12
日が落ちて、雨が止んだ。今日は流星群が見られるはずだったのに、雲が分厚いので観測は難しいだろうとキャスターが言った。こんな日なのにテレビを消せない。
無意義なニュースをいくつか聞いていた。渋滞情報、明日は秋の花粉がすこし飛ぶ、四十年ぶりに来日する絵の展示がある。楽しみですねえ、とコメンテーターが笑っている。ゴッホが雷を描いたのはこのたった一枚きりらしい。
ふと誰かの気配を感じて、おれは目をあけた。空間にぽっかり人型の穴が開いたみたいに、真っ黒な影がいつのまにか玄関にいた。ずっと質問したかったことを聞こうと思った。
「いきかえる?」
おれはなにを聞いているんだろう。こいつ相手に、神様に祈るみたいにするなんて、ばかげている。手を合わせても十字架を切っても聖水をまいたって、この身を供物にささげたところで、きっと許してくれないのに違いない。
閻魔は溜息をついた。
「そうなんだよねえ、そう言われるかなあって。正直さあ、もう来ないつもりだったんだ」
「なんで来たの」
おれが泣くって知ってて、おれが喚くって知ってて、それが面倒なことになるってわかってて、それでもどうして来たんだよ。
「きみはさあ、おれと悪魔みたいに取引したり、天使みたいに崇めたり、そういうことしないかなって思ったから」
「いいや、ちがうね。そうすれば生き返らせてくれるなら、おれはなんだってするよ。そうじゃないってことを分かってるだけだ」
「分かってることを覆そうと喚くのが人間ってものじゃないか」
四十七日はまだ経っていない。頼むなら今だ。でも、なにを?
「こないだは悪かったね。気付いたかもしれないけど、輪廻転生の話は一切人間とはしてはいけないことになっているんだ。話をするぐらい良いんじゃないの、と思わなくもないけれど、わたしたちのちょっとした反応から、きみたちが世界の心理を紐解いてしまうかもしれないだろ? 宇宙の原理とか、生命の謎とか、そういうのって、自分で解きたいだろ?」
おれは、そうでもない。長谷川さんも多分そうだろう。答えを知っている人が目の前にいたら、ためらわずに聞ける。
「ねえ、質問したい」
「なにかな? 禁足事項ではなさそうだ」
どうして、長谷川さんは生き返らないんですか。
聞きたいことなんてたった一つだ。でも、その質問を口にしてしまったら、おれ自身がほんとうにそれを信じていないことになる。
「ねえ、そろそろ答えてもいい?」
閻魔の瞳が、真円に近いかたちに変わっていく。波紋のように広がって、まるで満月、あるいは新月の夜のよう。
「わたしから見るとね、この世界はなにも失われていないんだよ」
嘘をつけ、とおれは思う。恒星がいなくなっているじゃあないか。
「愛は消えず、失われない。どうしてなんだろうね。この不思議な特質。輪廻転生がどうこうよりも、魂がどうこうよりも、ずっとずっと不思議なことだよ。きみが死んでも残り続ける」
愛がある? それがなんだっていうんだろう。人が死んでいるのに、その人を愛しているかどうか――こんなことに、いったいなんの価値があるんだろう。この張り裂けそうな痛みは、なにかの価値なんだろうか。おれのほうこそ死んじゃいそう。心臓がいますぐ破裂してもすこしも不思議じゃないのに――どうしてこれに、価値があるっていうんだろう?
「愛情の総量だけがたいせつなんだ。ここにはね、すべてがあるよ」
決して消えたりしないんだよ、と閻魔はまるで呪いをおれに丁寧に丁寧にかけた。朝、目が覚めたら。
目が覚めたら長谷川さんがいなくなっていた。夢じゃなくてほんとうだった。現実の残酷さ、それにたいするおれ自身の不思議な楽観性。テレビをつける。スマートフォンが何度か震えたけれど、持ち上げる気にはなれなかった。でもやっぱりさすがに実家の連絡を無視しすぎているから、今度の週末は帰省しよう。
吐きそうなぐらいにしんどかった。会えなくてもいいって思っていた。でも勿論違った。いま、もう一度死のうとしたら、閻魔はおれになんていうんだろう。また追い返されるんだろうか。かれが信じる愛情というものをこの身に宿しているからこそ、おれは今日ももうこんなにも死にたいし、そしてやりきれないことにこの愛情は永遠に消えない。かれが保証した通り、死体になっても残り続けて、世界がやがて丸くなって、質量を持ち、輝きだしてポラリスになるのを、ずっとずっと待っている。
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閻魔の最後のつぶやきはこちら:https://twitter.com/particle30/status/1255837300581228548




