにからなにまで先端を超えた技術……探してもわからないキミの所属する企業……」
「私は未来人だ。
隠そうと思っていたわけではないし、前回は言おうともしたが君は聞き耳を持たなかったからな」
「なおさらどうして……現在にまで遡って古賀さんの頭に細工したんだよ……!!」
「効率の問題だ。人間へのプログラムは子供でなければ拒絶反応を起こすため大変危険なのさ。
しかし、そうすると実際にテストするまで人ひとりが大人になるまでの時間を要する。そんな時間は掛けていられないが、過去であれば話が違う。君達にとっての数十年が未来人にとっては一本の動画だ。ゲームが始まってからの時間軸は同じだが、これによって準備段階の手間が十数年単位で短縮できる」
「キミ達の勝手じゃないか……」
「その通りだ。我々の理不尽が君を巻き込み、古賀美好を実験対象とした」
「……古賀さんを元に戻すことは?」
「もはやプログラムは原形を留めていないどころか、我々の干渉できる領域にない。もし無理矢理にでも破棄しようとすれば、彼女に悪影響を及ぼすことになる」
「キミ達がやったことだろ!」
「その通り――」
「その通りその通りうるさい!! 開き直るなよ!!」
「…………プログラムは原形を留めていないと言ったのは、彼女自身に悪影響を及ぼすことはないことを意味している。プログラム自体が彼女の中に溶け込んでいると捉えてくれて構わない」
「……」
(わかっているさ。君は変なところで頑固だから、それが事実だとしても飲み込むことはできないんだろう)
「引き返せないところまでもうきている。古賀美好は、己の環境に苦しみ助けを求めている。
親の過度な期待。上級生や同級生に対しての劣等感への気遣い。そしてなにより完璧でない自分を嘆いている。
君が拒否反応を見せ、心の拠り所を失いかけている。もはや信じたい者でさえも信じたくないという彼女なりのプライドなのだろう」
「古賀さんには色んな友達がいるんだ、心配いらないさ」
「いつしか君に言ったことを覚えているかわからないが、君はもっと自分を見た方がいい。
これが例えゲームによって引き起こされた世界線だとしても、君には彼女の隣で唯一無二の存在を勝ち得た。最高好感度は97。その数値が君と彼女との関係の深さを表している」
「っ……」
「自覚せずとも判っているはずだ。君以外に彼女の異変に気付いている者はいない。
――誰も彼女自身を見ようとしていないからだ。君以外はな」
「好感度は大分下がったはずだろ。それならもう……僕も手遅れなんじゃないのか……」
「そうかもしれない。しかし、そんなものに否応なく時は進んでいく。
時とは難しいものだ。遅いと思う時もあれば、早いと思う時もある。おそらく今は後者だろう。
このイベントで起こる君へのゲーム的選択肢はたった一度しかなく、その選択は好感度に影響しない。
――これが私がもたらす最後の問となる」
寂しげに微笑むクマを他所に僕のスマホが呼び鈴を鳴らした。
心臓や脳をこねくり回された中での電話に躊躇うも、長く僕を呼ぶので仕方ない。
溜息をつきながらも携帯を確認すると、史郎からの着信だった。
クマが「出ろ」と言いたげな目で見るので携帯を耳にあてる。
「はい……」
『お、おう遥輝! いま古賀さんが行方不明らしいんだけど、お前なにか知らないか?』
「古賀さんが行方不明……?
――どういうことだ!!?」
僕は、クマに向かって訊ねるも答えてくるのは史郎だった。
『わからない……けど、もう23時回ってんのに、帰ってないなんておかしいぜ……。
親も苑麻さん達も連絡が取れないって話でさ! もしかしたら誘拐かもしれないって騒いでんだ!』
僕は電話を切った。
「クマ、答えろ。古賀さんは今、どこにいる……これもゲームの最終イベントのせいなのか……?」
「これが最後の問だ少年。この問で始め、この問で私は君の前から去る」
「そんなこと聞いてないだろ! 古賀さんは……」
クマは、机の上の眼鏡を指差した。
ゲームに入る上で必需品となっていたスペルグラス。
あれを見れば、一発でどこにいるかが判るはず。マップに古賀さんの居場所が表示されて、そこに行ってイベントを始めることになる。
「これは君の選択だ少年。私はもはやこれ以上君に干渉するつもりはない。
選べ――イベントに参加しますか、参加しませんか」
誰かが言ったんだ。
お前、空っぽだなって。
何も無かった僕にはこのゲームの誘いは不安もあったけど、変われるキッカケになるんじゃないかって思った。
ゲーム中はワクワクの連続だった。
古賀さんと関係が進展していくのと同時に変わっていく自分を好きになれた。
もう僕はいままでの腐ってた自分とは違うんだ、と思えるようになった。
――古賀さんを心の底から好きになった。
「本当は傍に居たいんだ……ずっと、ずっっっと……話せなくて辛かった。大好きだから!!」
不思議と目から涙が零れた。
想いが昂って我慢ができなくなっていた。
「古賀さんは、僕との思い出をちゃんと見ていてくれたのかな……」
「選択肢が変わったな少年」
顔を上げれば、クマが穏やかに笑みを浮かべていた。
優しく母性溢れるそれは人形ではなく、彼女本人に思えた。
白衣を着た狐目のポニーテール姿。威厳がありそうだが、それすらも和らいで思わず飛び込んでしまいたくなる。
「選択肢は見方を変えればなんにでもなる。それは君達が教えてくれたことだ」
最後に小さな囁き声が聞こえたかと思うと、クマの人形はコテンと床に倒れていた。
机の上のスペルグラスを見た。
僕に掴めと言うようにレンズが光を反射する。
しかし、僕は涙を拭って部屋を出た。
外へ出ても寒さは感じずにひたすら走った。
夜の住宅街。
道の暗闇の中にぽつんと佇む街灯。
車走る十字路。
誰もいない悽然とした河川敷。
それら全てを突き抜け、僕の足は息を乱せど止まることはない。
僕はキミの言うように本当に頑固かもしれない。
あの眼鏡を使えばすぐに見つかるかもしれないのに、僕はもうゲームで古賀さんを見たくないんだ。
古賀さんが僕と出逢って接して何を感じていたのか、頭に細工されていたとわかって不安でいっぱいだよ。
だけど、その不安を払拭できる方法を考えた。
古賀さんに聞けばいいんだ。いつもそうしてきたじゃないか!
僕はイベントに参加しに行くんじゃない! 彼女の本心を聞きに行くんだ!
だから、僕の選択は【古賀さんに逢う】ことだ!!
◇◇◇
少女の肩をノックする。
八方の視線を塞ぐように垂れた長い灰髪が徐々に上昇していった。
やっと現れた顔色は重く、目は赤く腫れていた。
頬には泣き痕があり、いつもと違って髪がやや乱れている。
いままで一度として見た事のない古賀さんの姿が静かな教室にあった。
「…………宇都宮……くん……」
枯れた声。月明かりに照らせれた潤んだ瞳。
全てが僕を誘惑するように艶めかしく靡いている。
「……心配したよ古賀さん」
たとえゲーム上でカウントダウンが終えようとも僕が見つけ出すと決めていた。
でも、やっぱりここだったんだね。
古賀さんは、自分の席ではなくいつも僕の座る席に座っていた。
泣いていたこともあるだろうけれど、彼女は少し恥ずかしそうでもある。
「家出?」
「まあ…………そんなとこ?」
泣いていたのを隠すように目元を拭って視線を逸らす。
好感度が下がったぶん、僕はなんでも言える対象ではなくなったのだろう。
「どうして?」
「聞かないでよ……」
古賀さんは、無視していたという事実を思い出したように素っ気なくなった。
「ふん」と聞こえてきそうな顔をして、目を合わせてくれない。
「……実はずっと、僕はとあるゲームをしていたんだ」
古賀さんは被害者だ。ゲームのことについても、おそらくプログラムのことについても、訊いてもわからないだろう。
「……ゲーム?」
「うん。とてもドキドキして、ハラハラして、好きになれるゲームだった。
そのゲームはね……開発者のせいでできなくなったんだ」
話の意図がわからなそうな顔をしていたが、古賀さんは悪戯に話を遮ろうとはしなかった。
「でも、思い返せば世の中そんなのばかりだよ。理不尽なんだ。
僕みたいな一般人はそっちのけで、自分達……彼等の言うところの少数切り離しが過半数未満かどうかで決められる。
だから、僕みたいのは嫌になるんだ。夢であって欲しい現実から目を逸らしたくなる。
だけど、ある人がね……こう言うんだ」
クマ、キミはきっとどこかで僕を見ているんだろう?
なら、見ててよ。
「まだ始めてもいないのに無理だと決めるなんてどうかしてる、てね。
その人は赤の他人の僕にいつも勇気をくれた。
選択肢があってそれを選択することができるのに、なぜ動き出そうとはしないのか。とか言われたよ」
本当はわかってるんだ。キミは悪くないって。
きっと拒絶できなかった理由があったんだろうって。
だってキミは、ずっと僕を見て僕に勇気をくれる優しい人だから。
だから僕は、キミの真似をすることにしたよ。
「だから僕は進むことにした。進んで、進んで、時には道を間違うかもしれないけど、それすらも糧にして自分の道を作ろうって思ったんだ!」
僕に対してのキミだったように、僕は古賀さんに対しての僕になる。
ゲームなんてどうでもいい。僕がしたいのは、キミみたいに勇気を与えられる人になる事なんだ!!
「……凄いね宇都宮くん。いい人に巡り会えたんだね」
――君はもっと自分を見た方がいい。
「古賀さんはもっと自分を見た方がいいよ。
誰だって悩みや葛藤を背負ってる。だけど、それ全部を完璧に失くすなんてことなんてできないよ」
少女の唇が震え出した。
閉じる瞼から涙が零れ、口篭る。
「もう帰った方がいいよ……」
涙を拭い、作り笑いを見せてきた。
「帰らないよ。古賀さんが帰るのを見届けたら帰るから」
「見回りの人が来るから、見つかったら怒られるよ」
「それなら一緒に怒られよう」
「わたしなんかの為に……ダメだよ……」
「ダメじゃないよ。それに、古賀さんは『なんか』じゃない。僕を救ってくれた人だ」
「わたし、何もしてない」
キミが僕を選んでくれたんだ。
キミが僕を影の世界から引っ張ってくれた。あの日から僕は、キミを救う主人公に選ばれていたんだ。
◇◇◇
その日も何気ない日常の一コマだった。
ただ学校へ行って、勉強して、昼食を食べて、勉強して、帰る。
当たり前となったサイクルを回すだけの毎日になると思っていた。
いつもと何かが違ったかと言えば、中間テストの結果が返ってくるという日だったこと。
皆の頭の中はテストに対して向き合う心構えだとか、真面目さとか、色々な人がいた。
そんな中で僕は誰とも話さず、自分の答案が返って来てほっとしていた。数学のテストがまた百点だったから、今回もそれが取れてほっとしていた。
安堵と共に訪れるのは、顔を上げた瞬間に通り過ぎる古賀さんの緊張した表情だった。
なにをあんなに緊張しているんだろう……。
まるで大会に出るような面持ちを怪訝に思うも、その表情は次の瞬間に様変わりした。
数学の教師が『古賀、百点!』と見出しを打って間もなく、古賀さんは生き生きと笑顔を咲かせてガッツポーズ。
よっぽど嬉しいんだな。僕にもあんな時があったな……今では百点じゃないと親にお小遣い減らされるから義務感すらある今の僕とは違う。
やや暗い愚痴にかまける最中、古賀さんの戻り足が僕の前で止まった。
「え……」
少女の澄んだ瞳を向けられ、僕は魅入られたかのように固まった。
へ、なに……僕なにかした!?
驚いて重心を引くと、古賀さんは無垢な笑みでブイサインした。
「やったね! 同じ百点だ!」
「…………」
この時の僕は何も言い返すことができなかった。
ただ、麗しい少女を目で追うだけだった。
◇◇◇
僕と古賀さんの始まりであり、僕が実験体に選ばれた瞬間だった気がする。
だから僕は変わるきっかけを得られた。
「僕がここにいるのは、キミのおかげなんだよ古賀さん」
僕に大きな選択肢をくれたのは、キミなんだ。
「――だから、ありがとう。大好きです!」
言ってしまった。
世界最大級のバカなタイミングで。
感謝したかっただけなのに、僕の口は口走りだ。アドレナリンだとか色々な感情が入り交じって、秘めた想いまでもが出てしまった。
うわー…………すごい驚かれてる。口を押さえて固まってしまった。
「ご、ごめん! 驚いたよね、気にしないでいいから……。
とにかく、その……僕が言いたかったのは、古賀さんは全然自分が思っているような人じゃなくて……もし助けが必要なら、もっと頼っていいんだよってこと!
古賀さんを助けたい人は身近に一杯いるんだから!」
て――話入ってないよね……。
混乱させるようなこと言っちゃった……好きだなんて、言うつもりなかったのに……。
静まり返った中で、互いに俯いてしまう。
恥ずかしくて、何を言えばいいのか忘れてしまった。
顔を上げると、同じく古賀さんも顔を上げた。
羞恥に染まる表情は真直ぐに僕を見てきて目が離せない。
「修学旅行の時、宇都宮くんはわ……わたしのこと、護ってくれるって言ったよね……」
「……うん」
「ずっと護って欲しかった……」
「ごめん……」
古賀さんは悪くないのに、自分のことばかりで蔑ろにしてた。
本当に自分勝手で僕は嫌な奴だ。もっとマシなんじゃないかって思っていたのに、全然違った。
最低だ……。
「今度は余所見しない?」
「え……?」
「ずっとわたしのことだけを見ててよ。そしたらきっと、許せるかも……」
月明かりのせいか古賀さんが一層綺麗に思えた。
まどろっこしいもやもやも吹き飛んでしまいそうな迫力に僕は頷きで答えた。
「絶対よそ見しない!」
「わたしの傍から離れて行かない?」
「古賀さんの傍にいたいんだ。だから、僕がいるから、一人じゃないよ!」
古賀さんの口が歪む。
嬉しそうで、照れているようだ。
「わたしなんかをどうして……」
「……理由なんか必要ないんだよ。助けたいって思ったら、もうとっくに体が動いてしまってるものなんだから。
それに古賀さんは助けてくれる人がいないほど孤独じゃない。皆、キミを探しているんだ。
僕も一緒なんだ。古賀さんを探して、なにか悩んでいるなら助けたいって思ったんだ」
「あの時もだったよね。わたしが悩んでいた時、河川敷で宇都宮くんが来てくれた。
凄く頼りになるなって思ってた。そしてまた、わたしを見つけてくれたのが宇都宮くんだったなんて……どうしてキミは誰も見つけられないわたしを見つけることができるの?」
「――好きだから。
僕が絶対見つけるって決めてたから、必死に探したんだよ」
今度は誤魔化さない。
例えどうなってもこれだけは現在に置いて行く。
自己満足かもしれない。だけど、古賀さんに自分がもっと愛されているってこと、知って貰いたいんだ。
◇
最初に宇都宮くんを気になりだしたのは、いつもの風景に彼が馴染んだ頃。
親と顔を合わせたくない日が何度かあって、部活の朝練関係なく朝早く学校に来ることがあった。
――美好、お前最近部活でも勉強でもあまりいい成果をあげていないらしいな。
父は基本家にいない。にも関わらず、帰って来るなり母親と一緒になってわたしを非難する。
テストなんて何カ月前の話だと思ってるの? テストの点数だって学内上位十名には毎回名前を載せているのにこれでも足りないの? 中学じゃ部活なんかやらなくていいって言ったのは誰? どうしてわたしのすること成すことにもっと上を要求してくるの? 普通でいいのに、普通がいいのに、どうしてストレスを強要してくるの?
その日はいつもムカムカしていて、学校に到着してすぐ眠りにつく。
しかし、何度か続けているうちに毎度のことわたしの視界に映る少年の姿に気付いた。
教室に入ると、わたしよりも早く投降して何かの勉強をしていた。
気になって後ろから覗いた時がある。数学の勉強をしているみたいだった。
そこでやっと彼が中学から同級生の宇都宮くんということを思い出した。
いつも数学が満点で、数学の教師からも好評な人。という認識がフィードバックして現れる。
毎朝こうやって勉強して、満点を取るようにしてたんだ……。
思わず感心してしまうほど、その勉強する姿がかっこよかった。なぜか負けられないとも思った。
負けず嫌いなのはいつものことで、その時は特段彼を意識していたわけじゃない。けれど、わたしの視界に入るのには充分な理由だ。
それから朝練の無い日には毎朝同じく登校して数学の勉強をした。
数学だけじゃないけれど、満点を取れないのがわたしの汚点。それを払拭できる機会になるんじゃないかと思って、勉強する彼の後ろで密かに勉強をした。
そんな日が続いて間もなく、中間テストで数学で満点を取った。わたしだけじゃなく、宇都宮くんも一緒にだ。
物凄い達成感を初めて感じた瞬間だった。
こんなに嬉しかったのは、全中で一位になった時以来で喜びを分かち合いたかった。
だから、わたしは咄嗟に宇都宮くんの下へ行って喜びを伝えた。彼はなんのことか判らないように呆気に取られていた。
それもそうだ。わたしが勝手にライバル意識を向けて、勝手に二人で満点だったから喜んでいただけなんだから。
後で少し恥ずかしくなったけれど――おかげで影の努力の素晴らしさを知った。
それと同時に宇都宮くんと一緒なら完璧を頑張れる気になれた。
数日後、わたしは屋上で宇都宮くんを見つけた。
事前に宇都宮くん達が昼休みに屋上に行っているのは知っていたけれど、鏡花にも知っている事を教えないで屋上へあがった。
――そして見つけることができた。
一瞬だけ目が合った。まるで初めて顔を合わせたみたいに顔が熱くなって、なんだか恥ずかしくなった。
人に見られて恥ずかしいなんて思うことが有り得ない、とまた宇都宮くんに話し掛けた。
今度は突き放されて、ムカついた。
あんな態度を取られたのなんて初めてだったし、もう彼にちょっかいを出すのはやめようと思った。
でも、河川敷でまた逢って、誠実な人なんじゃないかって……なんとなくいいかも、と……。
話していくうちにどんどん離れたくなくなっていった。
「美好さ、好きな人いないの?」
女子の間で度々起こる話題。
いつも「いない」と答えて終わるだけだった。だけど――
「美好、最近いつも眼鏡の男子と話してるじゃん? アレはどうなの?」
二度目の問に『?』が浮かんだ。
宇都宮くんがなに?
「本当はあの子のこと、好きなんじゃないの?」
「そういえばこの前、ずっと数学で満点取ってる人がいるって話してたけど、それってその眼鏡の男子じゃないの?」
好き?
あまり考えたことのない感情だった。
でも宇都宮くんの近くにいたい、と思うようになったのは確かだ。
無視されればムカムカするし、笑顔を見たら可愛いと思った。手を繋いだ時はドキドキしたし、時間を共にすることで安心できた。
わたし、もしかして――…………
確実じゃない。まだ確定じゃない。だけど、この想いを確かめたい。
そう思って、修学旅行二日目の夜に逢おうと思った。いや、本当の本当は逢いたいと思った。
――その時、本当はもう気付いていたんだ。
◇
「…………じゃあ……宇都宮くんが一緒にいてくれる間だけだからね」
「……っ……なにが?」
「わたしが宇都宮くんを好きでいる期間の話……」
いじけるように頬を膨らませながらそっぽを向かれてしまった。
しかし、次には目を丸めた僕を見て噴き出した。
「あはははは!」
「そ、それって……」
「え、なに? まだわたしになにか言わせようとしてる?」
笑いながらに顔を顰められ、それ以上を訊けない。
「古賀さん……」
「ん?」
「大好きです、僕と付き合ってください!!」
「うん、わたしも大好き!」
やっぱり古賀さんは皆に愛されている。
泣いた顔まで可愛いなんて、卑怯だ。
僕の目からも涙が溢れた。
嬉しすぎて、それまでの緊張の糸が切れるように止めどなく。
「今度はちゃんと護ってくださいね……遥輝くん」
「う……うん……。美好、さん……」
「ちょっと、恥ずかしいねこれは……」
「うん。でも、嬉しい……」
「そ、そだね……」
古賀さんの表情がここへ来た時とは別ものだ。
クマのように言えば、古賀さんが欲しかったのは心の拠り所なのかもしれない。
「――好きだよ遥輝くん」
「僕も好きだ美好さん」
額を合わせて呟き合う僕等は青春に侵されたキャラクターに過ぎない。
だけど、それでもいい。
このゲームは空想ではなく現実で、もう二度とこの手を放さないと決めているのだから。
◇◇◇
僕は古賀さんに告白をし、古賀さんはそれを受け入れてくれた。
はれて恋人同士になれたわけなのだが――
古賀さんの行方不明事件はただ公園で寝過ごしていたという無理な言い訳によって事を収めた。
親には後でこってり絞られたそうだが、その前に胸の内を打ち明かした。
古賀さんは『大きな期待をしないで、自分を見ていて欲しい』と正面切って叫んだ。
僕もその場に立ち会い、彼女の両親が理解した顔色も確認した。と同時に僕と古賀さんが付き合ったことも言ってしまった。
かなり恥ずかしかった……。
おかげで和解できたらしい。僕がなにかしたわけでもないのでアレだが、やっぱり古賀さんは強かった。
休みを跨いだひんやりとした朝、登校中にそんな話をして今に至る。
「ねえ……手、繋いでいい?」
「え、いいの?」
「お化け屋敷の時はしてくれたじゃん。それに、一緒にいるって実感できるから」
「……いいよ」
優しく古賀さんの差し出す手を取る。
「この手、教室まで離さないでね?」
「……了解、です」
「あはは! わたしのこと護るならこのくらいの度胸をつけてもらわないとね!」
「任せてよ! 大丈夫だから!」
あの日、ゲームの効果がどれほどあったか判らない。
でも僕はクマの言うことを信じることにした。古賀さんの頭にいつしかの細工が残っていたとしても、僕が古賀さんを護り抜くことを決めているから。
クマはおそらくもう僕の前には現れないだろう。
ゲームの秘密を教えつつスペルグラスを粉砕した彼女はきっとこのゲームを、と僕は信じたいんだ。
ただ、今でもあのクマの人形は机の上で僕を監視し続けている。
まるでまた弱音を吐こうものならどついてやる、とでも言わんばかりに。
僕はもうキミには逢いたいとは思わない。だけど、またキミに逢いたい。
だって、僕を変えてくれたのはゲームじゃなくて、キミじゃないかと思っているから。
ありがとう。
さようなら三島さん。
なんてね。