(1)
ガレスの地をセレンは1人歩いていた。彼が着ているのはいつもの黒い騎士の服ではなく、ガレス人にはありふれたグレーの長いローブだ。腰に剣は帯びておらず、どこまでも澄み渡る空のような青い目は今では血のように赤い。太陽のように明るく輝くオレンジ色の髪は闇夜のような紺色で、騎士の印である長い後ろ髪も見当たらない。どこからどう見ても、彼は普通のガレス人の姿になっていた。
自称ガレス王デルフィラが現れてからもう4年。ミレノアルは認めていないが、今のガレスは100年前のように独立した国のような状態だ。ミレノアル人は見つかれば殺される。そのためにセレンはガレス人に偽装する必要があったのだ。
3日前にこの地に潜り込み城下を見て回ったが、ガレス人は外見上は普通に穏やかに暮らしているように見える。だが通り過ぎる人々の表情は決して明るくはない。昼間からミレノアルと大差ないような凶暴な魔物が普通に歩き回り、夜になればもう外を出歩けないほどに危険な魔物が出現する。ガレス人の長年の念願である独立が叶ったと言っても、結局支配者がデルフィラ女王に変わったというだけだ。彼女は決して良い王とは言えないようだ。
鬱屈した感情は弱い者に向けられ、巷ではミレノアル人は勿論のこと、そうでなくても周りと少しでも違った所があれば差別され虐待されるという。そこはミレノアルでもあまり違いはないかもしれない。
お昼時を過ぎた時間だからか、道端では子供達が走り回って遊んでいる姿がそこら中で見受けられる。子供はどんな時でも元気で良いものだ。その様子を微笑ましく見守っていたセレンだが、そんな彼の耳に聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。
「ミレノアル人が来たぞ! みんな、攻撃開始だ!」
彼の耳は普通の人間よりも遠くの音まで拾うことができる。ガレス人に偽装する上で彼の能力は少し低下してはいるが、それでも十分普通の人より耳は良い。これはそう遠くない場所だ。もしかしたら共に潜入している部下が見つかったのだろうか。それとも全く別のミレノアル人がこの地に紛れ込んだのか。いずれにしても助けには行かねばならない。セレンは目立たぬようにその声が聞こえた場所まで急ぐ。しかし辿り着いた先で彼が目にしたものはおかしな光景だった。
集まっているのは数人の子供達だ。そこから少し離れた場所にもう1人子供がいる。しかし全員どう見てもガレス人の子供だ。それなのに数の多い方の子供達が寄ってたかってたった1人の子供に向かって小石を投げつけているのだ。ただの子供の遊びに留まらないことは、その子供が傷だらけになっていることからも明らかだ。
「デルフィラ女王様、このミレノアル人を退治してください」
いわゆる“ごっこ遊び”というものだろう。中でも一番年長らしい女の子が堂々とした様子で子供達の後ろから出てきた。彼女の横には白い大きな狼がいる。恐らくガレス人の持つ『使い魔』というものだ。
「ネメアによって滅びよ!」
女王役らしい彼女はその大きな狼を傷だらけのその子供に嗾ける。子供は恐怖に顔を引き攣らせた。
「っ……」
あまりの光景にセレンは堪え切れずにその場を飛び出していた。子供の体を横から掬うように抱き上げその場を飛び退くと、腕に仕込んでいた魔法具からその狼に向けて掠る程度の炎を出す。驚いた狼は慌てて主人の元に駆け戻っていった。
「な、何よ! 邪魔しないでよね、おじさん!」
使い魔を撃退されたその少女は随分と怒っている。しかし構わずセレンは助けた子供を立たせると服に付いた砂埃を払ってやる。
「遊ぶのは構いませんが、少しやり過ぎではありませんか?」
集まり始めた子供に向き直れば、子供達は皆揃って不満そうな顔を見せる。
「ミレノアル人崩れに何したって誰も何も言わないわよ!」
『ミレノアル人崩れ』とは一体何のことだろうか。しかし下手なことを口走って自分がガレス人でないことがわかられてしまう訳にはいかない。ここはある程度調子を合わせなければならなさそうだ。
「何もできない、動きもしない者に魔法を当てた所でそんなものは当然です。せめてあなた方の年齢ならばこれ位はできてくれないと…」
セレンはそう言うと、頭の上を丁度飛び過ぎようとしていた魔鳥を魔法具の炎で撃った。炎が命中し、落ちてくる鳥を片手で掴むと子供達に見せ付ける。
魔法具は袖に上手く隠しているので彼らには魔法で鳥を射落としたようにしか見えていないはずだ。彼らはそのセレンの技を怪しむことなく、ただ感心して見上げている。その内自分ならもっと上手くできると先を争って空を飛ぶ鳥を狙い始めた。
しかし魔鳥の飛ぶ早さはかなりのものだ。そう簡単には撃ち落とせない。それでも対抗意識と向上心の強いガレス人である彼らは諦めることなく魔鳥を撃ち落とす遊びにすっかり心を奪われたようだ。それを見届けると、セレンはこっそり傷だらけの子供を連れてその場を離れた。
子供は少し怯えているようだがセレンに手を握られても振り払おうとはしない。前を睨みつけるようにしてただ黙ってセレンに付いてくる。セレンは街外れの崩れかけた廃屋に入り込むと、置いてあった木箱の上にその子を座らせた。近くにあった枯れかけの井戸から魔法具を使って水を集めると、布を濡らして彼の傷を拭ってやる。
「酷い目に遭いましたね? あなたのご家族は? 家まで送りましょう」
「いないよ…。家はあるけど僕に家族はいない」
子供は相変わらず空を見つめたまま、それだけを言うとまた黙り込む。明らかに警戒している様子だ。それも当然だろう。何故この子供があんな酷い扱いを受けていたのかはまだわからないが、この子供にはまだ他にも傷跡がいくつもある。恐らく今日のようなことは初めてではないのだ。
セレンはその子供の心をどうにか開けないものかと、足元に置いておいた先程撃ち落とした魔鳥を手に取った。この鳥は昔から食用として家畜化されている鳥と同種のものだ。野生種は捕らえるのが難しいが、なかなか美味だと有名なのだ。
「良ければこの鳥を調理する場所を提供してもらえませんか? 一緒に食べましょう」
鳥を見せると子供の腹が鳴った。その音に子供は恥ずかしそうに腹を押さえると、セレンを厳しい目で睨んでくる。
「僕、あなたに何かしてもらっても何も返せないよ? ……利用するとかも無理だから…。だって魔力が無いんだもん」
「……」
一瞬驚いたが彼もガレス人のことにそう詳しいわけではない。この世界で一番魔力が高く、様々な魔法を自在に操ると言われるガレス人だが、中にはこんな子供もいるのだろう。
「だから『ミレノアル人崩れ』…ですか」
セレンの呟きに、子供は更に冷たい表情を浮かべて見つめてくる。
「それに僕のお父さんとお母さんは女王様と戦おうとして殺されちゃった。僕と一緒にいるとおじさんも疑われるよ?」
その言葉にセレンの脳裏を過ぎる一つの事件。確かガレスに新女王を名乗る女性が現れる直前、一通の密告状が届いた。この地域に不穏な動きがある。自分達が時間を稼ぐ間に兵を率いてきてガレスの王を名乗る人間を捕らえてくれと。その手紙の差出人の名は確かヘイデンと言った。
「あなたまさか…ヘイデンのお子さんですか?」
「……うん、そうだよ。驚いた? だから早くどこかに行った方が良いよ?」
彼の乾いた目があまりにも悲しくて、セレンは前で屈み込むと彼の顔を見つめた。
「いいえ、そういうわけには参りません…」
この子供のひどい境遇はセレンにも責任があるのだ。あの時、既にセレンは将軍となっていたにも関わらずヘイデンの要請に応じることができなかった。相次ぐ自然災害に、魔物達の大移動による街への被害。息つく暇もなく引き起こされる問題の数々に忙殺され、出兵の準備が整った頃には既にヘイデン夫妻は殺されてしまった後だったのだ。
今思えば、あの異常な事態の連続こそが女王出現の予兆だったのだろうが、当時はそこまで考えが至らなかった。もしあの時ヘイデンの要請を最優先にしていたら、彼らは死なずに済み他の災害も防ぐことができたのかもしれない。その思いは今でもセレンの中に強い悔いとして残っている。
黙って自分を眺めるセレンを子供は不思議そうに見ていた。彼が睨む以外の目でセレンを見たのは初めてのことだ。
「あなた、名前は?」
「僕? 僕の名前はファタルだよ。おじさんは?」
「私は…ロギアと言います」
諜報部隊所属時にいつも名乗っていた偽名を名乗ると、ファタルが笑顔を浮かべた。
「ロギアだね? 何処に住んでるの?」
ファタルはセレンが両親の話を聞いても態度を変えなかったことで少し気を許してくれたらしい。そうなると子供である分打ち解けるのも早い。
「私はしばらくミレノアルの方に住んでいましてね。まだ帰ってきて間もないんですよ。元々住んでいた場所は引き払ってしまって、今は宿暮らしです」
「ふーん、そうなんだ」
ファタルはセレンがミレノアルに住んでいたのだとわかると更に明るい表情を見せる。この反応は彼がミレノアル人のように魔法を使えないからだろう。
デルフィラ女王が現れてからというもの、ミレノアルに住んでいたガレス人は故郷の地に戻る者が増えている。ガレスからの連日の攻撃に、世間ではガレス人に対する風当たりが強くなっているからだ。時には命の危険に晒されることもある。帰ったからといって女王の圧政が待っているため戻りたくないというガレス人も多いようだが、かと言って居座ってもミレノアル人にいつ殺されるかわからない。最終的には嫌々でも戻る決断を下すガレス人は多いのだ。
一方でガレスに移り住んでいた他人種は容赦なく捕らえられデルフィラ女王の手によって殺されている。彼女は昔のガレスのように他人種を完全に国から閉め出したいのだ。そのため街で見つかった他人種は即座に住人達によって突き出されてしまう。そうしないと住人達も一緒に殺されてしまうのだそうだ。
「じゃあ、僕の家だったら丁度良いかも。ずっと泊まってくれても良いよ?」
「良いんですか? 私はよそ者ですよ?」
「別に…。むしろ僕みたいな『ミレノアル人崩れ』の家に来てくれる人間の方が珍しいし…」
素っ気ない態度を装ってはいるが、やはり1人は寂しいのかもしれない。しかし差別を受けているとは言え更によそ者を家に入れたとなれば、彼の立場はより悪くならないだろうか。それを確認すれば彼は不安そうに目を伏せた。
「それは……女王様は怖いけど…だけどロギアは僕と初めてちゃんと話してくれた人だもん…」
素直に自分の本音を吐露したファタルに、セレンの覚悟も決まった。
「わかりました。それではお世話になりましょう。あなたに不都合があれば、すぐにでも出て行きます」
安心させるつもりでそう口にしたが、ファタルは突然引き留めるように手を握ってきた。
「大丈夫…勝手に出て行ったりはしません…」
本当ならば自分のような人間を家に入れればもうファタルの命はないようなものだ。女王に反抗する動機もある彼は、セレンの正体を知らなかったなどと言い訳しても無駄だろう。しかしセレンはもうファタルを1人にしたくはなかった。万が一、彼の言うことが全て嘘でセレンを何かの罠に嵌めようとしていたのだとしてもそれはその時だ。セレンも長年色々な人間を見てきている。ファタルに悪意がないことくらいはわかる。
「連れて行ってもらえますか? あなたの家に…」
頼めばファタルは手を掴んだまま歩き出した。表情はまたしても厳しいものに戻ってしまっている。この表情はもしかしたら泣き出しそうになる自分を必死に堪えている顔だったのだろうか。
それからかなり歩いた先、城下の外れにファタルの家はあった。こんなにも長い距離を歩いて何故わざわざ城の近くまで来ていたのかと尋ねれば、買い出しのためだったらしい。いくら魔力が無いと言ってもガレス人には違いない。嫌がらせの一つや二つは受けるが、物はそれなりに売ってくれるのだそうだ。
「僕にも使い魔がいたら簡単に城の近くまで行けるんだけどね…。お父さんの使い魔は木みたいな角と翼を持ってる魔獣でね。とても足が速いんだ。お母さんのも速かったな…。すごい大きな口で尖った歯がいっぱい付いてる魚だったんだけど、道を水の中みたいに泳げたんだ」
自分に使い魔がいたらどちらの姿に近い姿だったのだろうかとファタルは寂しそうに話す。
「ロギアのは? どんな使い魔なの?」
「私のは…目には見えないのです。実体もないので乗ることはできませんね…。戦いではとても役に立つのですが…」
まさか使い魔の話題を振られるとは思っていなかったが、以前戦ったガレス人の中にそんな使い魔を操る人間がいた。知らない内に騎士達の側まで忍び寄り突然爆発を起こすような厄介な使い魔だ。それが魔法ではないとわかったのは、わずかに空気の揺らぎが見えたからだった。セレンには実体のない魔物の魔力の揺らぎが時々見えるのだ。
しかしガレス人は誰でも専用の使い魔を持つと言われているのだから、当然こういう話題も想定しておくべきだった。これは急いで対応策を練っておかねばならない。
思わず考え込みそうになったが、ファタルはその話を聞いて目に見えてがっかりしていた。使い魔の形は血筋や魔力の質に大きく影響されると聞いている。そのため彼らは使い魔の形状が自分のものと似ているというだけで親近感を覚えたりするものなのだそうだ。きっと彼はロギアというガレス人の使い魔が両親と似ているのではないかと期待していたのだろう。
「それにしても…随分と立派な家ですね? 城下から離れているとは言え、ここまで大きな家はなかなか見ません。あなたのご両親はかなり上流階級の方々だったのではないですか?」
「…さあ、どうなんだろ…、あんまりよく知らないんだ。けど僕が生まれる前まではお城のすぐ近くに住んでたんだって。僕が生まれてからこの家を建てて引っ越したって聞いたよ?」
それはファタルのことが影響しているのだろうか。魔力を持たない我が子を守るために彼らはこの場所に移り住み、世間の目から隠そうとしたのか。ファタルの家を再度確認したセレンはその予想が強ち間違いではないように思った。あの家は明らかに魔法具師の手によるものだ。造りは頑丈で、全体が結界で覆われている様子も見て取れる。恐らく人も魔物も持ち主の許しがなければ敷地に入ることさえ不可能だろう。昔セレンが諜報部隊にいた時、調査に入った貴族達の家は大体がこれと同じ要塞のようだった。しかしこの家は群を抜いて完成度が高い。
中に入るとセレンは更に驚かされた。玄関中央に置いてある結界石が異様な大きさだったのだ。
「キレイでしょ? これお母さんの特製なんだ。これがあるおかげでこの家には魔物が寄ってこられない。だから夜も安心なんだよ」
両手で抱えるほどの大きさの結界石などセレンも初めて見る。大きさは結界の強さに比例すると言うから、この石はどれだけの力を秘めていることか。他にも気になる場所は山ほどあるが、周囲を見てばかりいればさすがに怪しまれる。物珍しげに家を眺めるのは適当に切り上げ、セレンは調理場は何処かと尋ねた。
「こっちだよ」
彼は何の疑いも抱かず調理場にセレンを案内してくれる。その後ろでセレンはファタルに気付かれないよう家の中をじっくり観察した。
家の中には明かりも暖炉もあり、火が使われる仕組のものだ。セレンが昨日まで宿泊していた宿屋ではそんなものは一つも置いてはいなかった。どうやら魔法の明かりを使い、部屋が寒ければ自分で暖めろということだったらしい。宿屋によっては階段のない建物も多かったが、ここには勿論ある。他にもセレンには馴染みのあるものが多く、今日まで見てきたガレス人達の住居と比べると随分と異質だ。調理場に辿り着くとセレンは更に驚いた。なんと刃物が置いてあったのだ。
「これね、ミレノアルから取り寄せたんだって。お父さんもお母さんも…魔法を使えない僕のためにいっぱい準備してくれてたんだ…」
そう言ってファタルは大事そうに包丁を手に取った。包丁は扱えるかと尋ねられたのでセレンが使えると答えれば、ファタルは使い方が見たいと言う。セレンは料理自体は不得手だが、こういう作業は昔から恐ろしく上手い。戦いに通じるところがあるからだろう。むしろ進んでセレンはその刃物で鳥を捌いた。ファタルはそれを見て素直に感動し、後でもっとやって見せてほしいとせがんでくる。
「中庭には食糧になる魔法生物が勝手に増えてくるからいつもそれを食べてるんだけど、あんまり美味しくないんだ。造ってくれたお母さんには悪いけど…」
一度聞いたことがある。アルゴスの治世で開発されたもので、半永久的に食糧を生み出すことのできる魔法だ。昔はアルゴスの放った魔物を恐れて自分の邸宅にこもった貴族達が多く活用していたという。味や見た目にさえ拘らなければ、死ぬまでその魔法生物だけを食べて生き続けることが可能らしい。しかしアルゴスが死に、街に出ても安全になっていくにつれ、この魔法はガレスでは忘れ去られてしまった。
近年ではミレノアルの食糧難を解決するべく研究が始まっているが、微量とはいえ魔力を常に供給するという問題がなかなか乗り越えられない壁となっている。太陽の魔力なら曇り空でも微量に届くものだが、地下室などで繁殖することを想定されている分、必要な魔力の質がまた違うらしい。この家では広範囲に強い結界が張られているため、その魔力を受けて魔法生物は増殖を続けているのだろう。
「ミレノアルのことはよく知ってるんだ。釣りとか弓矢とか…罠も使って狩りをするんでしょ? 僕も魚を捕まえたことがあるよ!」
話し相手がずっといなかったからか、ファタルの話は止まらない。本人は自慢話をしているつもりだろうが、彼の話はガレス人であれば身に付ける必要のなかったことばかりだ。ファタル自身が楽しそうにしているだけに、余計に可哀想さが引き立ってしまう。
しかしこの家は本当にミレノアルの文化と近く、セレンにとっても過ごしやすい。今回一緒に潜入している部下達の中には昔ガレスに住んでいたこともあるアルカイスト人がいる。彼女から聞いて、ガレスにはミレノアルでは当然使われている物が何も無いと聞いてはいたが、実際に魔法具の力だけで生活するというのはかなり難しかった。
彼女の造った魔法具はかなり強力な魔石を燃料としているため、そう簡単に使えなくなることはない。しかし短くない期間をガレスで過ごすからには、部下達にもできる限り無用な負荷はかけたくなかった。彼らもこの家に入れることができれば安心なのだが、そうなるとこの家はもう完全に女王に対する『反逆者の潜伏地』になってしまうだろう。
「……」
その考えにセレンは一瞬引っかかるものを感じた。ファタルの父ヘイデンとその妻モニカは仲間を募って女王に反逆し、殺された。ファタルの事情を考えれば、この家の設備は全て残される我が子の無事を祈った親の愛情だと思っていたが、違う可能性もある。セレン自身も初見で察していたではないか。この家はまるで要塞だと。強固な結界も、永続的に増殖する食糧も、全ては外部から攻め込まれることを想定して造られているのだ。そして彼らはミレノアルの騎士達が加勢に来てくれる日をここで待ち続けるつもりだった。
「ロギア、どうしてそんな顔しているの?」
「え?……」
気が付くとファタルが側で自分を見上げていた。
「何か…、おかしな顔をしていましたか?」
「……うん。なんだか…昔のお父さんと同じ顔してた…」
彼の両親がどんなだったかはわからないが、それでもファタルはセレンが後悔に苛まれてわずかに表情を変えたことに気が付いたのだ。しかしこんな子供に表情の変化を悟られるとは驚きだ。これでも表情の読めない男として名高いのだが…。
「ねえ、ミレノアルってどんな所?」
その後、ファタルが美味しく味付けした鳥を焼き上げ2人で食べ始めると、彼は待ちかねたようにセレンに尋ねてきた。
「お父さんは強い魔物がいなくて平和な所だって言ってたけど…」
ファタルにとってミレノアルは身近な場所だったのだろう。何しろ魔法が使えなくて当然の人間ばかりが暮らす土地なのだから。
「ミレノアルにはガレスほど魔法に長けた者がいませんからね…。昔は大して強い魔物も出ませんでしたから、確かに平和と言っても良かったかもしれません」
「今は?」
「今は…女王がネメアを送り込んできますから、とてもではないですが平和とは程遠いですよ?」
セレンは机の下で密かに手を握りしめる。国の平和を守る立場にありながら、“平和ではない”と自ら打ち明けなければならないのは屈辱的だ。それでも事実であることには違いなかった。
「でもそのネメアもミレノアルのすごい騎士が追い払ってくれるんでしょ? 街の人が噂してるもん」
「……」
その情報は重大な部分に誤りがあるように思えた。ファタルの受け取り方の問題かもしれないが、それではまるでセレンがネメアに対処できているかのようだ。だが実際にはそんなことは一切ない。先日ネメアと戦った際に負った怪我のせいで、セレンは左肩がまだあまりよく動かせないでいる。ミレノアル人の彼に数日経っても残る傷を作るというのは相当なものなのだ。
「僕大人になったらミレノアルに行くんだ。女王様が邪魔しようがネメアがいようが絶対に行くよ」
「ネメアは怖くないと? あなたが大人になる頃にはその“すごい騎士”とやらも引退していることでしょう。ここにいた方が安全かもしれませんよ?」
笑って問えば、ファタルは少し怒ったようにして答える。
「ネメアは魔法が使えたって関係ないんだよ? 襲われる人に魔力の強いも弱いもない。貴族も平民もないんだ」
「皆、平等だと…?」
まだ幼いのにファタルは既に世界の不平等さに怒りを抱いている。両親の影響もないとは言えないが、彼自身、世界で最も高い魔力を誇るガレス人に生まれながら、それを持てなかった絶望感は大きいのだろう。まして自分で望んだ訳でもないのに、そのことで更に差別まで受けている。
「そうですね…」
ファタルが大人になるまでにネメアも女王も、そして差別も全てなくなっていたらどんなに良いか…。少なくともネメアと女王に関してはセレンの双肩に掛かっているのだ。
重苦しい気持ちを抱えながら食事を終えると、セレンはファタルの傷に手持ちの薬を塗ってやる。彼が使えば見ている内にも傷が塞がるような傷薬だが、ガレス人のファタル相手ではそれほど目覚ましい回復は望めないのが残念な所だ。こんな幼い子供が大勢の人から虐待を受け続けている。彼のような子供を救うためにも早くガレスをデルフィラ女王の手から解放しなければならないのだ。
「ファタル。私は今から少し出かけてきます」
この地にセレンが潜入してから今日で3日目。日や時間をずらして潜入しているはずの部下達も順調なら今日で全員揃うはずだ。集合場所として設定していた場所にそろそろ向かわなければならない。
「戻って…くるよね?」
不安そうに見つめてくるファタルにセレンは安心させるように笑いかけた。
「あなたがそう望んでくれるなら、私はちゃんとここに帰ってきますよ?」
「…うん!」
元気よく頷くファタルに、徐々に膨れ上がってくる“騙している”という罪悪感。この感情にはどれだけ任務をこなそうと結局慣れることはなかった。将軍という身分を与えられてからは民間人を巻き込むような機会はなくなったが、それでもセレンは貴族を何人も罠に嵌めて殺している。血筋のせいでそのような後ろ暗い道から逃れられないことは諦めるとしても、最近無性にそんな自分自身が嫌になってきていた。
「家で待っていてください。もう今日はあなたは外に出ない方がいい」
「わかった」
この言葉の本心は一体どちらだろうか。セレンはファタルが彼のことを他の誰かに話さないように家から出るなと言っているのだ。それを「危ないから」という言葉で偽装した。だがファタルは自分のことを気遣ってくれているのだと喜んでいる。セレンは自己嫌悪に陥りがちな自分を何とか奮い立たせ、ファタルの家を出る。
外に出ると盛大なため息が漏れた。心の中で自分を正当化する言葉を念じ、心に蓋をし麻痺させる。ずっと続けてきたことだ。今回の作戦が成功し、ガレスを解放すれば済む。
セレンは顔を上げると連絡役がいるはずの広場へと向かった。




