(5)
周りに集まった騎士や兵士達はその後も2人の戦いを必死で目で追っていた。しかし何人かは追いきれずにもう諦めてしまったのか、ただ茫然と戦いを見守り始めた者も多い。そんな中、ベリシアとセシルの2人だけはベリル達の戦いをしっかりと目で追っていた。
「あーあ…、お母様ったらあんなに嬉しそうな顔しちゃって…。自分の親ながら…時々引くよね?」
母のあんな生き生きした顔を見るのは初めてかもしれない。セシルはむしろ呆れさえ感じてため息を吐いた。2人の攻撃はどれも一度食らってしまえば立ち上がれなくなるような恐ろしい攻撃ばかりだ。それなのにベリルはずっと笑顔で戦っている。それに対してあのリーンという若い騎士はこれまた完全な無表情。見ている側としては少し不気味だ。
「そう? 私は少しお母様の気持ちがわかるかな…」
「え⁈……」
てっきり同意が得られるとばかり思っていたセシルはベリシアの予想外の言葉に思わず姉の顔を見つめてしまった。
「リーンさんの動きはしなやかで力強い。反面お母様の動きは奇想天外で鋭いの。どちらの動きも見ていて飽きないわ。私相手では、お母様はあんな動きを見せてくれないもの」
母親が自分に向けてあんな動きを見せたら即治療院行きだ。それでもベリシアは良いと言うのだろうか。セシルにしてみれば、少しくらい手加減してもらいたいと時々思うくらいだというのに。
「お姉様はあんな勝負をいつかお母様とやってみたい?」
「あそこまでは無理じゃないかしら。やっぱりリーンさんの強さは普通じゃないもの…。あれで最近戦いに復帰したばかりだって言うんだから嫌になるわね」
リーンばかりを褒めるようなベリシアにセシルは思わず少し怒って言い返した。
「お母様だって凄いわよ! だってお母様と同期の騎士の人はイアニス様以外みんな引退してるのよ⁈」
思わず大きな声を出してしまってセシルは慌てて口を覆った。年齢のことはいつでもベリルに口にするなと戒められているというのに、こんな大勢の前で大声で言ってしまった。だがその言葉に反応したのか、周りの観戦者も口々にベリルの凄さを語り合い始めた。セシルはその声を聴きながら少し誇らしい気分になる。
「お母様への評価は私達にも懸かっているわ…。こんなの見せられたら、これからは甘えたことなんて少しも言っていられないわね」
ベリシアはそんな周りの会話を聞き付けて苦笑する。彼女はセシルと違って、そう脳天気に喜べないようだ。
「お姉様は前から甘えなんてないでしょ? 気合い入れないといけないのは…私の方かな…」
セシルは自分が姉に比べて色々と劣っているのをわかっている。騎士にはなれても、人を騙したり知っていることを黙っていたりする諜報部隊に向いているとは少しも思えない。
「セシル。お母様も昔は遊んでばかりでいつもお祖父様に叱られてたって話知ってる? お母様も嫌だったんだって。諜報部隊の騎士になるのが」
「そうなの⁈」
驚いてベリシアの顔を見ると、彼女は優しい顔でセシルを見つめていた。
「私もこの前叔父様からその話聞いたの。セシルに話したら安心するかなって…。私はありがたいことに諜報部隊の仕事は嫌いじゃない。だけどあなたは昔からお父様みたいになりたいって言って聞かなかったものね」
よく頑張ってると自慢の姉に言われて思わず涙腺が緩みそうになった。自分の周りは本当に良い人ばかりだ。自分は恵まれている。セシルは思いも新たに母親の戦いぶりを眺め始めた。
しかしそれからしばらく経っても2人の対戦は終わる様子を見せなかった。心配を通り越してもう呆れるしかなくなったセシルが呟く。
「…あの2人、いつまで続けるつもりなのかな? 訓練場、そろそろ閉める時間じゃない?」
どうやらリーンが本気になったらしい辺りから、もう勝負という形式はどこかに行ってしまったようだ。今ではベリルの圧勝ということはなく、どちらも満遍なく勝敗を分けていて互角といったところだが、彼女もリーンも特に気にすることなく試合を延々と休みなく続けている。
ベリルがこの場所に現れたのは、もう日も暮れかかった時間だった。そこからすっかり日は落ちて、今では訓練場内も少し薄暗い。恐ろしい速さで戦い続ける2人に口を挟めず、訓練場を管理する兵士が先程から部屋の片隅で佇んでいるようだ。
「そうね…。多分私達が止めないと、一晩中だってあの2人は戦い続けるんじゃないかしら?」
セシルは驚いてベリル達を振り返った。いくら何でもそれは言い過ぎだろうと思うのだが、あれだけの速度で動き回っていながら2人の動きは鈍くなることはない。むしろその速度は上がる一方だ、これならベリシアの言う通りかもしれないという気にもなってくる。
ベリシアは仕方がない、と残念そうに2人の方に歩いていく。それをセシルも慌てて後を追った。するとリーンがすぐに2人に気付き、ベリルを引き止める。
「どうしました?」
彼は息一つ乱さずにベリシアに尋ねてきた。彼は確かベリルから恐ろしい突きを食らったはずなのに、何か戦えば戦うほど回復するような技でも持っているのだろうか。むしろ戦う前より元気そうだ。
「もう時間も遅いですから、そろそろ終わりにしてはどうですか?」
ベリシアは2人に遠慮することなくはっきりと用件を口にした。するとリーンも周りの薄暗さに時間の経過を感じ取ったのだろう。少しだけ慌てた様子でベリルにまた続きは後日にしようと提案している。
「そうか…、確かにな…。こんなにも時を忘れて戦ったのは父と戦った時以来だ。もう随分と昔の話だがな」
ベリルもまるで何事もなかったように平然と受け応えしている。セリノアの一族は時に魔物に例えられるが、ベリルを見ていると本当にそんな気がしてくる。それともあと数年すればセシルも同じように人間ではないと形容されるような人間になるのだろうか。
「…いや、しかし予想以上に楽しかった。また機会があれば私の方からも頼む。お前と戦っていると、私もまだまだ強くなれるような気がしてきた」
「まだ強くなられるおつもりですか? あなたの向上心には果てがありませんね」
リーンも随分と嬉しそうだ。こうして見るとまるで親子のようにも見える。自分達には本来兄がいたそうなので、いたとしたらこんな感じなのだろうか。
2人は使っていた稽古用の剣を籠にしまおうとする。だが同時に動きを止めた。2人の目線の先には稽古用の剣がある。凄まじい衝撃を長い時間どうにか耐え抜いたその木剣は、どちらも既にいつ折れてもおかしくない有様だ。
「これはもう使えんな…」
ベリルは満足したように笑い、リーンから剣を受け取ると燃料行きにしてくれと兵士に渡そうとした。それをセシルが慌てて引き留める。あんな戦いを繰り広げた証をそのまま処分してしまうのは勿体ないような気がしたのだ。
「今日の記念に…もらって良い?」
こんなボロボロの木剣を持っていてもどうしよもない。それはわかっているのだが、今日の戦いをどうしても忘れてはいけないような気がしていた。
「記念? 一体何の記念だ?」
ベリルは訳がわからないとセシルを見つめる。だがそれをリーンが横からベリルの手にしていた剣を2本とも受け取り、セシルに渡してくれた。
「どうぞ。いつか…あなたが私の代わりにベリル様を喜ばせてあげてください。きっとできます」
剣を手渡しながら、リーンは励ますように言ってくれた。彼はセシルが何故この剣を欲しがったのか、察しが付いたのだろう。セシル本人もまだ理解していなかったその思いを彼が言葉にしてくれた。
「あー…しかし随分と見物人が増えたな…。まあ、都合は良いが…」
ベリルは周りに集まる人の多さを見ると、何を思ったのかしたり顔で笑っている。ベリルがこういう顔をしていると大体ろくなことがない。ベリシアも同じようなことを思ったのかうんざりした様子でベリルを見ている。
「お母様…、もしかしてわざと仕向けた?」
ベリシアが人前でベリルのことを『母』と呼ぶのは珍しい。ということはこれは私的な理由によるものなのだろうか。その証拠にベリルは彼女を叱らなかった。
「お前も言っていただろうが。私のことを馬鹿にしている奴が最近増えているとな…。だから少し、見せ付けてやった方が良いかと思ってな。それにこれは…この先起きるであろうもっと大きな問題にも影響する」
「……大きな問題?」
深刻な顔を見せるベリルにセシルは素直に尋ねた。一体母親の強さを見せ付けることが何の問題を解決すると言うのか。するとベリルはとにかく訓練場を一旦出ようと言ってきた。
戦いを見物していた騎士や兵士達はまだ圧倒的な対戦を目にした余韻からはしばらく立ち直れそうにない。4人が連れ立って出て行こうとすれば、周りの人間は恐れるように道を空けた。セシルはその様子を少し寂しい思いで眺める。いつも思うことだが、母親をそんな化物を見るような目で見ないでほしいのだ。しかしいつか自分も同じような目で見られる日が来るかもしれない。それを思うと、今日は何故か少し心が浮き立つような気がした。
そのままベリルは3人を執務室まで連れて来た。そして彼女はセシル達に椅子を勧める。いつも座っている暇などないと叱責されることが多いだけに、セシルは少しおどおどしながらも腰掛けた。
「最近、リーンが現れたことで我々一族の権威が落ちてきていてな…。人為的に魔物を寄生させれば誰でも力を強められるのではないか…。そんな恐ろしい考えに取り憑かれた騎士や貴族達も出てきているのだ」
今まで強さの象徴はセリノアの一族のみだった。だが一族の出身でもない騎士リーンが最強ではないかと今世間では噂されている。そのためセリノアの一族の力に疑いの目が向けられているのだと言う。
「ここ最近、目立った戦いと言えばネメアを相手にしたものばかりだ。お前以外どうすることもできん。私にできることなど民衆を安全な場所に誘導する程度のこと。…ただでさえ私は引退する年齢をとうに超えている。以前から年齢を理由に引退を迫られるような事態は何度も起きていたのだ。これを機会に陛下を良く思っていない連中が私を引き摺り下ろそうとするのは時間の問題だったのだ」
「そんなことが…。しかしそうですね…、こういう事態は当然想定しておくべきでした」
リーンはその話を冷静に受け止める。彼は本当にベリルの部下なのだろうか。セシル達を指導する時も少し不思議だったのだが、見た目の割に彼はしっかりした言動が目立つ。しかもそれは口だけのものではなく、確かな経験に基づいているような説得力があるのだ。
「お前が気に病むことではない。だからこそ…今日のことは都合が良かったのだ。実力だけで見れば私とお前の強さはほぼ互角。お前の強さは聖剣によるものだと印象付けられた」
「なるほど…。ですがそれなら不甲斐ない私を放っておいた方が良かったのではないですか? その方が…あなたが最強であるとより信じてもらえたように思うのですが…」
リーンの言葉にセシルも心の中で同意する。実際に彼女はベリルが圧勝している状況に喜んだのだ。リーンのことは嫌いではないし、むしろ好きだ。何より彼は母親より余程優しいのだから。だがどちらが強いかという話になると、やはりベリルが最強であって欲しいと思う。恐ろしく厳しくても自慢の母親なのだ。
しかしベリルはそれを聞くと憤慨して立ち上がった。
「馬鹿を言うな! あんな勝負で最強だと思われても嬉しくも何ともない! それに…お前との勝負は本当に楽しかった。そんなお前が不必要に弱いと思われるのも癪だ!」
彼女がここまで入れ込む相手はそうはいない。勝負事になるとセシルには時々理解できなくなる母親ではあるが、今回のことはどうにも強さを求めるだけではない何かがあるように見えた。もしかしたらリーンは彼女の隠し子か何かで、本当は一族の人間なのではないだろうか。だとしたら納得もいく。いやしかし両親の仲睦まじさはセシルも辟易するほどだ。よりにもよってベリルがあの父親を裏切るような真似をするとは思えない。
「そこまで喜んで頂けたなら私も本気で戦った甲斐があるというものです。一生の思い出になりますよ」
リーンは屈託なく笑い、ベリルの剣幕など何も感じていないかのようだ。優しそうに見えてもあの戦い方を見る限りでは彼も大概容赦がない。見た目で誤魔化される分、実は彼の方が余程曲者なのかもしれない。
「…まあ、目的は果たせたのだから良しとしよう。そうだ。今日は夕食を私達家族と一緒に取らないか? 私の夫が作る料理は最高だぞ? 一度お前にも食べてもらいたい」
色々と問題は抱えているものの、ベリルとしては今日は実入りの良い一日だったのだろう。機嫌が良いからか、リーンを夕食にまで誘い始めた。
「確か…お店を持たれているのでしたよね?」
「そうだ。この前改修が済んで、店もまた以前のような賑わいを取り戻しつつある。お前にも一度会ってみたいと話していたから丁度いい」
セシルの父親はベリルとは真逆の温和で優しいグリナライト人だ。虹を出すのが得意で、子供の頃は何度もねだって見せてもらったものだ。何も知らない頃は大きくなったら自分もあんな虹が出せるようになるのかと期待していたが、それは全く叶わぬ夢だった。
「しかし…私が行くとお邪魔になりませんか?」
リーンは今ではこの国の英雄だ。城下を歩けばすぐに人が集まってきてしまうだろう。彼はどうやらそれを不安に感じているらしい。
「心配するな。私が睨みを効かせている間は誰もお前には近付けさせん」
「あなたの手を煩わせるくらいならば私自ら手を打ちます。嫌われる方法などいくらでもありますから」
彼は朗らかに笑ってとんでもないことを言う。それに対してベリルが珍しく焦ったような表情を浮かべた。
「いや、お前は何もするな。折角皆に慕われているのだからそのままでいろ。…人々には何も考えずに信じることのできるお前のような存在も必要なのだ」
ベリルにも壊してほしくない英雄像というものがあるのだろうか。母親が慌てさせられている姿など初めて見た。
「…そうですか。ならばあなたにお任せします」
彼はまるでベリルが慌てている理由を知っているかのように楽しそうに笑った。それをベリルは不満げながらも安心したように頷く。本当に彼女を手玉に取るなどとやはりリーンは只者ではない。
「今晩店に行くことは伝えてある。久しぶりに家族が全員揃うのだ。お前も楽しむといい」
「はい」
リーンはセシル達家族の中に1人混じる状況なのだが、とても嬉しそうにしていた。セシルとしても兄ができたような気がして、この先がとても楽しみだ。ベリシアを見ると彼女も嬉しそうにしていた。
今日は本当に忘れられない一日になりそうだった。
前章に引き続き、タネ明かし第2弾です。
物知りヘイムは使い勝手が良いですね。
ちょっとショノアの存在意義が薄れていってる感じですが、その内また盛り返しますので!




