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黒衣の守護者  作者: 樽吐
一筋の希望の光
79/156

(4)

 翌朝、ファランはゲラントに起こされた。こんな所で起こされるまで目を覚まさなかったところを見ると、彼女はすっかり熟睡していたようだ。しかし起き上がると身体のあちこちが痛くてファランは思わず顔を(しか)めた。

「よく眠れたみたいだな?」

「……そうなの…かな?」

 身体は痛いが、確かに頭はすっきりしている。気分も悪くない。

「そりゃ、王女様のベッドと比べたら地面に直接寝たようなもんだろう。その内慣れるさ」

 こんな身体の痛みがいずれ慣れる日が来るのかと不安を感じながらファランは小屋を出た。朝が来ても相変わらず周りは薄暗い。彼女は植物師の特性なのか日の光に敏感で、その分気分も左右されやすい。母親もデルフィラが空から日の光を奪ってしまって以来、気持ちが晴れたことがないとよく話していたものだ。

 ため息を吐くとすぐ近くに1体の魔獣の姿が視界に入ってきた。ゲラントが何か話しかけているあたり、昨日2人を乗せてここまで運んでくれた魔獣だろうか。正面から見る限り、白い頭と風切羽を持つ薄茶の大きな鷲にしか見えないのだが、尾の代わりに栗毛の馬の下半身がくっ付いている。同じように鷲の上半身に獅子の下半身をした魔獣なら何体か見たことがあるが、馬は初めて見る。しかし獅子ではなく馬が半身だからか、鋭い嘴を備えた顔も凶暴性よりも穏やかさの方が際立って見えた。

「グリフっていうんだ」

 ファランが飽きることなく見つめていると、それに気付いたゲラントが魔獣を連れてくる。前脚の大きな鉤爪が地面を踏み締めて近付いてくる様は少し威圧的だが、グリフはファランに向かって首を伸ばして頬の辺りを向けてくる。首の羽毛が立ち上がったところを見ると、掻いてほしいのだろうか。

「撫でてやってくれ。あんたからは草の匂いがするからもう気に入ったってさ」

「…草…」

 畑で倒れていたからだろうか、それとも昨晩の干し草のせいか。20歳前のファランとしては少し複雑な心境だ。彼女が喜んで良いものかどうか悩んでいると、ゲラントは笑って補足してくれた。

「ああ、悪い悪い…。別に実際にあんたから草の匂いが漂ってくるって意味じゃないんだ。グリフは草食だから、あんたが美味い草を提供してくれそうだってわかったんだと思う。そういう意味だよ」

「草食なの…? この魔獣…」

 ファランは首の辺りを掻いてやりながら再度魔獣の姿を確認する。黄色の鋭い(くちばし)に、力の強そうな鉤爪はいかにも殺傷能力が高そうで肉を引きちぎって食べる様子を想像していたが、よく考えてみれば下半身は馬なのだ。

「そうなんだ。だから雑草でも良いからこの辺りに生やしてもらえると、こいつとしては満足できる。普段は何処か探し回って食べてるらしいんだが、昨日はずっと俺と一緒にここで見張っててくれたからな」

 魔獣はファランに首を掻いてもらって気持ち良さそうに目を細めている。この魔獣、グリフもゲラントと同じく昨晩はファランを守ってくれていたのだ。これは確かに何かお返しをしなければならない。

 ファランはグリフの首から手を離すと、周りを見回した。どうやらここは村の畑の一画のようだが、枯れ切った草が虚しく風になびいているだけだ。作物もすっかり諦められているのか、枯れたものがそのまま放置されている。しかしその種類を見るに、ここは生活のための畑というより何かの材料を育てていた畑のようだ。全てが食べるには向かないものばかり。彼女は地面に手を付けると土の中に眠る種を調べた。やはり彼女の見立て通りの植物の種がたくさん眠っている。だがまずはグリフ用の草だ。

 彼女が土に魔法をかけるとみるみる内に濃い緑色の細長い葉を持つ草が生えてきた。その草の香ばしい匂いが辺りに漂い、グリフが物凄い勢いでその草に顔を突っ込み食べ始める。

「この草は…魔獣用の特上草じゃないか…。こんな場所に種があったのか? しかもこんなにたくさん…」

 ゲラントはすぐにその草が何かわかったのだろう。驚きながらも懐かしそうにその草に触れている。特上草とは草食の魔法生物用に品種改良されたもので、野生では存在しない。嗜好性と栄養価を重視したこの草は魔法生物に好まれ、身体を健康に丈夫にする。しかし種は高額であるため騎乗用魔獣のために城内で大事に育てられているものか、裕福なディプス人が所有している魔法生物のために彼らの家で少量植えられている程度だ。

「懐かしいな…。昔は城で時々もらっていたんだが、俺が帰れなくなっちまったんでグリフにはずっと我慢させ通しだったんだ…」

 一心不乱に草を食べているグリフをゲラントは優しい表情で眺めている。まるで我が子がご馳走に喜んでいる様子を見守る親のようだ。

「草食型の…魔法生物…、みんなこの草が…大好物だもの。だから…少し種類を…変えたの」

 あまり一般的に知られてはいないが、植物師は種を同種の別の植物に変えて発芽させることもできる。特上草は元は何処にでも生える雑草だったものを品種改良して作られたものだ。元となる草や同種のものなら何処にでも種は落ちている。

「へぇー! そんなこともできるのか‼︎ そいつは凄いな!」

 ゲラントに素直に感心されてファランはつい照れ臭さに目を伏せる。こんなにも喜んでもらえるとは思ってもいなかったのだ。

「…じゃあ、次は…私達の番…」

 彼女は手近にある畑に行くと、今度は果物の木を生やした。どうもこの畑は樹木性の物しか植えられていなかったらしく、どれだけ品種を変えても種類に限界がある。それでもゲラントには意外なものも育っているらしく、とにかく驚き通しだ。

「…ここは酒造りの村だから、正直穫れる物に何の期待もしてなかったんだがな」

「酒造り…?」

「ああ。王都に出回ってるのはここで造られた物が多い。昔から果実酒や麦酒、色々造ってる村だ。当然この村がこんな有様だから、最近王都に入ってくるのは魔物から取った酒精で酒の体裁だけ繕ってるような不味い酒ばっかりだ」

 彼の話を聞いてファランはようやく納得した。だからここの畑は食べ物としては馴染みのないものばかりだったのだ。酒というものにファランはまだほとんど口を付けたことはないが、人によっては酒に命を懸ける者さえいるという話だ。ゲラントも好きかもしれない。

「材料…育てたら…あなたもお酒…飲めるように…なる?」

 ファランは少し期待して尋ねてみる。もし彼が酒好きならこれが一番のお礼になると思ったからだ。しかしゲラントは少し考え込むと苦笑を浮かべた。

「ああ、いや…、そんな簡単に酒は造れない。魔法具師の醸造樽が必要だな…。それに材料もたくさんいる。だから俺にはそのまま食べられるもので良い」

 「ありがとな」とゲラントは笑って付け足してくる。どうやらファランが何を思ってそんなことを言ったのか、理解してくれたのだろう。しかし自分の知識の偏りをファランは痛感していた。植物の知識はほぼ網羅しているものの、それがどんな用途で育てられているのかまではほとんど知らない。セレンを誤解していたことといい、自分のいた世界がどれだけ狭かったかをファランは気付き始めていた。

 その先も彼女は色々な畑を巡り、何とか野菜に変えられそうな種を探した。探すついでに畑を少しずつ蘇らせることも忘れない。しかしいくつか回っているとゲラントが少し心配そうにファランに尋ねてきた。

「なあ、これってもう元には戻せないのか?」

「元に…戻す?」

 枯れた畑に戻すということだろうか。どうしてそんなことを言うのだろうかと首を捻っていると、どうやら自分達のために植物の種類を酒の材料とは違うものに変えてしまったことを気にしているらしいということがわかった。

「食べるのに困ってる今の状況でそんなこと気にしてる場合じゃないってのはわかってる。けど…昔、知り合いの魔法具師が酒の材料には絶滅しかかってる奴もあるって話してたからな」

 確かに植物師は品種を変えられる。しかしその範囲は植物師の持つ能力によって違い、貴重な植物であるほど難易度は高くなる。中には彼女の力を(もっ)てしても変えられない植物も存在するのだ。この畑にもいくつかそんな品種が見つかっている。

「大丈夫。この魔法…、種は…元のまま。だから…日の光…さえあれば…また…元の植物…生えてくる…から」

「…そうなのか…。さすが植物の世界は視野が広いな。ちゃんと先のことまで考えられてるんだ」

「……うん。大事なこと…だから」

 プラニッツ人に伝えられる教訓話には、ちょっとした気まぐれで使った魔法が何十年も先になって全ての生き物を滅ぼしてしまうという恐ろしい話が多い。それが実話だったのか作り話なのかまでは知らないが、少なくとも植物が全ての生き物の支えになっていることを決して忘れるなと伝えたいのだということはよくわかった。

 むしろ何故この話がプラニッツ人にしか伝わっていないのか、そのことがファランには理解できない。プラニッツ人でなくとも植物を枯らして絶滅させることはできる。現にデルフィラは今そうしている。彼女がこの教訓話を知っていれば、敵国を苦しめるためであっても日の光を遮るなどという手段に出たとは思えない。それとも彼女は世界を滅ぼしたいのだろうか。だとしたらもう彼女は人間とは言えない。

 いやしかし、デルフィラだけではなくミレノアルの人間も今まで植物の存在を軽視し続けてきた。伯母は絶滅の危ぶまれる美しい魔鳥の餌場だった草原をすっかり自分の好きな花に植え替えてしまい、伯父は貴重な薬草の生える沼地に武器工場を建ててしまった。これはプラニッツ人全ての軽視にも繋がる。

 父ユーラッドは王の子供達の中で一番継承順位が低く、そのためにプラニッツ人の妻を(めあわ)されたと聞いている。母は王族に嫁いだ者としてそれなりに大切に扱われていたとは思うが、もしファランがグリナライト人やミレノアル人の血を強く受け継いでいたとしたら、たとえ口が利けなくとも継承順位は一気に最上位に押し上げられていただろう。それほど人種によって密かな差別が根付いているのだ。

 昨日ゲラントは彼女が動けば人は自然と集まってくると言った。しかし人々の心の奥に潜む植物師への長年の軽視を知っているファランには、やはりその言葉は信じることができない。

「…さてと、それじゃあ少しずつ分け前をもらおうか。これだけあったら気にせずに持っていけるってもんだ」

 ゲラントは楽しそうに収穫したものを保存袋に詰め込み始めた。今までは狩った獲物と野菜を交換したりして食い繋いできたらしいが、相手の収穫物があまりにも少ない時はただ獲物を与えるだけのこともあったようだ。

「少し急がないとな…。村人の姿が見えてきた」

「?」

 彼女の目にはそんなものは全く見えない。ただ広大な畑が広がっているのみだ。グリフに乗って畑を巡った時も人家は特に見えなかった。

「グリフがさっきから上で見張ってるだろ? その様子が俺にも見えるんだ」

 草を食べ終えたグリフは先程から上空を旋回している。そのグリフの目を通してゲラントは周辺を見ているのだと言う。それはディプス人の持つ能力だ。最近のディプス人は魔法生物を造成する力を持つか、魔法生物の力を借りることができるかのどちらかになることが多く、騎士として重宝されるのは勿論後者の方だ。しかしユーラッドは魔獣造成師の方の力を持っていて、本人の持つ戦力は低いと言われている。それが父親の不満の種だったことをファランは思い出した。

「でも…見られても…構わない…のじゃないの?」

 そもそも人を集めるためにはファランが人助けに立ち上がったことを見せなければ始まらない。なのにこれでは今までの彼女とやっていることに違いがないではないか。

「…まあ、その内見られたって良くなるだろうが…、何より今はナビルから逃げることが先決だ。あんたの魔法は人目を集めるし、噂にもなるだろう。それはナビルに俺達の居場所を教えていることにもなる」

 言われてみればファランはナビルに捕まりそうなところを逃げてきたのだ。もし見つかればファランの方はただ城に連れて行かれるだけだろうが、ゲラントは違う。きっと殺されてしまうに違いない。

「これ…、やらない方が…良かった?」

 少し焦りを感じてファランはゲラントに駆け寄った。

「いやいや、そういうことじゃない。これからあんたはどんどん畑を復活させていいんだ。…でないとあんたのことが…みんなに伝わらない…」

 最後の方は独り言のようにも聞こえた。ゲラントはファランを周りの人間に認めてもらいたがっている。そうして彼女の元に集まってきた人間にセレンを助けてもらわなければならないのだ。

「俺達の姿を見られなければナビルにも村人達は何も話しようがないだろう? 目撃されるってことは、いつ俺達が何処に向かって行ったか全てがバレるってことになるからな?」

 ゲラントはファランの力の痕跡を残しながら逃げ延びる自信があるのだろうか。とにかく今は彼を信用して任せるしかない。

「必要な場所には俺が連れて行く。ナビルには絶対に捕まらない。俺は今度こそ…やり遂げる」

 まるで誓いのようでファランは思わず彼から目を逸らしてしまった。

 彼の後悔と決意は自分の存在に懸かっているのだ。その重圧に、思わず家で1人で過ごしていた孤独で気楽な日々を懐かしんでしまいそうになる。ほんの一瞬だがこの先の未来に不安を感じたファランだった。



 それから半年近くが過ぎて行った。

 ミレノアルは相変わらずデルフィラ女王に支配され、曇り空も晴れることはない。ブラドとの取引で襲撃を免れている王都とは違い、ネメアはいつ現れるとも知れず、たとえネメア以外の魔物であっても人々に抵抗する術など最早残っていない。

 しかしそんな中、ある噂が人々の心に一筋の希望の光を灯した。それはある村で畑が一晩で食糧という宝の山に変わったというものだ。その奇跡はその後も次々に色々な場所で起きた。人々は奴隷時代に信じられていた『恵みの神』が現れたのだと歓喜に湧き、その奇跡を起こす主を確かめようと動き始めた。

 そしてその噂が囁かれ始めたのとほぼ同時期にナビル率いる近衛騎士部隊の一団が、中年男性に伴われ飛行型の魔獣に乗った年若い女性を探しているという情報も出回り始めた。美食家のブラドが『恵みの神』を放っておくはずはなく、ナビルはブラドの側近だ。人々は騎士団の探し求める女性こそが神の正体であると結び付けた。

 騎士団はブラドが宰相になってからというもの民衆の敵だ。その彼らが今度は自分達の信奉する神さえも奪おうとしている。人々は怒り、神を守るために騎士団には一切何の情報も漏らさなかった。騎士団の追及は激しさを増し、時には死者さえ出ると言う。人々の騎士団に対する反感は更に強まり、街や村は結託して『恵みの神』を守る組織を作り始めていた。

 しかし当の本人であるファランやゲラントはそんな組織ができていることなど思いもしなかった。むしろ自分達を守ろうとして犠牲者が出ていることにファランは心を痛めていたのだ。

「私…そろそろ姿を見せても良いんじゃない? もう正体なんて大体知られてるんだし、逃げ回ってばかりいても…いつか追い付かれそうで恐いし」

 ここは騎士団をやり過ごすために潜んでいた丘の上だ。ゲラントは時々こうして騎士団の後ろに回り、彼らを撹乱するのだ。その際にはすぐ近くを騎士団が通り過ぎて行くことになり、ファランはその時の緊張がいつも耐え難いらしい。

 逃亡というものは慣れない者にとってはかなり厳しい状態だ。“逃げの名人”とまで言われたゲラントでさえ、敵の近くを通り過ぎる時はさすがに神経を使って疲れる切るくらいだ。ましてファランは捕まった時の自分ではなく、ゲラントの行く末をいつも案じてくれている。もし自分が何か失敗してゲラントの足を引っ張ってしまったらと、それはこの半年間何度も聞かされた言葉だ。

「今日もあの村で誰かが殺されてしまうかもしれない…。それは…悪いのはナビル達だってわかってる。だけどこのままでいて…良いのかな?」

 血筋だろうか、ファランは晩年のジョルダニア王のようなことを最近よく口にする。前王よりはまだ若い分、ただ犠牲になる選択よりも攻勢に転じたいという意思の方が強いようだが、逃亡生活の疲れもあるのだろう。言葉はこの半年間ですっかり普通に話せるようになり、心なしか性格も活発になったように思う。だがもし今彼女が世間にその正体を晒しブラドやデルフィラに対して対抗する意思を示したとしたら、今よりもっと危険な立場になるだろう。

 ゲラントは未だ人生で一度も結婚したことはなく、勿論子供を持ったこともない。だが長い間一緒に生活していると、ファランのことが娘のように思えてきて必要以上に構ってしまう自分がいる。だからこそ彼女が危険な目に遭うのを避けてしまうのだ。

 高い丘の上から見下ろすミレノアルは昔見た光景とは違い、緑色の大地ではなく枯草色で覆われている。最早大地が完全に死んでしまうまでそれほど猶予はないのかもしれない。彼女の言うように機も熟していると思うが、本当にこれで行方不明のセレンが帰ってきた時助け出すことができるのか。そしてセレンと共にデルフィラに勝利することができるのだろうか。10年間、王都のすぐ近くで隠れ暮らしてきたゲラントはいつの間にかデルフィラの恐ろしさを忘れていたのだ。しかしこの半年で見てきた村や街の惨状を目にするにつれ、そこにファランを巻き込む勇気が無くなってきてしまっていた。

「ゲラント、聞いてる?」

「…ああ、勿論聞いてるさ…。けどな、ファラン…」

 またしても彼女を思い止まらせようとゲラントは説得しようとしている。“逃げの名人”の名は決して臆病者を意味するわけではない。それはセレンがかつて彼に言ってくれた言葉だ。あの時は自分を正しく評価してくれていると喜んだものだが、これではその評価も返上しなければならなさそうだ。

 ファランは今日も不満そうな顔でゲラントを見つめている。まるで自立しようとする娘を引き止めるダメな父親だ。むしろ誰か他の人間に付いていった方が彼女にとっては良いのかもしれない。そんなことさえゲラントは考え始めていた。

「…だったら次は何処に行くの? 考えたんだけど、次はチェリクスなんてどう? この前ゲラントが話してくれた、難攻不落の砦の街。そこなら私達の力になってくれるんじゃない?」

 彼女は彼女なりにずっと考えてきたのだろう。もうファランは出会った当初の何も知らない王女様ではない。ゲラントから教えられた知識を貪欲に吸収して、どんどん先に進んで行ってしまう。

「随分と遠いな…。そこだとセレン様の情報が届かないかもしれない」

「どちらにしても王都の情報なんて入ってくる保証ないじゃない。そもそも…異世界でセレンが殺されでもしたら私達にできることなんて何もないんだよ?」

 ファランとしては一刻も早く抵抗勢力として名乗りを上げ、ブラドにセレンを引き渡すよう交渉に持ち込みたいようだ。それはわかるがゲラントはどうしてもチェリクスに足を踏み入れる勇気が持てなかった。

 チェリクスは100年前まではガレスからの侵攻を食い止めるまず最初の砦となっていて、街は高い壁に覆われ防衛能力は抜群だ。険しい山の頂上にあり、領主の家が国境に張り巡らされた結界の要となっているのだ。陸路で攻めてこられればまずこの街が完全にガレスの軍勢を食い止める。もし空から攻め寄せてきたとしても対空砲火が迎え撃ち、それで抑えきれなかったとしても駐屯している飛行型魔獣騎兵の軍勢が背後からガレスの軍勢を攻める手筈になっていた。しかしそれは100年前の話だ。

 ガレス王家が滅び、ミレノアルにガレスが併合された後はむしろガレスからの移住者をチェリクスは奨励した。それには当時の領主が街の防衛力を上げるためにガレス人の力を借りようとしたからだと言われている。あの街はガレスと長年直接戦ってきたからこそ、ガレス人の恐ろしさや有能さをしっかりと認識していたのだろう。だがそのおかげであの街はガレス滅亡から一気に隆盛を極め、第二の王都と呼ばれるほどに繁栄した。

 しかしそれは多くのミレノアル人の反感を招いた。あり得ないほどの繁栄ぶりに多くの貴族達が嫉妬したからだとも言われているが、チェリクスを“裏切り者の街”と呼んで蔑んだのだ。そのためデルフィラ女王が現れ多くの村や街が彼女の攻撃に晒されると、チェリクスは完全に捨て置かれた。支援は一切せず、騎士は完全に撤退。旧ガレス地区と同じ扱いを受けることになった。

 それでもあの街はまだ滅んではいない。現領主のオルデナは戦死した夫に代わり街を統治しており、何よりセレンの最後の戦いに同行したサフィアの従姉妹だ。必ずファランの助けになってくれるだろう。ゲラントはそう確信している。だがだからこそ彼はあの街に近付けない。

 チェリクスはファランに望むものを全て与えるに違いない。そして一つの勢力として彼女は立つのだろう。だがそれはまるでかつてのマリウスのようで、ゲラントは彼女の未来に絶望しか見出せない。せめてセレンのように決定的な『力』でも彼女の側にあれば自信も持てただろうが、ファランの側にいるのは“逃げの名人”でしかないゲラントなのだ。むしろマリウスの時より状況は悪い。

「チェリクスに行けばもう逃げなくて済むじゃない。ゲラントのことは信用してるし、あなたがナビルなんかに捕まることはないってわかってるけど…、でも本当に…そろそろ動かないといけないって気がするんだ…」

「ファラン…」

 わかっている。彼女の不安の元はほとんどゲラントの力の無さが原因だ。そしてファランを信じてくれている人々が犠牲になるのを彼女はもう見たくない。ファランが優しい性格で、1人も犠牲者を出したくないと思っていることなど以前から知っている。そしてそれを全て解決するにはチェリクスに行くしかないということも。そもそも彼女が父親の領地から飛び出した時点でもう後戻りはできないのだ。

「わかったよ…。行こう、チェリクスに…」

「うん!」

 元気よく頷いたファランにゲラントは曖昧な笑みしか返せなかった。とにかくこれから性根を据えてかからねばならない。ファラン王女の家臣として、恥ずかしくないようかつての自分を思い出すのだ。そして彼女の身をとにかく全力で守る以外ない。

 話が望む形で終わったのでファランの足取りは軽い。グリフをゲラントの側まで連れてくると鞍から後部用のもう一つの鞍を取り出し、彼を急き立てるかのようだ。確かに騎士団の一行が村の小さな門を潜っているのが丘の上からよく見える。

 この村でファランが作物を実らせたのは2日前。そこから近くの街に向かって出発したように見せかけるため1日真っ直ぐに進んだが、切り立った山に差し掛かった所で姿を隠して引き返してきた。騎士団が追いついてきたこの村には立ち寄りたくなかったのだが、下手に遠回りすると途中で目撃される恐れもある。それに定期的に追ってくる騎士団の規模を確認することも必要だったのだ。

 騎士団の数はおよそ10人程度。ナビルが指揮をしているからには、これが主力部隊になる。他の村や街にも最近では近衛騎士の姿を見かけるが、あれは監視のためだろう。もし近衛騎士の格好をしていない騎士が他に隠れていれば厄介なのだが、昔から自分の騎士服に最もこだわるのが近衛騎士だ。彼らが作戦のためであっても他の色の騎士服を身に付けることは決してない。少なくともナビルの下に付いているような騎士の中にはだ。

 騎士達はゲラントが2日前に進んだ方向に向かって、すぐに見えなくなった。全員馬に乗っているのだからいなくなるのも早いのだ。頃合いを見計らいゲラントがグリフに乗ると、ファランもすぐに自分用の(あぶみ)に足を掛けて後部の鞍に乗り込んだ。

 最初の頃はゲラントが抱き上げて乗せなければグリフに乗り込むこともできなかった彼女だが、今では当然のように1人でゲラントの後ろに乗ることができる。この鞍を新調し、ファランの服装を男性物に変えたのはとても良かったようだ。髪もすっかり短く切ってしまい、今の彼女は少年のようにも見える。おかげで街を歩いていても誰も彼女が王女だとは思わないらしい。

 彼女はそれが面白いと喜んでいたが、考えてみればファランも19歳。王族なら結婚していても良い年齢だ。こんな生活をしているのでなければ普通の女性らしい格好をしていて、それなりに恋人の1人くらいできていたかもしれない。彼女は決して美女ではないが、しっかりと澄んだ目で未来を見据えるその顔はとても魅力的なのだ。父親のように年上の自分などと行動を共にしていたせいで、彼女の恋愛にまで影響を与えていたのだとしたら居た堪れない。

「ゲラント、行かないの? 今日は考え事、多いね?」

 ファランに指摘されてゲラントは慌ててグリフを出発させる。彼女は本当に人のことをよく見ていて、些細な変化にも気付いてしまう。セレンもよくゲラントが落ち込んでいると気遣う言葉をかけてくれたものだ。

「やっぱり…チェリクスには行かないでおく?」

 ファランはゲラントの動きが鈍いことを、彼の気の進まない街に行かされるからだと考えたのだろう。確かにそれが発端で色々と考えてしまってはいるが、もう決めたからにはうじうじと考え込んでいる場合ではない。

「いや…心配するな。いずれは行くつもりだった場所だ。それに…あの街だって食糧難は同じだろうしな…」

 むしろ国からの援助が一切ないあの街こそファランの訪れを心待ちにしているに違いない。それを今までゲラントの一存で避けてきたのだ。これまでの償いも兼ねて一刻も早くチェリクスに行くべきだろう。

 ゲラントが腹を蹴るとグリフは一気に丘を駆け下りて行った。そしてそのまま次の丘へと進む。しばらくは目立たないためにも街道を使ったり上空を飛ぶことはできない。道なき道ではあるが、グリフの力強い前脚は岩をしっかり掴み、後脚と翼の力で険しい崖でも簡単に登っていく。むしろ乗っている方が大変なのだが、半年間ほとんどの時間をグリフの上で過ごしてきたファランは既に慣れたものだ。何の問題もなかった。


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