(1)
その日の夜、セレンの部屋にヘイムが訪ねてきた。セレンもショノアも結局ベリルの計らいでその後も地下室で過ごすことになっている。何かと秘密も多く、どうしても目立つ存在でもあるため、その方が良いだろうと言われたのだ。おかげでヘイムとも問題なく会うことができる。
「デルフィラに求婚したそうだな?」
ヘイムは部屋に現れるなりセレンに確認してきた。予想しなくもなかった言葉なだけに、セレンはわずかに身構える。
「……ええ」
厳密に言えばセレンは求婚できる立場にない。だが2人にとっては最早結婚したも同然だ。公には認められなくてもお互いに将来を約束し合った。
「君は意外に思い切りの良い男だったようだ。安心した…」
ヘイムは笑って窓際に立つセレンから少し離れた長椅子に座った。セレンはそれを見届けると、開け放したままだった垂れ幕を窓に掛けた。
「私が思い切りの良い人間だったかどうかは…何とも言えません。ベリル様が背中を押してくださらなければ果たして今回のような行動に出られていたのか、定かではありませんでしたし…。それに…結局私にできることは…ただ彼女に誓いを立てることくらいです」
言いながらもセレンはヘイムの向かい側の椅子に腰掛ける。ヘイムが一体何を話しにここに来たのか、それがわからないためにセレンはわずかに突き放した物言いになる。
「……誓い…か。だとしたら随分と相応しいものをあの子に贈ってくれたものだな? あれを…一体何処で手に入れた?」
ヘイムの顔から笑顔が消え、セレンの顔を強い視線で見つめてくる。どうやら彼がここへ来た本当の理由はセレンがデルフィラに求婚したことではなく、贈った物のことを聞き出すためだったらしい。
「あれとは…『デレンベリアの髪飾り』の模造品のことでしょうか? 何かご存知なのですか?」
ガレス人であるヘイムがあの髪飾りのことを知っているとは驚きだが、ショノア同様博識な彼のことだ。セレンの知らないことに気が付いていたとしても驚きはない。それに、セレンもあの髪飾りのことについてはどうにも釈然としない気持ちを抱えていた。本物についてはまだ子供の頃だったため、記憶も定かではない。だが今日買った髪飾りには明らかに千年以上前の高い鋳造技術が用いられた痕跡がある。模造品が作られたのはおよそ800年前。その頃には既に廃れてしまっているはずの技術だ。
「あれは模造品などではない。紛れもない本物だ。しかも…彼女が身に付けていた痕跡まである」
「……彼女?」
一体誰のことだろうか。ヘイムは何かを思い出すように一度目を伏せると、今度はセレンの顔を見つめてきた。
「君は…自分の一族のことをどの程度まで知っている?」
「セリノアの一族…のことですか? どの程度…と言われましても…」
一族の話は今はあまり話したくない。デルフィラを最後まで幸せにできない最大の要因は自分に流れる血にあるからだ。それでも尋ねられたからには答えなければならない。セレンは渋々話し始めた。純血種のミレノアル人であるセリノアの子孫で、子供が極めて生まれにくいということ。そして彼の一族が高い地位を手にすれば、国に禍がもたらされるとして長い間忌み嫌われてきたことなどを。するとヘイムは深刻な表情で押し黙ってしまった。
「……君達が高い地位に就けば国に禍を招く…か。その話はまだ撤回されずにこんな時代にまで伝わっているのだな…。そもそも禍を被るのは『国』ではなく『王家』だけの話だろうに…随分と誇張されたものだ」
しばらくしてから口を開いたヘイムは、静かにだが怒りを堪えるようにして呟いた。
「…ヘイム? あなたは一体何の話を…されているのですか?」
彼はセリノアの一族の謂れを元々知っていたようだが、一体何処で知ったものか。やはりアルゴスのようにセレン達のことを調べていた時だろうか。しかしそれにしては何か裏の事情まで知っていそうな口ぶりだ。
「君は…自分の一族をどう思っている?」
ヘイムはセレンの問いには答えず、更に質問を重ねてきた。セレンは一瞬口籠ったが、やがて渋々口を開いた。
「……好きではありません…」
一族のことを悪く言いたくはない。セリノアも多くの祖先達も父も祖父も、そして勿論ベリルのこともセレンは尊敬している。だがだからこそ皆を不幸にする『一族』が嫌いだった。
「陛下のお力になれることは良いのです。我々一族にしかできないことも多く、それができることを誇らしくも思います。ですがそれを誰にも評価して頂けない…。いくら我々が禍を招くと言われているからといっても…、我々自身にその気は全くないのです…!」
その能力故にセレン達一族は常に最も危険な任務にあたっている。確かに体は丈夫で普通の騎士よりは怪我も少なくて済むだろう。だが決していつも無傷で済むわけではないのだ。
「父は王都を救った際に体を悪くし、祖父は王家の継承者争いに終止符を打った際に片腕を失いました。2人ともミレノアルの存亡の危機を救ったも同然だと言うのに、我々が受けた報酬は治療費と必要最低限の生活費だけ…。どうしてこんな不当な扱いを受けなければならないのか…。禍などと…むしろそれは祖父や父が退けたではありませんか…!」
近衛騎士の中には一度も剣を持たず、騎士の服に袖を通すことさえなかった人間が毎年のように意味のわからない褒賞を受け取り、何不自由なく暮らしている。彼らは何を持って自分を権威ある存在だと思っているのか、父に対して幾度も無体な意見を押し付けていたのも知っている。
「私のことは良いのです…。これでも陛下は私の謂れを無視してまでも将軍にしてくださった…。ですが父は…、私の父は…!」
セレンは生まれて初めて自らの一族の扱いに対する不満を口にしていた。こんなことはマリウスにさえ打ち明けたことはない。だがずっと彼は悔しかった。そのために聖剣に選ばれた自分が一族の無念を晴らすのだと必死になっていたこともある。
「一族の人間は男であった場合は妻に先立たれることを覚悟して結婚するのです。私の姉や兄は何人もいましたが、誰も生まれてくることはできませんでした。最後には…母さえ犠牲になりました。この血は…呪われている。それは確かです…!」
言い始めると止まらなくなってしまった。しかし吐き出すだけ吐き出してしまうと、ただ残るのは自己嫌悪だけだ。一族は皆それをずっと黙って耐えてきた。それなのにセレンだけが不満を言ってしまった。それも敵国の王子にだ。思わず顔を覆ってうつ伏せてしまったセレンに、ヘイムの宥めるような声が掛けられる。
「…すまなかった…。随分と…つらい思いを抱えてきたのだな…」
優しくされると余計に自分の不甲斐ない態度が心に重くのしかかる。セレンは顔を上げるとしっかりとヘイムを見た。
「いいえ…、私の方こそ…。あなたには…どうにも本心を曝け出したくなるようです…」
自分でも不思議なのだが、ヘイムとはまだ数回しか話したことがないはずなのに、少しもそんな気がしない。何年も付き合いのある相手のように弱音を吐きたくなってしまうのだ。やはり初対面からファタルの話を告白して、自分の弱さを見せてしまっているからだろうか。
「それは…嬉しいことだな…」
顔を上げるとヘイムは本当に嬉しそうに笑っていた。あまり気を許してくれる相手がいなかったからだろうか。
「しかし君達の置かれた状況には心から同情する。私も…何もできなかった1人だ。責任を感じている…」
それはおかしな言葉だった。何故ガレス人の彼が800年も昔の話のことで責任を感じなければならないのか。
「発端は随分と昔の話です…。我々の境遇はあなたには全く関わりのない話ですよ?」
今にも頭を下げてきそうなヘイムをセレンは慌てて止めた。彼とセレンの一族との関わりは全くない。そんな記録もない。それなのにヘイムはまるで自分がセレンの一族を不幸な境遇に追いやったか張本人であるかのような態度だ。
「我々一族の不名誉な謂れは、一族の始祖であるセリノアの時代から始まっているのです。この時代に生きるあなたに…できることはなかったと思いますが?」
「……そうであれば、良かったのだがな…」
ヘイムは長椅子の背に体を預けると、何かを思い悩むようにセレンから目を逸らした。
「君に真実を話したところで今更どうしようもないことだが…、君達が自分達をこのまま蔑んで生きていくのを見るのは忍びない。本来ならば…最も優れた一族として繁栄するべきだったのだからな」
「ヘイム…」
彼は一体何を打ち明けようと言うのか。視線をセレンに戻した彼の顔にはもう迷いはなかった。
「あれはまだ…私が今のデルフィラくらいの年齢だった時だ。…当時は父の薫陶を受けて、すっかりミレノアル人は殲滅すべきという考えで私の頭はいっぱいだった。そんな愚かな人間だった頃の話だ」
ヘイムは自分を嘲るようにわずかに笑みを浮かべた。今のヘイムからはとても想像できないが、彼の若い頃はそれはそれは『悪虐非道』を絵に描いたような人物だったと伝え聞いている。あの滅多なことでは人を嫌悪しないベリルが未だに彼を許せていないのだ。それは誇張でも何でもなく、実際に昔の彼は酷い人間だったのだろう。
「私は父に似て…子供の頃はあまり魔力が高くなかった…。だが父を強く敬愛していた母の影響で、私はずっと父を素晴らしい人間だと信じていたのだ。そして将来は父のようになるのだと魔法の研鑽を積んでいた…。21歳で過去に時を遡る魔法を身に付けた私はすっかり有頂天になっていてな…」
ガレスの王族でも難易度の高い時間移動は誰でもすぐに会得できるという魔法ではなかった。それを20歳そこそこで会得したヘイムは何人もいる王の子供達の中から突然1人抜きん出た存在となったのだ。
ヘイムは王の子供としては8番目だったが、上の兄や姉達とはかなり年齢は離れている。一方ですぐ下の弟や妹は数日違いの者までいたくらいだ。そこからデルフィラまで50人近く弟妹が増えることになる。それは丁度ヘイムが生まれた辺りから、アルゴスが我が子を自分の命を延ばすための道具としてみなし始めたからだ。だからこそ、当時はまだ王の子供達は自分の能力を磨くことが次の王候補に選ばれることに繋がると信じていた。
落ちこぼれだったヘイムは努力で掴んだその力によって自信を増した。母からは賞賛され、今までさんざんヘイムを無視してきた貴族達はこぞって彼の側近になろうとすり寄ってくる。世界は自分のためにあるとまで彼は感じていた。だからこそガレスから多くを奪ったミレノアルが気に入らなくなってきたのだ。
「過去に遡ったところで起こってしまったことはもう覆らない…。私は魔法を学ぶ上でその言葉をさんざん目にしてきた。それでも調子に乗った若造の私は『自分なら変えられる』と…、多くのガレス人が陥った思考に囚われ過去に飛んだ」
目的は当然セレストを反乱前に殺すこと。当時のガレス王でさえ敵わなかったことを、その後千年以上後に生まれたヘイムができるわけもない。太古のガレス人もミレノアル人も今の時代の人間に比べれば恐ろしく魔力が強かったのだから。だがヘイムはそれが敵うと思い込んでいたのだ。
結局、過去に来たヘイムはそこであまりの実力の差に愕然とし、自信を喪失する羽目になる。そこで偶然デレンベリアに会った。
「彼女は…素晴らしい女性だった…。魔力に恵まれ、気高くも優しく…、内面から光を放つかのような人だったよ」
当時は既にセレストとデレンベリアとの関係がガレス王に露見し、セレストは牢に幽閉され死刑を待つだけの状態だった。彼女は強い悲しみと不安の中、それでも庭で1人佇むヘイムに目を留め、声を掛けたのだ。
セレンは思わず黙っていられなくなり、口を挟んだ。
「彼女と…話をしたのですか? そこまで時を遡ることができるなんて、信じられません…」
時を遡る年数に限りはない。書物にはそう記されているが、その魔法は一度ガレス王家の滅亡と共に完全に失われてしまった。ショノア達が開発した新たな魔法では色々と制限が多く、おかげで異世界を経由した上でショノアは見た目が子供にまで変化してしまっている。ショノアはもう少し研究を続ければ、際限なく時を遡る魔法が完成すると言っていたが、その壁は高く険しいものだとも以前話していた。ヘイムはその壁を越えて誰も到達できない太古の昔にまで旅をしていたのだ。
“あなたのように…遠い未来から来たお客様は初めて見ます。まだ…ガレス王家は存在できているようですね?”
彼女はヘイムを一目見ただけで、ある程度何年先の未来から来た人間なのかを見抜いていた。既に彼女の周りには未来から来たガレス人が何人もいて、そのために見分けが付くようになってきていたらしいのだ。
「彼女は常にガレスのことを憂えていた…。力の強い者が弱い者を一方的に押さえつけて従える。その方法はいつか限界が来る。いや、むしろその関係を自分自身が今壊そうとしている。それをずっと悲しんでいた…」
話している内に、既に彼女がセレストを救うために血の制約の発動する相手を書き換えようと決心していることにヘイムは気付いた。ヘイムは勿論反対した。そもそもセレストを殺すために彼はこの時代に来たのだ。この得難い素晴らしい女性をみすみす犠牲になどしてたまるものか。言葉の端々にセレストへの嫌悪を滲ませるヘイムに、彼女はしかし強い口調で言ったのだ。
“私はセレストに全てをもらいました…。草原を踏み締めて走る爽快感。人と笑い合う楽しさ。生きる希望も未来への展望も…あの人がいなければ私には何もなかった…。そして何より…セレストのために父と戦おうとまでしている強い自分。これが私です。あの人が私をここまで強くしてくれました”
熱い想いを語る彼女の顔は固い決意に満ちていた。それでも最後に彼女は一言、共に幸せになる道が一つも無いことだけが悲しいと漏らした。しかしセレストがこんなにも先の未来の人間にまで影響を与える存在になるのなら、その礎に自分がなるのだからと彼女は自分に言い聞かせているようにも思えた。
彼女は力の無いヘイムをその後も危険だからと言って側に置き、夜が来た。自室に戻ってからはずっとベッドに横になったきり、起き上がる様子のなかったデレンベリアだったがふとヘイムを枕元に呼んだ。彼女はヘイムにこの後すぐに元の時代に戻るように言い、そして彼の手を力強く掴んだ。
“命の重さは等しく平等なのです。奪うことを楽しむような…そんな人間には決してならないでくださいね”
何故だか遺言のような言葉だと感じた。儚く微笑んだ彼女の顔から目が離せなくなった。彼女の部屋を出てもヘイムの頭の中にははしばらく彼女の顔と声が残像のように残り、到底すぐ過去に戻る気にはなれなかったのだ。
自分の時代に戻ったところで彼女のように誰がヘイムの身を案じてくれるのか。母親は確かに彼を大切に扱ってくれる。だが彼女にとってヘイムは自分の作品でしかない。父親も同じようなものだ。デレンベリアのように『人』として、そして遠い先の『息子』として大事にされたことはない。
彼女はヘイムが王族だと気付いている。だからこそその未来を託せるよう、先程の言葉を掛けたのだ。だが皆を平等に扱えなどと急に言われてもさっぱりわからない。この混乱をどうにかするには彼女ともう一度話すしかない。ヘイムは彼女の部屋に再び戻った。しかしそこで目にしたのは必死に彼女の体を抱きしめる、侍女ハリエの姿だった。
ハリエは厳しい目で空を見つめたまま動かない。彼女が抱きしめているデレンベリアの体からは急速に魔力が消えていっている。何があったのか問うまでもない。彼女はセレストを救うために、彼を始めとした何人もの仲間達の分まで血の制約の発動する相手を自分自身に書き換えたのだ。そして彼女自身はその行為のせいで死に瀕している。
“姫様は死なせません! 私の命に替えても!”
ハリエは死にそうな顔をしながら治癒の魔法を最大限に発揮していた。死の床にある者さえ蘇らせたと伝わる彼女の魔力は凄まじかった。周囲はその魔法の影響で萎みかけていた花は咲き、止まり木に止まっていたメイルーダは美しい声で囀り始めた。調度品までが新品同様になっていく。だがデレンベリアの顔色だけは白くなっていく一方だ。
もう無理だとヘイムが叫んでもハリエは諦めなかった。その内、彼女の体に異変が起きた。体がどんどん消えていくのだ。驚き焦るヘイムの前で、ハリエは不敵に笑った。
“姫様の望みなど、このハリエはよく存じておりましたとも。ですから準備をずっとしていたのです。どうせこのままでは私も血の制約によってただ死ぬのを待つだけ…。ならばこの命…全てこの部屋に注ぎ込み、死後も姫様をお護り致します!”
それは魔導器を作る工程に似通っていた。ハリエの姿はやがて完全に消えて無くなり、代わりに部屋全体が癒しの力で満たされる。残されたのはヘイムただ1人だった。
「…私は途方に暮れたよ…。デレンベリアを私は愛し始めていた…。その矢先に彼女は死んでしまったのだから」
このままここに居座ればデレンベリアを殺しただのとあらぬ疑いを掛けられかねない。実際にはヘイムの力などでは彼女に傷さえ負わせることはできないのだが、そんな言い分など通る時代ではなかった。
元の時代に戻れば身の安全は図れる。だが2人の女性が大事な者のために命を投げ打った。その様を目にしたヘイムはもう何もしないではいられない気分だったのだ。とにかく彼がデレンベリアのことを知らせに向かった先は…セレストのいる牢だった。
「どうして…? あなたはセレストを殺しに過去に行った…。それに…デレンベリアをあなたは愛していたのでしょう?」
セレストに近付くことは色々な意味でヘイムには危険な行為だ。力は低くとも彼はガレス人には違いがない。そんな危険を冒してまで会いに行く理由がセレンにはわからなかった。
「私にも…その時の自分はよくわからない…。ただ…彼女を好きになってしまったからこそ、セレストの悲しみも容易に想像できた…。そして彼女の想いをどうしても彼に伝えなければと思ったのだ」
「ヘイム…」
それは彼が生まれて初めて感じた良心だった。ヘイムはセレストの幽閉された牢に行き、そこで数人の仲間達によって助けられた彼の姿を見つけた。必死に駆け寄れば、敵だと思われて彼の仲間にあっさり捕らえられた。ヘイムが構わずにデレンベリアとハリエの死を伝えると、セレストはすぐさまヘイムを自由にするよう仲間に告げる。
“……やはり、そうか…。でなければ私がここから出られる訳もない…”
彼は沈痛な面持ちでそう呟いた。周りの仲間が気遣う中、彼は顔を上げると1人のディプス人に顔を向けた。
“デレンベリアを…部屋ごと我々の拠点に移動させることはできるか?”
“今の俺は岩巨人も巨鳥も思いのままだ。任せろ”
“ならば頼む…。彼女と…これ以上離れていたくはない”
“わかった”
ヘイムはセレストとそのディプス人とのやり取りを不思議な思いで見つめていた。2人の間には上下関係らしきものは見られない。なのにセレストの一方的な願いをディプス人は聞き届けた。信頼関係に基づくそのやり取りが彼には新鮮に映ったのだ。
セレストはその後、デレンベリアの亡骸を見届けることもなく、奴隷達の解放に奔走した。彼女と共にいたいのだと言っていたのに何故彼はデレンベリアを放っておくことができるのだろうか。尋ねたくとも彼の戦いぶりがあまりに激しくて、そんな隙もなかった。
せめてセレストが彼女に会いに行くまでその姿を美しいままに留めておけないものかと、ヘイムは一度彼女のいる部屋を訪れている。そこには生前そのままの姿を留めたデレンベリアが横たわっていたのだ。
「恐らくハリエの力が彼女の遺体が朽ちることを許さなかったのだ。セレストはそれをハリエから事前に知らされていたからこそ部屋ごと彼女を移動させた。彼もハリエも…恐らくデレンベリアの死が避けられないなら蘇生させる道を探ろうと、そう考えていたのだろう」
セレストは彼の編み出したガレス人の魔法を封じる技で次々と王族や貴族達を殺していった。それと同時に奴隷達もどんどん解放されていく。セレストは誰の目から見ても奴隷達の指導者だったが、彼は決して自分1人の意見を押し通そうとはしなかった。時には決断を急がねばならない局面もあったが、その際には彼は必ず自分の決断を後で皆に審議させている。
何故そこまで他の奴隷達の意見を尊重するのかとヘイムが尋ねると、セレストはただ一言…「私はガレス王のようになるつもりはない」とだけ答えた。セレストの力は圧倒的に強く、他のミレノアル人も他の人種達よりは強かった。魔法は使えなくとも、ミレノアル人の魔力はガレス人に匹敵するからだ。だが力で人々を支配するならやっていることはガレス王と同じになってしまう。それをセレストは恐れていたのだ。
「しかし結局…ミレノアルはかつてのガレスとあまり変わらない道を歩むことになりますね…。セレストは…次代の王に何故民主的な統治を引き継がせなかったのでしょう?」
セレンにはそれが残念でならない。まだセレンの時代はセリノアが活躍していた頃にミレノアルを統治していた王マルセスがミレノアル人と他人種との格差を無くすべく動いたおかげで、実質的な力の差はあまりなくなっている。精神的な差別は依然として残ってはいるが、それでも力で押さえ込むことができない以上まだ昔よりは改善されていると言える。だがその活動が無ければ今でもミレノアル人は他の人種達を力で押さえつけていたことだろう。
「何を言っている? セレストは多くの人間で国を統治していくよう、次代に言い含めているぞ? 世襲ではなく、次の王は民衆に選ばれた人間がなるべきだと、その選出方法まで細かく決めていたのだ」
ヘイムは驚いたようにセレンに反論してきた。




