8.二つの道
ジャンヌの葬式に出席後、遺族に睨まれているのを感じながら、私はそそくさとジュルネの町を発つ準備を始めていた。マルの里までは、さほどかからない。馬ならばもっと早いだろう。愛馬ヒステリアの声や温もりから遠ざかってだいぶ経っているが、この度は全く別の馬と縁が出来た。借り物の馬だ。なんでも、ジュルネ教会の修道士がディエンテ・デ・レオンの教会より借りた馬らしい。名前はラナシェンサ。マル地方に昔から住まうジョルディ族の言葉で、「再生」を意味するらしい。
ラナシェンサはクラウン種ではなく、マル地方の在来馬である。そのため、足はさほど速くないが、それでも人間の足よりはずっとマシだ。乗り心地はかなり安定している。ヒステリアに比べ、ラナシェンサは人間が好きらしい。ジュルネの町を出発してからしばらく、ラナシェンサは実に素直に私の言うことを聞いてくれた。影よりついて来ているはずのカリスの気配も感じているだろうが、さほど怖がる様子はない。安心しているようだ。
だが、そんなラナシェンサが唯一警戒を露わにした人物がいた。彼とは、シトロニエとディエンテ・デ・レオンの国境付近で再会することとなった。――クリケットである。
「いやはや大変でしたねえ」
顔を合わせるなり、彼は表情の読めぬ顔でそう言った。
「まさかジャンヌ様があのような事になるなんて思いませんでした。旦那さまも辛い思いをなさいましたね」
「見ていたのか」
「それは勿論。世の中で起きることを出来る限り見つめるのが私の仕事でございます。近くには相変わらず汚らわしい商売敵もうろついておりますからね。ああ、そうそう、ご伴侶様も相変わらずそちらと仲がよろしいご様子で」
「――マルの里に行くまでに気が向いたら、カリスにも紹介やろう」
素っ気なくそう答えると、クリケットは面白そうに眼を輝かせて帽子を被りなおした。
「なるほど。では、やはりこの度もお気持ちや志は変わらぬまま、予定通りの道のりを歩み続けるおつもりですか」
「ああ、その通りだ。もしも不安なら、私を追いかけるのはやめてもいい。この先は、質のいい情報屋がなくとも何とかなるだろう」
すると、クリケットは苦笑いを浮かべた。相変わらず、胡散臭いものだ。それでも、金で買える情報は価値のあるものばかり。信用しきっているわけではないが、心底毛嫌いしようと思って出来る人物でもないのは確かだ。
「いえいえ、私も予定通り、同行させていただきますとも。興味がありますからねえ、あなたの向かう先に何があるのか。どんな道を進もうとも、人はそう簡単に変われぬものです。休暇中であろうと困っている人を助け、他人の盾になり、そうやってついでの仕事を快く引き受ける旦那様に、“彼女”は何を期待しているのでしょうねえ」
「さてね」
適当に流してラナシェンサの首元を撫でてやる。
「ご伴侶様のお気持ちだって、あなたは気づいていないわけではないでしょうに」
クリケットに言われ、近くの影の一部が不自然に揺らいだ。カリスがそこにいたのだろう。しがない翅人の言葉に動揺しているらしい。だが、私の方はそうでもない。ただ、揶揄われるのだけは癪だ。
「クリケット」
冷たさをわざと滲ませて、私は弱々しい翅人男を睨みつけた。
「お前の仕事は情報を売ることだ。無駄口を叩きに来たのならば、帰ってくれるか」
「おやまあ、気に障りましたか。これは申し訳ない」
そう言って帽子を脱ぎ、クリケットはいやらしく笑う。
「勿論、いい情報をお持ちしましたよ。この先の貴方様の旅にきっと役に立つはずです」
「種類を聞こうか」
「ええ、今回お持ちしました情報は、〈青き美玉〉、〈聖海のよどみ〉、そして、〈赤い花の子羊〉でございます。お値段は三つセットでこの価格」
最後の情報名を聞いてか、カリスがいると思しき場所の影がまた揺らいだ。聞きたいらしいと判断し、クリケットの表示した通りの硬貨を投げてやる。
「有難うございます。では、セットでよろしいですね」
「全部聴こう。順番はどうでもいい」
「分かりました。では、〈赤い花の子羊〉から参りましょうか」
そして、心なしか先ほどから影の揺らいでいる場所をクリケットもまたちらりと見つめ、胸を張って言い放つ。
「私の情報はどこぞの汚らしいゴキブリ男のものとは質が違います。それに、彼と違って、下心もない。この目で見たものをありのままにお話ししましょう」
わざわざ断った相手は、私ではなくおそらくカリスだろう。
「アマリリスは現在、ゆるやかにマルの里を目指しております。歩みが遅いのは、同行している〈金の卵〉が発情を迎えた為のようですよ。馬に乗ってならば、彼女たちに追いつけるかもしれない。保護するおつもりなら、良い機会かもしれませんねえ」
「発情か。もう、そんな時期なんだな」
〈金の卵〉の繁殖で季節を感じることもある。発情の時期は各地で養育されている〈金の卵〉の移動も多く発生し、そのための護衛も仕事としてあり得る。たしか、アマリリスが連れているのはクロコ帝国のヴェルジネ伯領の雌個体だったはずだ。今頃、ヴェルジネはどうなっているだろう。責任問題で絶望していた人々の表情が頭をよぎる。
「ただ、アマリリスの連れている〈金の卵〉は、隷従でもあります。旦那様は人間様ですから少し想像しづらいかもしれませんが、主従の魔術というものは、強固な執着心を発生させるのです。お近づきになるおつもりなら、かの〈金の卵〉には触れない方がよろしいかと思いますよ」
「神経質になりがちならば、近づく機会にはなりそうにないな」
「ええ、それも判断の一つでしょうとも。アマリリスという魔女は、暴力的な判断もしがちのようです。冷静のようでいて、冷静でない。旦那様がうまく演じたとしても、猜疑心にかられて即死級の魔術を向けてきてもおかしくはありません」
「ならば、なおさら近づきたくないな」
さすがにまだ死ぬわけにはいかない。やはりアマリリスとやらの保護は、マルの里にいるクルクス聖戦士たちにでも協力してもらうことになりそうだ。
「さて、それでは次のお話に参りましょうか。〈青き美玉〉のお話をいたしましょう。貴方様を待っておられる御方は、マルの里の噂となっております。私は先日、彼女が常に旦那様と共にあることをお伝えしました。ですが、彼女は同時にマルの里にも影を潜めているのです。部外者の私にはさっぱり分かりませんが、どうやら彼女にとって蛇女神セルピエンテの神殿というものは、とても大事な場所のようですね」
セルピエンテというものは、古くからディエンテ・デ・レオンの地で信じられてきた異教の女神だ。異名はさまざまあるが、今の時代、彼女の名をそのように呼ぶものはいない。セルピエンテが先であろうと、真の名は別のものとされており、女神であった過去も一般的には忘れ去られているものだ。
よって、私の認識ではセルピエンテ神殿と言う場所はない。そこは今、教会になっている。セルピエンテは現在、リヴァイアサンと呼ばれている。女神ではなく聖竜。聖なる海を統治しており、その昔、神の指示に従って人々を生命の源より大地へ運んだとされる。
サファイアと昔、よく話をしたのだ。ディエンテ・デ・レオンに古くから伝わる神話と、信仰と芸術の融合した神話の世界を見てみたいと。ハダスの教えでも三聖獣の神話は出てくるそうだ。だから、サファイアもひとりの人間として、先祖を大地へ運んでくれたという聖竜にまつわる聖地には大変興味があったらしい。
長い休暇がとれたなら、一緒にディエンテ・デ・レオンへ行こう。そんな約束をしていたのだ。マルの里で静かに育つ海巫女の聖なる姿を一目見てみたいとサファイアは言っていた。セルピエンテ教会の美を堪能してから、可能ならばリリウム教皇領となっている三つの聖地も巡礼してみたいのだと。
叶えてやるはずだった。ミールと三人で、もしくは、ミールをいい学校に入れてから二人きりで。しかし、その約束は果たされぬままだった。サファイアと行くはずだった場所。だから、マルの里だったのだろうか。
「ご存知とは思いますが、貴方様と彼女の縁深い場所であるがために、現地は困ったことになっているようですよ」
「困ったこと?」
「おや、お忘れですか、彼女の正体を。アルカ聖戦士様でしたら、ご存知のはずでしょう。マルの里には輿入れ前の海巫女様がいらっしゃるのです。そんな状況で、彼女が潜んでいて、しかも、その存在を現地の人々にじわじわと知らしめている。不安と混乱に陥らないはずがないでしょう」
クリケットはやけに遠回しに話している。しかし、その内容の不穏さには、さすがにカリスも気づいているようだ。出てきたりはしないが、影の揺らめきが激しい。動揺、もしくは困惑していることが丸わかりだった。
「そういうわけで、〈聖海のよどみ〉はマルの里の混乱についてです。貴方様は確認したいと仰いましたね。私が見た限り、彼女が貴方様に用意している道は、茨の道どころではなさそうですよ」
「――というと?」
「彼女もやはり、生まれてきた意味を知り、それに従って生きようとする者なのです。まだ年若く、戦う事すら出来ない海巫女様を恐怖に陥れ、その命を飢えた猛獣のように求めている。その微笑みはまるで邪神のよう。貴方様の求める理想はそこで待ってはおりません。すべてが虚像なのです」
「……ゲネシス。何の話をしているんだ」
ごく小さな声だったが、影の中からカリスの囁く声が聞こえてきた。さすがに黙っていられなくなってきたらしい。だが、私はその声に視線も向けず、黙殺した。クリケットも同じく、聞こえていたはずなのに聞こえないふりをして、ただ私だけを見つめていた。
「貴方様はここまでずっと、アルカ聖戦士の端くれとしてふるまい続けた。〈赤い花〉のアマリリスを保護するのだってそうでしょう。しかし、旦那様、よくよくお考え下さいな。本当に、彼女に会っていいものなのか。その眼で確かめなければ気が済まないことなのか」
彼にしては珍しく、誘導するような声かけだった。翅人の情報屋に期待する情など一握りもないが、偏見を全て取っ払って考えるに、彼なりの良心というものがそのように口走らせたのだろうか。
「忠告は、いらない」
どうであれ、この目で見て判断しなければ、一生迷ったままだ。彼女は本当にケダモノなのか。ケダモノだとしたら、どうしてそうなってしまったのか。今はそれが気になって仕方ない。
「……そうですね。私は情報屋。お金をもらって見てきたものを話すだけに努めなくてはなりません。旦那様、どうかご容赦ください。この先も貴方様にとって後悔のない道が続きますようにお祈り申し上げます」
そう言って、クリケットは風と共に消えてしまった。
辺りが静まり返り、ラナシェンサがため息を吐く。その後で、影のなかよりまたしても声がかかった。
「ゲネシス。聞こえているだろう」
カリスだ。一度無視したせいか、苛立っているのが分かる。
「何だ、カリス」
「質問させてくれ。マルの里で誰と会う約束をしているんだ。種族は?」
容赦ない質問に、苦笑を浮かべながら答える。
「友人だよ。間違いなく、人間だ」
「じゃあ、どうして、そいつを海巫女様が怖がっていらっしゃるのだ」
「さて、どうしてだろうね」
「ゲネシス、誤魔化さないでくれ。海巫女様の命を狙っているとあいつが言っていたように聞こえたのだが」
「聞き間違いではない。私もそう聞こえた。だからこそ、確かめにいかないと」
「本当に、待っているのはお前の友人なんだな?」
やけにたどたどしいアルカ語で、カリスは訊ねてきた。ラナシェンサが退屈そうに蹄を掻いている音に混じって、影の向こうから荒々しい狼の吐息が聞こえてくる。嫌な予感がしているのだろう。私だってそうだ。覚悟していた以上のものを突き付けられそうで、少し怖かった。
それでも、歩みが止まりそうにないのは何故か。
――彼女が待っている。サファイアが、約束の場所で。
それがたとえ偽りだとしても、叶わなかった約束の地で同じ姿の者が待っていると思っただけで、諦めるという勇気がなくなってしまうのだ。悪魔の誘惑だとしても、抗うことが出来ようか。
死霊の本来の力は、死霊にしか分からない。魔女によってミールを失った絶望の日の夜、目の前に現れた愛しい人そっくりのソロルが口にした魅惑的な約束の言葉が、私の身体を引っ張り続けている。
――貴方の運命を変えられるかもしれないわ。
マルの里に行って、“彼女”に会えば、もっと確かめられる。どちらが自分に相応しく、歩むべき道なのかが分かるはずだ。
「ああ、そうだよ」
冷たい嘘を吐いてみても、心はさほど痛まなかった。未来を共に歩む者は、やはりカリスではないのだろう。




