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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
5章 グロリア

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1.残された友

 久々のイグニスだ。愛馬ヒステリアを手放して以来だっただろうか。彼女は元気だろうかと思ったが、手放したような非情な元主人が会いに行く権利はない。相手は馬を愛しているような戦士だったから、きっと元気にしているだろう。

 宿暮らしからもここでは解放される。イグニスにある家は、ローザ大国に残したものと比べてやや狭いが、それでも宿に泊まるよりも我が家特有の安心感がある。今回は一人きりではない。ローザ大国から出なかったサファイアが、ここに一緒に居るのは不思議なものだったが、ようやく連れてくることが出来たという嬉しさがあった。偽物だと分かっていても、嬉しいものは嬉しい。


「海巫女たちがカエルムを去るまでは移動しない。それまで、イグニスの空気を吸って、よく考えて」


 ラウルスでの最後の夜以来、ソロルの態度はやや冷たい。私の元を去る時間も増えた。コックローチとかいうあの胡散臭い翅人を殺しに行っているのかもしれないし、カリスを狙いに行っているのかもしれない。ともかく、かつてのように静かに共に過ごすという時間があまりなかった。一人にしてくれているのかもしれないが、サファイアに冷たくされているようで気持ちが滅入ってしまうものだった。


「正直に言うと、イグニスはあまり好きじゃないの」


 ソロルは目を逸らしつつ言った。


「ここは死霊という存在を拒む力が強い。まだあなたがあたしを認めてくれているからどうにかなっているけれど、あなたとの縁が切れればここにはいられない。あたしとしても、運命の分かれ道ね。……もしも、あなたがあの人狼を選ぶのなら、あたしは影ながらそっと見守るわ。あなた達の奮闘をね」


 そして、ソロルは消えてしまった。

 何処に向かうのかは分からない。ただ、一人残されると、いなくなった寂しさだけが強まってしまう。こうしてじっとしていれば、カリスが会いに来てくれるだろうか。だが、その気まぐれな訪れを待つのもおかしな話だ。


 結局、私もまた部屋を去ることになった。イグニスの姿を目に焼き付けよう。一応は、故郷でもある。あまり思い出はないが、古くから変わらないその街並みを目にすれば、気持ちの整理もつくかもしれない。

 だが、決めるべき覚悟はどちらだ。愛しい人を諦める覚悟か、全てを裏切る覚悟か。


 町を歩いていると、不思議なほど知り合いには会わなかった。世界各地に派遣される身だから、もともとイグニスの知人も多い方ではない。それでも、ここまで会わないというのも珍しい。

 向かう先は思い出の地ばかりだ。ミールに見せたかったイグニスの名所を巡る。リリウム教化される前のイグニスは神話で成り立っていた。古くより信じられ、持て囃された建造物は大事に守られ、社会がリリウム教化された後も遺されている。最近作られたものもあるが、いずれもミールの感性に響くものだっただろう。

 もっと言うならば、サファイアにもぜひ見せたかった。彫刻となったイグニスの姿を共に見て、その雄姿への感想を共有したかった。


「サファイアは何と言っただろう」


 華やかなイグニスの街並みを気に入ってくれただろうか。それでも、ここで共に住むのは困難だったかもしれない。ミールはまだ子供だったが、サファイアは大人だった。ハダスの教えを守り続けたいという彼女の心を尊重するならば、フリューゲルよりもさらにリリウム教の風の強いイグニスでの暮らしは、彼女にとって辛いものとなっただろう。

 それならそれで、生活の拠点がローザ大国になるだけのこと。アルカ聖戦士として働きつつ、サファイアと暮らすのは幸せだった。ミールのこの先の成長を見守ることもきっと、楽しかっただろう。


 イグニスの名所を巡りながら、あったかもしれない未来ばかりを見つめていると、ふと人の気配を感じた。こっちを見ている気配がする。ソロルか、それともクリケットか、はたまたカリスだろうか。そんなことを予想しながら振り返ってみれば、思わぬ人物がそこにいた。


「やっぱりゲネシスか。帰ってきていたんだな」


 正しいアルカ語の発音が印象的な人物。鳶色の髪を持つアルカ聖戦士の女性だ。ジャンヌと同年代だが、印象はだいぶ違う。顔立ちは悪くないが、ジャンヌと違って武骨の印象がある友人。グロリアだった。


「グロリア。奇遇だな。任務の途中か」

「終わったところだ。そっちは……休暇中だったかな。ディエンテ・デ・レオンに向かったと聞いていたが」

「こっちにも用があったんだ」

「……シトロニエ国で色々あったのだとも聞いた」


 その言わんとしていることがすぐに分かった。髪色と変わらぬ鳶色の目の表情は変わらない。だが、その声には哀愁が含まれていた。


「ジャンヌのことだな」


 隠さずにそう言えば、グロリアの表情にも、やっと陰りが生まれた。


「やっぱり本当なのか」

「本当だ。おれもその場に居た。死霊にやられたんだ」

「人狼にやられたって噂もあったみたいだけれど」

「死霊だ。ピーターに化けていた」


 その言葉に、グロリアが言葉を失う。背負っているのが大剣でなければ、実に女性らしい表情だった。


「ピーターに……」


 グロリアは動揺を見せつつ、すぐにそれを隠す。いつもそうだ。彼女は弱みを見せたと思えばすぐに隠そうとする。だから本心が分かりづらく、ジャンヌほど安心感がない。それでも、級友として親しかったのは確かであるし、再会できたのは嬉しい。ジャンヌに相談できなかったことも、グロリアに語れるだろうか。


「暇は?」


 短く訊ねれば、グロリアはハッと我に返った。


「ああ、あるよ。次の任務は決まっていない。この後も、明日も暇だ。……色々、聞かせてほしい。死霊のことも、ジャンヌの最期のことも」

「勿論だ」


 こっちとしても助かる。ジャンヌの時は上手くいかなかったが、ここでグロリアと話せば少しは冷静になれるだろうか。ソロルでも、カリスでもなく、同じ人間であり、共にカンパニュラで育った仲ならば、その思い出を共有できれば、少しはマシかもしれない。

 微かな期待を胸に秘めながら、私はグロリアと共にイグニスの町を眺め始めた。

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