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黒衣の守護者  作者: 樽吐
2人きりの夜
36/156

(2)

 それから予想通り昼前に家の持ち主が現れた。彼は不思議なほど上機嫌で、放っておいても頼めば何でも与えてくれそうな様子だ。何でもいつも道中襲ってくる魔物が全く現れず、非常に穏やかで快適な旅だったらしい。それはやはり多くの魔物が城に集結しているからだろうか。

 それでもサフィアは当初の作戦通り“言いたいことをぐっと我慢している慎ましやかな女性”を演じ続けた。鈍感過ぎてサフィアの様子が変なのにも気が付かないのではないかと途中トーレスが心配してきたが、それは心配ない。なぜなら時折家の持ち主はサフィアの顔を盗み見てきているからだ。一応女性に好かれるためにも彼は点数を稼げる機会に敏感だ。サフィアの絶妙な“さり気なさ”にはまんまと引っかかる。格好を付けながら「何かあったのか?」と尋ねてきたら、もうサフィアの思い通りだ。

 彼女はそれでも何でもないのだとしばらく強がって見せ、やがて根負けしたように打ち明ける。

「姉の結婚式が明日の夜に迫っているというのに、式用の料理の材料が不足しているんです。…ずっと苦労してきた姉の、折角の晴れの日だと言うのに…これではあんまりです…」

 そう言ってサフィアは涙を一筋流した。家の持ち主はすぐにサフィアの肩を抱いて慰めようとする。彼女はその手を払い除けたい気持ちをぐっと堪えて顔を上げた。

「ケーキに至っては一つも材料が揃ってないんです…! 姉は気にしなくて良いと言ってくれます。でも私は…」

 さめざめと泣き、顔を伏せて肩に置かれた手から逃れる。

「…泣いてばかりいても何も解決しませんわね…。今から市場を見て参ります…!」

 決心して顔を上げたサフィアに、家の持ち主は「今からか?」と抗議の声を上げた。彼がこの家に滞在するのは最近1日きりだ。どうやら妻が愛人の存在を察知し始めているらしく、2日以上家を空けると後で責められるのだそうだ。

「申し訳ありません。でもこのままではとても落ち着けなくて…。せめて材料が揃う算段さえ整えば安心もできるのですけど…」

 言いながらも先程肩にかけられ逃れたその男の腕にしなだれかかる。彼が緊張したのが伝わってきて、サフィアは心の中でほくそ笑んだ。

「わかった。材料のことはもう気にしなくて良い。私が全て手を打とう」

「でも明日の夜ですわ…。今からではとても…」

 ダメ押しとばかりに期日を確認する。

「大丈夫、この街にも私の取引相手は多いんだぞ? 明日の昼には驚くほど豪勢な食材を届けてやろう」

「そんな…! 感謝いたします…! 姉も後日お礼を言いに来ると思いますわ!」

 元々不倫など気にしない男のことだ。姉が結婚すると聞いても少しも落胆した様子はない。点数さえ稼いでおけば『姉』との付き合いもこの先維持できると考えている。彼は今頃サフィアとその姉のどちらにも恩を売れたと満足していることだろう。

「そうだわ! 叔父にも教えてあげないと!」

 このまま良い感じにもつれ込もうと企んでいたらしい家の持ち主の手を巧みにすり抜け、サフィアは部屋を飛び出していく。

 トーレスは『病弱でほぼ寝たきりの叔父』ということになっている。サフィアと家の持ち主との関係を積極的に邪魔はできない存在としてこの家にも滞在を許されているが、こうして『叔父に報告』と言って逃げる口実としては非常に便利な存在だ。その内トーレスの存在を邪魔に感じた家の持ち主に追い出されるかもしれないが、それはまだ先の話だろう。

 廊下に出れば、トーレスは2階から階段を降りてきている所だった。恐らく話に聞き耳を立てていた彼も頃合いだと思って部屋を出てきていたのだろう。

「叔父様⁈ 起きてきて大丈夫なの? 昨日はあんなにも具合悪そうだったのに…」

「私もじっとしているわけにはいかんのだ。悪いがサフィア…この魔法書を売って材料を買ってきてくれないか?」

 よろよろとトーレスが渡してきたのは古そうな魔法書だ。なかなか高度なもので、彼の持つなけなしの財産を掘り出してきた感じは出ている。サフィア達は2人だけになっても演技を続ける。あの家の持ち主が廊下まで彼女を追いかけて出てきているのを2人ともわかっているからだ。

「もう良いのよ、叔父様。ご主人様が用意してくださるって…。本当に…感謝してもし切れないわ」

「おお、なんと…。そうか…ならば私ももうこれ以上、ここに厄介になっているわけにもいくまいな」

 トーレスが目線で後ろに家の持ち主が近付いてきていることを伝えてくる。どうやら2人の話に興味を持っているらしい。作戦通りだ。

「お姉様の所に行くの…? でもそれだと私は1人になってしまうわ。キュリエも行ってしまったし…」

 『キュリエ』というのはキュリアンのことだ。彼のことはもうかなり前から『姉の元に行った』と家の持ち主に伝えてある。

「ご主人様が付いててくださる。今回のことで私はもう安心だと確信したよ」

 肩を軽く叩かれ、サフィアも渋々頷く。

「……ええ、そうね」

 これで家の持ち主は絶対に食材を用意しなければならなくなった。その見返りはサフィアが1人この屋敷に残るというもの。しかも後見人である叔父の同意の下でだ。持ち主にとってはそれほど悪い話ではないはずだ。問題はサフィア達は3日後にはこの家からいなくなるという点だけだろう。だが貢いだものが結果に繋がらないなど、男女間ではよくある話だ。

 2人の話を聞いていた家の持ち主はやがて満足したように立ち去っていった。それを見届けるとトーレスも話を締めくくり、また上の階に戻っていく。サフィアもしばらくすると家の持ち主を追っていった。手伝いと称して彼が間違いなくサフィアの願いを叶えるかどうか、今日1日見届けるのだ。

 それからサフィアはずっと男の側に付いていた。普段は妙な噂を立てられないよう表立っては外にサフィアを連れ出さない彼だが、今日は使用人想いの優しい雇い主を誇示できるのだ。喜んで彼女を連れ歩き、その度に「お似合い」だの何だと周りに言われてすっかり気分が良くなっている。これが妻子持ちでなければ少しは気の毒に思えてくるのだが、既に彼は妻子を裏切っているのだ。騙すことに躊躇はない。

 それにしても標的に対して自分が同情しそうになる日が来るとは思いもしなかった。標的でなくとも自分に言い寄ってくる男など皆酷い目に遭わせて当然だと思ってきたのだ。やはりこんな感情を持てるようになったのはセレンのおかげだろうか。

 荒んだ心では他人に優しくできる余裕はない。だからサフィアが他人に優しくできなかったからと言って、それが彼女の全てではない。セレンはそう彼女に説いてくれた。当時は半信半疑で、また綺麗事をとセレンを悪く思った時もある。だがあの言葉通り、セレンに大事にされているのかもしれないと感じた自分は知らない内にどんどん変わっていったのだ。

 ガレスに潜入する前、セレンはサフィアに自分がいなくなっても今度は別の人間が彼女を大事にしてくれる。そんな人間が必ず現れると、ここに来るのを思い止まらせようとした。だがもうそれはいいのだ。

 彼の言う通り、トーレスやマリウス、キュリアンのように仲間と呼べる男性にも数多く出会えた。この先、生きていればまた彼女を正しく好きになってくれる男性も現れることだろう。そう信じることもできるが、それでもそんな人間はもういらない。彼女の一番の幸せはセレンと共に死ぬことだと昔から決めている。それ以外に彼女が求めることはもう何もない。

 食材の手配が終わり、日暮れ前には家の持ち主は満足して帰っていった。次に来るのは5日後になるからと男は名残惜しげに言ってきたが、もうその時にはこの屋敷には誰もいない。サフィアはどこを探してもいなくなっていることだろう。最高の笑顔で待っていますと彼女が答えれば、男は更に上機嫌になっていた。恐らく次に彼女を本格的に手に入れようと考えているのだろう。だがもう手遅れだ。

 玄関の扉を閉め、彼女は思わずうんざりしたようなため息を吐いた。思っていたより時間がかかってしまい、急いで身支度を整えなければならないようだ。こんな如何にも媚びたような服に化粧のままでセレンに会うつもりは毛頭ない。彼にはむしろ何も飾らない自分を見て欲しかった。

 慌てて自分の部屋に向かっていると、トーレスと廊下でばったり会う。彼もサフィアの帰りが遅いので少し心配してくれていたようだ。

「今帰りか? もう日暮れが近いから急いだ方が良さそうだ」

「わかってるわ。だから急いでるのよ!」

 少し苛立って立ち去ろうとすると、彼から何か小さな瓶を渡された。どうやら香水のようだ。

「魔物除けだ。諜報部隊ではよく使われてる。人間の匂いを完璧に消してくれる優れ物だが、『仲間』の匂いでもある。あの人にも馴染みのある匂いだ」

 香水などいらないと断ろうとしたサフィアはその言葉で返そうとした手を引っ込める。少し付けてみると確かにトーレスやセレンから時々香ってきた匂いと同じものだ。

「これ…諜報部隊騎士の目印だったの? でもそんな匂い付けてたら、変装しててもバレるでしょう?」

 時間は無いが、思わず気になったことを尋ねてみる。するとトーレスはサフィアを彼女の部屋まで誘導するように歩きながら説明してくれた。

「匂いは目印になるが、逆に目隠しにもなる。この匂いが俺達の存在を示すなら、匂いの『無い』場所は俺達のいない場所と信じさせることもできる。魔物にとっては人間の匂いを完全に消してくれる代物だしな?」

 そういえばサフィアも標的に近付く時は絶対にお気に入りの匂いは付けない。敢えて違う匂いを自分の匂いと演出していることが多かった。それと同じことかもしれない。

「…あの人は生まれた時からこの匂いに囲まれて過ごしてきたんだ。昔からこの匂いがすると気が安まるらしい」

「そうなのね…。ありがとう、良い物を渡してくれて」

 何だか彼女の知らない幼い頃のセレンを垣間見たような気がして、サフィアは思わずその香水瓶を優しく握りしめた。

「じゃあな、引き止めて悪かった。楽しんで来いよ?」

「……ええ」

 トーレスはサフィアを部屋の前まで送り届けると扉を閉めて去っていった。サフィアは再び香水瓶を握りしめた。この香水を付けていれば魔物は寄ってこず、セレンが安心できるというなら付けない理由はない。彼女も魔物除けの香水は持っているが、少し匂いがきつく付けて行くかどうか悩む所だったのだ。しかしこの香水なら付けて行っても問題はない。

 サフィアは急いで衣装棚に駆け寄ると、中から服を取り出した。これは朝から決めておいた服だ。セレンの家に居候することになってから、彼が初めて「よく似合っている」と褒めてくれた上掛け。上品な薄紫色で縁にはレースが編み込まれている。足首に届くほど長いその上掛けを、王都でよく身に付けていた白のブラウスと黒のズボンの上から羽織る。細身のズボンは割と体の線が出てしまうが、動き易さ重視でここまで持ってきたような服だ。媚びているようには思われないだろう。

 それから手首にはブレスレットを嵌める。これは彼の誕生日に強引に押し付けた万能調味料のお返しにと、セレンから贈られた物だ。これは魔法具で、彼女が自分の意思で未来を決められるようになる(まじな)いが掛かっているのだと聞いた。細い金でその(まじな)い模様の形が一つ一つ編まれており、乳白色の丸い石がその模様同士を繋いでいる。とても繊細な造りで、身に着けているとすぐに壊してしまいそうで怖くてずっと暗殺道具の中にしまい込んでいた物だ。

 このブレスレットをもらった時は何故セレンはそんな(まじな)いの掛かった魔法具をくれたのだろうかと不思議だったのだが、彼女は今こうして自分の意思でここにいる。贈られた当初はそんな子供騙しと信じていなかったのだが、魔法具の効果はしっかりと彼女をここに導いてくれたようだ。

 それから先は濃い化粧を落とし、適度な化粧に直すと仕上げにトーレスからもらった香水を首元に振りかける。すると覚えのある匂いが彼女を包んだ。まるでセレンがすぐ側に付いていてくれるような、そんな気分だ。全ての支度が整ったので鏡で自分の姿を確認すれば、あまりいつもと変わり映えのしない格好ではある。だが随所にセレンとの思い出を散りばめておいた。セレンが気付いてくれれば嬉しいのだが、どうだろうか。

 とにかく急いで屋敷を飛び出すと、あの隠し通路の入口に向かう。もうすっかり陽は落ちていたが、相変わらず魔物の姿はほとんどない。本当にあの女王は何をしようとしているのか。思わずこの先の敵の動向に考えが向いてしまうが、それよりも今は無事にセレンのいるあの屋敷に辿り着くことが先決だ。動きが無いなら無いで都合は良いのだ。こちらの準備は万端になり、その分作戦の成功率は高まり、セレンが生き延びる可能性も高くなる。

 サフィアは気持ちを切り替えると、薄暗い中見つけ出した隠し通路への入り口に足を踏み入れる。この道は最初に少し濡れてしまうのが難点だ。しかしセレンの元に辿り着く頃には服も乾いていることだろう。そんなことを考えながら彼女は池の中に消えていった。



 セレンのいる屋敷の隠し部屋まで辿り着くと、当然ながらそこにはラムダやマリウス、キュリアンがいた。キュリアンは魔法生物の造成にかかりきりだが、ラムダとマリウスは今となっては暇を持て余している。陽の高い内はキュリアンに言われたことを手伝ったりしているようだが、陽が沈んでからは彼らが手伝えることも特にない。彼女にしてみれば迷惑な話だが、2人はサフィアの到着を心待ちにしていたようだ。 

「えー! サフィア何だか普通じゃない? もっとオシャレしてくるのかと思ってたのに!」

 ラムダは現れたサフィアの服装を見ると予想通りに抗議の声を上げてきた。

「ロギア様はそういうの…あまり好きじゃないでしょ? ましてこんな場所なのよ?」

 大体そんな動きづらい服など持ってくるわけがないのだ。ガレスに何をしに来たと思っているのか。

「でも服くらいあの嫌らし男に買ってもらってるでしょ? サフィアに是非とも着てもらいたいんだー!とか何とか言われて」

「……あんな奴にもらった服を着てロギア様に会うくらいなら裸で会った方がまだ良いわ」

「そ、そんな…サフィア大胆過ぎ…」

「例えの話よ」

 ラムダとは年齢が近く、同じ女性ということもあって普段から仲は良いのだが、少々悪ふざけが過ぎる時がある。そういう時は相手をしないに限るのだ。

「でも言われてみればそうかもね…。ロギア様のことだから、オシャレしてても自分のためだなんて思いもしなさそう…」

「さすがにそこまで鈍感じゃないぞ? あの人は」

 ラムダの言いように今度はマリウスが参戦してくる。彼のセレンに対する思いはサフィアと大差ない。彼女の言いたいことを代弁してくれてはいるが、はっきり言って今日はそっとしておいてほしい気分だ。頭の中がすっかり浮ついていて、余計なことまで口走ってしまいそうになる。

「確かに恋愛に関してはかなり鈍い所もあるが、自分のことを好きだと知った相手はちゃんと気遣える人だ。サフィアのことは俺が前に話しておいたから…」

「ちょ、ちょっと待って! あなた、セレン様に何話したの⁈」

 聞き捨てならないマリウスの言葉にサフィアは思わず食ってかかった。慌て過ぎてセレンのことを『ロギア』と呼ぶことさえ忘れている。それに対してマリウスも少し焦ったように体をサフィアから離し、半笑いを浮かべた。

「……ああ、お前と別れた時にちょっとな? お前の本命は俺じゃなくてセレン様だって伝えといたんだよ。でないとあの人、俺とお前が上手くいってるから邪魔したらダメだとか、そういうこと考えそうだろう?」

 マリウスにしてみればセレンは他の女性達よりサフィアのことを大事にしていそうに見えたのだそうだ。子供のことを思うと結婚には積極的になれないと言うセレンも、両想いであれば結婚くらいは考えるかもしれない。何より彼には支えになれる存在が必要だとマリウスは考えていたのだ。

「えー! じゃあロギア様はサフィアのこともうわかってるんだ! それであの態度か…。うーん、言われてみれば脈アリな感じが…」

「無いわよ。見たらわかるわ。これでも私、恋愛にかけては百戦錬磨なんだから」

 サフィアとセレンのことでまたひと盛り上がりしようとするラムダを速攻で切り捨てるが、そんなことで黙るような彼女ではない。

「私だって独身の頃はいつ誰が私を落とすかって魔法具師達の間で話題になってたんだから!」

 彼女の場合は見た目の綺麗さよりも人気者という感じだろう。基本的に楽観的で明るく優しい性格のラムダをサフィアも人気が無いとは思っていない。だが今はどれだけ自分が男性に人気があるかの話ではなかったはずだ。

「…うん、それは確かに間違いじゃないな…。あの大酒飲みのラムダを何処の誰がおとなしくできるのかっていうのは割といつも話題だった」

 しかし突然聞こえてきた思いもしない人物の声に、サフィアとラムダは驚いて振り返る。特にラムダは反応が激しく、慌てたように声の主に駆け寄っていった。

「キュリアン⁈ …ご、ごめんね! まだ作業中なのに騒いじゃって…」

 ラムダを止められるとしたらある意味キュリアンだけなのかもしれない。彼は本当に真面目で、いつも黙々と作業に没頭しているが、余裕のある物静かな人間だ。魔獣造成師としては誰もが認める『天才』で、常に努力を怠らない努力家でもある。どちらかといえばセレンに近い人間なのかもしれない。そんな彼をラムダは本当に尊敬していて、彼の邪魔になるようなことだけは絶対にしないのだ。

「…まあ、みんなで暗い顔突き合わせているよりは良いんじゃないのか?」

 笑いながら彼はこちらに歩いてくる。彼は昨晩からほとんど寝ていないらしいが、ようやく先が見えてきたのかもしれない。

「悪い…。俺が本当は2人を止めないといけなかったのにな…」

 マリウスもさすがに気が咎めたらしくキュリアンに詫びる。騒がしい会話の一端を彼も担っていたからだろう。

「だから気にしなくて良い。別に神経を使うような作業をしているわけじゃないんだ。むしろ静か過ぎるのも息が詰まるからな」

 キュリアンはすっかり恐縮してしまった3人に向けて笑いかける。

「そう言ってもらえると助かる…。それで、調子はどうなんだ?」

「考えていた通り明日には完成する。日暮れ頃にはトーレスもここに来るだろうから、その時具合を確かめてもらうつもりだ」

 明るく返しているところを見れば、本当に無理のない状態で完成まで持っていけるのだろう。しかしさすがに寝ずの作業は疲れたのか、顔に現れる疲れの色は隠せない。

「何か飲んで休憩する?」

 サフィアがラムダの用意していたお茶を注いで渡せば、彼はすぐに受け取った。

「ありがとう。本来の作業はもうほぼ終わったんだが、少し思い付いたことがあるんだ。もう少し作業したら今日はもう食べて寝ようと思ってる」

 そう言ってキュリアンは飲み物をあっという間に飲み干すと、楽しそうに奥に戻って行ってしまった。とりあえず彼の邪魔にはなっていなかったようだと、3人はホッと胸を撫で下ろす。別にキュリアンは怖くも何ともない人間なのだが、あまりにも勤勉な人物なのでつい申し訳ないような気分になってしまうのだ。

「キュリアンもああ言ってることだし、そろそろ夕飯食べる? もう下拵えはできてるから温めるだけだよ?」

「そうね…、確かにお腹空いたかも…」

 ラムダに言われてサフィアは自分が空腹だったことを思い出した。昼間は家の持ち主に連れ回されて、城下では最高級の料理店に一緒に入っている。だがいつでもあの男の前では食が進まないのだ。遠慮しているのか、具合でも悪いのかと以前から何度か気遣われたが、元々食が細いのだと言っておけば勝手に慎ましやかで華奢な女性だと思い込んでくれていた。

 それからは4人で食卓を囲み、ラムダの作った夕飯を皆で食べた。こちらはサフィアのいる屋敷からいくらか持ち出した分程度しか食料がないため、あまり種類が作れなかったとラムダは不満を漏らす。しかし残った野菜と干し肉に、モールを加えた煮込み料理は不思議な程に美味しい。今日は昼間以外、最高の食事ばかりだ。

「そういえば…食材の件はどんな感じだ? 上手くいったのか?」

 皆で食べ始めると、マリウスが思い出したように尋ねてきた。確かにまだ今日の成果を誰にも話していなかった。

「ええ、問題ないわ。今日一日私が見てる前で山程買ってもらったから、間違いなく明日の昼前には届くわよ」

 サフィアのことを見せびらかす意味もあって、家の持ち主は金に糸目は付けなかった。そしてサフィアへの点数稼ぎでもあったのだろう。期待していた以上に高価な食材を大量に購入してくれていた。

「そうか…。で、何て言ったんだ?」

「姉が結婚するのにご馳走が作れないって泣いて見せたのよ。その後は妹も叔父も姉の嫁ぎ先に身を寄せるから私1人がこの屋敷に残ることになるって言ったらもう上機嫌」

 苦笑しながら昼間の話を聞かせれば、ラムダが真顔でふと恐ろしいことを口にする。

「ふーん…。今頃その人頭の中でサフィアのこと押し倒してるんだろうね?」

「ゾッとするようなこと言わないでよ。今日だけでも何回肩を撫でられたことか…」

 鳥肌が立つのを抑えるようにサフィアが自分の腕を撫でているとラムダも心底嫌そうな顔を見せる。

「うわー、それは確かに勘弁だわー。でも同じことロギア様にされても平気なんでしょ?」

 予想外の返しに思わず彼女の脳裏に自分の肩を抱いてくるセレンの姿が浮かぶ。しかしそれをすぐに頭の中から排除するとサフィアはラムダを恨めしげに見た。一体何という想像をさせるのか、脳内でセレンを汚してしまうところではないか。

「……そもそもロギア様は本人に断りなくそんなことしないわ。あんなのと一緒にしないでちょうだい」

 ぴしゃりと撥ねつけるとまるでサフィアの心の中を読んだかのようにラムダはニヤニヤしながら眺めてくる。

「もう本当に好きだよねー。そんなだったらあれだよ? ほら、あのロギア様の偽物? あれなんか側で見てたらサフィア、頭がおかしくなってたかもね?」

 言いながら彼女が指差した先にはセレンそっくりな魔法生物が直立して目を閉じているのが見えた。同じ姿をしていても、不思議とあの魔法生物には何の魅力も感じない。

「最初の頃なんてもうひどかったんだよ? 私なんかお腹が(よじ)れちゃうんじゃないかと思うほど毎日笑いっぱなし」

 ラムダの話ではあの魔法生物がそれなりに形になるまでは色々あったらしい。笑ってしまうような奇行から気持ちの悪い行動まで、何より服も何も着ていないのでその視覚的破壊力は凄まじかったらしい。見るに耐えなかったのか、ある時マリウスがあの魔法生物に服を着せ、ラムダを連れて部屋を出るようになってしまった。それからはあまり面白い行動は目撃できなくなったと彼女は不満を漏らす。

「1回キュリアンがロギア様に身体見せてくれって言った時があってね! その時私初めてロギア様の生裸見ちゃった!」

 その言葉に思わずサフィアは口にしていた物を吹き出しそうになった。

「ら、ラムダ…あなたね…」

 聖域であるセレンの裸など想像するだけでも畏れ多い。それをサフィアに想像させるとは、もう我慢ならない。こうなったら一度痛い目を見てもらわねばならないようだ。立ち上がりかけたサフィアだったが、ラムダはなぜか難しい顔をして話を続ける。

「ロギア様の体…本当に聞いていた通りすごい傷跡だらけだったんだ…。特に背中に凄い火傷の跡があってね…」

 さすがにラムダであってもセレンのその激しい戦いを物語る体にふざける気も削がれたらしい。彼女の呟きに、ずっと話を聞くだけだったキュリアンが驚いたように話に入ってくる。

「背中に? 私はあの人の体つきばかり見てたから気付かなかったな…」

 2人の会話を聞いて、サフィアは思わず黙り込んでしまった。何しろその背中の傷を付けたのは彼女自身だったからだ。

「それはあれだろ? あの火を吐くネメアと戦った時のものだ」

 当時の事情を知っているのはここではマリウスだけだ。彼は2人の注意をその傷跡から逸らそうとするが、相手は細かいことに気が付けばそのことを突き詰めないと気が済まない2人だ。

「ネメアの炎なんか、あの人に当たってたら背中だけじゃ済まないよ? あれは多分雷の魔法…」

「やめて!」

 ラムダが核心に迫ってくるのを感じて思わずサフィアは声を上げてしまった。

「…サフィア?」

「…あ…ごめんなさい…。私ったら何言ってるのかしら…」

 ラムダが心配そうに見てくるのを、慌ててサフィアは平静を取り繕う。

“大丈夫…。…こんな傷…すぐに治ります”

 脳裏に浮かぶのは顔色の悪いセレンの顔。自分がどれだけ恐ろしいことをしでかしてしまったのか、時間が経つにつれて彼女は痛いほどわかってきていた。当時はまだネメアも現れてはいなかったが、それでももしセレンをあの時殺してしまっていたらと思うと、とても平静ではいられない。

「…ごめん…。何か嫌なこと思い出させちゃった?」

 気遣ってくるラムダやキュリアンに、サフィアは慌てて手を振り「何でもないのだ」と取り繕う。ラムダとキュリアンの2人はサフィアの過去をほとんど何も知らない。だからこそ今となっては信徒のようになっているサフィアが、かつてセレンを殺しかけたなどということを想像もしないのだ。

「そうだ。明日のことでも話そう。何しろ1日…いや、半日しかないんだ。ちゃんと段取りを考えておかないと間に合わなくなるぞ?」

 マリウスが何とか違う話を切り出せば、場を明るくしたいラムダとしてもホッとしたらしい。すぐにその話に乗ってくる。

「そうだよ! 材料が届く時間とかしっかり打ち合わせしとかないと!」

「私は準備は手伝えないが、確かいくつか部屋の飾り付けに役立ちそうな物があったはず…」

 キュリアンが奥に消えていき、すぐに戻ってくるとその手には色鮮やかな紙やリボンが握られていた。話は一気に明日のことで持ちきりになり、サフィアはマリウスに心の中で礼を言う。

 あの時も今も、マリウスはサフィアを助けてくれた。本人にその自覚は無いだろうが、少なくともセレンを殺しそうになったあの時、マリウスが駆け付けなければサフィアはセレンをそのまま殺していたことだろう。愚かにも、かつてのサフィアはセレンを殺して自分も死ぬつもりだったのだ。


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