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悪いのは貴方達ですのよ?

作者: 黒乃キリン

突発的に書いた悪役令嬢もの。本当に悪役令嬢です。バッドエンドと言って良いのかなんと言って良いのか。


【追記】

なんか気がつけばPV数が10,000近くと100人の人に評価していただけておりますね……!

とってもありがたいです!!ありがとうございます!!


【追記】

誤字報告していただきありがとうございます!

修正いたしました……!本当にありがとうございます!

ていうか、いつの間にかランキング入りしてて震えています。

「マリー゠ジャンヌ・ド・リュウフワ! 貴様のような性根の腐った女は未来の公爵夫人に相応しくない! 故に! 本日を以て貴様との婚約を破棄する!」


 大理石やシャンデリア、ベルベットに様々な花々で飾り立てられた豪奢なホール内で、怒号のような男の声が響いた。それまで優美なワルツが流れていた会場は、途端に水を打ったように静まり返る。ダンスを踊ったり、談笑などの社交を思い思いに楽しんでいた人々も、それをやめ、声のする方へと注目していた。

 人々の視線の先には、長身で金の巻毛が眩しい美貌の青年、ギーズ公爵家嫡男であるロレーヌ伯爵クロード・ド・ギーズが仁王立ちしている。赤いテールコートのジャケットに白いウェストコートと細身のスラックスを身にまとう彼は、正しく貴公子そのものであった。煌めく青い瞳は、正義感と怒りで燃え上がっているのが見て取れる。

 そして、彼と対峙しているのは、クロードと正反対の華奢な銀髪の少女だ。輝くような銀の長髪は、真珠を始めとした様々な宝石を編み込んで飾られており、また彼女自身も飾られた宝石に見合うだけの美しい外見を持っていた。裾に真珠を(ちりば)めたミッドナイトブルーのマーメイドラインのドレスは、きっと彼女にしか着こなせないであろう。そんな美しい少女は、翡翠の瞳に軽蔑の色を浮かべ、ぱちりと持っていたレースの扇子を閉ざすと、はっとクロードを鼻で嗤った。

 あまりにも不遜な態度だ。そして、彼女の反応に当然ながらクロードは烈火の如く怒る。


「なんだその態度は! 貴様は今、自分がどういった立場に置かれているか理解しているのか!?」


 先程の怒号より更に大きい声で、クロードは目の前の少女に詰め寄った。しかし、彼女は彼に怯えたような様子もなく、それどころかまるで慈母のように優しく微笑んだ。同時に薄い桜色の可憐な唇が、花でも咲くように綻ぶ。


「あらあらまあまあ。クロード様こそ、ご自分がどういったお立場なのか忘れていらっしゃるのではなくて?」


 静かでいて誰よりも通る声で彼女はそう返した。まるでその様は、駄々を捏ねる子供に言い聞かせるかのようで、内容はどうであれ、慈悲深くすら見えてしまう。そして少女の後ろの方では、彼女の声に呼応するかのように取り巻きの令嬢達がくすくすと笑っていた。

 目の前にいる男を彼女達が馬鹿にしているのは、誰の目から見ても明らかだ。


「マリー゠ジャンヌ、貴様ぁ……!! ふざけるのも大概にしろ!!」

「だ、駄目ですクロード様! どんな理由があっても、女性に手を上げてはいけません!!」


 怒りのあまり、クロードが少女に掴みかかろうとする。しかしそれも、彼の傍らにいた少女によって阻止された。髪と瞳こそ平凡な鳶色だが、その顔は対峙する少女と比べられない程に可憐である。緩い癖毛をハーフアップにし、結んだ部分には大輪の薄紅の薔薇が挿されていた。同色のプリンセスドレスとも相俟って、なんとも彼女の雰囲気に似合っている。


「アンヌ……君を虐めたような女を庇うだなんて……!! なんて優しいんだ」


 自身がアンヌと呼んだ少女に対して、クロードはいたく感激していた。先程まで怒鳴っていた男と同一人物と思えない程、優しい口調で彼女に語りかけると、その肩を抱く。彼に肩を抱かれた少女…アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢は大きな瞳に涙を浮かべ、クロードに寄りかかっていた。こんな場所でなければ、きっと誰しもが可憐なアンヌに心奪われていることだろう。そう、ここがクロードと対峙している少女、マリージャンヌ・ド・リュウフワ公爵令嬢の誕生日パーティーの会場でなければ。


「あら、虐めたなどとは心外な。(わたくし)は自分の婚約者にたかる羽虫を追い払おうとしていただけでしてよ?」


 目の前に茶番劇が繰り広げられていようが全く気にならないのか、慈母の笑みを崩さず、優しい口調のまま悪役のような台詞をマリーは宣う。それを聞いた彼女の取り巻きに内の一人が「羽虫ですって」と思わず吹き出していた。マリーはわざと怒ったような表情をして「淑女がはしたないですわよ」っと軽口のように注意する。 

 アンヌと二人だけの世界に浸ろうとしていたクロードは、マリーの言葉にまたも顔を赤くして怒りを顕にした。アンヌはそれを聞いて「酷い……!!」とクロードに泣き縋っている。いつもなら、そんな彼女の元に自分こそがナイトだと言わんばかりに、取り巻きの貴族令息達が集まってアンヌを慰めるのだが、生憎その取り巻きはこのパーティーには呼ばれていなかった。

 なので、第三者どころか、対峙しているマリーにですら、この場でただただ二人が茶番を繰り広げているように見え、誰もクロードとアンヌを庇おうとしない。マリーが酷い事を言っているにも拘らず、寧ろ主役の顔に泥を塗るような輩にしか捉えられていなかった。いや、実際パーティーを台無しにしているので、その認識は間違ってはいないが。


 いつもなら自分達を庇い、一緒にマリーを糾弾する声が一向に現れないため、少しばつの悪い思いをしながらも、クロードは気を取り直すように口元に不敵な笑みを浮かべた。


「ふ、そんな生意気な口を叩けるのも、今夜が最後だぞマリー゠ジャンヌ。俺は貴様がアンヌを虐げていた決定的な証拠を握っているのだからな!!」


 まるで己の勝利を確信したような台詞であるが、先程暗にマリーが虐めを認める発言をしていたため、却って滑稽に聞こえてしまう。というか、浮気した側が何を言っているのか、と呆れる者もいる始末だ。

 しかし、そんな周囲の胸中など知る由もないクロードは、パチンと無駄に上手く指を鳴らした。小気味の良い音と共に、どこからともなく彼の使用人と思わしき男が、かなりの厚みのある書類と共に入ってくる。一体いつの間に他人の家に潜ませていたのか。会場は少しざわついた。ただ、そんな周囲とは打って変わって対峙しているマリーは落ち着いた様子で、慈母の微笑みを湛えているばかりである。


 使用人の男は陰険そうな無表情で、しきりに眼鏡の蔓を指で上げながら、ただただ無感情に書類を読み上げていく。


 曰く。アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢を衆人環視の中であげつらったと。

 曰く。アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢のドレスを引き裂いたと。

 曰く。アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢にワインを頭から浴びせたと。

 曰く。アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢の悪評を流したと。

 曰く。アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢の頬を叩いたと……。


 そんな感じの似たような記録が延々と告げられていった。当のマリーはそれを否定するどころか「あんまりにもマナーがなっていないので、思わず口が出てしまいましたわ」や「アンヌ嬢が私のドレスにインクを浴びせてきたんですのよ」やら「だって事実でしょう?」やら「うっかり手が滑ってしまいましたの」やら「あまりにも無礼でつい」など、まるで茶会でも談笑するかのように明るく肯定していく。

 一方正義の断罪者を気取っていたクロードは、マリーの反応に三度激高した。よく怒る男だと、マリーの後ろで「羽虫」に笑っていた令嬢は思った。おそらく会場にいるアンヌ以外の人間もそう思っていることだろう。


「き、貴様……!! これだけの罪を犯しておきながらよくも平然としていられるものだな!!」


 今日一大きいその声にマリーは慈母の笑みを貼り付けたまま「全く、やかましいこと」と言うと、閉じた扇子を開いて口元を覆い隠した。微笑みは変わらず慈悲に満ちているのに、その佇まいはさながら悪役令嬢そのものである。


「私はべキュー男爵令嬢に忠告を聞き入れていただけなかったから、制裁を加えたまででしてよ? それもかなり穏便に、慈悲深く、優しい方法で……本来なら死罪になってもおかしくないのに、この程度で済ませて差し上げているのだから、私の慈悲に感謝して欲しいくらいですわ」


 ほほほっと上品に笑ってから、聖母さながらに慈しむように優しく、穏やかな声色でマリーは告げていった。聖母の言葉にしては、その内容は欠片も穏やかではないが。

 しかし、マリーの浮気相手への制裁は非常に優しいものであったのは事実である。この国では既婚者、もしくはそれに準ずる男性と通ずることは既婚の女であれ、未婚の娘であれ死罪となるのだ。これが正式な妾であればその限りではないが、正式に妾を迎えるには妻側の了承は必須である。故に、マリーと正式に婚約関係にあるクロードと恋仲になっているアンヌは、いつ死罪となっても可笑しくなかった。それが王弟を父に持つ、マリー゠ジャンヌ・ド・リュウフワ公爵令嬢相手なら尚のことである。

 アンヌが現在こうしてタフタのリボンと絹のレースがふんだんに使われた豪華なドレスを着ていられるのも、クロードに悲劇のヒロインよろしく泣き縋っていられるのも、偏にマリーが表沙汰にしていないから出来ることであった。まあ、この場を見守っている誰しもが、それはマリーの慈悲深さなどというものからではないということは理解しているだろう。


「今までは私、クロード様とアンヌ嬢が情熱的な一夜を過ごされたと知っても、この程度で済ませておりました。 表沙汰にしないよう配慮なさっていたので。 うふふ、()()()()()()本当にお上手に隠されてらっしゃったので、感心してしまいましたのよ。 ……ですが、流石に今夜の誕生日パーティーを台無しにされては……ねえ?」


 わざとらしく困った表情と声色を作って、しかしどこか剽軽に紡がれるマリーの言葉を聞き、クロードの赤かった顔が一気に青褪めた。ここで彼はようやく自分が“最初から”不利な立場であることに思い至ったらしい。

 それもそうだ。いくら同じ公爵家であり、ギーズ家の方が遥かに歴史が古かろうと、臣民公爵であるギーズ家とは違い、リュウフワ家はれっきとした王族なのだ。つまり、彼は過去から現在に至るまで、王族に対しての侮辱行為を重ねていることに他ならなかった。

 基本的に男は不貞をしていても、精々慰謝料を支払うぐらいで済むこの国ではあるが、それも相手が王族となっては別である。廃嫡・爵位剥奪で済めばまだ御の字で、この場合は王族を侮辱した、と不敬罪から死刑もあり得た。

 今更ながら現実を見たクロードが、冷や汗を流しながら俯く一方で、未だに現状を呑み込めていないのは傍らのアンヌである。しきりにマリーとクロードを交互に見遣りながら「え? え?」と呟いている。


 所詮、貴族としての教養も義務も蔑ろにし、男を追いかけてばかりいた女などそんな程度のものだ。マリーはそう思うとすっと目を細めた。



ーーーーーー



 マリー゠ジャンヌ・ド・リュウフワは公爵位を賜った王弟の娘として、そして現存する王族ただ一人の女児として誕生した。つまり、マリーはこの国ただ一人の姫同然の存在だったのだ。そんな彼女が婚約者を決めたのは八歳の頃である。

 この国では王族派と貴族派の派閥に別れていた。今はまだ派閥争いで済んでいるが、このままにしていてはいずれ内乱が起きるやもしれない。そこで、国王は王族でただ一人の女児であるマリーを、貴族派の代表的な存在であるギーズ家に嫁がせることにしたのであった。そうして、貴族派と王族の結びつきを強くしようとしたのである。

 つまりはこの婚約は王命なのだ。余程のことでも無い限り、誰が何を言っても本来は必ず履行される契約であった。そう、余程のことが無い限りは。


 勿論跡取りのクロードも、当初はこの婚姻がどういうものか理解していた。何より彼は平生より過ぎる程お堅い男だったので、アンヌが現れるまで誰しも“余程のこと”を起こすとは夢にも思っていなかったのである。


 それはマリーも同じであった。だから、最初クロードがアンヌと睦言を交わしている場面を目撃した時は、思わず己の目を疑ったものである。

 政略結婚ではあったが、マリーは決してクロードに対して無関心ではなかったし、彼女なりにクロードを愛していた。一時でも蔑ろにしたことなどない。友好な関係を築けるようにと、婚約を決められたその時から、彼の細やかな仕草や変化に気付けるよう心を配っていたし、彼が貴族学院に入ると決めた時も、それならば自分もと入学出来る年齢になってから受験もした。マリーが学院に合格した時、親より兄より真っ先に喜んでくれたのはクロードだった筈だ。


「学院でも君と過ごせるなんて夢のようだよ、可愛いマリー(プティ・マリー)


 普段、歯の浮くような台詞を言うことが出来ないクロードなりの精一杯の甘い言葉を思い出すと、涙が零れそうになる。あの時は確かに幸せだったのに。思えばそれが崩れ始めたのは、あの男爵令嬢が異例の“編入”とやらをしてきてからだったのだろう。


 アンヌ・ド・べキュー男爵令嬢は元々平民でお針子の母と共に暮らしていたらしいが、彼女の母の美しさに心を奪われたべキュー男爵に後妻として迎えられたらしい。そして、アンヌも子供のいなかった男爵家に正式な養女となり、有り余る男爵の財力によって貴族学院に“編入”してきたのだ。

 そこからの彼女の行動は目に余るものがあった。

 まず、貴族としての礼節やマナーを「学院は皆平等で、勉強するところなんです!」と言って無視する。かと思えば「婚約者がいないから」とその勉強も蔑ろにし、上級貴族の子息を狙って男漁りに勤しむ始末。平然と婚約者のいる相手にも手を出すので注意すれば「私が元平民だからって酷い!」と意味のわからない理由で泣き出すなど。例を挙げれば、枚挙に暇がない。

 当時のマリーも優しく何度か注意したことがあるが、彼女にはどれだけ優しく諭しても全部「酷いことを言われた」という記憶に改竄されるので、一ヶ月もしない内に諦めた記憶がある。彼女に注意するたびに、一部の上級貴族の子息に文句を言われるのが嫌になったのもある。

 誰がいただろうか。上級生である宰相と辺境伯の長男達はいたし、同級生の侯爵家の次男もいただろう。あとは隣国の王子もいたか。研究をするために学院にいる兄や、従兄達である王太子や第二王子がその中にいないのはせめてもの救いだったもしれない。そして当時は、マリーの婚約者であるクロードもアンヌには難色をしめしていたように見えた。

 しかしそれもマリーがただ気づいていなかっただけなのだ。クロードが貴族として自分の感情を完璧に隠せるようになっていたということに。


「アンヌ、俺には君しかいない」

「アンヌ、俺は君ほど美しい生き物を知らない」

「アンヌ、俺は君を見ると愛さずにはいられないんだ」


 マリーにも捧げられた事がない甘やかな声で、甘やかな睦言をアンヌに紡いでいくクロードを見た時、彼女は世界の天地がひっくり返ったかのような衝撃を受けた。それでも、この時はまだ彼は自分の元にいずれ帰ってきてくれると信じていた気がする。だって、政略結婚とはいえ、今まで信頼関係も愛も築いてきた仲なのだから、と。それもある時の出来事を目撃して幻想と知るのだが。


 決定的な出来事が起きたのは、マリーが兄の研究室を訪ねた帰りに起きた。その日は、家のことで連絡事項があったので兄の元を訪れたら、マリーの好物のお菓子やら紅茶やらで歓待され中々帰してもらえず、寮に戻るのが学院で定められた門限ギリギリになってしまったのだ。もし、ただ兄に用件を伝えただけで帰っていたら、マリーは今もまだ“幸せなマリー”のままだっただろう。


 学院にある兄の研究室から女子寮に戻るにはいくつか道があるが、一番近いのは学院にある礼拝堂の前を通るルートだった。ただ、普段からその周辺は薄暗くて怖い、ということで、あまり女子生徒は通りたがらないルートでもある。しかし、門限が迫っているマリーには、怖いからそこを通らない、という選択肢はない。なので、門限に間に合わせるために急いで礼拝堂の前を通り過ぎようとしたその時だった。


「ああ……!」


 薄く開いていた扉から甘やかな女の嬌声が聞こえ、思わず立ち止まってしまう。その声がどういった時に出されるものか、流石に箱入りで清い身のマリーにも理解できてしまった。口では「嘘でしょ?」と言いながらも、ついつい扉の隙間から礼拝堂を覗き込んでしまう。

 確かにそこには期待していた光景があった。きっと女がアンヌであっただけなら、ルームメイトの幼馴染とのちょっとしたいやらしい雑談で盛り上がれたことだろう。その睦み合っている相手がクロードでなければ、だが。


 神聖な礼拝堂の中で、あろうことか自分の最愛の男が自分以外の女の体を貪っている、という事実はマリーの性格を歪めてしまうにはあまりにも十分過ぎたと言える。そして、その頃からマリーとクロードの仲に目に見えない、だがどうやっても修正しようがない亀裂が入り始めた。マリーがアンヌにことあるごとに嫌がらせし始めたからだ。


 アンヌが誰彼構わず男性にベタベタすれば、まるで娼婦のようだと罵り、アンヌが転けてドレスにインクを零した時などは、手ずからアンヌのドレスを引き裂いた。アンヌが進級祝いのパーティーで踊った後などは、飲み物を渡してやるふりをして、その頭上からワインを掛けたことなどもあった。酷いとアンヌに叩かれた時も、彼女が叩いた数倍の強さでその頬を叩き返した。

 それまではほぼ虚言にも等しかったアンヌの「私虐められてるの」の発言を、マリーは見事に体現し、アンヌは本当に悲劇のヒロインとなったのだ。ただ、アンヌが本物の悲劇のヒロインになり、マリーが悪女になったところで、彼女の味方は彼女の取り巻きの男以外には別段増えることはなかった。

 社交界でこそ広まっていないものの、アンヌがクロードを始めとした名家の令息と浮気しているというのは、学院の生徒の間では有名になっていたからだ。だから、マリーの変わりようを痛ましく思う人間はいても、アンヌを憐れむ人間は当人達以外にはいなかった。アンヌは本来なら死罪に問われても可笑しくないのだから。


 しかし、マリーはアンヌとクロードのことを社交界で表沙汰にしようとしなかった。それどころか、学院の生徒に口を噤んでいるよう頼み、彼女自身が不貞の事実を隠蔽しようとしていた。きっと壊れた心の中で、一抹の希望をいだいていたのだ。最後の最後にはクロードは戻ってくると。だから、表沙汰にするわけにはいかないと。

 彼女が今の今までこの程度の制裁で留めていたのは、やはり慈悲からなどではなかった。信じていたのだ、クロードを。たとえそうは見えなくとも。最後の最後まで、彼を待っていたのだ。

 そして、最後の最後まで少女は裏切られた。



ーーーー



「クロード様……いえ、()()()()()()()。 後は私から陛下にご報告致しますわ。 ですので今後のことは追って私からお伝えいたしますわね。 オリーブ、ロレーヌ伯爵様とべキュー男爵令嬢を出口に案内して差し上げて」


 一見聖母のような、しかし彼女を取り巻く令嬢には分かる心の壊れた微笑みでマリーはクロードに告げると、自身の護衛騎士に彼とアンヌを追い出すよう命じた。彼は「はっ」と短く答えて一礼すると、有無を言わせぬ力でホールから追い出そうとする。しかし、クロードもされるがままではない。


「ま、ま、待ってくれ、マリー!!」

「……言い訳ぐらいは聞いて差し上げますわ」

 

 縋るような声で言葉を投げかけてくるクロードに、微笑みを貼り付けたままマリーは光を宿さない瞳を向けて返した。一拍してぱちん、と扇子が閉ざされる音が響く。


「す、すまなかった、マリー。 俺は恋に恋してこの婚約の重要性を見失っていたんだ。 本当にすまない、許してくれ」

「クロード様!?」


 数分前とは打って変わってマリーの許しを求めるクロードに驚愕したのは、アンヌであった。それもそうだろう。今の今まで、自分達こそが真実の愛の体現者だと言わんばかりに二人の世界にどっぷりだったのだから。アンヌの様子からすれば、彼女の方は未だお花畑の世界に脳みそが浸かったままのようだ。


「ど、どうしてそんなこと言うんですか!! マリー様は私に沢山酷いことをしてきたんですよ! 今だってほら!! 私を虐めるために酷いことしてるじゃないですか!!」

「もう黙れ、アンヌ!! 寧ろ()()()()()()()()()()ことが奇跡なんだよ!!」


 追い縋り如何に自分が可哀想か訴えるアンヌだったが、クロードはそれに対して青褪めた顔のまま制止しようとする。その様を見ながらマリーは、何故もっと早く気が付いてくれなかったのかと思った。微笑みの貼り付けた翡翠の瞳から涙が流れ落ちる。先程マリーに注意された取り巻きの令嬢が、悼ましそうに彼女を見てその華奢な肩を抱いていた。

 しかし必死なクロードは、マリーが涙していることにすら気付く様子もなく、尚も許しを乞うて縋ってくる。


「アンヌとはもう別れるし金輪際会わない!! 君以外の女には二度と現を抜かさないと誓うよ!! 優しい君なら許してくれるだろ、可愛いマリー(プティ・マリー)!!」


 可愛いマリー(プティ・マリー)。そう言った瞬間、マリーの護衛騎士は剣こそ引き抜かなかったが、クロードの顔下半分をその大きな掌で掴むとそのまま持ち上げた。クロードの裏切りの言葉に非難の声を上げようとしたアンヌも、目の前の光景に思わず固まってしまう。


「これ以上、私のレディ(ダム)に失礼な口を利かないでいただきたい」


 淡々とした、しかし明らかな怒りと敵意を剥き出しにした声で男はそう告げると、今度こそ問答無用でクロードとアンヌを追い出した。そしてマリーの下へ戻ってくるや、恭しく手を差し伸べてくる。


「マリー様、これ以上はお体にもお心にも障ります。 どうかお休みなさってください。 後は閣下がなんとかして下さいます」


 やはり淡々とした口調で男は自分の貴婦人へと告げていく。マリーはそれに対して軽く頷くと、漸く微笑むのを止めてその手を取った。


「皆様、大変お騒がせしてしまい申し訳ありません。 今夜は体調が優れませんので私は失礼致しますが、この後父が皆様のお相手を務めます。 ですので、引き続きパーティーを楽しんでいただけると幸いです」


 今度は令嬢としての微笑みを浮かべて、招待客に詫びの言葉を述る。最後に「それでは御機嫌よう」と付け加えて彼女は護衛騎士と共に会場を後にしていくのであった。



ーーーーーー



 最悪の誕生日パーティーから半月もしない内にその知らせは、国中を騒がせた。

 その知らせとは、ギーズ家の瑕疵によりリュウフワ家のマリー゠ジャンヌ・ド・リュウフワ公爵令嬢とギーズ家のロレーヌ伯爵ことクロード・ド・ギーズの婚約を解消する、というものだった。勿論それだけではない。クロードの浮気相手であるアンヌ・ド・べキュー男爵令嬢と不貞を重ねたばかりか、公爵令嬢の誕生日パーティーにおいて、見当外れの断罪を行った上に、独断で婚約破棄を言い渡した、という旨の内容もあちこち盛られた状態で新聞に報じられている。


「馬鹿みたい」


 私室の一角で大衆新聞の第一面を飾る記事を見ながら、マリーはそう呟いた。


 あの断罪からの婚約破棄の騒ぎの翌日。マリーが伯父である国王へと報告するよりも先に、既に国王の耳にはその騒ぎの仔細が伝わっていた。国王も王妃も、その時は為政者ではなく伯父と伯母としてマリーを迎え入れ、抱き締め、そして涙してくれた。そこで初めてマリーは大声を上げて泣いた。淑女としてはあるまじき姿であったが、その場にいる誰一人としてマリーを責めず、思い切り涙させてくれた。そしてマリーはようやっと自身の壊れた初恋に区切りを付けることができたと言える。

 マリーが泣き止むのを待ってから、国王は伯父から為政者の顔に戻るとマリーにこう告げた。


「ロレーヌ伯爵とべキュー男爵令嬢は爵位剥奪の上で死罪とし、ギーズ家とべキュー家は取り潰しとする」


 それを聞いた時、マリーは不思議と何も感じなかった。先程一頻り泣いたからだろうか。もしくは心から悪女に成り果ててしまったから、最早何も感じないのだろうか。……両方かもしれない。

 一応理由を聞くと、どうやらべキュー家は貴族派の一員で、マリーとクロードの婚約を破綻させた上で、アンヌと結婚させるために動いていたから、らしい。更に詳しく聞くと、アンヌを使ってマリーを挑発し、マリーを悪役に仕立て上げ、王族は不当に家臣である貴族を虐げているのだと貴族派で声を大きくし、中立派に属する貴族に王族への不信感を植え付けることで、自分達の勢力に加えたかったらしい。しかし、それも失敗に終わったのだ。まだ失敗に終わっただけならマシだっただろう。結果として、逆に自分達の首を締めることとなったのだから。


 元々、計画自体に穴が多すぎたのだ。各方面への根回しや賄賂などの工作が明らかに足りていなかったし、マリーを純然たる悪役へと仕立て上げるには、肝心の女優であるアンヌの頭も足りてなかった。この計画を成功させるには、演技力は兎も角として、もっと頭の切れる女性が必要だったのだ。新聞をめくりながら、そんなことをマリーは思う。しかし、どこのページをめくっても内容は自分達の婚約破棄の騒ぎばかりだ。一方で貴族派を代表するお家の取り潰しや、その嫡男が死罪となった旨は全くと報道されていない。そう言えば、国王は色々聞くことがあるから刑の執行は半年先になると言ってたな、などとまるで他人事のようにぼんやりと考えていた。マリーの元にはクロードから夥しいほど、復縁と謝罪の手紙がくるから、なんだか皆知っている事実のように感じられていたのだ。


「クロード様もこんな手紙今更寄越して……全くくだらないわね」


 美しい翡翠の瞳に冷えた光だけを宿して、手紙の群を見つめる。すると側に控えていた護衛騎士の男が「如何なさいますか」と尋ねてきた。2m近い巨躯、短く刈り上げた黒髪に日に焼けた肌、精悍な顔立ちは騎士というより軍人に雰囲気が近い。オリーブ色の瞳は三白眼で顔立ちはハンサムなのに、格好いいという感情よりも怖さが先立つような眼光も、彼の持つ軍人っぽさをより際立たせていた。


「そうね、オリーブ。見る価値も無いから暖炉の火にでも焚べて頂戴」


 オリーブと愛称で呼ばれた彼女の騎士、オリヴィエは「はっ」とまた短く返事をすると、ティーテーブルから山となって零れ落ちんばかりの手紙の山を回収し、躊躇うことなく暖炉に焚べていく。

 一通一通淡々と暖炉に放り込みながら、オリヴィエは錆びた閂のように堅い唇を開いた。


「僭越ながら申し上げますが……お嬢様は何も悪くありません。 貴女があのような行為を行っても、誰も貴女を咎める者もおりません。 何故ならあの愚か者共が全て自分で招いたことですから。 寧ろ皆が言う通り貴女様の行い慈悲深いくらいです。 慰めでも何でもなく」


 普段は口が付いているのかと疑わしいぐらい喋らない寡黙な男が、珍しく流暢に話しかけてきた。声は抑揚があまりなく、やはり淡々としていて知らない人間には冷えた印象を与えることだろう。付き合いがそこそこ長いマリーには、彼なりに気遣っているのだと分かるが。

 思わずそんな不器用な気遣いにマリーは、ふっと苦笑を浮かべた。そして「そうね、(わたし)は悪くないわね」と返す。


「そう、クロード様。 全部貴方達が悪いんですのよ?」


 燃え尽きていく嘗ての初恋の相手の手紙を見ながら、誰にも聞こえないような声でマリーは呟くのであった。

べキューはべキューでもマリ=ジャンヌ・べキューが相手だったら普通に負けてそうですね

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