07
「来すぎじゃない?」
前にこいつが来たのはいつだったろう、一週間も経っていないはずだ。
「だってさあ。きみいつも、人に言われてなにかをやってきたタイプの人間だろ? 何度か言われないと分からない人間に対して、一度しか忠告をしないのは不誠実だろ?」
大王が笑う。何度か言われないと分からないような人間は、馬鹿なんだから放っておけばいいんだ、と思う。思うけど、いままで他人にかけてきた迷惑のことを思うとそう思い切っては言い切れない。
「きみはどちらの宿題もやる気がないみたいだね」
「どちらの?」
「死んだ理由と、これからの悲劇と」
ああ、そうだった。もう忘れていた。やるべきことが積まれていくのに、ひとつも解消していかない。もちろんおれ自身がちゃんと「努力」しないと、何一つ終わったりなんてしないわけだが……。
「なぜわたしがこの役割を負っているのか、というところから逆算して考えれば、案外答えに辿り着けるかもしれないよ」
そんな面倒なことはしたくない、酒を飲むついでに雑談してやってるだけで、講義を聞きに来たわけじゃない。
「ヒントでも寄越しているつもりか?」
「そう。優しくしてあげようかと思って」
白い顔を膝にうずめて、閻魔が笑っている。明示的に伝えられる『優しさ』なんて、どうやって信じたらいいっていうんだろう。
「面倒くさいって感じの顔だね。わたしの前に立つ人間はね、たいてい真剣で本気だからさ、そういう態度はちょっと新鮮に感じるよ」
そりゃあ、天国に行くか地獄に行くか、その二択の道の前に立たされている人間は、きっと生きてたころより真剣だろう。天国か、地獄か。
「なあ」
「あ、禁足事項」
は? と思って続きを待つが、閻魔はそのままぼうっと天井を見つめている。仕方なく聞き返した。
「禁足事項?」
「そう、なんなのかは分からないけど、きみはいま禁足事項に触れそうななにかをわたしに聞こうとしたね。それ、聞かないでくれないかなあ?」
どうして、と当然疑問には思ったが、言いたくない、と返された。
「非常に気持ち悪いことになるんだ。わたしにとっても、きみにとってもね。でも、起こることを伝えたら、きみはそれをしたくなってしまうかもしれないし?」
「そういうふうに言われたら、やってみたくなるな」
「嘘だね。禁足事項の前触れを感じない」
向こうのほうが有利だ。おれが何を質問しようとしているのかが分かるのなら、脅しは一切通じない。正直なところおれは、気持ちわるいことが起こる、と事前に注意され、かつ相手が嫌がっていることを、無理やり完遂するほどの好奇心は持ち合わせていない。これが駄目、そうかそれならあっちでいいや、そういうふうに簡単に切り替えできる。
「……まあ、分かったよ。じゃあ他の質問にする」
「質問が好きなんだね」
「大体は、質問するほうより答えるほうが長く喋ることになるだろう。おれは相手に喋っていてほしいんだ」
「なるほどねえ。じゃあ、次のご質問は?」
スマートフォンが震えた。通知の文字だけを眺めながら、おれは閻魔に聞く。
「あんたさ、母親っている?」
「答えに窮する」
「……はあ?」
「いない、と言えばウソになるけれど、いる、といっても、君と同じような意味で『いる』わけでもなし、やはり虚偽にあたるだろうね。うん、だから、沈黙」
「都合のわるいことには答えないっていうの、この世でもあの世でも同じなんだな」
「わたしは死んでいない」
あくまでも生者の側みたいな顔をしようとする閻魔のことを、なぜか素直に面白いとおもって口角がゆがむ。
「まあいいや。死んだ理由はだいたい分かってるみたいだし。それよりもう一つのほうだよ。悲劇の準備はしてあるの?」
こんなのただの死神だ。おれが死なないっていうのなら、本人のところに行ってくれよ。
「ねぇ、そろそろ期限なんだけど。わたし、近くならないと見えないんだよね」
「なにが?」
「なにも」
言うつもりはない、ということだろう。なにも、ってなんだよ。ほんとうに苛々する。
「出来ないことを出来ないってスッパリ言うのは気持ちいいんだろうな」
「なに、それ?」
彼の興味をすこし引くことに成功したようだった。閻魔は瞳を輝かせておれを見ている。こいつは人間の気持ちを完全に読み取ることができるのか、それとも善悪しか見えないのか、もしくは愛のことしか分からないのか。
「わたしは愛のことしか分からないよ」
どうやら思考は読み取られてるみたいだ。心のなかの声に返事をされるのは多少気に障るが、しゃべらなくていいってのは案外楽だな、とおれは思った。
「愛ねえ。地獄でもそう言ってたな」
「あそこは天国でも地獄でもない。ふるいの場所だよ。――まあ、きみにはしばらく関係のないことだけど」
しばらく、ねえ。勿論、いつかはもう一度あそこに行くわけだ。今までは死んだらどうなるのか分からない世界で生きてきたわけだが、おれはいま、死んだら一度はあそこに行くんだと知っている。この認知は今後の人生になかなかの影響を及ぼしそうだ。
「愛のことしか分からないやつが、閻魔をしていて大丈夫なのか」
「うーん、ギリギリの質問かな。閻魔の仕事の目的、というところに話が及ぶと、また禁足事項に近くなる」
「……」
愛。愛はいい。失敗しないから。おれはそう思っている。
でも、それは生まれてしまったからだ。愛がいまここにあるから、仕方なく、愛はいいかもしれない、って言い訳している。命だってそうだ、生まれてしまったから、命はいいのかもしれない、と思っている。事実、悪くないことだってある。良くないことだってそりゃあるけど。
「きみは思ったことをほとんど口にしないんだな」
だんだん返事をする気力がなくなってきた。気持ちよく一緒に酒を飲める相手じゃなかった。
愛の効用ってなんなんだろうと、おれは最近よく考える。愛を受けるほうはいい。面倒なことがあっても、もし刺されることがあったとしたって、なんだろうと彼らはやっぱり『受け手』なんだ。愛されても一つもいいことがなかったとしても、誰かを愛さなくてはならないほどに辛くはない。
でも、愛を与えようとする、誰かを愛したいとおもう、よくわからないけれど愛してほしいっておもっている、この感情はいったいなんなのだろう。なんのためにあって、いったいなんの価値があるっていうんだろう。