(4)
それからしばらくして、2人はショノアの異空間から出ていた。結局食べる物が何もないので、セレンが提案した通りこの異世界で食事を摂ることにしたのだ。
異空間から出れば、セレンはまたしてもこの世界と同じ人間の姿に変わる。今度はショノアも同じように姿を変えていた。
セレンがよく行っていたと言う洋食の店に入れば、彼が早速尋ねてくる。
「あんたのそれは、勝手になるのか? 特に意識なんてしてないんだろう?」
「……ええ、私の意思は関係ありません。
今思えば、あなたがネメアの幻を使ってくれたからこそこうして出会うこともできましたが、それがなければ私は今でも失意の日々を送っていたことでしょう」
ショノアの機転がなければセレンは今でもこの世界の人間に紛れ込んだままだったろう。あまりにも巧妙にセレンは隠され、ショノアも勿論正体を見せずに捜索する。それ故にセレンの方が気付くということもなかったはずなのだ。
ショノアとセレンは今ミレノアルの言葉で会話しているが、それはショノアが話す言葉にセレンの体が対応しただけだ。この対応力はこの世界の『外国人』という存在にも適用された。
「名前も…まるで話す言葉が変わるように、違う名前しか出てこないのです」
『ミレノアル』と言えば、この世界の国を指す『日本』という名前になり、『騎士』と言えば『公務員』という聞き慣れない役職の名前が飛び出した。
「恐らくあなたがミレノアルの言葉で話しかけてこない限り、私は偽りの言葉しか話せなかったでしょう。
この私に魔法を掛けた人間は、私を元の世界に戻したくなかったのかもしれません…」
「そういうことをしてくる人間に心当たりは?」
ショノアに確認されるとセレンは思わず苦笑する。
「正直な話、心当たりがあり過ぎて何の手掛かりにもなりません。ガレス人だけではなく、私を排除したかったのはミレノアルの貴族達も同じ。金を積んで、魔術師を雇った可能性もあります」
本来ならば弱小貴族に過ぎないセレンには大した発言権はない。いくら出世したところで一部隊の隊長止まりだ。他の貴族が恐れるような存在ではなかった。
しかし聖剣に認められ、確実に成果を上げていくセレンを王は高く評価してくれた。実力でのし上がったセレンにはそもそもしがらみ自体が存在せず、汚職に手を染める貴族達を見逃す義理もない。
確かな実績を積み上げて将軍職にまで昇り詰めたセレンを、当時の貴族達はどうすることもできなかったのだ。
「暗殺者を送り込まれることなど珍しい話ではありませんでしたよ?」
命を脅かされることなど日常茶飯事だった。そう伝えればショノアは目に見えて不満そうな顔を見せる。
「あんたがいなくなったら今みたいに誰もネメアを倒せなくなるんだぞ? それでもか?」
「私がいてもネメアは倒せなかった…。であれば奪い取って出世の道具に使えばいい。
今ブラドがしていることと同じことです」
「……」
ショノアはまるで自分のことのように悔しげな表情を浮かべた。
セレンの部下達もよく同じような顔をして色々なことに耐えてくれていた。自分が周りの期待通りネメアを倒すことができたなら、こんな悔しい思いをさせずに済んだというのに。
重い空気が流れる中、頼んでいた料理がテーブルに届けられる。料理を並べ終えた女性の店員は、しかししばらく何か言いたげに2人の顔を見つめていた。
「どうしました? 何かありましたか?」
この店員はよく見る顔だが、時々こうしてテーブルからすぐに離れないことがある。笑顔で尋ねれば、今日は店員が口を開いた。
「……あ、あの…お2人はこの辺りに住んでるんですか?」
勇気を振り絞った様子で、それでもはっきりと聞いてきたその店員は顔中真っ赤にしている。
「そうですね。……彼は、少し違いますが」
何故そんなことを聞いてくるのだろうかと思っていると、突然女性はスマホをポケットから取り出してくる。
「あ、あの…良かったらLI○EのID交換してくれませんか?
今度、合コンを予定していて、良かったらそちらの方も…」
スマホを差し出し、迫ってくる女性の顔は必死だ。
しかし『LI○EのID』とはお互いに連絡を取り合う為の暗号のようなものだ。それを交換することは『仲間』や『友人』になることを指すのだと言う。
セレンも仕事をする上で何人かの同僚相手にそれを交換しているが、彼女とはそこまでの仲だろうか。しかも『合コン』に至っては複数の男女でお見合いをするための会食だと聞いたことがある。今から祖国に戻ろうかというこんな時に、この異世界で関わりの深い人間を増やすわけにはいかない。
「申し訳ないのですが、近々海外に引っ越す予定なのです。合コンには別の方を誘って頂けませんか?」
できるだけ穏やかに答えたつもりだが、女性は目に見えて落胆してしまったようだ。
「……すみません…。無理言って…」
トボトボと厨房に帰っていく女性を見れば、少し気が咎めた。
「悪いことを…言ってしまったのでしょうか? 彼女はいつも私に良くしてくれていたのですが…」
思わず呟けば、ショノアが苦笑する。
「良いんだよ。中途半端な態度はあの子のためにもならないんだから」
「しかしあなたに確認もせずに断ったのは、浅はかだったかもしれません」
「そんな訳ないだろ…。あの子の目当ては最初からあんただ」
「……」
驚いて黙ってしまったセレンをショノアは呆れ顔で見つめてきた。
「確かに俺のことも彼女は誘ってきた。だがそれはただのきっかけだ」
いきなり1対1で食事に誘うのはさすがにあの女性としても厳しかったのだろう。それがセレンの方から何やら親しげな相手を連れてきた。その相手はどうやら外国人のようだが、彼女としてはそもそも合コンの数合わせだ。問題はない。
「ですが彼女はあなたのことを明らかに好意の目で見つめていましたよ? あなたをついで扱いしたようにはとても見えませんでしたが…」
「言っておくが俺は確かに女にモテる。この見た目のせいだって自覚もある。だがあんたもかなりのもんだ」
「私がですか…⁈」
一切考えたこともなかったらしいセレンに、ショノアは盛大なため息を吐いた。
「あんたの噂は城にいればいくらでも耳に入ってきた。15年経った今でもだぞ?
まあ大体は清廉潔白な優れた指揮官だった…そんなものだ。だが見た目の人気もかなり影響していると俺は感じてた」
セレンはただ驚いてショノアの話を黙って聞いていた。
見た目のことなど今まで気にしたこともなかった。城にいる女性と言えば、侍女がほとんど。騎士団にも少数ではあるが何人かいた。しかし彼女達に言い寄られたり、色目を使われた覚えはない。
「あんたはあまりにも自分に厳しかったから近寄れなかった…みんな大抵そう言ってる。
でも貴族の令嬢とかには結構振り回されてただろう?」
「身辺警護を依頼されたりは…よくありましたね。
私は王をお守りせねばなりませんでしたから、部下達が代わりを買って出てくれて、いつも助けられていました」
自分の邸宅の中でまで警護してくれとか片時も離れないでくれなど、かなりの無理難題を頼まれたこともある。そうなると必ず副官が間を取り持ってくれた。
「それが縁で結婚した騎士達も多かったって話だ」
「そうなのですか?
…確かに…私直属の部隊は任務先の出会いがきっかけで婚約したという者が多かったですが…」
思い返してみれば、そんな無茶な言い分でありながら副官が代わりに提案する部下はどちらかと言えば若手の独身騎士ばかりだった。
若いと言ってもセレンが選んだ精鋭だ。どんな役目でも問題なくこなすだろうとは思っていたが、いつでも彼が選ぶのは優しげで面倒見の良い男性ばかり。あまりに偏りがあるので少し可哀想ではないかと注意したこともある。
しかし副官は彼にしては珍しくセレンの言い分を無視して自分の意見を通したものだ。
「当時の副官…マリウスって言うんだろう? あの人は全部わかっててあんたの代わりを選んでたんだ。
まあ、仲人役をやってた訳だな」
「……彼にそんな一面があったとは…。全く気付きませんでした」
戦いや敵との駆け引きでは他の追随を許さないセレンであるが、色恋には全く疎い。
気が付くと妙に周りが美女揃いだとマリウスに話したことがあるが、何でもセレンを誘惑するよう命じられ敗退した女性達がそのまま居座っているだけだと聞いたことがある。あまりにも女性に興味がないので男色派なのでは?と噂が立っているとまで言われた。
“なんと私とあなたが恋仲だという説が今では横行しているそうですよ?”
マリウスは非常に整った容姿をしていて女性からの人気も高い。彼の場合は自覚もあるので扱いも上手く、相手を失望させたりはしない。
そのためにセレンは女性絡みの件ではマリウスに助言をもらうことも多かった。しかしその気安さが噂の元だと思えば申し訳ない。
自分と恋仲だという噂を立てられてさぞかし怒っているだろうと気遣えば、彼はさも面白そうに笑っていた。
“それだけあなたと私の距離が近いということでしょう。
尊敬する将軍閣下とそんな関係だと噂されて、不快に思うわけがないですよ”
笑いながら言っていたマリウスだが、あれは本心だったのだろうか。
「それにしてもあなたはマリウスのことを知っているのですね?
彼とは最後の戦いで別れたきり、生死もわかりません。生きていてくれればと…ずっと願っていました」
「……あの戦いでは…あの人は生き延びたよ。だけどその後…」
ショノアはその先を続けなかった。しばらくすると気まずそうに目を逸らしてしまう。その態度で何となくわかった。
「……そうですか、結局は彼も…。
いつ頃です? やったのは…誰です?」
思わず飲もうとしていた水の入ったグラスを握りしめてしまう。この世界の人間の姿になっていなければ、恐らくグラスを握り潰してしまっていたに違いない。
ショノアはそんなセレンの様子をじっと見つめていた。
「ブラドですか?」
「……ああ。よく…わかったな」
何も言わなくても犯人を言い当ててしまったセレンにショノアから苦笑が漏れる。
「あの人とはガレス城の地下牢で会った。俺を連れ出してくれた、最初の恩人だ」
「彼も囚われの身になっていたのですか?」
最後に見た状態ではとても助かるようには思えなかった。しかしかろうじて生き延びたマリウスをデルフィラが捕らえたのだとしたら、あり得る話だ。
「確か…あんたを探しに城に入って、それで捕まったとか言っていた。
あんたのことは大体あの人から教えてもらったんだ」
セレンが行方知れずとなった当初、王も処刑されたミレノアルは混乱を極めていた。そんな中、あくまでデルフィラと戦う意思を見せたのはマリウスを始めとしたセレンの部下達だ。それに対してブラドはデルフィラと裏取引を交わし、自らの保身を図った。
「あんたの部下はみんな良い人だった…。ガレス人だからといって差別もしない。俺を…守るべき民だと言ってくれた。
だがブラドにとっては邪魔な存在でしかなかったんだろうな」
セレンの部下達は元々精鋭揃い。誰でも分け隔てなく守り戦おうとする彼らは勿論周りからの人気も高かった。中でも家柄の良かったマリウスは、ミレノアルの次期王との要望も多かったのだ。
結果、ブラドはデルフィラと手を組み、マリウス達を罠に嵌めた。
「俺はまだ子供だったし、騎士団の人間でもない。
生き延びて…必ずあんたを見つけ出してくれ…。それがマリウスの最後の言葉だった」
「……」
セレンはただ黙ってショノアの話に耳を傾けていた。
自分でも驚くほど心の中は冷静だった。冷え切ったその心は、ただブラドを地獄に叩き落とす算段をどこまでも冷静に考え始めている。
目に見えて顔つきの変わったセレンに、ショノアは寒気を感じたように一瞬体を震わせた。
「もう出ますか?」
出された料理はもう全て食べ終えている。ミレノアル人の体には毒であっても、今の自分には満足のいく味と量の食事だった。
マリウス達は生前果たしてこんな食事を取る機会があったのだろうか。
セレンがいた頃でさえ、食糧は不足し始めていた。デルフィラの魔法による異常な天候。空は常に曇天で日の光は地上にほとんど届かない。それが作物を育たなくし、家畜の餌を奪った。セレンがこの世界に送り込まれた後となれば、更にミレノアルの状況は悪化していることだろう。
セレンは立ち上がるとショノアを待たずにレジに向かった。怒りと悲しみの感情を抑えるだけで、他に余裕が一切ない。
「ちょっと待てよ!」
ショノアが少し焦った様子で追いかけてくる。
「あんたこのままブラドを殺しに行くとか言わないだろうな?」
会計を済ませて店の外に出れば、ショノアに肩を掴まれた。セレンは振り向きもせずに空を見上げた。
既に外は完全に夜になっている。
「大丈夫ですよ…。早まったりはしませんから」
そうは言うものの、セレンの表情は固い。
「どちらにしても…ブラドを殺した所で何の解決にもなりません。やはり聖剣の力を取り戻さなければ…」
決意を新たにするセレンに対して、ショノアが何か言いづらそうに彼の名を呼ぶ。振り返れば彼は顔を伏せていた。
それきり何も言わないので「どうしたのか?」と尋ねる。
「……まだ…過去には行けない」
ようやく口を開いたショノアは明らかに気落ちした様子だ。
「何か準備があるのですね? それはわかっています。難しい魔法なのでしょう?」
「いや、そういうことじゃない」
ショノアは顔を上げて必死に否定する。
「どうしました? ちゃんと説明してください。私はもう大丈夫ですから」
ショノアがなかなか話し出せないのは恐らく先程までのセレンの様子のせいだ。今この状況で彼の意に沿わないことを言い出せば何をしでかすかわからない。そう思わせるだけの殺気を自分が発していたのはわかっている。
「……過去に行く魔法自体は完成した。
だが聖剣が破壊された115年前まで遡ることができない…」
ショノアの話では、その魔法はかける相手の時間も一緒に遡らせてしまう。つまりまだ生まれていない過去にまで時間を遡れば、存在自体が消えてしまうのだ。
「時を遡ればその分だけ体が若返る。だから俺やあんたが過去で問題なく動くにはたかだか10年前くらいにしか遡れない。今の時点では…だ」
ショノアの口振りでは不可能ではないということなのだろう。だが時間はあまりない。
「最初の頃は記憶まで遡ってしまって時が経つまで戻って来られなくなった術者もいたんだ。その問題も今では解決してる。
時間さえあれば115年前まで遡ることはできるようになるんだ。だから少しの間だけ待ってくれ」
「戻って魔法の開発を続けると?
何の成果もなく戻ってきたあなたを、ブラドが放っておくとは思えませんが…」
ガレス人であるショノアの命など、ブラドは容易く切り捨てるだろう。そもそもこの世界に送り込んだ時点で、ブラドにとってショノアの存在は用済みなのだ。聖剣を無事持ち帰った所で殺される。そんな扱いだろう。
「だが俺1人でこの魔法を完成させるのは難しい」
「それはわかりますが、私はみすみすあなたを危険に晒すようなことはしたくありません」
「……」
ショノアも不安は感じているのだろう。セレンの言葉に反論できずに黙り込んでしまう。
「もしどうしてもと言うのであれば私にも考えがあります。
ブラドは私が殺しましょう」
「‼︎……」
ショノアが伏せていた顔を上げる。彼が何か言おうとして口を開いたその時だった。