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Polaris  作者: 目榎粒子
8/12

08

 雷鳴のことを好ましく思っている。

 誰かが怒って大声を上げたりすることについてそれほど嫌な感じがない。

 おれのもつこの二つの価値観について、いままで関連付けて考えたことはなかったが、今日部長に怒鳴られながらなんとなく繋がりが見えてきた。


 発端がなんだったのか、もう覚えていない。たしかにおれが悪かったんだろう失敗のひとつが、部長のなかの過去の記憶をおおいに刺激してしまったらしい。いま、おれはもうおれ自身忘れてしまったような大昔の問題について、本来はどうするべきだったのか、丁寧な怒声で解釈を受けている。


 ぜんぜん終わらない。このまま一日が終わってしまったらどうしよう、とか想像することがある。まあ、こんなふうにちゃんと話を聞いていないからより長引くんだろうけれど――


「部長、さっき電話きてた件なんですけど」


 雷に割り込みが入った。当然のように三輪さんだった。

 部長は目を見開いて、おうとか、ああとか、うめき声をあげながら三輪さんと向こうに行ったが、すぐに帰ってきた。話は一瞬で終わったようだった。部長は続きをする気にはなれなかったらしく、犬を追い払うみたいにしっしとおれを手で払った。


 あんまりだ。誰の目に見ても三輪さんがおれを庇ったことは明白なのに、当の部長は、驚いてしまいすぎてなにも分からなかったらしい。


 ダンゴムシが散っていくみたいに、部長も、三輪さんも、遠巻きにおれを眺めていたひとたちも、みんな自席に帰っていく。遅刻も早退もゆるされないこの会社において、立ち聞きという休憩はなぜか容認されていて、こういう面白いイベントがあるとだいたいみんな仕事の手を止める。


 もう数分もしないうちに昼休みだ。席に戻る。三輪さんの後ろ向かいの席がおれの席だ。仕事をしている最中、三輪さんの存在を意識することはあまりないが、ふりむくとそこにいる。


「おまえ昼は何食べるの?」


 三輪さんが、メールかなにかをタイプしながら言った。こういうことを言うときに、変に笑いかけてきたりしないところが安心できる。親切をするときに笑わない人間は、相手になにも期待していないような気がするから。


「丼ものがいいです」

「じゃあ海鮮かな」


 と、三輪さんが返事をした瞬間に昼休みのチャイムが鳴った。まるでドラマを見てるみたいなタイミングの良さだった。


 三輪さんがジャケットを羽織り、そのままドアの方へ向かっていく。ピッ、と社員証をかざす音。明示的に誘われてはいないけど、おれと一緒に食べる気なんだろう。さすがに遠慮するのも変だからついていくことにする。


 こういう風に、ちゃんと誘われなくても付いていく気がする相手っていうのは何人いるだろう。少なくとも部長に同じようにされたら、なにか言われるまで席で待機してみるし、大家の大橋さんだったら勘違いだったときに居心地が悪すぎるから意地でも気づかないふりをする。


 ――部長、さっき電話きてた件なんですけど。


 数分前の、三輪さんの声を思い出す。

 へんな人だ、と改めて思う。ただ、あのヘンテコさのおかげで、なんとか社会人をやれている。





「ま、気にすんなよ」


 しばらく雑談をしてから、最後の結びみたいに三輪さんがそう言った。はい、と答える。


「ミキちゃんいるじゃん? 部長、今朝あいつに無視されてから機嫌わるかったんだよ。気付かなかったろ」

「……よく、気づきますよね」


 この人はいつもこうだ。マジシャンみたいにあざやかに、おれの知らないことをきちんと知っている。背が高くて、手際が良くて、体力があって。トラブルにも強い。


「ちょっとした凡ミスでも怒っちゃってさ。川口もさっき怒られてたし」

「そうでしたっけ」

「おまえいなかった時かもな。いや、いたかな……最近ぼーっとしてるよな、おまえ。夜とか寝れてんの?」

「すぐ寝れるんですが、すぐ起きますね」

「ダメじゃねぇか」


 理由は? と、蕎麦をすすりながら三輪さんが言う。

 心当たりはたくさんある。そういえば不吉な予言を受けている身だ。閻魔のいう、悲劇ってなんなんだろう――とか。


「三輪さん、最近お腹痛かったりしませんか」

「全然。なんで?」


 三輪さんががばっと身体を起こす。


「まさか、昨日くれたサーモン?」

「いや、違います。大腸ガンになってたりしないかなと思って」

「なんだよ、それ」


 ふーっと三輪さんが息を大きく吐いて、もう一度蕎麦をすすり始めた。


「おれの周りに悲劇が訪れるんだそうです」

「悲劇ならもう十分だろうが……」

「そうなんですけど、さらに、おれの周りを悲劇が襲うっていう予告があったんです」

「信じてんの?」

「馬鹿らしいって思いますか?」

「いや、なんとも思ってない」 


 改めてへんな人だ。この人のことは、良く分からないなといつも思うのに、でも嫌な感じはしない。ただ、話をどう続ければいいのか分からなくて困ることはよくある。


「あのさあ」

「なんですか?」

「ちょっと長く喋ってもいい?」

「もちろん構わないです」


 三輪さんはたまにこういうことを言いだす。

 そして、二分ほど、ふわふわとよく分かんないことを喋りだすのだ。


「お前にこういうこと言う必要はないと思うし、たぶん言っても伝わらないと思うし、まあそもそも俺の言い方が良くないってこともすげーあるんだけどさ」


「はい」


「はいじゃねぇよ。ただ、たまにな、ちゃんと話したほうがいいんかなって思うことがあるんだよ。まあ俺、結構お前には色々話すようにしてると思うんだけど、でも俺の言うことがどのぐらい伝わってるのかって、それ自体よく分かんないし」


 それはよく言われる。ちゃんと伝わってる? って、大橋さんとか、母親とか、メトロノームのカチカチぐらいの頻度でおれに聞いてくる。


「で、悲劇の話なんだけど……俺にはさ、お前に今後悲劇が訪れるのかどうかはよく分かんないよ、でもさ、悲劇が訪れるってお前が信じてるんならさ、それは問題だと思うんだ。問題、ってのは別に直せって言いたいわけじゃないんだけど……悲劇がくるぞ、って誰かに言われて、お前自身がどう思ってんのかってことが正直俺にとっては一番意味があることでさ。だって、明日またお前が死んだって、俺にはどうしようもないし、いや、だからこそそれでいいって言ってるわけじゃないんだけど……あー、伝わらないわコレ」


 長い。冗長で、ポイントがうまくつかめない。明日おれが死んでもどうしようもないだとか、悲劇のことなんて信じてないとか、でもおれが気にしてるなら重大なことだとか。あーもう、なにを言ってるんですか、と途中で口を挟みそうになったけれど、できなかった。


 結局、三輪さんは自分で自分の支離滅裂さに気付いたみたいだった。大きく息を吐く。


「あーあ。なんでうまく喋れねえんだろうな。仕事の話とか営業なら、俺けっこう出来るのに、お前さ、なんかふわふわしてるから引っ張られるっていうか」


「すみません」


「いや、お前が悪いわけじゃないんだけど……あーでも謝ってくれるのは助かるわ、俺ね、お前が謝ってくれないと、お前に気使わせたんだなってことすら分からないし」


 なるほど、謝罪にはそんな効用があったのか、とおれはちょっと意外に思った。


「ほんと、言いたいことだけちゃんと喋れればいいのにな。うまくいかねえ」


「意外と人間ってそんなもんですよ」


「まるで人間じゃないみたいな言い方だな」


 そうかもしれない。最近、閻魔なんかと仲良くしたりしていたから。


「おれが明日死んでも不思議じゃない、って、そうおっしゃったんですよね」


 と笑ってみる。さっき、大体そんなようなことを言っていたから。三輪さんは顔をしかめた。


「違うって言ってるだろ」


 分かっている、たぶん分かると思う。立場を少し回転させればすぐに分かる。もしもおれが長谷川さんに、悲劇の予告を受けたのだと言われたら……悲劇そのものの心配なんて絶対にしない。悲劇を心配する、長谷川さんの、心の心配をするだろう。


 愛の効用をまたひとつ見つけた。他人の気持ちの動きが、多少は理解できる。


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