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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
4章 ミール

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1.邪魔者

 マルの里を発つときが来た。いつかは来ると思っていても、来てしまえばあっという間だ。

 それでもまだ迷い続ける余裕はある。断る権利までを剥奪されたわけではなく、ただソロルと共に歩みだすかどうかの判断を求められただけだった。

 古代の儀式は時間にうるさい。どんな事情があろうと、決められた日に巫女は聖地を目指さねばならないのだ。その為に海巫女ブランカとその取り巻きは旅立つことになり、彼女を食う機会を窺い続けるソロルもまた旅立たねばならないと言った。


 気持ちは固まっているはずだった。だから、共にディエンテ・デ・レオンを去ったのだ。あとは、指輪を受け取るだけ。ブランカたちの旅の様子を窺いながら、逃げ場をなくしていく方法をソロルは知っているらしい。指輪を受け取れば、その助力が出来る。罪悪感がそこにあるか。

 ソロルの味方をすることで、精霊のように美しい罪なき乙女はやがて命を奪われる。ソロルに言わせれば、その意識ごと食べてしまう事もまた守るための手段だそうだが、人間の視点で見れば身勝手極まりない保護活動だ。それはもはや悪である。私は悪意を持って海巫女に危害を加えようとしているのだ。


 それでも、そんなソロルの存在を拒否せよというカリスの言葉に、私は頷けなかった。


 マルの里を出発するまでに、いったい何回ものカリスの訪問を受けただろうか。来るなと言っても、カリスは聞く耳を持たない。気づけば訪問されていて、ソロルとの会話も監視されていた。

 ソロルはカリスの事を嫌っている。時折、聖剣で脅した方がいいという助言をしてくる。私もその方がいいとすら思う。だが、不思議なことにそれは実行出来なかった。カリスの存在がだんだんと疎ましくなってきても、彼女の言葉に耳を傾けてしまう瞬間があり、剣を向けるということはやっぱり恐ろしく感じてしまった。

 それもこれも、情が移ってしまった為だろうか。一度は助けてやろうと心から思い、長くはないが、決して短くもない時間を共に過ごしたのだ。情が移っていたとしても不思議ではない。だが、これでいいのか。いつかは、はっきりとさせなくてはならないのに。


「少し、お疲れのようですね」


 塵の降る世界で、向き合う私にそう言ったのはクリケットだ。


 シトロニエ国の端。エクリプスという場所は、ラウルスという地域と隣接しており、リリウム教皇領にも少し近い。ここに来るまで、海巫女達を尾行する形となったが、思っていたよりも近道をしたので意外と早かった。

 シトロニエ国を横断する間に、決心は半分ほどついた。しかし、揺らぐ時もある。距離を取ってはいるが、ソロルに誘われるままに自分が追いかけている人々の顔を見てしまう時があることもまた、揺らぐ理由の一つだった。ブランカのお付きの者たち――マナンティアル家の若者たちは、巫女の血族とはいえ、ただの人間と言ってもいい。尊い立場の者たちだが、聖戦士のような教育を受けているわけではなく、戦いとは無縁の人々だ。そんな人々の表情を見ていると、時折、我に返るのだ。


 ――私は何故、ここにいるのか。


 アルカ聖戦士を続けていくうちに、そういったことには無頓着になってきたはずだと思ってはいたが、そうでもなかったらしい。ソロルの気配に不安を感じつつも、アマリリスという聖花の存在に期待し、安堵して過ごす人々への罪悪感なのだろうか。自分もまた人間の一人であったことを思い出すためだろうか。

 クリケットには、今の私がどのように見えているのだろう。

 エクリプスの中で最も栄えている都の外れ。塵が降っているため、人気はあまりない。耐え難い悪臭だが、口元を塞げばどうにかなる。あまり雑談をする気にはならないが、この男のことは無視するわけにはいかなかった。


「厳しい旅路でもなかったでしょうに。ブランカ様ご一行は、さほど疲れた様子もありませんよ。まあ、いいものを食べているせいだとも言えますけれどね」

「食べ物が悪いわけじゃないさ」


 気怠さを隠さずに、私は答えた。


「ただ、気疲れが多いだけだ」

「かつてのご伴侶様であるかの女人狼のことでしょうか?」

「そうだね。それに、お前も含めて怪しい影が多すぎる」

「おやおや、とんだ誤解を。少なくとも私は旦那様の味方である立場を貫いておりますよ。もちろん、怪しい影が多すぎることには同意いたしますけれどね。たとえば、コックローチ。私の商売敵も、〈赤い花〉の聖女様にあなたの情報を売ろうとしておりますよ。そんなことをされれば困りますよねえ?」


 余計な争いは好きではない。だが、コックローチとやらが本当に情報を売ろうとしているとすれば、それはあまり感心できたことではない。運命に身を任せてみようとは思うが、なにもしないということではない。もしも排除できるならば、排除した方がいいだろう。


「そのコックローチとやらを、お前はどうして欲しいんだ」


 訊ねてみれば、クリケットは笑みをひきつらせた。


「どうして欲しい? 訊ねられても困ります。私が出来るのは汚らしい害虫の情報をあなたにお売りするだけ。どうするかはあなたに任せます。格安ですよ、ほらこの通り」


 シトロニエの現在の通貨価値を考慮しても、クリケットの提示した額は確かに格安だった。エクリプスで何か買いたいものでもあるのだろうか。言われた通りの額を投げてやると、クリケットは丁寧に一礼をした。


「有難うございます。それではお話しましょう。〈花売りの虫けら〉について」


 そうして、彼は語りだした。彼にしては珍しく、ずいぶんと私怨の込められた情報であるようだ。いつも以上に半信半疑で聞く方がいいだろう。


「コックローチはあなた方の情報を売りさばく気でおります。かなり離れた場所から目を光らせてあなた方の動きを観察しているのです。かつてのご伴侶様が見逃した情報を、聖女様にお届けするためにね」

「……花売りと言ったな」

「ええ、その通り。奴は花売りです。標的を数年かけて信頼させ、頃合いを見て隠れ家に攫ってしまうというよくある手口を使うようですね。昔は〈赤い花〉の育種家として裏世界で活躍していた男ですが、数年前、大切にしていた繁殖用の〈赤い花〉が死んでしまったとかで新しく探していたようですね」

「それで……アマリリスか。しかし、リリウム教会から盗もうだなんて、無謀にも程があるだろう」

「そうでもありませんよ、旦那様。翅人の花売りは人の目を欺くのに長けております。憎きゴキブリ男は手練れです。きっと、いい機会を見つけて聖女様を迎えに行くでしょう。その下準備として、リリウム教会に有利になるような情報を聖女様に売っている。結果的に、その教会も敵に回すわけですが、旦那様、現在のご伴侶様の天敵のことは覚えていますでしょうか。もしも、コックローチが聖女様を攫えば、〈赤い花〉はさらに増えていきます。翅人のアジトなんて死霊にだってなかなか突き止められませんよ。あのまま放置していれば、きっと“彼女”も困るはず」

「……奴は何処にいる?」


 静かに訊ねれば、クリケットは嬉しそうに目を輝かせた。


「ああ、旦那様、翅人の居場所を口にするのは難しいのです。しかし、ご安心を。誘き出す方法を特別にお教えしましょう。聖剣があれば簡単ですよ。それに、ご伴侶様の協力があればね」

「勿体ぶるな。早く言え」


 塵はまだ止みそうにない。無駄話できるほど平気な翅人が少し羨ましいくらいだ。


「これは失礼を。それでは、エクリプスの町の外れにある共同墓地にお向かい下さい。その傍には林があり、メールロリエと呼ばれる木霊たちが女神と崇拝する妖しい樹木があります。その木の枝を一つ折って火にくべてみてください。香りが奴を誘き出すはずですよ」

「そんな野生動物を誘き出すような手段でいいのか?」

「私が言うのもなんですが、翅人なんてそんなものです。どんなに紳士淑女ぶっていても、好ましい香りの誘惑には弱い。誘惑は気の緩みにも繋がります。いつもならばしないような失敗を、彼だってするでしょう」

「なるほど……試してみよう」


 せっかく教わったのだ。それに、クリケットのいうように、コックローチとやらが情報を売りさばいていることも、困ることだ。〈赤い花〉の保護については、私としてはいいとも悪いとも言えないのだが。


「有難うございます、旦那様。ぜひとも、仕留めてくださいな。私の方からは以上です。ここのところ、奴に邪魔をされていましたからね。旦那様に敵対するお方々の様子でも確認してまいりましょう」


 上機嫌といった様子でクリケットはそう言うと、丁寧に一礼した。


「それでは、ご武運を」


 そう言って彼が去るのとほぼ同時に、塵が止んだ。


 カリスの気配は感じられない。ソロルも近くにいるはずだが、姿を現してくれなかった。仕方がないので、私は一人でメールロリエとやらが生えている場所を目指すことにした。

 共同墓地なんて足を踏み入れることはほとんどない。エクリプスに立ち寄ったことがないわけではないが、共同墓地に向かう機会なんて全くなかった。塵が降りやんだばかりだからか分からないが、人気は全くなく、野鳥ばかりがやたらと飛んでいる。クリケットの言っていた林はすぐに分かったが、足を踏み入れるのを思わず躊躇ってしまうほど雰囲気が重たかった。


 しかし、幸い、何にも邪魔をされることなくメールロリエとやらを見つけ、枝を折った。メールロリエは奇妙な形をした月桂樹で、周囲には供え物と思しき食べ物や包み、壺などが置かれていた。きっと、人に紛れて暮らす木霊たちが置いていったのだろう。

 その場をすぐに離れ、開けた場所に出てから火を焚いて枝をくべることしばらく。異変はすぐに訪れた。

 音だ。それに気配もする。

 聖剣〈シニストラ〉をいつでも抜けるように意識していると、耳の奥でそっと囁く声が聞こえてきた。


「……あたしが追い込むわ」


 微かな声だが、よく聞き取れた。ソロルだ。何処に行っていたかは知らないが、戻ってきたらしい。私の目的も、言わずとも分かっているのだろう。それから間もなくの事だった。慌てたような男の声が聞こえ、風と風の間に何か透明なものが動いているように見えたのだ。


 すぐに〈シニストラ〉を抜いて、その透明な人影に向かっていった。翅人がどうやって現れ、どうやって消えるかはしらない。どの程度まで触ることが出来るのかも、翅人研究でもしなければ解明されないだろう。だが、〈シニストラ〉を手に攻め込んだ私に気づくと、怪しい人影は途端に慌てだした。冷静さを欠いたためだろう。その姿からは透明さも失われていき、だんだんとはっきりした姿が見えてきた。


 見たことのない男だ。だが、翅人だということはよく分かる。彼こそが、クリケットの商売敵コックローチなのだろう。


「ひぃっ、おやめください、聖戦士様!」


 懇願しながら逃れようとするが、見えないソロルの動きが彼を牽制する。人間の私には見えないが、翅人には見えるのかもしれない。ソロルに気を盗られる彼を狙うのは、とても簡単な事だった。


「コックローチというのはお前か?」


 〈シニストラ〉を突き付けて訊ねてみれば、翅人男は何度もうなずいた。


「は、はははい、その通り、よくご存じで――」

「花売りだと聞いている。本当か?」

「い、いいえ、情報屋です。私は質のいい情報を売り歩いているだけの翅人でして――」

「嘘を吐いてもおれの伴侶がすぐに見抜く。嘘つきは嫌いだ。このまま死ぬのが嫌だったら、本当のことを言え」

「……すみません。花売りでございます」


 観念したと見えて、コックローチは泣きながら答えた。生き延びるためならば敵の靴も舐める。それが翅人だと聞いている。だが、誘き出され、突然襲われたショックか、彼はまだ冷静ではないようだ。


「悪いな、コックローチ」


 我ながら冷たすぎる声で、私はコックローチに聖剣を突き付けた。


「お前を生かしておくわけにはいかないんだ。とある人の“通報”でね」

「そ、そんな……話が違いますよ!」


 翅人は戦う種族ではない。逃げ場もなく、ソロルに睨まれているこの状況に、怯えてしまったのだろう。腰を抜かしてしまったようで、その場に座り込んだ。一方的に怯える相手を殺すのは気が引ける。だが、この先、もっと酷いことをするのだと思えば、ここで躊躇う理由なんてなかった。座ったままの彼の首元に剣を突き付け、心を殺したままその姿を見下ろした。


「さらばだ、小悪党」


 覚悟を決めて剣を構え、逃げる余裕もない哀れな翅人男に向かって振り落とそうとした、その時だった。

 急に視界を横切る影が現れ、慌ててその手を止めた。麦色の風。多少なりとも親しみの残っているその姿。狼姿のカリスが、いつの間にかコックローチと私の間に割り込んでいた。あと少しでカリスを切るところだった。ソロルとしては、斬ればよかったのに、といいたいところだろう。だが、出来なかった。


「カ、カリス……」


 コックローチが呆然と呟くと、カリスは狼の顔で不快そうな表情を浮かべた。


「こんなゴキブリのために危険を冒すのは面白くないが、こいつはこれでも役に立つ男でね。殺させるわけにはいかないんだ」


 こちらを見上げてくるその顔。翡翠の双眸と目が合うと、剣を向ける気がそがれた。心の底から憎んだはずの人狼なのに、カリスに剣を向けることがまだ怖かったのだ。


「ゲネシス、やりなさい」


 少し離れた場所から、ソロルの声が聞こえてきた。

 カリスがその声に警戒を見せる。ソロルは姿を現していた。私たちより少し離れた場所から、サファイアの姿でこちらを見つめている。


「いい機会よ。その狼も殺しなさい」


 青い目が冷たく輝いている。愛しい人の顔だが、今だけは恐ろしいと思うほどに無表情だった。カリスを殺すのは、気が重い。だが、サファイアの復活という大きな夢をかなえてくれるのは誰だったか。ソロルはカリスの死を願っている。ならば、やるしかない。

 心が苦しい。それでも、私はどうにか〈シニストラ〉を振り上げた。


「ゲネシス」


 カリスが私の名を呟いた。コックローチの盾になりつつ、隙のあるはずの私に飛び掛かってこようともしない。


「私を、殺すつもりか?」


 ダメだった。〈シニストラ〉を振り落とすことが出来なかった。

 その言葉にひどく動揺してしまった。私は悪になり切れないのだ。カリスの歩み寄りを拒絶していながら、離れた場所から幸せを願う気持ちくらいはある。私だって、人間だ。まだ、人間なのだ。一方的ながらも手を差し伸べることを止めようとしない彼女を、どうして殺せるだろう。


「くそ……」


 剣を落としてしまった私を、カリスもコックローチも驚いたように見つめてくる。だが、一人だけ冷静な者はいた。


「仕方ないわね」


 ソロルの声が聞こえ、カリスが我に返る。掴みかかる彼女の手を避けながら、カリスは人の姿に代わるとコックローチを引っ張って私たちから距離を取った。


「すばしっこいのね」


 ソロルがにこりと笑う。


「でも、すばしっこいだけじゃ、あたしたちには勝てないでしょうね。……ゲネシス、もういいわ。後は任せて」


 優しく言われ、やっと力が抜けた。だが、ソロルはどうするつもりなのだろう。カリスを見てみれば、彼女と目が合ってしまった。捨てられた犬のような目でこちらを見ている。こちらの心が痛むような表情だった。


「さてと、お荷物があるあなたも、影道には逃げられないわね。どうするつもりなの?」


 ソロルに訊ねられ、カリスは周囲を窺った。一人で逃げるだけならば、問題ないだろう。だが、コックローチがいる以上、カリスにはどうしようもないらしい。このまま殺されてしまうのだろうか。何故だか、その身を案じてしまう自分がいた。


「どうするつもりであっても、構わないわ。翅人紳士は冥界の兄弟フラーテルの元へ、そして、あなたは素晴らしい毛皮にしてリリウム教会にでも送り付けてやりましょう」


 悠々と近づいていくソロルを前に、カリスの表情がみるみるうちに蒼ざめていく。だが、ソロルの思惑通りにはいかなかった。


「誠に申し訳ございませんが――」


 震え声ながら、コックローチが喋りだしたのだ。


「まだまだ冥界のお世話にはなりたくないのでね。我々はこの辺で失礼いたします」


 そう言ったと思えば、コックローチと、そしてカリスの姿が風に攫われていった。

 ソロルが表情を濁らせ、周囲を窺う。どうやら、翅人の逃亡術は死霊にとっても厄介なものだったらしい。


「――逃がしたようね」


 ソロルはそう言うと、こちらを振り返った。


「あとでゆっくりお話ししましょう、ゲネシス」


 怒っているわけではないらしいが、その声色はとても冷めたものだった。

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