(1)
その日、ショノアは久しぶりに夢を見た。子供の頃マリウスに背負われて、ミレノアル王都までの長い道のりを歩いた時の夢だ。
道の途中、女の人と子供くらいの背丈しかない男の人が死んでいるのを見つけたマリウスは、ショノアを背中から降ろした。
その2人の人間は幸い魔物には食われずに済んでいたが、彼らの周りには荷物が散乱し、中でも食べ物を詰めていたであろう容器には小さな魔物達が集っていた。ただの旅人かと思ったが、マリウスはその2人の前で無言で立ち尽くしている。知っている人なのかと尋ねれば、彼は黙って頷き周りを片付け始めた。
マリウスは本当に怖い顔をしていて、とても近付き難い様子だった。どうしていいかわからずにショノアはただ彼に倣って散らばった荷物を手に取った。それはどうやらケーキが入っていたらしい。土にまみれ、魔物に集られてさえいなければさぞかし色鮮やかな可愛らしいケーキだったことだろう。もしかしたらこれは誕生日のケーキだったのかもしれない。だったらこの2人の内どちらかは自分と同じ誕生日だったのだろうか。そんなことを呟くと、マリウスは悲しそうな顔を見せた。
「……どうしてそう思った?」
彼はどうやらショノアが熱にうなされていた時に「今日がお前の10歳の誕生日だから大丈夫」と何度も声を掛けていたことに気付いていなかったようだ。彼はきっと縋れるものなら何でも縋ろうという気分だったのだろう。他にも色々な話をショノアに話していたが、目覚めてからも覚えていたのはその言葉だけだ。自分の覚えていないことを話すマリウスが不思議だったからかもしれない。
マリウスは記憶を無くす前のショノアのことを知っていたのだろうか。あの時の彼はずっと悲しそうで、どうにか元気になってもらおうとショノアも必死だった。だから自分のことは何も訊けなかった。そしてマリウスも…何も話さなかった。
2人の埋葬を終えてミレノアルに到着すればショノアの過去を知る者など誰もいないのが普通になり、マリウスはそれ以降ずっとショノアとはあの“牢”で会ったのが初めてだと言うようになった。ミレノアルに辿り着けば、彼がかなり上位の貴族で騎士としても高い地位にいたことを知る。何故ミレノアル人でありながら危険なガレスにいたのかも判明した。そして初めて聞いたセレンという名の騎士の存在。
マリウスはずっと1人生き残ったことを後悔していた。異世界に行ってしまったセレンを連れ戻すことを希望の光と捉えながらも、心の何処かでそれを諦めていたような様子もあった。王が処刑され、多くの仲間が死んでいくにつれ、その諦めはより強くなっていったように思う。
「あの人はいつも苦しそうだったから…、今頃使命から解放されて伸び伸びしてるかもしれない。そこから連れ戻そうとしてる俺は…ひどい奴だと思わないか?」
酒に酔うとマリウスは時々そんなことを呟いていた。彼は本当にセレンのことを大事に思っていた。だからこそ会いたいと頼りたいと願う気持ちさえ、セレンを不幸にするのではとずっと苦しんでいたのだろう。それほど当時のミレノアルの状況は悲惨なものだったのだ。
「あんたは…ひどい奴なんかじゃない…。セレンはずっと…この世界に戻ることを望んでたんだからな」
目を覚ましたショノアは力強く起き上がると窓に掛けられた垂れ幕を引いた。今日はまだ少しいつもより天気が良いのだろうか。といっても曇天には違いないだろうが、壁から届く光が強いような気がした。
セレンは加護の魔法を解いてから更に3日が過ぎたがまだ目を覚まさない。今回は本当に休息が必要なために眠っているだけだろうとグレシルは言う。だが毎朝変わり映えのしないセレンの様子を見ていると、もしかしたらセレンは“目覚めたくないのではないか”という気にもなってくる。目覚めたところで彼はまた先の見えない戦いに身を投じなければならないのだ。今になってマリウスが呟いていた言葉の意味がよくわかる。
デルフィラはセレンの目覚めを待ち切れず、昨日の夜から熱を出して寝込んでしまった。彼女にはセレンの部屋で寝たいとかなり泣き付かれたが、すぐに目覚める保証もないためまたしてもヘイムに言いくるめられ、何とか別室に連れ出されている。グレシルの話ではただの心労だということだ。
地上に行けば皆セレンの容態をショノアに尋ねてくる。変化はないと答えると、誰もが目に見えて落胆した。ベリルは口数が少なくなり、いつも夕暮れ時に少しの時間だけセレンの様子を見にきてはすぐに帰ってしまうようになった。きっと眺めているのがつらいのだろう。
一応、この地下には誰も来ないよう、騎士達にベリルが厳しく申し渡してあるため、この地下室はいつでも平穏無事だ。だがいっそのこと皆で大挙して押し寄せでもしたらセレンは驚いて目覚めるのではないか、そんな根拠のない期待もする。とにかく誰もが彼の目覚めを心待ちにしているのだ。それはショノアも例外ではなかった。
扉の前に立つと彼はいつものように呼吸を整える。毎朝“この扉を開けたら今日こそ彼は目覚めている”と期待して扉を開ける。そして昨日と同じ薄暗い部屋を見てはがっかりするのだ。その繰り返し。今日もきっと同じことになるのだろう。そう身構えて扉を開けた。
すると部屋が明るい…。まさかまさかと期待の膨らむ中ベッドに視線を向けるが、そこには誰もいない。驚いて駆け寄れば、背後で息を吐く音が聞こえて振り返った。
「ショノア…」
扉の裏に立ち尽くしていたのはセレンだった。彼は心底ホッと胸を撫で下ろしている。
「い、いきなり起きたりして大丈夫なのか⁈」
今までの状態が普通でなかったために、慌ててショノアは駆け寄った。彼は大丈夫だからと言って宥めてくるが、ショノアはとにかくベッドまで誘導する。
「扉の裏なんかに入り込んで、一体何してたんだ?」
歩くセレンの足取りはしっかりとしている。どうやら元気そうだ。
「い、いえ…、ここが何処だかわからなかったものですから…。まさかアルゴスに捕らえられたのかと…」
彼にしてみれば、まだあの戦いの直後のようなものだ。死んだと思っていた自分が生きているとなれば、あの状況からしてアルゴスの仕業としか考えられない。
「捕虜をこんな豪華な部屋に監禁すると思ったのか?」
ここはミレノアル王のために用意された部屋だ。セレンにとってもこの部屋が特別なものであることくらい気付いているはずだ。
「相手がアルゴス王なら何をされてもおかしくありませんよ? 彼は私が死体であろうと何かに利用しかねません」
「……」
それはそうかもしれない。少なくとも彼の血を搾り尽くして万能薬を大量に作るくらいはやりそうだ。ショノアは自分の想像に思わず身震いした。
「でも俺がいるからもうその心配はないってわかっただろ?」
「…ええ。…しかしどうして? あの後何があったのですか? 私はてっきりもう助からないと覚悟していたのですが…」
セレンは不思議そうに尋ねてくる。ショノアはあの日、ヘイムが現れてネメアを倒したこととデルフィラがアルゴスを追い払ったことを伝えた。
「正直…あんた自身が感じていたように誰もがあんたを助からないと思っていた…。デルフィラの力にさえ、もうあんたは反応できなくなってたんだ。だけどそれを…聖剣が助けた…」
「聖剣が?」
彼は今は指輪となっている聖剣を驚いて見つめた。聖剣はセレンが眠っている間ずっと枕元に置いてあったが、今は彼が目覚めているので指輪に姿を変えている。
「グレシルの話ではその聖剣とあんたの魂が共鳴していて、あんたが死ぬのを引き留めていたらしい」
「…そんなことが…。いえ、ですが確かに以前も同じようなことがありました。死にかけていた私の側で聖剣が私に語りかけるようにずっと光を放っていたと…。当時はまさか聖剣が助けてくれていたとは、周りの誰も考えなかったようですが…」
セレンは驚いてはいたがそれだけだった。聖剣に対して他に何も思うことはないらしい。
「怖くはないのか?」
「怖い? 聖剣のことがですか?」
不思議そうに聞き返されると、ショノアの方が間違えているような気にもなる。だが普通、器物に魂などはない。ましてそれが自分と同じものだとわかれば不気味に感じるものではないのだろうか。
「魂を…奪われているとか、そんなことは考えないのか?」
ショノアの言葉にセレンはしばらく黙って考え込んでいた。しかしその表情にあまり悲壮感はない。
「……もし聖剣が私から魂を奪ってこの力を発揮していたのだとしたら…、それはそれで私は構いません。聖剣はいつも私を助けてくれました。今回のことといい、この剣が無ければ私はもっと早くに命を落としていたことでしょう。別に動けなくなるわけではないなら魂くらい…いくらでも差し上げますよ」
「……」
確かにセレンは聖剣に自分の血を捧げるようなことを以前もしている。その行為の後、セレンの体は聖剣と同じ白い光に包まれ、不思議で強力な力を発揮した。あれが一種の儀式のようなもので、セレンの魂が聖剣に譲り渡されたりしているのだろうか。いずれにしても聖剣とセレンの関係は周りの人間が考えている以上に強い結び付きを持っているようだ。
「それよりデルフィラは兄上と無事再会することができたのですね?」
セレンは兄妹の再会を心から喜んでいるように思えた。そして何よりネメアを倒すことのできる存在が現れたことに安堵しているようだ。
「ヘイム殿には是非お会いして、お礼を申し上げねばなりませんね。命を救って頂いたのですから」
「…まあ、そうだな」
屈託なく喜ぶセレンを見ていると、聖剣のことが結局何も解決しなかったことをどう思っているのだろうかと気になった。
「俺は…今回の戦いで聖剣が何処かから現れたりするんじゃないかと期待してた…」
「空から降ってきたり、アルゴスが隠し持っていたりとかですか? 確かにそれは私も…同じようなことを期待してはいましたね…」
セレンの笑顔に一瞬翳りが見えた。彼もやはり今回も聖剣が現れなかったことを不安に感じているのだ。
「ですが少なくともネメアを倒すことのできる存在は現れたのです。そのおかげで私は命を救われた。それで今は良いではありませんか」
今まであまりにもネメアに対してセレンは無力だった。それがとうとう対抗できる力が味方となって現れたのだ。そのことだけでもセレンは嬉しいのだと言う。それは理解できるが、ショノアとしてはどこか納得できない。
「眠っている間…私はずっと長い夢を見ていたような気がします。異世界に行くこととなった女王とのあの最後の戦いのことを…。私は無力で…多くの部下を死なせ…、完全に希望を見失っていました…。ですがここにはまだその希望があるのです」
長年、自分に対する失望に苦しんできたセレンにとっては、事態が好転するだけでも十分な成果だったのだろう。それだけ彼が絶望的な戦いを続けていたということだ。
「俺も…昨夜は珍しく昔の夢を見たな…。マリウスに初めて会った時の夢だ」
「それは…ガレスでの話ですか? だとしたら…私が異世界に飛ばされたすぐ後の話ですね…」
セレンはショノアの顔をじっと見つめていた。ショノアはどうにも落ち着かない気分でその視線を受け止める。また彼はファタルという子供のことを思い出しているのだろうか。
「なあ、セレン…。マリウスは…ファタルと話したことがあったんだよな?」
「ええ…。実際に顔を合わせて話したのは1日だけのことでしたが、同じ家の中でしばらく過ごしていましたからね。マリウスと…ラムダは私の思いを察してファタルをミレノアルに連れ帰ることを提案してくれた…。ファタルのことを私と同じように心配してくれていたと思いますよ?」
「……そうか」
ショノアの浮かない表情にセレンはどうしたのかと尋ねてくる。
「……ああ、ちょっとな…。マリウスはもしかしたら俺のことを前から知ってたんじゃないかって…そんな気がしてきてるんだ」
「……」
セレンは悲しいのか嬉しいのか、よくわからない表情を浮かべていた。ファタルとそっくりで同じ年齢のショノアのことをマリウスが以前から知っていたかもしれない。それは彼にとっては吉報ではないのだろうか。
「なあ、セレン。その…ファタルは本当に…死んだのか? あんたはそれを…その目で見届けたのか?」
「あの子は…」
セレンはその先を口にするのが恐ろしいとばかりに口を手で覆い、顔を伏せてしまった。彼の顔色が少し悪くなっている。
「悪い…。目を覚ましたばかりのあんたに確認すべきことじゃなかった。ファタルって子供のことは…あんたにとってはつらい思い出なんだろう?」
ショノアが宥めても彼はなかなか立ち直る様子がなかった。一度寝かせた方が良いだろうか。そう思ってセレンの肩に触れると、彼は突然ショノアのその手を掴んできた。
「私は…あの子を殺すことができませんでした…! それでもあの子の中からネメアは現れた…。倒れたあの子の隣で巨大なネメアが伸び伸びと体を伸ばす様を私は最後に見たのです!」
「⁈」
セレンは両手でショノアの手を掴んだまま顔を伏せていた。掴まれた手は潰されそうなほど強く握られていて本当を言うととても痛い。だがショノアはその手を振り解くことができなかった。セレンがずっとファタルの思い出と共に抱き続けた苦悩の正体。それは、ネメアとファタルが強く結び付いていたからだったのだ。
「けど…中からって一体どういうことだ…?」
セレンの言葉はショノアに伝えていると言うよりむしろ独り言のようだった。だからこそ言っている意味もよくわからない。だがセレンはショノアの手を両手で握って額に付けたまま、じっと動かない。どうやら先程の告白で精魂尽き果ててしまったようだ。しかしそこへ、思いもしない声が響いた。
「…君も…大切な存在をネメアに奪われたか…」
「‼︎……」
振り返るとそこにはヘイムの幻が立っていた。




