表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒衣の守護者  作者: 樽吐
異世界からの来訪者
2/156

(2)

 翌日、セレンは昼休みに同僚から声をかけられた。

「河合さん、ねえ、あの話聞いた?」

「何の話ですか?」

『河合涼介』というのがこの世界でのセレンの名前だ。


 この世界に辿り着いて、セレンは自分自身さえも失った。

 異世界では使っている言葉も文化も何もかもが違ったが、彼の体はこの世界に驚くほど順応している。

 満身創痍の状態でこの世界に流れ着き、病院で目覚めたセレンは当然名前を聞かれた。

 そもそも耳に入ってくる言葉は聞き慣れない響きを持っていたが、意味は何故か理解できる。『セレン』と名乗ろうとしたが、自分の口から飛び出してきたのは全く聞いたことのない名前らしき言葉だった。

 医者はセレンの話す根も葉もない話に何かを深く納得して、すぐに去っていった。当時はほとんど身動きも取れない状態だったため、混乱はしたものの悪い夢だと思い込んでいたものだ。

 しかし回復して自分自身の姿を見てみれば、目の色も髪の色も変わってしまっていて、この世界の人間と何ら違いはない。唯一『セレン』としての名残を残すのは、最後に着ていた服と握りしめていた聖剣。その聖剣に装着していた刃は最後の戦いで砕け散り、今では柄を残すのみだ。

 この2つもいつか消えてしまうのだろうかと当時は恐れていたが、どうやらこの世界に順応するのはセレン自身に関することだけだったらしい。

 頑丈さと怪力で知られるミレノアル人の特性も失われ、怪我の完治にいつもの倍以上の時間を要したセレンは、事情聴取をしてきた警察の勧めで通訳の仕事を始めた。どうやらセレンはこの世界に存在するあらゆる言葉を理解できるようだったからだ。

 今では観光に訪れた外国人を主に案内している。

 毎日はあまりにも平和で、つい自分が『セレン』であることを忘れてしまいそうになる。たまに昨日のように夕陽を見に行きたくなるのは、そんな自分を確認するためなのかもしれない。


 しかし反応の今一つ鈍いセレンに対して、話しかけてきた女性は呆れたように彼を見てきた。

「テレビ見てないの? 結構、そこら中で話題になってるんだけど…。

河合さんが入院してた病院だっけ? 昨日はあの辺りで『出た』らしいわよ?」

「何がですか?」

 セレンが再び問えば、本当に何も知らないのかと女性はため息を()いた。


「羽の生えた黒いライオンよ!

病院の上を何度もぐるぐる飛び回って、庭にも下りたんですって!」


 セレンはその話を聞いた途端、思わず上着の内側に忍ばせている聖剣を握りしめていた。

「…被害は…? 誰も…何もなかったんですか?」

 絞り出すようにして出した声は既に掠れている。

「うーん…そういう話は今までも聞かないわね…。今回も大丈夫だったんじゃないかしら?」

 女性は言いながらも手にしたスマホで情報を検索する。

「ああ、うん。やっぱり今回も何もなかったみたい」

 調べた結果を画面で見せられ、セレンは再び息を飲む。そこに表示された画像には、上空から地面を見下ろしている翼の生えた黒い獅子の姿。

「……まさか…私を追って…?」

 セレンはその獅子に見覚えがあった。忘れもしない、宿敵デルフィラ女王の操る魔法生物『ネメア』だ。

 一切の攻撃を受け付けず、あの魔獣を倒せるのは唯一セレンの持つ聖剣だけとされ、それ故彼は聖剣の使い手としての使命を背負わされた。そんな恐ろしい魔獣がこの世界にまで現れたと言うのだろうか。

「河合さん? どうしたの? 何だか顔色が悪いわよ?」

 女性に尋ねられても何も答えられなかった。

 恐怖と後悔が一度に襲ってきて、心臓の音が外に聞こえそうなほどに激しくなっているのがわかる。

 自分の世界でも倒せなかったネメアを、この世界で倒すことなど不可能だ。しかも頼みの聖剣には今、刃の部分が一切ない。

 本来の聖剣の刃は誕生と同時期に失われてしまったため、セレンはいつも通常の刃を備え付けていた。その状態でも聖剣から刃に魔力が伝わり、ネメアに傷を負わせることはできる。撃退するくらいならば可能だ。しかしその分、刃の耐久性は極めて低く、一度の戦闘で大抵粉々になってしまうのだ。

 元の世界ならまだしも、この世界で刃を新調することはかなり難しい。どうやらこの世界では法というもので大型の刃物を身に付けることは厳しく規制されているらしいからだ。

 さすがに刃のない状態では聖剣も役には立たない。

「その……『黒いライオン』はいつ頃から?」

 しばらくしてからセレンは尋ねてみる。女性は再びスマホを操作すると、調べた結果を教えてくれた。

「半月くらい前からね…。

結構この辺りでほぼ毎日出てるみたいだから、いつか私達も見られるかもしれない」

 女性はどうやらネメアを未確認生物の一種とでもみなしているらしい。いつか目撃できることを期待しているようだが、本格的にネメアが動き始めたらこの世界はひとたまりもない。

「……すみません。体調が優れないので早退します…」

 セレンは一方的にそう言い置くと足早にその場を去る。

 背後から女性が何か言ってきたようだが、聞き入れられるような余裕は少しもなかった。手はネメアの話が出てからというもの一切聖剣から離していない。

 各地で目撃されているネメアがセレンを追ってきたという保証はない。ただ単に彼と同じくこの世界に迷い込み、混乱して飛び回っているだけかもしれない。

 だがネメアが目撃されている場所は、セレンに縁のある場所ばかりだ。偶然とは思えない。今はおとなしくしているようだが、あれに遭遇すればどうなるかわからない。最悪戦うことになれば周りを巻き込むことになるだろう。

「とにかく聖剣をどうにかしなければ…」

 このままではただネメアに殺されて終わりだ。そういう訳にはいかない。

 建物を出るとセレンは近くの商店街に向かった。確か刃物類を扱っている店があったはずだ。


 目的の商店街にはすぐに到着し、急いでアーケードに入ろうとすると、大きな影が空を横切った。

「!……」

 以前にも何度か同じようなことがあった。これは良くないことの前触れだ。

 咄嗟に上空を見上げれば、忘れもしない翼の生えた黒い獅子がそこにはいた。

 周りにいた人は突然現れた見たこともない生物の姿を恐れるどころか指を差したり、スマホで撮影したりと緊迫感のかけらもない。

 そうこうする内に地面に降り立ったネメアは凄まじい咆哮を上げる。その声は思考も何もかも吹き飛ばしてしまうほどの圧力で、何も知らない見物人達はすっかり恐怖で竦み上がってしまった。

「皆さん、屋根のある場所に向かって走ってください! 今すぐに‼︎」

 威圧の魔力はセレンには通用しない。

 毅然とした彼の声に操られるように人々が徐々に動き出し、やがてその動きはアーケードに向かって走り出す人の波になる。

 しかしそんな中、1人の子供がセレンの目の前で転んだ。ネメアがそれを目敏く見つけて大きな前脚を振り上げる。

「⁈」

 その光景を目にしたセレンの脳裏で別の子供の顔が浮かんだ。もう考える余地もない。気が付いたら体が動いていた。

 体のすぐ脇でネメアの前脚が地面を抉る。しかし既に子供はセレンの腕の中だ。そのまま子供を抱いて狭い路地裏まで走る。

「ここにいなさい。出てきてはいけませんよ?」

 恐怖に声も出せない子供はセレンの言葉にただ何度も頷くだけだ。

 しかし思っていたよりもずっと俊敏に動いた体はまるでミレノアルにいた頃のようだ。

 道に戻ればネメアが苛立ったように羽ばたき、風が巻き起こる。その風に煽られて巻き上がる自分の髪。

「?……」

 それは馴染みのある光景だったが、この世界では初めて見る。思わず掴んだその長い髪の色はミレノアル人特有の燃えるようなオレンジ色だ。

 驚いて一瞬自分の髪から目が離せなくなる。するとその視界に今度は長剣の刃の姿が入ってきた。それは正にセレンがいつも聖剣に付けていた物と同じ形で混乱するばかりだ。それでも今目の前にいるネメアをどうにかすることが何よりも先決だ。

 手早く聖剣を取り出すと、用心しながらもその刃を手に取った。柄だけの聖剣はセレンの持つ刃とすぐに結合し、一振りの剣として完成する。

 具合を確かめるべく剣を一度振ると、騎士の敬礼の型を取る。戦いの前にはいつもしていた一種の儀式のようなものだ。

 目の前に掲げられる磨き抜かれた新しい刃に自分の顔が映る。そこに見えるのは昔のままの見慣れたものだった。身体にはミレノアル人としての力が、そして聖剣から伝わってくる魔力までが漲ってくる。1年半ぶりに感じる自信が体中を満たしていた。

 セレンは力強く剣を握ると、ネメアに向かって飛ぶ。

 この世界の人間ではあり得ない跳躍力で一気にネメアと同じ高さにまで飛び上がった彼は、そのままネメアの体に斬り付ける。するとネメアはその一撃で霧のように消え去った。

「……幻影…?」

 あまりの手応えの無さにセレンはようやく事態を把握し始める。これは間違いなく同じ世界から来た人間が近くにいる。目的はわからないが、セレンを標的とした茶番であることは間違いない。

 しかしこれだけ質の良い幻影は、今まであまり見たことはない。

 地面に降り立ったセレンは用心深く周りを見回した。するとすぐに1人の青年の姿が目に入る。

「あんた、セレンか?」

 まだ若い、ガレス人の特徴である紺色の髪と赤い目を持つ青年だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ