6.盾となる戦士
ジュルネ教会からの知らせは、昨晩のうちに届いたらしい。知らせを受け取ってすぐにジャンヌの家族は駆けつけたそうだ。私と会ったのは、それから少し経ってからだった。葬儀についての話し合いの前に、ジャンヌの父母、そして、兄と引き合わされた。
ジャンヌの両親には、一度会ったことがある。カンパニュラに居た頃の話だ。兄は初めて会った。たしか彼はカンパニュラ出身ではなく、シトロニエの大学を出ている。妹がカンパニュラに入ったことを自慢していたそうだが、アルカ聖戦士を目指し始めてからは、ずっと反対していたという話を聞いたことがある。
――兄さんは安全な職に就いて欲しいんだって。
そう言っていたかの日の光景をふと思い出し、胸が一気に苦しくなった。目の前で詰め寄られようと、罵られようと、この痛みには敵わないだろう。いかに責められようと、辛くはなかった。友が戻ってこない悲しみに比べれば、妹思いの兄の怒りと悲しみを受け止めるくらいなんてことはないはずだ。
「だから、僕は反対したんだ……アルカ聖戦士だなんて……」
その嘆きは聞き取りやすいシトロニエ語だった。安心するどころか心が痛む。
死霊を仕留めつつも、ジャンヌを救えなかった。実際はカリスの体験だが、予定通り、私の体験として語った。そのため、無能さと責任で罵られるのは私だけだった。ジャンヌの両親は何も言わず、ただ悲しんでいた。激しい言葉で責めてくるのは兄だけで、それも長くは続かなかった。
「ああ、ジャンヌ……どうして死んでしまったんだ。やっと、危ない世界から帰ってくるはずだったのに」
遂には項垂れ、片手で顔を覆ってしまった。
アルカ聖戦士をジャンヌが続けたいと思っていたのかどうか、分からない。信仰のためにこれまで戦ってきたのに、突然、魔族の元に嫁がされるというのがどんな気持ちなのか、私には一生分からないだろう。
ただ、ジャンヌの兄が妹を嫌っていたというわけではない。彼は彼で幸せを願ってそんな話を持ち込んでいたのだろう。その思いは、この反応を見ていれば分かる。
「貴様が……もっと有能な戦士だったら」
突然、アルカ語で憎しみを込めた言葉をぶつけられ、我に返った。今にも掴みかかってきそうなジャンヌの兄の視線を受けて、ただ静かに謝るしかなかった。
「すみませんでした。私がふがいないばかりに」
だが、それが逆に彼の心に火をつけた。
「謝ってすむものか。ジャンヌを――妹を返せ!」
「もうよさんか、ルネ」
そこで、ようやくジャンヌの父が口を挟んできた。咎められたジャンヌの兄――ルネは、おそらくジュルネ方言と思われるシトロニエ語で何かを呟き、唸るように泣き出した。彼のように感情のままに振舞えたら、どんなに楽だろう。だが、今のところは許されない。許されたとしても、私はそういう性格じゃない。これも一種の才能の様なものだ。怒りたいときに怒り、泣きたいときに泣き、叫びたいときに叫ぶ。そうやって、友の死による衝撃をいくらか和らげることが出来れば……。
「剣士様」
ずっと黙っていたジャンヌの母親が、かすれ声で語り掛けてきた。みれば、ローブの下から覗いてくる双眸が、ジャンヌによく似ていた。救えなかった友の目。まるで、死の淵から蘇ったかのように思えてしまい、一瞬だけ怯んでしまった。
幸い、この怯みは誰にも悟られなかったらしい。
「あの子を奪ったのは誰なの?」
美しいアルカ語だ。シトロニエ訛りが一切ない。
「人狼だという噂も流れているわ。でも、神父様は死霊だったと教えてくださったの。あなたが、見たのだと。教えてくれるかしら。いったい誰の死が、あの子を連れ去ってしまったの?」
「級友です」
落ち着いて、しっかりと、私は答えた。
「ピーターという青年を覚えておいでですか? 彼は数年前に任務中の事故で殉職しました。この度、ジャンヌを襲った死霊は、彼にそっくりでした」
カリスの見たというものを、そのまま自分で見たかのように語る。嘘をついているわけだが、神はお許し下さるだろうか。優しい嘘というものは、時に自己満足でしかない。それに、カリスのことをどうしても信用しきれていないのが現実でもあった。口にする私自身に戸惑いがあれば、嘘は意味のないものになってしまう。
それでも、今だけは演じきることに成功した。
「ジャンヌはしっかりと戦ったのです。しかし、死霊というものは厄介です。人の血を継ぐ亡者の魂を捕らえ、その姿は、まるで生きていたときのようで――」
脳裏にふと美しい青の双眸が浮かんで消える。
「声も、仕草も、表情も、何もかも再現してしまうのです」
相手は友人ではない。死霊だ。そう言われても、ためらわずに剣を向けられるだろうか。こんな恐ろしい経験をしなくていいのだから、人狼や吸血鬼といった魔物たちが羨ましいとさえ思ってしまう。
死霊に殺された者の多くは、同じく死霊として現れることがある。いつ現れるか、それは死の世界の者にしか分からない。死霊から聞き出そうとも、彼らは決して口を割らないのだから、記録にすら残せないらしい。
ジャンヌもいつかは死霊として彷徨いだすだろうか。もしも、自分の目の前に現れたら、私は剣を向けられるだろうか。
「あの子は友達想いだったものね」
ジャンヌの母親がそう言って、そのまま口を噤んでしまった。目は真っ赤に充血している。父親の方は、力なく棺を見るばかりだ。一番、感情を素直に出しているのはルネだろう。普段がどういう人物なのかは此処からは分からない。だが、ジャンヌの口からたまに語られた兄の姿は、知的で落ち着いた人物だった。兄が数名いるとは聞いていない。おそらく、前に聞いたのも、ルネの事だったのだろう。慣れ親しんだ妹を失った悲しみが彼の心を爆発させているのか、怒りはまだ収まっておらず、おそらく一生、私を許すことはないのだろうというような眼差しをこちらに向けてきた。
「何故、ジャンヌなんだ」
父に咎められたことも気にせず、ルネは私に向かって言った。
「何故、貴様が生き延びて、ジャンヌが死んでしまうんだ」
ジャンヌの父が厳しめの声で咎めようとしたが、私の方が首を振った。受け止める覚悟はできている。その為に、カリスの存在を隠しているのだから。
「私自身に死への恐れがあったのは認めます」
静かに答えると、ルネの鋭い視線がこちらに向いた。
「死霊の動きを読めなかったのは、私の落ち度でもあります。フラーテルはジャンヌだけを狙っていた。そこにすぐに気づき、勇気を出して立ち向かえば、ジャンヌは死ななかったかもしれません。……申し訳ありません」
素直に頭を下げてみせると、ルネの唸るような声が聞こえてきた。殴られる覚悟も出来ていたが、どうやらそこまで粗暴な男ではないらしい。叩かれることも、汚い言葉で罵られることもないまま、時間は過ぎた。
「頭を上げてください」
やがて、声をかけてきたのはジャンヌの父親だった。その言葉に甘えて頭を上げてみれば、ルネはとっくに私から離れ、一人で頭を抱えていた。代わりにジャンヌの父親の方が傍に寄ってきた。
「どうか、お許しください。ルネは幼い頃より妹を可愛がっていたのです。私が愛娘を失って苦しんでいる以上に、我が息子は苦しんでいるようだ。しかし、貴方のせいとは言えません。我々の人生はすべて神に委ねられている。あの子はよく出来た娘だったから、神に呼ばれていってしまったのでしょう」
悲しみを隠し切れぬまま、穏やかにそう言う友人の父親を前に、私は罪悪感でいっぱいになっていた。もっと早く行動していれば、ジャンヌを救えただろうか。それに、彼女の死を直接見たと家族に嘘を吐くのはやっぱり辛い。相手が善良で、素直な人間ともなればなおさらのことだ。
「これより先、時間が我々を分断する。ジャンヌの生きた日々が過去のものになっていく。父親として、私はそれが辛い。だが、亡き人が生き続ける場所もある。どうか、ジャンヌの正しい姿を忘れないでくださいますか。いつか、愛娘を捕らえた汚らわしいソロルが現れてしまったときのために、真のジャンヌの姿を忘れずにいて欲しいのです」
「……勿論、忘れたりなどしません」
聖剣〈シニストラ〉に誓って、青春を共に過ごしてきた仲間の存在は、孤独な私にとって家族と呼びたいくらいのものである。
……だが、汚らわしいソロルか。この父親は、本当にジャンヌが蘇ってしまった後も、同じセリフを言えるだろうか。それだけが少し気になった。




