転生
「はーい、よちよち、ルシウスちゃん、いい子でちゅね~。今、パパがご飯を上げまちゅからね~」
何だ? ジジイが赤ちゃんプレイを楽しむ声が耳のすぐそばで聞こえる……
……臭っ! 魚臭ぇ!
瞼を開ける俺。目の前に、銀髪の上に王冠を被り、ちょび髭を生やしたジジイの顔がドアップで現われた。
王様コスプレで赤ちゃんプレイって、どんだけマニアックなんだよ! そんでもって、生魚を近づけてくんじゃねえ!
「うおおおお!!」
悲鳴を上げながらフルスイングのパンチを繰り出したつもりが、
「にゃっ」
ん? めっちゃ愛くるしい鳴き声がしたぞ。おまけに金色の毛が生えた小さな手で猫パンチ。っつーか、これ本物の猫の手……えぇ!?
「かわいいお手手でちゅね~ぷにぷに」
肉球をぷにぷにすんじゃねえ! って、この手、俺のなの? は?
ちょっと待てよ。記憶を辿ろう。
俺は確かさっきまで、部屋の中でギャルゲーを楽しんでて、小腹が減ったから近所のコンビニへ行って……。
そうだ! 白い子猫が車に引かれそうになるのを見て、助けようとしたんだ。
子猫を片手でさっと抱き上げて、そのままの勢いでクルッと回転して車を避ける。
アクション俳優みたいな華麗な救出劇をイメージしたんだけど、何せ登校拒否した十四歳の頃から今年で十三年間ニート状態。金持ちの親に甘えて、実家でぬくぬくと暮らしてきたから、カラダは中性脂肪の塊だ。
子猫を抱き上げたはいいものの、その場でぶっ倒れて車のバンパーが目の前に迫って来たところまでは記憶がある。
で、目覚めたらこれだ。子猫の恩返しってやつか? ハハ、まさかな。
でも、周りを見ると中世ヨーロッパのテンプレみたいなお城の中。もしかして、異世界に転生しちゃったパターンなのか?
何て油断してたら、またジジイが笑いかけてきた。
「ほら、ルシウスちゃん、お食べ」
おい、臭いから生魚を近づけないでくれよ。そんでもって、さっきからルシウスちゃんて誰だよ? 俺には光輝っていう、身に余りすぎるキラキラした名前があるんだよ。
どう考えても猫のモノに見える両手で、俺は生魚を押し返した。
「小さく切った方がいいでちゅか?」
その赤ちゃん言葉、いつまで続けるつもりだ? シラケて見てたらこのジジイ、懐から小さな金色の鈴を取り出してチリンチリンと鳴らした。
何だ何だ? 何が起きるのかと思ったら、えらく澄ました顔の燕尾服を着た男がドアをノックして姿を現わした。どうやらジジイの従者らしい。
「王様、いかがなされましたか」
って、この変態ジジイ、本当に王様なの?
しかも、
「ルシウスが食べやすいように、今すぐ切り分けてこい! もっと気を遣わんか!」
数秒前まで赤ちゃんプレイをしていたとは思えないほど横柄な態度を見せて、生魚を従者の顔に投げつけた。
怖っ!
「申し訳ありませんでした。ただいま、お持ちいたします」
生魚を手にして従者が退場すると、
「あのおじちゃんがすぐに切ってきてくれまちゅからね~、よちよち」
ニコニコ顔で俺の頭を撫でてくる。
こ、こ、こ、怖っ! 二重人格かよ、この変態ジジイ。
それにしても、従者の様子を見る限り、王様プレイとかごっこ遊びをしてるわけじゃなさそうだ。
そんでもって、壁にかかった絵や金ぴかな調度品のこだわりようが凄い。ここが密室なら、とんでもなくハイクラスな顧客専用の高級クラブって可能性もあるけど、ガラスの張ってない窓がオープンすぎるんだよね。
それとも、そういうプレイを見せびらかしたい性癖も併せ持ってるとか?
うーん、ワケわからんぞ。
「ルシウスちゃん、抱っこしてあげましょうね」
いや、いいって。
「にゃあ!」
両手を突っ張って抵抗するも力強く抱き上げられてしまう。この王様、運動不足の小太りのジジイかと思いきや、意外と力があるのな。
「お~、よちよち」
人間の赤ん坊をあやすように俺の頭を撫で、上下に軽く揺れながら歩いて、天井から床まである巨大な鏡の前で立ち止まると、
「ふむ、いい。収まりがいい。実に威厳がある」
ジジイは渋い表情で斜に構えてポージングをとる。
その腕には全身、光り輝く金色の毛に覆われた、サファイヤブルーの瞳をした、見るからに高貴な子猫が収まっている。
へえ、こんな猫もいるのか。初めて見た。高そうだな。
……いや、ハハハ、まさかな。
試しに俺は手で頭を撫でてみた。鏡の中の子猫ちゃんも同じ動作をする。
いや、たまたまだよ、きっと。
もう一度頭を撫でてから、舌をペロッと出してみた。
鏡の中の子猫ちゃんも同時にその仕草を実行。……ってことは、あいつは俺で、俺はあいつってこと!?
大小さまざまなフォントサイズの『異世界転生』という文字が頭の中に飛び交う。
突然、
「わったっしっは、王様~ こっのっよっのっすべては~ おっもっいっ通りさ~」
ジジイが陽気に歌いクルクルと踊り始めた。
何だ? もしかしてミュージカル映画の撮影だったのか? 『王様と私』ならぬ『王様と猫』ってわけか? カメラはどこだ?
監督の「カット!」の声の代わりに、ドアがノックされる音でジジイは歌とダンスを中断。ひとつ咳ばらいをして、
「入れ」
王様然として命じた。
さっきの従者が切り分けた生魚を持ってきたのかと思いきや、
「お父様、失礼いたします」
金髪ロングの青い瞳をした美少女が、赤いドレスのスカートの裾を両手でつまみ、頭を下げる淑女っぽい挨拶をして入室した。
そんでもって、その子とソックリな顔をした、少しだけ背の低い美少女が、
「お父様、失礼いたします」
青ドレスのスカートをつまんで同じ挨拶をして入室。最初の子が十七歳で、次が十四歳ぐらいか。
これで終わりかと思ったら、最後に黄色のドレスを着た、十二歳ぐらいのそばかすだらけの子が、ぎこちなく挨拶をして入って来た。
王様の前に並ぶ姉たちの横に立つ時も、この子はつまづいてしまい、危うく姉たちを押し倒しそうになる。見るからに鈍臭い。
にこやかだった姉たちがほんの一瞬だけ、顔を顰めたのを俺は見逃さなかった。
……怖ぇ。きっと裏では悪口たんまり言うタイプだ。
「よく来たな、娘たちよ」
さっきまでの陽気なミュージカル俳優から一転、王様は威厳を見せつけるような口調になる。
ところで、この子たちマジでこの王様の娘なの? だとしたら王妃は、ジジイのマイナスを取り戻してなおプラスに持っていくだけの美女なんだろうな。
「これが前から話しておった、ラムズ国王から譲ってもらった子猫だ」
三姉妹の視線が俺に注がれる。ってことはやっぱり俺は、どこぞの世界の子猫に転生してしまったらしい。
「まあ、かわいらしいこと」
「何てキレイな毛並みなのでしょう」
「……」
ボーッとした顔で俺を見つめる末っ子に、「あんたも何か言いなさいよ」的な目配せをする姉ふたり。きっとこの後、部屋を出てから「何してんのよ!」って注意するんだろうな。
その姿が目に浮かぶ。ソースは俺。優秀な兄貴ふたりに何かとダメ出しされてきた。
それでもグレずにニートに留まるだけで済んだのは、両親がいつも俺の味方をしてくれたからだ。
「そうだろう。わたしが飼うにふさわしい猫だ」
ジジイが俺の顎の下を撫でる。あっ、それ気持ちいい。不覚にも感じてしまったじゃないか。
「お父様、名前はもうお決めになられたのですか?」
微笑みながら訊いた長女とその隣の次女の顔が、
「うむ。ルシウスと名づけた。ルシウス・トラファルガー三世。わたしの正式な世継ぎとする」
ジジイの世迷言を聞いた瞬間に固まった。
俺も、「はあ!?」と驚いたつもりが、口から発せられたのは「にゃあ?」というチャーミングな鳴き声だった。
その声を聞いて、ヌボーっとしてた三女の顔がパッと輝いて、クスクスと笑い声を上げた。
すると今度は、姉ふたりが驚いた顔で妹を見て、
「奇跡だ……」
ジジイが呟いたかと思うと、俺の両脇をつかんで掲げ、
「奇跡の猫だ!」
娘たちと同じ青い瞳を少し潤ませて俺を見上げてきた。
は? 何言ってんだ、オメ。俺は言ってやったね。
「にゃあ!」
背後からクスクス笑いが近づいてきて、小さな手で頭を撫でられた。