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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
3章 サファイア

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6.望ましい未来

 ジャンヌと同じ姿。ジャンヌと変わらぬ声で、死霊は語る。死んだはずの友との怪しい再会は警戒すべきもののはずだ。それでも、私が求める答え、私が求める真実を、そのソロルは語りだした。


「この方が亡くなったのは、我々の仲間のせいではありません」


 ジャンヌの口で、平然と彼女は言った。


「あなたに取り憑いている女人狼は嘘を吐いています。嘘つきは人狼の特性。自分の立場を守るために、嘘を塗り固めて生き延びるのはいつもの手段です。アルカ聖戦士ならば、あなたもご存知でしょう?」


 何度も思い浮かんでは消してきた、そんな言葉だ。


 可能性としてだけを考えれば、おかしな話でもない。世に絶望し、悪に染まってきた人狼は何人も見てきた。愛と親しみをもって接したところで、裏切られることは何度もある。人狼の中で真に同志となれるものは生まれながらに高貴な血筋をもっている戦士だけだと聖戦士の中にも信じる者がいる。その気持ちも少しは理解できる。

 愛を説き、平等を信じていらっしゃる聖下は何もご存知ではないのだ。真面目にあろうとしてきた私だが、やはりどうしても本質は変えられない。愛する人を殺された強烈な過去がカリスよりも死霊の言葉を信じさせようとしている。


 適切な言葉も見つからないまま、私は黙ってジャンヌの亡霊の言葉に耳を傾けた。


「あの人狼は、この御方が人狼狩りの剣士であることを知っていたから疑ってかかったのです。お互いに信じることが出来なければ戦うしかない。話し合いは失敗に終わり、戦いはこのような決着となりました。この体、この命を蝕んだのは我が兄弟ではありません。あなたに取り憑く嫉妬深いケダモノです」


 言っていることは全く逆だ。カリスは死霊にやられたと言い、死霊たちはカリスがやったということか。どちらの言葉を信じるのか。アルカ聖戦士という立場上、ここはどんなに胡散臭くともカリスを選ぶべきである。

 死霊の言葉に耳を傾けるな。その助言は掟の様なものだ。死霊は選ばれる立場にいない。彼らと会話をし、信じることがすでに罪なのだから。

 それでも、私は黙ったまま。聞いていることしか出来ない。共にいるサファイアの姿をしたものの存在が、あまりにも望ましすぎるものだから。


「あのケダモノはあなたを騙しているのです」


 ジャンヌの声で、死霊は断言する。真実味のない言葉だ。信じる気にも慣れない言葉のはずだ。それでも、どうして心が揺らいでいるのか。カリスへの疑惑がどうして増してしまっているのか。


「嘘つき共め!」


 その時だった。雷鳴の様な声が響くと、私と死霊たちの間に割って入る者があった。死霊たちへの敵意をむき出しにしているそれは、人間の姿をしていない。麦色の体毛が目に映ると、少しだけ我に返った。


「カリス……」


 影よりそっと見守っていたのだろうか。荒々しい唸り声をあげながら、カリスは親しい人たちの姿をした死霊を睨みつけていた。今にも飛び掛かりそうだ。その牙で、肉体を滅ぼそうというのだろうか。


「ゲネシス。騙されるわけはないと思った上で、敢えて言おう。死霊の言葉に耳を傾けるな。こいつらはお前に支持されることで力を得ようとしている。カンパニュラで学ばなかったか? 遺族に認められた死霊は恐ろしい力を得てしまう」

「耳を傾けてはなりません」


 ジャンヌの姿をした死霊が冷静にそう言った。


「人狼というものは嘘つきなのですから」


 その言葉を受けて、カリスの毛が一気に逆立った。言葉にならない唸り声をあげながら、怒りを露わにして飛び掛かっていく。鋭利な爪が、牙が、大切な級友の姿をした死霊を引き裂こうとしているのだ。


「ジャンヌ……危ない!」


 気づけば、私はそう叫んでいた。カリスを制止するのではない。ジャンヌの身を案じていたのだ。本物ではないと言われても、本物にしか見えないその死霊の無事を願ってしまったのだ。

 カリスの動きが鈍る。そこへジャンヌの姿をしたソロルが聖剣〈シニストラ〉によく似ている素材のよく分からぬ剣でカリスに襲い掛かった。間一髪、カリスはそれを避けると、私のすぐ傍まで戻ってきた。こちらを窺うその眼は、驚きに満ちたものだった。


「何故だ……何故だ、ゲネシス!」


 心底信じられないといった様子で、カリスは言った。その姿は狼のままだが、表情は実に人間らしい。


「あいつは死霊なんだぞ。よりにもよって、ジャンヌの魂を盗んでいる。存在そのものが死者に対する侮蔑だ。勇ましく戦って散っていったジャンヌの尊厳を守るのだ。彼女の父親も言っていただろう。正しい友の姿を思い出せ!」

「……出来ない」


 聖剣は鞘から抜けないままだ。


 ジャンヌではなかったとしても、ジャンヌそのもののような姿をしている。友人を斬れというのか。ああ、勿論、斬れる者だっているだろう。たとえば、グロリアなら。しかし、私は斬れない。こうして実際に向き合ってみて分かった。それが偽物だと言われても、私は、それだけで親しい姿をしたものを斬ってしまうことなんて出来ない人間だったのだ。


「ジャンヌを二度も殺せない」

「何を言っている! ジャンヌではない。ジャンヌの尊厳を踏みにじる者だ!」

「踏みにじったのはどちらかしら」


 口を挟んできたのはサファイアの姿をしたソロルだ。話し方はだいぶ違っても、サファイアの声に間違いない。青い目でカリスを見つめ、妖しく微笑んでいる。


「嘘を吐いても無駄よ。あなたはジャンヌを殺した。猜疑心に囚われた結果なのかは分からない。それでも、あなたがジャンヌを殺したことだけは確かよ」

「この化け物め……いい加減なことを!」


 毛を逆立てて唸る狼。どちらがリリウム教会にとって望ましいのか、すぐに分かることだ。ここでカリスを止めるのは悪に等しい。それでも、私は見たくなかった。もう一度、愛する妻が狼に引き裂かれてしまうなんて、耐えられない。


「もう、止めてくれ」


 だから、私はカリスを止めた。


「帰ってくれ、カリス。お前の居場所は此処じゃない。これからもセルピエンテ教会の者たちを頼るがいい。私とお前の関係はすでに終わっているんだ」


 振り返る狼の眼差しが、罪悪感を呼び覚まそうとする。しかし、迷うのは終わりだ。カリスがどんなに正しくても、私の気持ちはとうに決まっている。


「ゲネシス……!」


 カリスは震えた声で呟いた。


「まだ間に合う! お前は、まだ、引き返すことができる……!」


 しかし、カリスの言葉はそれ以上続かなかった。


 死霊は人狼にとって雑魚のようなものだと他ならぬ彼女が言っていた気がする。だが、見たところ、カリスは非常に怯えていた。サファイアも、ジャンヌも、生前はただの人だった。無力で暴力にあっさりと負けてしまう儚い人間。人狼にとっては餌のようなもの。

 けれど、死霊に囚われた彼女たちをカリスは異様に警戒していた。

 恐れてはいないと言っていたはずだが、その一撃を食らえば大変なことになると理解しているのだろう。二人のソロルがカリスを捕まえようとする。それをかわして、カリスは影道に逃げ込んだ。ジャンヌの姿をした方はすぐに諦めたが、愛しいサファイアの姿をした彼女は違う。


 ――彼女は特別なのです。


 クリケットが教えてくれた言葉が頭をよぎった。


「ゲネシス……」


 何処からかカリスの悲痛な声が聞こえてくる。だが、答えるかどうか判断する前に反応したのはサファイアの姿をしたソロルの方だった。影道は人狼にとって絶対安全の逃げ道のはず。しかし、このソロルの目は誤魔化せないようだ。一定を見つめ、迷いなく接近していく。その様子にカリスの方も焦ったらしい。


「絶対に、お前たちの好きにはさせない」


 そう言い残し、カリスの気配は遠ざかっていった。

 死霊が正しいのか、カリスが正しいのか。さて、私はその真実を知ってどうするつもりだろう。本当は、真実なんてどうでもいいのではないか。私が望む私の世界を守りたいだけなのではないか。

 分からない。自分の事が。何をどう生きるべきなのか。どちらの道を歩むべきなのか。迷いに迷い続けて、出口は全く見えない。暗闇ばかりだ。


「焦らなくてもいいわ」


 サファイアの声が、思考の迷路に落ちていきそうな私の心を掬い上げた。


「まだ時間はあるもの。あたしを拒絶しないでくれる限り、ゆっくり考えればいい。あたし達はいつでもあなたの味方よ。憶えておいて。あたし達は神よりもあなたを直接的に救える存在なのだということを」


 そんな言葉を言い残して、サファイアの姿は消えてしまった。共にいたジャンヌも同じ。生と死の在り方を狂わす二人のソロルに取り残され、一人きりになった私はもう一度、海巫女たちの慰霊碑を眺めた。

 世界を変える力がある。多くの者が犠牲になるだろう。きっと、世界そのものが変わってしまう。とんでもないことになる。

 それでも、過去が蘇るかもしれない。幸せだった、あの頃が戻ってくるかもしれないのだ。そのなんと罪深い事か。


 気づけば私は何度もありもしない未来を見つめていた。懐かしい家族と共に過ごす幸せの光景ばかりを見つめていた。一人で手を伸ばしたところで、届きはしない。しかし……協力者はいつも傍にいることが、簡単に忘れられそうになかった。

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