(4)
それからセレンの指示する場所に転移すれば、そこは城下の外れにある森の中だ。少し歩けば廃屋のような小さな小屋が見えてくる。
「……この場所もしかして…」
ショノアの時代にも似たような場所があったのを思い出して納得する。確かここには王家が支援する治療院があったはずだ。回復魔法並みによく効く薬を作るヘルドル人が周りに多く住んでいて、ショノアも何度か来たことがある。
森の中とはいえそれなりな人数が住んでいたように記憶しているが、115年前はたった一軒だけだったのかと少し驚く。
「まだ治療院はありませんが、ここには当時腕の良い薬師が住んでいたと記録にあります」
セレンはここに来るまで必要なこと以外話そうとしない。デルフィラを片時も放そうとせず、常に追い詰められたような表情を見せていた。怖いくらいに厳しい表情を見せているのに、何かの弾みで崩壊してしまいそうな危うげな彼の様子を、ショノアはただ心配しながらも見守ることしかできない。
小屋の壊れかけた扉をセレンは乱暴に叩き、家の住人を呼ぶ。すると慌てて飛び出してきたのは体の小さな老人だった。
「そんなに乱暴に叩くな! この扉は昨日修理した所なんじゃぞ!」
文句を言いながらもセレンを見上げた老人は顔色を変えた。
「わ、わしは何もしとらんぞ! あんたらに連れて行かれるようなそんなことは…」
怯え始めた老人を他所に、セレンは強引に家の中に入り込む。そして未だに取り乱している老人の肩を掴んだ。
「急患です。治してもらいたい怪我人がいます」
「……」
デルフィラを見せると、老人は急に黙り込む。
「あんた、わしを監視してる騎士じゃないのか?」
「違います」
即答するセレンは老人の置かれた状況を把握しているようだ。
「治せんことはないが、これでも色々と制約のある身でな…。深傷を治せるだけの材料は今手元にないぞ?」
「材料ならば私が提供します」
「お前さんがじゃと…?」
老人は警戒しながらもセレンを期待の目で見る。そして何かに納得したのか、鼻で笑い飛ばした。
「ミレノアル人の血なら何でもいいと思っておるのか?
お前さん達の血が薬に役立てられておったのはかなり昔の話だ。今のミレノアル人の血など擦り傷を治す程度の力しか持っとらん」
話にならないと老人は全く取り合いもしない。しかしセレンは構わずデルフィラを手近なテーブルの上に寝かせると、そのまま近くの止まり木にいる鳥の嘴の前に指を差し出した。
「何をする! わしの可愛いメイルーダに手を出すな! 舌が鈍る!」
セレンの行動に老人は激しく抗議するが、既に鳥は彼の指に噛みついていた。
憤慨しながらセレンの手を払い除けようと老人は彼の腕を掴む。しかしその目の前で茶色一色の地味だった鳥が、いきなり長い尾羽を持つ赤と金色の鳥の姿に変わる。
「まさか…そんな馬鹿な…!」
「これで私の血が意味のある物だと立証されたはずです。早く私の血を使って彼女を治してください」
老人はしばらく唖然としていたが、突然作業に取り掛かり始めた。どうやら納得してくれたらしい。
「この娘もガレスの王族か…。何故この国にいる?」
老人はデルフィラの傷の具合を確かめながらセレンに尋ねる。
「彼女は亡命してきたのです。……途中追っ手に襲われ…このようなことに…」
セレンの声に激しい後悔が混じる。
デルフィラはセレンのローブに包まれ今は静かに眠っているようだが、その手に触れればかなり冷たい。一刻も早く治療をしなければ危険な状態だ。
「今すぐ私の血を採ってくれませんか? 後になれば…渡せなくなるかもしれません」
他の作業を始めようとする老人に、セレンが声を掛ける。何故か彼はひどく焦っているようにも見えた。
「お前さん…、知っとったのか?」
「あなたの邪魔はさせません。ですから早く」
「わかった。少し待っとれ」
何やら不穏な会話を交わして老人が奥へ消えていく。
ショノアは居ても立っても居られずセレンの元へ近付いた。しかしセレンは何かを探っているのか、空を見つめたままショノアの方を見もしない。
「ショノア。……私に何かあったら彼女のことは頼みます」
「おい、セレン…」
縁起でもないことを口にしたセレンはずっと緊張したままだ。ここは彼の国、ミレノアルではないのだろうか?
「この場所は彼…グレシルをガレス人と接触させないため、そしてガレスにも行かせないための牢獄です。程なく警備獣がここを取り囲むでしょう」
「グレシル? あの爺さんが?」
その名は歴史的にも有名なヘルドル人の名前だ。絶命していない限り、どんな傷も病も治したと伝わる凄腕の薬師。
「でもそんな凄い人が…」
ガレス人の襲撃からグレシルを守るためなら意味もわかるが、セレンの口ぶりではそうではない。
更に尋ねようとした所で老人…グレシルが戻ってきた。
「よく知っとるの?
…薬師の務めは苦しんどる人間を救うこと…。わしはそれを実行しておるだけじゃ。それの何が悪い?」
そもそもグレシルはミレノアル王家に代々仕えた薬師の1人だ。王家御用達の薬師の多くが庶民に薬を提供しない中、彼は階級も人種も問わずに治療を施す人望厚い薬師だった。
ある時ガレス人の捕虜が1人、城から脱走した。逃げる途中怪我をしたそのガレス人は彼の家に転がり込んだのだ。グレシルは当然そのガレス人の傷をすっかり治してしまい、その結果そのガレス人は国への帰還を果たしてしまった。
「奴がわしの生まれ故郷を焼き払った魔術師だったかどうかなど知らん…。わしに罪を裁く権利など有りはしないのだ。
そこに存在するものを生かす…そんな単純なことしか、わしにはできん…」
言いながらもグレシルは本当に自分のしたことが正しかったのか、それを今でも悩んでいるようにも見えた。そのグレシルの言葉をセレンは黙って聞いている。彼にも似たような経験があったのかもしれない。
グレシルは話しながらも手を止めることなく作業を進め、ある不思議な形の容器を差し出してくる。
「こいつは知り合いのガレス人が造ってくれた魔導器だ。
最近アルゴス王の研究の一環で、ガレスでは魔物を器物化する技術が開発されていてな」
「……凄い…。これ、吸血虫をガラス瓶に変えてある」
「わかるのですか?」
興味深げにその容器を見つめるショノアにセレンが尋ねてくる。
「俺もある程度は研究したし、好きな分野だ。だがここまで完成度の高い物を見るのは初めてだな…」
吸血虫とは先程の鳥と同じように血を吸う魔物の一種だ。本来ならば人間の血を吸い尽くして殺してしまう恐ろしい魔物だが、体が伸縮性のないガラス瓶になってしまっているため、恐らくそれ以上は血を吸えないのだろう。
好奇心を抑えきれず容器に見入るショノアをセレンは随分と優しい目で見てくる。
「この魔物の“捕食者に気付かれず迅速に血を吸う能力”に目を付けてだな、わしが注文したんじゃ。しかも容器の部分は魔物の体内と同じじゃ。保存状態も良好に保てる」
言いながらも容器の先に付いている針の部分をセレンの腕に押し当てる。するとあっという間に容器の中に血が流れ込んでいく。
「……そろそろ来たようですね?」
セレンは血を採られている間も周りの気配を探っていたのか、目つきが鋭くなる。彼の言葉を証明するかのように、外から何かザワザワと近付く物音も聞こえ始めた。
「俺も加勢する。…敵は結構多そうだしな」
この小屋に入ってからというもの何故か魔法が使えなくなってしまっていて、敵の数や姿などはっきりとしたことはわからない。だが外に出ればきっと魔法も元通り使えるようになるはずだ。
しかし身支度を整えようとするショノアを、グレシルが引き留める。
「やめておきなさい…。あの獣の吐く息はガレス人の体を麻痺させる。そういうように造られた魔法生物じゃ。
浄化石でも携帯しておるなら別じゃが、何の準備もなしにあれと戦えるガレス人はおらんぞ?」
「だったらセレン1人で戦わせろって言うのか⁈」
セレンは先程の戦いで随分と体力を消耗している。その上、今も大量に血を抜かれて顔色が悪い。そんな彼をまた戦いに向かわせるのは無茶過ぎる。
「覚悟の上です。これくらいの危難、珍しい話ではありません」
セレンはグレシルの作業が終わると、何でもないことのように聖剣を掴んだ。しかし先程「自分に何かあれば」などと口にしていた辺り、セレン自身もかなり厳しい戦いになることはわかっているのだろう。
「あんた、ここに来た目的を忘れた訳じゃないよな?」
こんな所で命を落としでもしたら笑い話にもならない。しかしセレンは穏やかに微笑んだ。
「勿論覚えています。だからこそここに来たのです」
「どういう意味だ?」
「この国は確かに私の国ですが、私を知っている人はここには誰もいません。騎士の身分もむしろ怪しさを際立たせるだけでしょう。となれば血の繋がりを頼るしかありません」
騎士の監視を受けている人間の家に現れたガレス人。そしてそれを守るミレノアル人など、この時期では怪しい光景でしかない。むしろガレス人がミレノアル人の騎士に姿を変えていると疑われるのが普通だろう。
「しかしあんたは…」
「派手に暴れればすぐに報告が上にまで伝わります。その頃には彼女も元気になっていますよ」
デルフィラが動けない今の状況では色々な点で危険過ぎる。最悪ミレノアルがデルフィラを受け入れないとなれば、彼女は捕らえられ殺されてしまうかもしれないのだ。そうなれば彼女は自分の力で身を守らなければならない。
「私はもう行きますが、次に私がこの扉を開けるまで何があってもここを開けてはいけませんよ?」
「……」
不安がないとは言い切れない。しかしショノアが手助けできない状況なのも確かだった。
1人で出て行ってしまうセレンの後ろ姿を眺めながら、ショノアはマリウス達と最後に言葉を交わした時のことを思い出していた。
いつも自分は置いていかれる…。
自分はもうあの時の子供ではない。姿形は子供に戻ってしまってはいるが、あの日から必死で魔法を身に付けてきた。大事な人達を守れるようにと…。それでもまだ足りないのか。まだ自分の力は他人を守れるほどではないのか。
ショノアは頭を振ると馬鹿な考えを振り払った。
セレンは強い。それに次に扉を開けるのは自分だと約束して行ったのだ。彼を信じよう。信じるしかない…。
「あの男は…何者だ?」
外に出て行ってしまったセレンを見送り、扉の前で立ち尽くしていると、グレシルが近付いてきた。デルフィラの方を見れば、もう既に薬を飲ませたと告げられる。
「あの男の血はわしでもそう見たことがないほど上質なものじゃった。あの娘の傷もしばらく待てば綺麗に治るじゃろう。
しかし…わしの記憶ではあれだけ濃いミレノアル人の血を持つ者は、今ではベリル様の一族のみじゃ。他には居らぬはず」
グレシルはそんなはずはないと、どこか怒りを感じてさえいるようだ。
「あの鳥は…セレンの血に反応したのか?」
吸血する魔鳥の一種で、吸った血の種類によって姿を変える種類がいるのは知っている。いくら魔法で変身した所で血の成分だけは変化しないため、そういう魔鳥は怪しい人間の正体を暴くために飼い慣らされていることが多かったのだ。
「メイルーダはわしが王家に仕えておった頃、城で飼われておった。ミレノアル王家の紋章にもその姿が刻まれるほど王家と縁の深い鳥でな…」
グレシルは城に出入りを許された若い頃からこの鳥の面倒をよく見ていた。様々な血を集めて薬を作っていたグレシルにとって、メイルーダは血の鑑定士として役立つ存在だったからだ。
城を追われる際、グレシルはそのベリルという騎士の計らいでこの鳥を貰い受けることができた。
「今となってはメイルーダの存在などお飾りに過ぎん。王家も貴族達もほとんどの者が混血になり、メイルーダの姿を紋章にあるような美しい鳥に変える力はなくなってしまったのだからな…」
ベリルは既にその鳥が王家にとって意味のない存在となっていることをよくわかっていたのだろう。だからこそグレシルの元で暮らした方がその鳥も幸せになると考えたのかもしれない。
「その…ベリルという人は?」
セレンと同じようにミレノアル人の血を濃く受け継ぐというその人物。セレンの先祖である可能性は高い。
「わしの口から話すまでもない。…もうじき本人も現れるじゃろう」
「?……。もしかしてあんたを監視してるっていう騎士は、そのベリルなのか?」
グレシルはわずかに不満げなため息を吐いた。
「そうじゃ…。彼女自身は不本意だと言ってくれたが、諜報部隊長ともなれば王の命も断れまいて…」
その言葉にショノアは確信した。セレンが敢えてここに来た最大の理由は、自分の先祖であるベリルに会うためだったのだと。