(2)
その後、ほぼ半年近くの日程をかけて王は国の視察を行った。途中何度も城に戻り政務をこなしながらの日程だったが、取り立てて何の事件も起こらず全ては順調に運んでいた。最後に一番遠方の地を数十日を費やして王が視察し、それに従い王都に戻ってきたマリウスは思わぬ訃報を受け取った。彼の末の弟が死んだと言うのだ。しかもそれは彼が王への謀反に加担しており、王の留守中に城に攻め込んだ結果殺されたからだという。
謀反の動きは既に諜報部隊が全て掴んでおり、彼らは城の入口でほぼ捕らえられた。何人かは逃げ延び、マリウスの弟も親の力で救われることを期待して実家に逃げ込んできた。しかし実直なマリウスの父は息子の不届きな行為を許すことなく、すぐ後に現れたセレンを家に引き入れた。
セレンは最後まで弟を説得してくれたらしい。弟に最初から謀反の意思があったのかどうかは定かではない。まだ見習い騎士になる直前の子供だ。少し前に母親が弟の交友関係を案じていたので、恐らく悪友に唆されたのだろう。家柄と年齢、更には弟に謀反を起こす明確な動機がなければ命は助けられる。セレンは何度も「必ず助けるから」と声を掛け続けたらしい。
しかしその言葉がむしろ弟の怒りに火を点けた。弟は多くの貴族達が噂する『王のセレン贔屓』を信じていたのだ。それ故に、セレンが王に頼みさえすればたとえ謀反人でも許される。そう言っているのだと思い込んでしまった。
閉じこもっていた部屋を飛び出した弟はセレンに向かって「お前が諸悪の根源だ」と叫び、持っていた短剣をセレンに突き刺した。その時のセレンの衝撃は想像するに余りある。目に見えないような攻撃さえ避けることのできるあのセレンが、弟の拙い攻撃をまともに受けて廊下の反対側の壁まで追いやられたと言うのだから。
弟は壁に背を預けて項垂れるセレンの姿を見て喜び叫んだ。セレンのことを「ミレノアルに巣食う悪魔」だと、そして王を「悪魔に簡単に手玉に取られる無能な王」と言って詰った。しかし勿論セレンは生きており、ただあまりの悲しさに動けなくなっていただけだったのだ。セレンは自分に刺さった弟の剣を抜くと、それで弟を刺し殺した。もうマリウスの弟を救う術はない。そう判断したからだろう。
何が弟をそんなにも狂わせてしまったのか。セレンに対する暴言を思い返すに、弟はいつの頃からか彼のことを憎むようになっていたのだろう。母の話では、マリウスがセレンと出かけて帰宅が遅くなったり帰らなかったりする度によく不満を漏らしていたそうだ。
弟は生まれた時からマリウスに可愛がられてきたからか、その愛情をセレンに奪われたと感じていたのかもしれない。謀反に加担するなどという暴挙に及んだのも、或いは“セレン贔屓”の王に対する不満がきっかけだったのだろうか。弟が死んでしまった今となっては知りようもない。
死んだ弟の目を閉じてやり両手を組ませると、セレンはその一部始終を見ていた両親に頭を下げた。傷の手当てをしようと両親は申し出たが、ただ黙ってセレンは去っていってしまったという。随分と悲壮な顔をしていたからと両親はセレンのことを本当に心配していた。その話を聞いたマリウスはすぐセレンの家に向かったが、彼はいなかった。
諜報部隊に確認すれば、彼はあの事件以降、元実家の本拠地の方で滞在中だという。王都を頑なに離れようとしなかったセレンが本拠地に“逃亡”した。それは彼の心境を知るには十分だ。連絡を取ってはみたが、いつもセレンは任務中で会えない日々が続いた。何でも寝る間も惜しんで役目に没頭しているため、隊長もさすがに過労で倒れないかが心配だと話していたくらいだ。
そのまま月花が何度か咲いては散り、日々は無情にも過ぎていった。もうセレンとは以前のような関係には戻れないのだろうかとそんな思いが過ぎり始めた矢先のことだ。マリウスの邸宅に突然セレンが現れた。
玄関広間から動こうとしないセレンの前で、マリウスもまた同じように立ち尽くす。
「この前は弟が…面倒を掛けた…。弟はあんたを心身共に…深く傷付けた。弟に代わって謝罪させてくれ…」
「……」
何とか絞り出したマリウスの言葉を聞いて、セレンはただつらそうに目を伏せる。
「俺も…俺の家族もみんな、あんたに対する怒りや憎しみはない。むしろ…あの場で弟の命を断ってくれて良かった。おかげで弟は…晒し者にされず、死んでいくことができた」
セレンの腕を以ってすれば、弟を捕らえて城に連れ帰ることなど造作もなかったはずだ。だがセレンはそうしなかった。酷い言葉を浴びせられ、傷を負わされてもまだセレンは弟を救おうとしてくれていたのだ。それが、彼自身の手で命を断つことだったというのは悲しい事実だが、弟にとっては憎む相手に一矢報いた直後に死んだのだ。牢に長い間繋がれた挙句に、衆目の前で恐ろしい魔法生物に生きながら食われるよりは余程良い。
「私は……あなた方家族の幸せを…壊してしまった。私があなたを彼から奪ってしまったせいで…」
「セレン、それは違う。俺達はそんなようには考えていない…!」
マリウスは思わずセレンの両肩を掴んだ。顔を上げたセレンの目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙で満たされていた。
「……今日は…お別れを言いに来たのです」
「!……」
予想していない訳ではなかった。謀反人を出したような家と、王家のことを何よりも第一に考える者がこの先も付き合っていける訳がない。セレンの意思に関わりなく、周りがそれを許さないこともわかっていた。
セレンの目から堪え切れずに涙が一筋こぼれ落ちる。
「あなた方が私を許してくれるだろうことはわかっていました。隊長も陛下でさえも…私のことを気遣ってくださいます…。誰も私とあなたの仲を割こうとする人はいません…。ですが…このままでは私が自分を許せません…」
セレンは言う。そもそも王の視察は始めから謀反を誘発させるための罠だった。謀反を企む人間がいることも、それに加担する人間の大凡の名前もある程度掴んだ上で全ての作戦が練られていった。マリウスが諜報部隊の本拠地を訪れたあの日には、既にセレンは彼の弟が謀反人の1人であることを知っていたのだ。
「私は迷いました。あなたに全て打ち明けて、どうにか彼だけ救う方法はないものかと…。ずっとそのことばかりが頭から離れなかった…」
そんなことをすれば作戦の失敗は間違いない。セレンは騎士の称号を剥奪され、聖剣も取り上げられた上で国外に追放されていたことだろう。それがわかっていても尚、セレンは迷っていたと言う。
しかしその思いが彼に隙を作った。マリウスが本拠地を訪れたあの日の朝、いつも定期的に2人一組でこなしている街の見回りにセレンは出ていた。王都とは違い、セレンの故郷であるあの街には高い塀が築かれているだけで結界のような魔法的な処置は施されていない。その代わり元々魔物のあまり生息しない地域にできた街であるため、大して恐ろしい魔物も現れない。だが小さく弱くとも魔物は魔物だ。街に住む人々にとっては脅威になり得る。そのため騎士達が毎朝、夜の内に魔物が入り込んでいないか見回りをするのだ。
あの日は運悪く、その辺りでは見かけない強力な魔物が街に入り込んでいた。それが相方の女性を襲ったのだ。気配の察知に長けているセレンなら、たとえ不意打ちであろうと攻撃される前に反撃していただろう。しかし頭の中をマリウスの弟のことでいっぱいにしていたセレンは出遅れた。いつも街に入り込んでくる魔物ならば女性も対応できただろうが、相手は大きく素早い。不意打ちを喰らったのが魔物の方ではなくセレン達の方ともなれば形勢は一気に逆転する。セレンは思わぬ苦戦を強いられ、相方の女性も怪我を負った。
「命令違反を犯すかどうかを迷っていて、私は役目を疎かにしたのです。あまりにも情けない…。ですがもし…謀反に加担していたのがあなただったとしたら…私はあなたを捕らえることさえできなかった…! 役目を放棄し逃げ出してしまっていたに違いありません」
「セレン……」
マリウスは言葉を失った。彼の使命は聖剣を手にした時から国に命を捧げることに決まってしまっている。勿論『騎士』の使命も同じことなのだが、騎士はいざとなれば自ら辞めることも可能だ。だが聖剣の使い手は辞めることができない。その分、セレンは他の騎士達よりも役目に対する姿勢が最初から違う。ただでさえ“お飾りの聖剣で特別扱いを受ける人間”と中傷されてきたのだ。今回の“迷い”は自分が聖剣に相応しくない人間だと立証したようなものだと、セレンはそう考えてしまったのかもしれない。
「……怖く…なったのです。自分の中に…陛下や国以外に大切なものができるということが…」
セレンは止めどなく涙を流していて、彼自身ももう何をどうするべきだったのかわからなくなっているようだった。セレンにとって、これが初めての挫折だったのかもしれない。
マリウスが何も言えない間に、セレンは1人頭を下げると去って行ってしまった。マリウスはそんな彼を黙って見送ってしまった。そうすることしか当時のマリウスにはできなかったのだ。
彼自身も怖くなったのだろう。この先自分の存在がセレンの足を引っ張り破滅に追いやるかもしれない。そうなった時、自分は果たして自らを正しく処することができるのだろうか。もし家族を…他の友人をセレンのために殺さなければならなくなったとしたら、彼にはそれができるのか。まだ20歳になったばかりの彼にはその覚悟が決められなかったのだ。
両親は何も言わなかった。お互いにつらい心情なのをわかっていて、なるようにしかならないと見守ってくれていたのだろう。だがマリウスはその後ずっと、セレンを引き止めなかったことを後悔し続けることになる。
セレンはマリウスと別れた後も今までと変わりなく騎士として、聖剣の使い手としての務めをこなし続けた。1年後には異例の若さで諜報部隊の隊長となり、その更に5年後には将軍の地位にまで昇り詰めた。セレンはその間、友人も作らず、私生活はほとんどなかったと聞く。王のためだけに働き、罪を犯しながらも身分に物を言わせてそれを揉み消そうとする貴族は容赦なく断罪した。時には悪魔のような罠を張り巡らし、何人もの貴族を殺した彼は悪意を込めて『黒将軍』とあだ名されるようにまでなっていた。
「しかし最近、黒将軍の暴走は目に余るものがあるな…。今度はレヴァイン様が陛下の御前で斬り殺されたという話だ。それを目にした御子息は次は自分の番だと恐れるあまり、頓死なされたらしい」
「……」
この所、近衛部隊のどの施設でもセレンの話を耳にしない日はない。彼らはマリウスの姿を見ると当て付けのように声高にセレンの“悪行”を言い立てるからだ。
「レヴァイン殿は長年領民から厳しい税の取り立てを行なってこられた。しかも少しでも反抗する者は処刑し、黙らせてきたのだ。今回の処置が横暴な将軍の暴走だとするのは偏った見方だろう」
聞き流すことはできたが、ここで黙っていればマリウスもセレンの行動を行き過ぎだと認めることになる。立ち止まった彼に対して、何人かの近衛騎士達が集まってくる。いつものようにマリウスを何人もで脅そうというのだろうが、負けてたまるものかと彼は周りを見返した。
「あのような者と懇意にしていただけはあって、随分と冷たい物言いをなさるものだ。確かレヴァイン様は遠縁とはいえあなたの縁者ではありませんでしたかな?」
蔑みの目で見てくる彼らは少しも自分達が悪いなどとは考えていないのだ。それどころかマリウスの方を冷酷扱い。本当に救いようもない。
近衛騎士は昔から上位貴族の集まりだ。我儘放題に振る舞い、領民のことなど同じ人間だとも思っていない。良き領主とは何かともろくに考えず、王都で遊び暮らすばかりで自分の領地を死ぬまでに一度も足を踏み入れなかった者さえいるくらいだ。程度に差はあるものの、やっていることはレヴァインと何ら変わりない。だからこそ同類を庇い、自らを正当化する。両親も言っていたが、本当に上位貴族達の頭の中は腐り切っている。
「きっと悪魔の血を引くあの男に感化されて、我らの高貴な血が濁ってきているのですよ。…ああ、いやもしかしたら彼の中に流れる血は既に悪魔の血に取って代わられているのかもしれませんね?」
1人が薄笑いを浮かべながら言った言葉に、周りの騎士達は全員で大爆笑する。その言葉は完全にセレンを人でもない下賤の者だと蔑んでいた。思わず手が出そうになる自分をマリウスは必死で押し留める。
「あの男が実権を握るようになってからというもの、犠牲者は数知れません。ひどい時代もあったものだ…」
「あのような無礼な男は裁きの雷と怒りの業火でいずれ身を滅ぼすことになるでしょう。何、そう長くはのさばってはいられませんよ」
一体どの口がセレンを『悪』だと言い切るのか。それこそ『悪』は今話している騎士達の方ではないか。怒りが徐々に耐えられる限界を突破しそうになってきたマリウスは思わず声を上げた。
「セレンを愚弄するな! あいつは何も間違ったことはしていない…!」
「謁見の間を血で汚しておきながら“間違えていない”ですと? これはまた…とんでもないことを申されることだ」
周りはもうすっかりマリウスを言い負かしてやろうという人間で囲まれている。反論はその内の誰かが言ってくるため、マリウスは息つく暇もない。
「セレンが間違いを犯していたなら当然陛下がお止めになったはずだ! 止めておられないということは陛下もその処刑を認めておられた証拠ではないのか⁈」
何を言っても無駄なことはわかっているが、体の中から湧き上がる嫌悪感にマリウスは言葉が止まらなくなっていた。必死で言い返すマリウスに、騎士達は意味ありげな笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「陛下があの黒将軍をお止めになる? 申し訳ないが今の陛下は傀儡に過ぎませんよ? 可愛い黒将軍の言うことなら何でもお聞きになる。聖剣を与えたのみならず、禁を冒してまであの男を騎士の頂点に据えたくらいですからね」
その言葉に周りの騎士達は一斉に笑った。彼らはセレンどころか王のことまで愚弄したのだ。もう我慢ならない。彼の手がとうとう腰の剣の柄に伸びた。しかしその手にそっと誰かの手が重ねられる。
「待てよ。早まるんじゃない」
思わず隣を見たマリウスだったが、そこにいるのは知らない顔だ。訝しげに眺めていると、その騎士は王を馬鹿にして笑っていた騎士達を眺め渡した。じっくりと一人一人の顔を確認するように見つめられ、騎士達は徐々に警戒し始める。
「あなた方の本心…、しっかりとこの耳で聞かせて頂きましたよ?」
その声は忘れもしない、セレンの声だった。彼は最近神出鬼没でどこにでも現れると噂になっている。ということはまさか…本当に今ここに現れたのはセレンその人なのか。見慣れぬ騎士の発したその声に、マリウス以外の人間は皆恐怖に凍り付いた。
「……お、お前は…!」
「おやおや…私にそんな口を利いても良いのですか? あなた方の陛下に対する無礼な言葉の数々…私は全てここに記録させてもらっているのですよ?」
その騎士は服の中から何かを取り出してきて周りに見せた。それはその場で鳴っている音を鮮明に記録することのできる魔法具だ。裁判にもなればその記録が証拠として提出されることもあるという、信頼性の高い品。
「まあ…ご心配には及びません…。先程の言葉を元にあなた方を断罪するとなると…近衛騎士が皆いなくなってしまいますからね?」
そう言ってわずかに笑う騎士の顔をマリウスはじっと見つめた。顔が違うからか、どうも未だにその騎士がセレンだという確証が得られない。だが他の騎士達はもうすっかり彼のことをセレンだと信じ切っているようだ。
「……何故ここに?」
騎士の1人が呆然としながらも確認する。彼は笑顔を収めるとマリウスの方を向いた。
「あなたに会いに来たのですが、思わぬ収穫がありました。これはあなたに預けておきましょう。この先、役立つでしょうからね?」
騎士は魔法具を言葉通りマリウスに手渡すと、後で近衛部隊長の部屋まで来るよう言い残して去って行ってしまった。こんな物を渡されても、近衛部隊に所属する限りむしろ危険なだけだろう。あの騎士がセレンだったとしたら少し抗議したいくらいだ。しかしため息を吐いて困惑していると、今度は近衛部隊長が訓練所に現れた。
「マリウス、今すぐ俺の部屋に来い」
何故か隊長は恐ろしく機嫌が悪いようだった。自分の用件だけ伝えたかと思うとすぐにまた帰ってしまう。一体何だと言うのか。しかしあのセレンらしき人物にも隊長の部屋に行くように言われているのだ。行くしかない。
渋々隊長の部屋を訪れ、扉を叩けば返ってくるのは意外にも穏やかな隊長の声だ。先程見た姿からはそんなすぐに機嫌が直るようには見えなかったが、たまたまそう聞こえただけかもしれない。重い気分を抱えながら扉を開ければ、部屋のすぐ入口に隊長は立っていた。
何故自分の部屋なのにこんな入口でしかもマリウスには背を向けたまま棒立ちになっているのだろう。声を掛けようと前に回り込もうとして、マリウスはその部屋の奥にもう1人いることに気が付いた。
「⁈……セレン…将軍…」
窓を背に、こちらを見ている人物は間違いなくセレンだった。ほぼ10年ぶりに間近で見る彼の顔は既に騎士団の頂点に立つ者として十分な風格を備えている。先程会ったセレンには何も感じなかったが、このセレンには思わず畏怖の念さえ覚えるほどだ。彼の前では近衛部隊長もただの騎士の1人だ。だからこそ隊長はまるで講師に説教される見習い騎士のように姿勢も良く直立していたのだろう。
「急にお呼び立てしてしまい、驚いたことでしょうね。今日はあなたに用があって来ました」
「用…ですか?」
今となってはセレンの方がマリウスより圧倒的に立場は上だ。辿々しく敬語で話すマリウスだったが、セレンは気にする様子もなく淡々と話し始めた。
「先日、私は新しい部隊を立ち上げました。私の手足となってくれる優秀な人物のみを集めた直属部隊です」
その部隊のことはマリウスも知っている。つい最近セレンが王の許可を得て作った30人程の部隊だ。身分も職業さえも拘らず採用したため騎士でない者も多いと聞くが、部隊に入れば立場は各部隊の隊長級の扱いとなる。当然貴族達や隊長達はその部隊のことを良く思っていないが、王が公式に認めたとなれば文句も言えないようだ。
「あなたには…その部隊に入って頂き、私の補佐を務めてもらいたいのです」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか内容がよく飲み込めなかった。
「私の身に何かあった時、あなたが私に代わり直属部隊を率いるのです。陛下もあなたのことをお話しすれば、適任だとお喜びくださいましたよ?」
「いや…しかしそんな大役…私には…」
セレンの言う役目は実質彼の副官だ。隊長さえ務めたことのない騎士が就任して良い役目ではない。しかし断ろうとするマリウスを制し、セレンは過去の彼の実績を並べ立て始めた。そのどれもがマリウスの功績ではなく、他の近衛騎士の手柄とされた悔しい実績ばかり。中には今同席している近衛隊長が隊長に就任するきっかけとなったものもあった。気まずい顔で目を逸らす近衛隊長も無視して、セレンはそれを全てマリウスの功績として話し続ける。
「あなたが陛下や民を守るために行ってきたことは、隊長となるに相応しい功績ばかりです。それが全て無視されてきたのは、私との関係性が原因でしょう…。だとすればあなたは副官となるに十分な資質を備えていると言えるのです」
セレンはずっとマリウスのことを見てくれていたのだろう。でなければあそこまで完全にマリウスの実績を追うことは無理だったはずだ。セレンは自分と親しくしていたせいでマリウスが出世できなくなったと言っていたが、それはあくまで表向きの話だ。実際にマリウスがいつまでも実績を認められずに一介の騎士でいさせられたのは、弟が謀反に加担していたという過去があったからだろう。その件がなければセレンと親しくしていようが関係はない。結局最後に決めるのは王なのだから、セレンのことが問題になるはずもなかった。
それでも彼はマリウスの弟のことは一切触れなかった。それとも弟のことさえ自分と関わったせいだとまだ彼は考えているのだろうか。
「この話…受けてはもらえませんか?」
一瞬見えた、セレンの不安そうな顔。昔、初対面のセレンがマリウスに自分の名を名乗った時の、あの顔だった。その顔を見た途端、彼の脳裏を過ぎるセレンの孤独な後ろ姿。そして2人で将来の夢を語り合ったまだ新任だった頃の思い出。
「……わかりました」
マリウスは気が付いたら副官になる話を受けていた。
セレンはきっと最初からこの話を断られる覚悟でここに来ていたのだろう。彼との付き合いが無くなってもう短くない時間が過ぎた。もう自分達の仲はすっかり白紙に戻っているかもしれない。そんな不安を押してまでセレンはマリウスを副官に抜擢しようとしてくれているのだ。その思いに応えないで何が“親友”か。
再会を恐れていたのは彼だけではなくマリウスもそうだった。あの時、涙ながらに去って行ったセレンを引き止めなかった自分に、彼の親友を名乗る資格などないとずっと悔やみ続けてきたのだ。この機会を逃せばもう次はない。そしてまたマリウスは後悔の日々を続けることになるところだったのだ。
マリウスの返答を聞くとセレンは目に見えてホッとしたような顔を見せた。
「では場所を変えましょう。あまりこの部屋に長居すると邪魔になりそうですからね?」
セレンの視線の先には近衛隊長がいた。彼は2人の会話をずっと直立不動で聞いていたが、マリウスが振り返ると明らかな愛想笑いを浮かべる。今の短い時間でマリウスは彼より立場が上になったのだ。元々の身分の高さに加え、この先実質王とセレン以外、彼に命令できる人間はもういなくなる。そして彼の身分の高さは今後のセレンの扱いまで自然と引き上げることになるだろう。
セレンはそれを見込んでマリウスに声を掛けたのだろうか。いや、彼の本心など最早どうでもいい。マリウスがセレンの副官になることでセレンの立場を盤石にする助けになれるのなら、もう何も言うことはない。この先、過去の後悔は一生を懸けてでも清算していけばいいだけのことだ。
隊長の部屋を出ると、セレンとマリウスは2人並んで廊下を歩いた。まるで昔に戻ったようだ。あの頃はまだ2人とも力の無い新米騎士で、何もできないことに憤るマリウスとそれを宥めるセレンという構図だったが今は違う。今度こそセレンの手を最後まで放すものかとマリウスは密かに誓った。
2人で歩いていれば通り過ぎていく騎士達は焦ったように道を空ける。セレンを見る周りの反応は様々で、恐れや嫌悪の表情が多い。この態度もいずれは改善させよう。彼は本来こんな恐れられるだけの人間ではないのだから。今のマリウスにはそんな目標も持つことができる。それだけの力をセレンは彼に与えてくれたのだ。
「そういえば…これ。私に渡されてもどう扱えばいいのかよくわからないのですが…」
近衛部隊の敷地を抜けた辺りでマリウスが先程セレンらしき人物からもらった魔法具を見せると、セレンは一瞬無表情になった。しかしすぐに苦笑に変わる。
「ああ、それは持っていてください。役立てても良いですし、ただ保管しておくだけでも構いません。あなたにお任せしますよ?」
セレンはこの魔法具のことを知っていた。だとしたらやはりあの時の騎士はセレンだったのだろうか。それにしても引っかかる。
「脅迫なんてしなくても…誰もあなたに逆らえはしないでしょう?」
「今は必要なくても今後はどうなるかわかりません。掴めた情報は全て手元に置いておくに限ります」
「……」
それは不吉な予感を掻き立てるのに十分な言葉だった。そもそもマリウスを副官に据えたこと自体が“セレンの身に何かあった時の代理”だ。セレンが将軍であることを認めていない騎士や貴族達は多い。それをセレンは圧倒的な力を見せ付けることで押さえつけ、周りを黙らせていると言っても過言ではない。それは副官となったマリウスにも同じことが言えた。セレンという後ろ盾を無くせばマリウスに対しても周りはどう出てくるかわからない。しかし彼が個人的に貴族達の弱みを握っていれば、1人になっても副官として問題なく自由に動けることだろう。
「……諜報部隊時代の癖のようなものですよ。取るに足らないと思っていた情報で、どれだけ私は助けられたことか…」
思わず不安そうな表情を浮かべてしまったマリウスに、セレンは言い訳するように笑って言う。だが何か気にかかっている様子だ。
「何か…心配事でも?」
素直に尋ねてみれば、セレンは驚いたようだ。しかしやがて納得したように笑顔に戻る。
「…そうですね…。だから私は…あなたに側に居てもらいたくなったのかもしれません」
セレンは1人呟くと、ここ最近世間を騒がせている数々の奇妙な現象のことを話し始めた。
「こんなにも一度に不可思議な現象が起きることなど100年近く無かったのです。更には昨日…ガレスからある密告状が私宛に届きました…」
「密告状…?」
その穏やかではない言葉の響きにマリウスの顔にも緊張が走る。思わず周りを見回したが、幸い人は誰も通っていなかった。
「それには何と…?」
「ガレスの王を名乗る人物が現れた…と。しかし皆、たまたま力の強いガレス人が勝手に名乗りを上げただけだろうと取り合いもしません」
不幸とは続くものだが、どうやらセレンは何か嫌な予感を感じているのだろう。太古のミレノアル人は魔力の変動を体で感じ取ることができたという話だから、彼も同じく何か他人にはわからない気配を感じ取っているのかもしれない。
「偵察に騎士を1人派遣しましたが、今のガレスは取り立てて何も不穏な動きはないとの報告がありました。私も…100年経った今となっては、その話がたとえ事実であろうとそれほど脅威ではないと信じたい…。何より各地で暴れている魔物達を鎮めることで今は手がいっぱいなのです」
異変の一つとして、最近おとなしかった魔物達が何かに怯えて凶暴になっているという報告がある。しかも何処かに逃げようとしているのか、人里に迷い込んだ挙句に混乱して暴れ回り本当に手に負えない。今時の騎士では魔物を追い払うどころか人々を避難させることさえ思うように進まず、魔物も人も命を大切に扱いたいセレンとしては放置できない状況なのだろう。
「何にしても人命救助が最優先事項ですね…。密告状の件は、騎士団が落ち着かない限りはさすがに動かせないのでしょう?」
「……ええ。今の状態でガレスに向かったところで割ける人数はそれほど多くはありません。下手に動いて、その王を名乗る人物を刺激してしまうわけにもいきません…」
しかしセレンの顔はまだ晴れない。どうにもその密告状のことが気になって仕方がないようだ。
「その密告状の送り主とは連絡が取れないのですか?」
「…かなり警戒しているのか、わかるのは名前だけです。調べに行った際にも、私の部下にさえ気付かれない程しっかりと隠れていたのか、差出人を探し当てることはできなかったようです」
経験上、そういう表面には何も現れていない異変ほど後で大事になることが多いのだとセレンは話す。だが実際に今の状況で、そのどこまで深刻なのかも不明な密告を最優先にすることはできないのも確かだった。
「できる限り私もお手伝いします。災害や魔物の件を早々に落ち着かせれば、周りも納得してガレスに騎士団を向かわせることができるでしょう。今はとにかく目の前のことに集中するしかないですよ」
話はそう簡単ではないとわかっているが、それでもマリウスは笑ってセレンにそう語りかける。すると彼は目に見えて表情を明るくした。
「そう…ですね。ありがとう、マリウス」
大したことは言っていないが、それでも彼は誰かに自分の考えを肯定してもらいたかったのかもしれない。『副官』などと大それた役目を突然与えられても、セレンほど目覚ましい活躍ができるわけもない。だが自分の存在そのものがセレンの心を軽くし、周りの騎士達に命令を聞かせるのに役立つならそれで良い。こうなったら身分の高さを最大限に活かしてセレンの役に立つだけだ。それこそが自分の存在意義なのだとマリウスは心に決めた。




