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黒衣の守護者  作者: 樽吐
15年前
29/156

(5)

 一方、マリウス達はその頃既にファタルの家を出ていた。何でも日が昇る直前にだけ活動する魔物を素材にする必要があるとかで、ラムダにまだ暗い内から叩き起こされたのだ。昨日はセレンと別れた後サフィア達と別れ、寝たのはかなり遅い時間だった。それにも関わらずその後ほとんど時間が経たない内にラムダは行動を起こすと言うのだ。キュリアンもそうだが、このラムダといい、職人達は昼夜の感覚を完全に無視して行動する人間が多い。

「本当に助かったわー! あの魔物って結構強いし、陽が昇りきったらあっさり逃げちゃうしで厄介な相手なのよね。私だったら無理だったわ」

 戦闘能力だけ取ればセレンの次に強いとまで言われたマリウスだ。彼女が感心する速さで魔物を倒し、今は次の鉱物採取に向けて海に向かっているところだ。マリウスがいてくれて本当に良かったと彼女は朝からずっと喜んでいる。

「ロギア様は魔法具造りが大変なのをご存知だ。礼を言うべきは俺をラムダに付けたロギア様に言うべきだろうな…」

 あまりにも感謝され過ぎてむず痒くなってきたマリウスは照れ隠しにそう呟いた。すると彼女は急に笑顔を収めて彼を振り返った。

「ねえ、マリウス。あなたがロギア様をいつも持ち上げようとするのは周りがいつもロギア様のことを悪く言うから?」

「……」

 思ってもみない深刻な顔をしたラムダに見つめられ、マリウスは一瞬言葉に詰まる。

「ロギア様、今回も私の母にかなり色々言われたんでしょう? キュリアンもお兄さんが出てきて『弟に何かあったら今後魔法生物は一切提供しない』とまで言ったらしいじゃない。…本当、恥ずかしい話…」

 ラムダは蔑むように鼻で笑った。彼女もキュリアンも、職人でありながらミレノアルを救う助けになれるならとセレンの勧誘に快く応じた人間だ。騎士でなくとも今の世の中いつデルフィラ女王に殺されるかわからない。それならできることは生きている内にするのだと言って2人は直属部隊に入った。だが本人達はそれで良くても親族は今でも納得していない。

「ロギア様はまた前みたいに黙って聞いてた? 少しくらい言い返してくれても良いのに…。間違えたことなんて何もしてないんだから」

「……あの人は…昔からああなんだよ…。全て諦めて…全て受け入れるんだ」

 マリウスは手を握り締める。自分は彼を見えない刃から護る盾にはなれない。セレンがそれを許してくれない。

「それって、つらくない?」

「つらいだろうな…。つら過ぎる…、俺にはとても無理だ」

 彼は昔から色々なことに耐え続けてきた。常人では耐えられないような重圧と非難に晒されても1人立ち続ける。そんな『強い』人間だった。誰もがその強さに甘え、彼に全てを押し付けてきたのだ。

 マリウスも一度彼の強さに甘え、独りにしてしまったことがある。その後悔が今なおマリウスを縛り続けている。


“……今日は…お別れを言いに来たのです”


 二度とセレンにあんなことは言わせない。時を戻せると言うならマリウスはあの日に自分を戻してくれと即座に答えるだろう。

 マリウスがセレンを知ったのはまだ見習い騎士の頃だった。来年に騎士の叙任式を控えたそんな時期だ。ミレノアルに生まれ、騎士を志す者ならば大抵は聖剣に選ばれることを目標とする。マリウスも当然それを願い、日々苦しい鍛錬を繰り返していた。

 彼の家は遠い祖先の時代で王家から分かれた家柄であり、身分はかなり高い。あまりに身分が高過ぎて騎士になってもほとんど前線に出ないために今までずっと戦いの苦手な一族と思われてきたが、そんなことは決してない。彼は同年代の騎士見習い達の中では群を抜いて強かった。周りの期待は当然大きく、まるでもう彼が聖剣に選ばれたかのような扱いだ。マリウスも既に自分が聖剣の使い手になったかのような気分になってしまっていた。

 そんな中、聖剣は誰も期待していなかった『影の一族』出身のセレンという人間に掻っ攫われてしまったのだ。

 マリウスの一族は初代の使い手リーンと共に戦い、その死を看取られたという歴史もある。その誇り故にマリウスはセレンに対して疑念しか抱けなかった。つまり何か不正を働いたのではないかという疑いだ。

 何しろ『影の一族』のことでは謎なことが多い。彼らはたとえ違う人種と姻戚関係を結んでも生まれてくる子供は必ず純血種のミレノアル人なのだという。それが原因かどうかはわからないが、彼らの家ではほとんど子供が生まれない。死産や流産を繰り返すことになる一族の女性は、外から嫁いでいた場合は大抵短命だ。代を重ねるごとに数を減らしてきている影の一族は、最早そのセレンという青年ただ一人だけらしい。

 謎の多い一族であることは確かだが、その血故に能力は恐ろしく高い。一般的なミレノアル人に混血が増え、力を落としていっているだけにその差はより広がるばかりだ。しかし彼らは絶対に諜報部隊にしか配属されず、どのような手柄を立てようと褒美もない。実際に聖剣の使い手となったそのセレンという人物も例外ではなく、諜報部隊に配属されたという話だ。

 それはやはり彼が聖剣に選ばれたことを誰もが怪しんでいるからではないのだろうか。しかしいくら疑ってみたところでもうマリウスには聖剣に触れる機会さえ与えられないのだ。それは使い手として選ばれることももう無いということでもある。騎士になる目的は何も聖剣が全てという訳でもなく、気にすることはないと思っていたのだが、マリウスは気が付けば全てにおいて気分が萎えていた。

 あれだけ熱心だった訓練にも身が入らず、言動も態度も荒っぽくなった。いつでも彼の身分に群がってきた周りの連中もそんなマリウスから徐々に離れていき、気が付けば彼は独りになってしまっていたのだ。戦闘術の講師には(たる)んでいると叱責され、学問の講師には呆れたような視線を送られる。両親には憐れみの目で見られる日々。マリウスは全ての煩わしさから逃れるように外を出歩くことが多くなっていた。

 夜になると街を囲む高い塀沿いをマリウスは1人で歩く。この辺りは魔物が多くいるという危険な外に面しているためか、たまに魔物が入り込んでくる。おかげで人通りはいつでも少なく、マリウスにとっては良い場所だ。魔物に出くわした所でマリウスには撃退できるだけの力がある。むしろ魔物と戦えでもしたらこの鬱屈した気持ちも晴れるというものだ。そんなことを考えながら歩いていると、数人の人々が何やら騒いでいる声が聞こえてきた。何だろうとよく見てみると大きな熊の魔物と街の人々が戦っているではないか。

 彼らは炎を撃ち出す魔法具を使い、魔物を撃退しようとしているが、どうにも使い方が悪い。折角性能の良い魔法具だというのにあれでは宝の持ち腐れだ。マリウスは急いで魔法具と悪戦苦闘している街の住人達の元に駆け寄った。人々は彼の身なりを見て騎士団の人間だとすぐに気が付いたようだ。魔法具を渡すように伝えると、すぐさまマリウスに手渡してきた。

 炎の玉を物凄い速さで吹き出すことのできるこの魔法具は威力はあるが反動が大きく、狙いが定まりにくい。訓練でもなかなか手を焼く武器の一つだ。しかしまだ見習いのマリウスは長剣を帯びることを許可されていない。武器は護身用に持つことを許されている短剣1本きりだ。これではこの大きな魔物を倒すことはできないだろう。あまり自信はないが、魔法具を構えて魔物に照準を合わせる。こんなことならもう少し練習しておくべきだった。

 しかし発射してみれば思いの(ほさ)狙いは正確だ。これは一発で仕留めることができるかもしれない。そう期待した瞬間、横から黒い影が飛び込んできた。その影から銀色の筋が一本伸びたかと思うと、マリウスが撃ち出した炎の玉は斬り払われてしまっていた。

「何を…!」

 魔物を庇うような動きを見せた黒い影は、すぐ側に着地する。見ればそれは諜報部隊の騎士のようだ。魔物はマリウスの攻撃と突然現れたその騎士の姿に、更に興奮し始めたようだ。自分に背中を向けているその騎士に向かって魔物は襲い掛かった。

「おい、後ろ!」

 マリウスが声を上げるが、騎士は既に気が付いていたのだろう。慌てる様子もなく後ろを振り返るとその魔物の鼻面を掴んだ。そしてそのまますごい力で地面に引き倒す。大きな地響きを立てて倒れたその魔物はそれきり動きを止めた。

「……嘘だろ…」

 人の背丈の倍はあると思われる大きな熊の魔物を素手どころか片手で地面に叩きつけてしまうとは、とんでもない怪力だ。しかしよく見ればその騎士の髪は夜だというのに光を放つかのようなオレンジ色だ。これは相当ミレノアル人の血が濃い。

「誰か、白いふわふわした可愛らしい生き物を見ませんでしたか? 知っているならすぐここに連れて来てください!」

 突然現れたと思ったら今度は訳のわからないことを言い出したその人物を皆怪訝そうに見る。しかしその言葉を聞いた1人の男性が突然どこかへ向かって走り去っていった。しばらくして戻ってきたその男性は、娘と思われる幼い少女を連れている。その子の手には確かに愛らしい見た目の白い毛玉が抱きしめられていた。

 恐る恐る進み出た2人の姿に騎士は笑みを浮かべた。

「良かった…。やはりいたのですね」

「き、騎士様…。これ…でしょうか?」

 父親が渡すように言っても少女は余程気に入っているのだろうか、その毛玉を渡そうとはしない。騎士はその子の目の前で屈み込んだ。

「これはあの魔物の子供です。母親の元に返してあげてくれませんか?」

「イヤ! 私が育てるの! もう名前だって付けたんだから!」

「そうですか。だとしたらこの子の母親は森に帰らずこの街で暴れることでしょう。そうなれば私は母親を殺さねばならなくなります」

「……」

 騎士は慣れているのか、なかなか言うことを聞こうとしない少女に粘り強く説いて聞かせる。

「この子の母親を奪っても良いのですか? それにこの魔物の子供は、人間に育てられても長くは生きられませんよ?」

 少女はずっと黙っていたが、しばらくすると急に白い毛玉が手の中で暴れ始めた。

「だ、ダメ! ヤダ!」

 慌てる少女から逃げ出した毛玉は一目散に魔物の元へと走り去っていく。そうしてその体によじ登り、動かない魔物を起こそうと懸命に擦り寄り始めた。やはりあの毛玉とこの魔物は親子だったのだろう。

 目を覚ました魔物はすぐ目の前に我が子がいるのを見て、もう暴れようとはしなかった。やがて子供を口に咥えると、その魔物は巨体に似合わぬ身軽さで壁を登っていった。その姿はあっという間に壁の向こう側へと消えていく。それを見届けると騎士は街の人間達を振り返った。

「さあ、もう心配はいりません。家に帰ってお休みください」

「し、しかし…あの魔物はまた襲ってくるでしょう? 王都には結界も張ってあるというのに…あの魔物は前にも大群で襲ってきたのですよ?」

 騎士の言葉に人々は何故殺してしまわなかったのかと不満そうに訴える。

「それは5年前に起きた痛ましい事件での話ですね?」

 騎士が尋ねると人々は皆一斉に頷いてみせる。それを見た騎士は少し考えてから口を開いた。

「あの事件が起きる数日前、1体の魔物が王都に迷い込んだと記録にあります。その魔物は殺されました。更に数日前、この街に白い毛玉のような生き物を外から持ち帰った人がいます」

「それは…」

 人々も、そしてマリウスもその話を聞いて大凡(おおよそ)察しが付いた。恐らく5年前にも今日と同じようなことが起きていたのだろう。しかし5年前の魔物は我が子と再会することなく殺されてしまった。

「あの魔物は本来穏やかな性格で人を襲うような魔物ではありません。ただ…我が子を奪われれば取り返しに来ますし、仲間が殺されれば群れを成して敵を滅ぼしに現れます」

 マリウスにも覚えのある5年前の魔物襲来事件。それはあの熊の魔物だけではなく、森に住む様々な魔物が含まれていた。何故突然森の魔物達が王都を敵視し襲ってきたのか、5年が過ぎた今でもそれは謎とされている。

「しかも死んだ魔物の体や幼い子供は周囲に助けを求める信号を発します。その信号にはあらゆる魔法を無力化する効果があると言われているのです」

「そ、それではあの事件は…」

 人々は騎士の話に衝撃を受けていた。それはマリウスも同じだ。

「私の故郷はこことは違い、何の防衛策も取られていない郊外です。昔から同じようなことはよく起きていました。王都の結界は強固ですから、今までは魔物の信号さえ打ち消してきたのでしょう。ですがその力も最近では弱まりつつあります」

 騎士は淡々と説明するが、そんな大事な話をマリウスは誰からも聞かされたことはない。そんな原因があるのなら森の魔物を一度根絶しようなどという恐ろしい作戦は提案されないはずだ。

「その話…本当なのか?」

 思わず問いただせば、騎士は魔物が消えていった城壁を眺めた。その澱みのない空色の瞳はこの騎士の心を映すかのようだ。

「皆…魔物は全て悪しきものだと考えていますが、そうでもありません。恐れるべきは、ガレス歴代の王が造成したという魔法生物くらいのものでしょう。今となっては区別の付く人もほとんどいませんが…」

「あの魔物は違うのか?」

「違います。あれはミレノアル人がここに城を築く前からここを棲家としていた魔物です。むしろ彼らは先住民ですよ?」

 魔物を“先住民”などと表現する人間がいるとは驚いた。この騎士はかなり変わり者のようだ。

「近々周辺の森に住む魔物達を駆逐するという作戦が実行に移されます。そんなことをすれば魔物も王都に住む人間も多くの犠牲者が出るでしょう。それだけは何としても止めなければ…」

 悲しげに目を伏せる騎士に向けて、その時先程魔物を撃退しようと街の人が持ち出していた魔法具の一つが炎を発射した。

「⁈」

 驚くマリウスの目の前で、騎士は何でもないことのようにその炎をわずかな動きだけで避ける。

「誰だ! 今誰が撃った!」

 まるで魔物掃討作戦に反対するこの騎士を排除しようとでもするかのようだった。周りを見回せば、魔法具が突然暴発したらしい。怯えた街の人間が魔法具から一斉に離れた。

 しかし混乱する人々を尻目に、騎士は平然と放置された魔法具に近付いていった。その間も魔法具は炎を連発するが、ただの暴発の割にはその騎士の方にばかり飛んでくる。

「おい! あんた!」

 騎士は炎を全て剣で払い()けているが、いつ命中するとも限らない。しかも近付いてどうするというのか。マリウスの心配を他所(よそ)に騎士は魔法具の側まで来るとそれを手に取った。すると謎の暴発はぴたりと止まる。

「これは城から支給されたものですね?」

「は、はい…!」

 問われた街の人間が必死で頷く。騎士の命を狙ったなどと疑いを掛けられたら、下手をすれば処刑されかねない。彼らはそれをよく知っているのだ。

「この魔法具に関して、この1年間で何か変わったことはありませんでしたか?」

 騎士の質問に対して人々はお互いに言葉を交わし合う。しかし取り立てて何も思い当たることはないようだ。

「これは定期的に城の者が調整しに訪れているはずです。来たのはいつもと同じ人間でしたか?」

「7日前に調整の時期が来ていたのですが、たまたま誰も居合わせない時に作業されていたようで…」

「そうですか。それだけわかれば十分です。これは預からせてもらいますね。代わりの物はすぐに手配しておきます」

 騎士が自分達のことを微塵も疑っていないとわかり、人々はほっと胸を撫で下ろしている。もう帰っていいと告げられると、彼らは今度は用心深く残りの魔法具を抱えて足早に家に引き上げていった。残ったのはマリウスとその騎士だけだ。

「あんた、今からそれをどうするつもりだ? 命を狙われたっていう証人くらいならいくらでもなるぞ?」

 騎士の口ぶりからして、あの魔法具には何らかの細工がされていて、この騎士を誰かが事故を装い殺そうとしていたようだ。城から支給されるこの魔法具に密かに細工できる者といえば、貴族くらいにしか不可能だ。だとしたら同じ貴族の証言が必要になってくる。

 出会ったばかりの相手だが、この騎士は他の騎士達とは少し違う。見た目の若さに似合わず、彼は確かな経験と技術を持って本来の騎士が果たすべき役割をしっかりと果たしていた。こんな人間に会うのは初めてだ。

 今のミレノアルに、果たしてどれだけ国や人々のことを本気で考えている騎士がいるだろうか。他人のことを言えた義理ではないが、最近では誰もが騎士のことを聖剣に選ばれるための手段としか見ていない。聖剣に選ばれずに普通の騎士になってしまえば、今度は不毛な権力争いを始めるだけだ。

 戦闘術の師や学問の師には本当に良い人材が揃っているが、それを活かせる騎士はほとんど集まらない。この騎士は見習い時代にさぞかしあの講師達を喜ばせたことだろう。そんな得難い人物を殺そうとするなど、マリウスにとってもそれは許し難い行為だった。

「これは…部隊の方で保管しておきます。訴えたところで無駄なことですから…」

「どうしてだ? あんたを殺そうとした相手だぞ? 放っておいたら他の騎士も狙われてしまうかもしれないだろう?」

「それは…大丈夫です。目的は“騎士”ではありませんから」

 騎士はそう言うと少しだけ笑った。何故かその顔からひどく孤独を感じる。それきり何も言わずに去っていこうとするので、マリウスは慌てて尋ねた。

「俺はマリウスだ。あんた名前は?」

 それを聞いた騎士はこちらを振り返った。思えば彼がマリウスの顔をちゃんと見たのは今が初めてかもしれない。

「……メイベル様の御子息でしたか…。確か来年、正式な騎士となられるのでしたね? しかし未だ見習いとは思えぬ見事な腕をお持ちだ…」

 騎士はマリウスの名を聞いただけで、全てを言い当ててきた。やはり只者ではない。しかもさり気なく褒められてもいるので、悪い気はしない。だが騎士はそのまま自分の名は告げずにやはり去っていこうとする。

「俺が名乗ったんだからあんたも名乗れよ!」

 まさか名乗らずに行ってしまうとは思わなかっただけに、つい語気が荒くなる。騎士はびくりと体を震わせて立ち止まった。表情までが少し怯えているように見える。

「あっ…悪い…。あんたの方が立場は上なのに…」

 見習い騎士のマリウスが目の前の騎士と対等に言葉を交わせるのは明らかに親の身分のおかげだ。本来ならこんな態度を取ることさえ許されない。

「い、いえ…、私の方こそ不躾(ぶしつけ)な真似をしました。私は…セレンと言います。…諜報部隊所属です…」

 マリウスのことでは彼は少しも気分を害していなかった。それどころかすっかり萎縮してしまった様子で、こうして見るとまだまだ若手の新米騎士そのものだ。

「セレン…って、もしかして聖剣に選ばれたっていう?」

「……」

 彼はとても居づらそうな顔で佇んでいた。自ら肯定することはなかったが、よく考えれば諜報部隊でここまで血の濃いミレノアル人が影の一族以外で存在するはずはないのだ。

 裏方に徹し、しかも手を汚す役目ばかりを引き受ける諜報部隊は今となっては貴族は誰も配属されない。聖剣目当てで入ってきた平民出身の騎士が増えてきたので、これ幸いと彼らに嫌な役目を押し付けるからだ。混血が増えたと言っても貴族はまだミレノアル人としての血は平民よりはずっと濃い。そもそもミレノアル人で平民である方が珍しいくらいなのだ。名前を聞くまでもない。彼は“聖剣の使い手セレン”だと既に見た目が示していた。

「じゃあ、あんたを殺そうとしたっていうのはもしかしてガレス人か⁈」

 今やガレスもミレノアルの一部だ。その歴史が浅いのと、ガレス人の気位の高さ故に今でも『ミレノアル』『ガレス』と分けて言う人間は多い。しかも元貴族のガレス人ともなればかつての身分を剥奪されたことで、未だにミレノアルを憎んでいる者もいるのだ。そのためガレス人が起こす小競り合いや内乱は各地でよく起きていた。中にはガレス王が遺した最後の言葉を信じ、ガレスの独立を望むガレス人もいると言うから、彼らが宿敵である聖剣の使い手を殺そうとしてもおかしくはない。

「犯人はガレス人ではありません。少なくとも首謀者は違います」

「……?」

 セレンははっきりと言い切った。それは既に犯人の目星が付いているということなのだろうか。

「あんたさっき、『訴えても無駄』とか何とか言ってたな? まさか最初から誰に狙われたのかわかってたのか?」

「……あなたは…知らない方が良い。正式に騎士となれば、いずれ自然と知る時も来るでしょう。何も失望の時を早める必要はない…」

 一人呟くセレンにマリウスは突然怒りに駆られてその腕を乱暴に掴んだ。

「馬鹿にするなよ! 俺だって来年には騎士の一員なんだ。仲間の命が狙われてるっていうのに黙って放っておける訳がないだろう⁈」

「なかま…?」

 まるでその言葉を生まれて初めて聞いたかのようにセレンは唖然としていた。

「私は…“セレン”ですよ…? 知って…ますよね?」

「さっき自分で言っただろう? それにその見た目で偽物ってはずもない」

「それも…そうですね…」

 セレンはしばらくするとクスクスと笑い始めた。その笑いは徐々に激しくなり、彼は笑い転げそうな勢いで不自然な笑いを続けている。

「おい、いくら何でも笑い過ぎだろ?」

 まだ掴んだままだったセレンの腕を引くと、彼の顔が上がる。しかしその顔を見たマリウスは言葉を失った。

「私を『仲間』と呼んでくれたのは、…あなたが初めてです」

 そこには笑顔で涙を流しているセレンの顔があった。

「今日は…良い日です。こんな嬉しい言葉を『貴族』であるあなたの口から聞けた…。それだけでもう十分です。この先も私は生きていける」

「……おい」

 その言葉はとてもではないが聖剣に選ばれた華々しい英雄への道を突き進もうという者の言葉とは思えなかった。あまりの姿に更に引き留めようとしたマリウスだったが、セレンは黙って首を横に振り、今度こそ去って行ってしまった。

 残されたマリウスの頭の中にはただセレンの顔だけが焼き付いて離れない。彼はどうしてあんなにも不幸そうだったのか。聖剣の使い手は魔獣ネメアを倒し得る唯一の剣。その使い手は当然誰からも大切にされるべき存在ではなかったのか。しかし実際には彼はひっそりと1人で行動し、命を狙われても誰にも相談できない様子だった。正体をできるだけ隠していたのは、知られると途端に冷たくされることを恐れていたからなのか。

 その想像だにしなかった彼の孤独な後ろ姿を、マリウスはずっと見えなくなるまで眺め続けていた。


過去話からの更に過去…。もうしばらく続きます。

セレンの往年の活躍?を描きたかったんですね。それから種明かし。そろそろ情報も出揃ってきたので!

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