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AMARYLLIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 ジャンヌ

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5.残酷な結末

 迷った挙句に夜の街に飛び出したときには、辺りはすっかり暗くなっていた。

 塵が降ったせいか、まだジュルネの町全体に悪臭が立ち込めており、人通りもいつも以上に少ない。野良犬や野良猫、ネズミといった当たり前の生き物が身を潜めているのも、いまだ消えぬ塵の悪臭が町の地面から消え切っていないからなのだろう。

 そんな状況下で、私が向かったのはジャンヌとカリスの約束の場所だった。二人きりで大丈夫だろうかという心配ではなく、不安も大きかった。本音を言えば、カリスの態度が怪しく思えた。一度、疑うのを辞めたはずなのに、ジュルネの町の人を襲ったかもしれないという疑いに無反応だったことが気になって仕方なかったのだ。


 約束の場所に向かうまでには、思っていたよりも少し時間がかかった。〈一等星〉は外見上、気品ある雰囲気の宿である。紹介がなければ入れないという掟は、混乱の続くこのご時世でもしっかりと守られている。もちろん、その理由は運営も客も魔物ばかりだからであるが、一般市民はそのことを全く知らない。ジュルネ教会の者たちと深い関りのある宿で、アルカ聖戦士が仕事で立ち寄ることも許されてはいる。魔族向けの宿と比べれば、その立場は対等と言えるだろう。


 魔物向けの高級宿の近辺は一般的に治安が異常なほどよろしいものだ。魔族向けの宿はその限りではないが、権威ある魔物たちは意外にも無駄に争うことを好まず、利益にならない戦いは避けることが多い。

 それに、魔物には魔物の上下関係というものがある。宿を経営する一族は決まって高位の力を持つ種族で、多くは高貴の民と呼ばれる吸血鬼の一味である。マテリアルとは違って人間と同じように生まれ、同じように繁栄する彼らはその能力を秘密裏に活かして、富を得る代わりに人々の生活を代々支えているものらしい。そういう一族はどの国にもいて、魔物と人々の衝突を避けるべく動いているものだった。宿の経営もその一つだ。


 〈一等星〉もまた、高貴の民の一派が経営している。会ったことはないが、ジュルネ教会にもたびたび立ち寄り、人間たちに混ざって礼拝しているらしい。司祭も彼らが吸血鬼であることは知っているし、聖職者やクルクス聖戦士だってそうだ。知らないのは、一般市民くらいだろう。ただ、ここで無駄にたむろしたり、喧嘩などを行ったりするのはあまりよくないという噂だけが広まっており、そのためか今宵も塵が止もうと消えようと、人間らしきものが近づいてくる気配は一切なかった。

 裏手というだけでこんなにも寂しいものだろうか。壁に囲まれた道を進みながら、この向こうでは人々が賑やかに過ごしているのだと思うと、少し不思議なくらい、あたりは静まりかえっていた。


 ジャンヌとカリスは会えただろうか。それとも、まだ会っていないのだろうか。


 夜風を感じながら路地を歩き回る。少しずつだが、ネズミやコウモリの気配を感じ始めた。蛾などの虫たちも飛び交い始めている。塵も止み、世の中がようやく我々から見て当たり前の世界に戻ってきたという実感がわいてきた。だが、それも束の間、風向きが変わった途端にただよってきた臭気に顔が引きつった。


 血生臭い。獣が死んでいるのだろうか。それとも――。


 嫌な予感がして、臭いの元をたどっていった。近づくにつれ、すすり泣くような、怒るような声が聞こえてくる。唸り声だ。荒い吐息だ。ケダモノがそこにいる。何を襲ったのだろう。嫌な予感は消えない。そして、その光景が見えてくるより前に、声の方が先に聞こえてきた。


「ああ……そんな、そんなことって――」


 聞き覚えのある女の声に、息がつまりそうになった。

 駆けつけてみれば、路地を曲がった先にわずかに差し込む月光に照らされる麦色の髪が見えた。カリスだ。振り返ってくる翡翠の視線と目が合う。風向きがまた変わると、吐き気すら覚えるほどの臭気が漂った。


「ゲネシス……」


 カリスが私の名を呼んだ瞬間、全身を衝撃が走った。彼女の足元に転がっているもの。バラバラになった衣服と、鎧、髪は血で汚れているが、見覚えのある色をしていた。手も足も、辛うじてそれが人間であったことを教える形をしている。顔は……分からない。だが、見間違えるはずがなかった。地面に空しく転がる聖剣〈シニストラ〉を見間違えるわけがなかった。


「ジャンヌ……!」


 駆け寄ってみても、目に映った光栄は変わらない。

 目を逸らそうにも、もう遅い。直視すればするほど、信じられない光景がそこに広がっている。旧友が死んでいる。それも、非常に無残な姿で。


「本当に、ジャンヌなのか……?」

「ゲネシス……聞いてくれ、ゲネシス」


 触れてみれば、とても冷たい。生き物であった頃を忘れたかのような硬さに、驚いてしまう。顔はもはや分からない。顔だけじゃない。それが人間であったなんて、どうして信じられるだろうか。

 だが、私は見間違えたりはしない。この衣服、鎧、〈シニストラ〉の紋章、そして、血に汚れてはいるが何度も見てきたこの髪の色と、肌。この屍が、ジャンヌでないと信じるにはあまりにも一致しすぎていたのだ。


「ゲネシス!」


 そこでようやく私はカリスの存在を思い出した。

 カリスは狼の姿をしている。麦色の狼。新たな事件と目撃証言を思い出すと感情が高ぶった。気づけば私は自分の〈シニストラ〉を抜いていた。矛先を向けると、カリスの緑の目が大きく見開かれた。ケダモノ特有の純朴なその表情に惑わされるようなことは全くない。そこにあるのはただの怒りだった。


「お前か」


 考えるよりも先に、言葉は出ていた。


「お前がやったのか……?」

「違う!」


 彼女は即座に否定する。


「違う、私じゃない。私は戦った。ジャンヌと共に戦ったんだ。相手は死霊だ。フラーテルが、ジャンヌを食い殺したんだ」

「フラーテル……?」


 その単語に、少しだけ冷静になった。

 死霊の襲撃は珍しい事ではない。死に分かれたものがいれば、もしくは、この地が誰かの別れの場所になっていれば、人の血を引く獲物を求めた死霊がさまよっている可能性はあるだろう。


「確か、ピーターだ。ピーターとジャンヌは呼んでいた」


 ピーターは旧友の一人だ。任務中の事故で死んでしまった。もう会えない寂しさは我々の胸にいつだって潜んでいたものだ。ジャンヌも同じであれば、確かにあり得る話だ。だが、信用していいものか。ピーターの話はカリスにもしたかもしれない。それを覚えていて、こんな嘘をついているのだとしたら。

 ふと、あらゆる想像をしてしまい、いったん、止めた。


「死霊が、やったのか」

「そうだ、突然やってきたんだ。ジャンヌは果敢に戦った。だが、フラーテルは言葉で彼女を惑わした。一瞬の隙ですべてが決まってしまった。……すまない、助けられなかった。すぐには引き剥がせなかった……」


 それが、本当かどうか。死霊がこの場に居たら違っただろう。だが、ここにいるのはカリスと、無残な姿になったジャンヌだけだ。ならば、何を根拠に彼女を信じればいい。


「私じゃない。私じゃないんだ、信じてくれ……」

「もういい、分かった」


 剣をしまって、私は答えた。


「教会の者たちを呼ばなくては。死霊に殺されたらしいと伝えよう」

「……すまない。私がもっとしっかりしていたら」

「謝るな。起きてしまったことは変えられないのだから。我々にとって死霊は厄介なものだ。とくに、身内に化けた死霊は……。ジャンヌも……運が悪かったのだろう」


 そして、息を吐くと、途端に喪失感に見舞われた。また一人、友人がいなくなってしまった。せっかく会えたのに、カリスのことで話を聞いてくれたのに、そして、あのことを相談しようと思っていたのに、もう話すことも出来ないなんて。


「ピーター……」


 その名を再び思い出し、感情を抑えて私はカリスに訊ねた。


「ピーターと言ったな。確かにジャンヌがそう呼んだのか」

「ああ、そう呼んでいた。赤みがかった金髪に、アルカ聖戦士の格好。旧友だったと、前に言っていなかったか? でも、ピーターじゃない……フラーテルだ。ピーターの姿を借りているだけだ」

「そのフラーテルはどうした?」

「私が退治した」


 そう言ってカリスが見つめるのは何もない地面だ。死霊は肉体を滅ぼされれば、冥界へと去ってしまう。ピーターの魂はとっくに解放され、フラーテルもこの世から追放されているのだろう。だとしても、確かめる術がない。ピーターが救われたかどうかを神に訊ねても、教えては下さらないのだから。


「ジャンヌを助けようとしたんだ。その時は、まだ生きているようだったから」


 カリスは力なく言った。


「でも、ダメだった。フラーテルを滅ぼしてみれば、ジャンヌはもう……」


 項垂れる狼の姿は、ヴィア・ラッテア大渓谷で揶揄ってきたときと全然違う。ラヴェンデル人の女性の末路を嬉々として語ったケダモノ。どちらが本当の彼女なのか。どうしても分からない。私を騙そうとしているのではないか。人狼という種族についての知識が、そして私個人の経験が、感情を揺さぶってくる。


 しかし、それ以上はカリスを責めずに終わった。そんな元気がなかった。


 ジュルネ教会への報告はすぐに行った。非常識な時間ではあったが、緊急事態である。教会全体が騒然となった。何より、ジュルネの町の出身者であり、聖女扱いされていたような若者だったから、間違いないと分かると皆の反応は悲痛なものになった。

 この死で私が責められるようなことは一切なかった。だが、明日はどうだろう。明日にはジャンヌの遺族がやってくる。その遺族に会う予定になったのだ。カリスの存在を隠すために、死霊を始末したものの、ジャンヌを救うことが出来なかったのは私ということになっているためだ。

 アルカ聖戦士を退任して、そろそろ戻ってこいといっていた彼女の家族は、ジャンヌの死を防げなかった同僚の私をどのような目で見るだろうか。


 ようやく休める時間が訪れたのは、もうだいぶ夜が更けた後だった。修道士の一人が教会の客間を用意してくれたのだ。じっとしていると、ベッドの影に奇妙な気配を感じる。どうやら、カリスは傍にいるらしい。彼が去ってからしばらく、沈黙が訪れると、カリスの存在感がさらに強まった。


「やっぱり、私が名乗り出た方がいいのではないのか……」


 開口一番、彼女はそう言った。


「最期をこの目で見たのは私だ。死霊を片付けたのだって。本当のことを言った方が、面倒を起こさないかもしれないだろう?」

「お前は彼らにとって見ず知らずの魔物だ。それも、麦色の人狼。ジャンヌは町人を襲った人狼を探していた。エリーゼではない。麦色の別の狼だ」

「それは――」


 言いかけて、言葉に詰まる彼女の気配を感じ、そのまま横たわった。疲れがひどい。そして、現実味がない。ジャンヌが死んでしまった。それがどうしても信じられなかった。ピーターの時に似ている。彼の死も、葬儀も、ずっと現実感のない状態のまま受け止めるしかなかった。


 数少ない友人が減っていく。少しずつ自分の未来が狭まっていくように感じてしまう。幼い頃は何も変わらない世界が続いていくのだと信じていたのに、最近は違う。ピーターが死んだときか、サファイアが死んだときか、ミールが奪われたときだったか。

 ジャンヌがいなくなったことで、また一つこの世のしがらみがなくなった。広すぎる世界の中を孤独のまま強く歩むには、私はあまりにも弱く、あまりにも疑い深すぎる。


「この町で、人を食ったのか?」


 ぼんやりと思いついたままに訊ねると、ベッドの下の気配が蠢くのを感じた。


「食ってない。だが、殺してしまったのは確かだ」


 覚悟はしていたが、返ってきたのは重たい答えだった。


「だが、聞いてくれ。事情があるんだ。相手は人間じゃない。人間のふりをした魔族だ。町民に混じって暮らしてたんだ。〈黒鳥姫〉の心臓を持つ魔人の男で、私とお前のことに気づいていた。それだけじゃない。エリーゼと私の関係や、エリーゼの正体や、アマリリスのことまで。色々と脅された。平穏な日常が欲しいなら、金目のものをよこせと。出来ないなら、毛皮をよこせと向こうから襲ってきたんだ。それで……」

「殺してしまったのか」


 カリスのしたことは人殺しだ。事情があろうとなかろうと、魔の血を引いていようといまいと、人間として暮らしている者の命を勝手に奪うのは罪である。


「人間のふりをした魔族か」


 罪は罪でも、脅されて、命の危機を感じて、やむを得ずということならば情状酌量の余地はあるだろう。

 だが、やはり今の私は、カリスのことを信じ切れずにいるようだ。人狼が嘘つきであるという印象はどうしてもぬぐえない。なぜなら、まっとうに生きることのできない人狼たちは皆、嘘を吐きながら暮らしているのだから。

 カリスは盗賊だった。人食いでもあった。私に近づいてきたのだって、人食いだったからだ。そう思うと、どうしても彼女を信じることが出来なくなってしまう。


 人狼は好きじゃない。サファイアを殺した種族だから。カリスがその犯人とは別人だと頭では分かっていても、同じ人狼である以上、この感情が足を引っ張り続ける。


「殺したのは賢い選択ではなかったな」


 さまざまな不信感や憎悪を抑え込んで、出来るだけ優しい声でそう言った。カリスは反論もせず、素直な返答をしてきた。


「もちろん、反省している。騒動になってしまったし、殺さずに解決できたかもしれない。ジャンヌにもそう咎められた。……ああ、ちょうどその話の途中だったんだ。狼狩りの剣士だと聞いてとても恐ろしかったが、彼女は落ち着いた様子で私の話を聞いてくれた。恐れとは裏腹に、彼女はとても……親切な人だった。こんなことになって、申し訳ない」

「もうやめてくれ。お前が謝ったところで、ジャンヌの命は戻らない」


 意味のない謝罪はもう聞きたくない。それに、分かってはいるのだ。全ての供述が本当ならば、カリスは悪くない。魔人が死んだのだって、魔の世界では自業自得と言われる。これが人間のふりをしたジュルネの町民だったから問題となっているだけのこと。

 行き場のない怒りはとうに燃え尽きてしまった。ジャンヌの仇だという偽物のピーターもカリスが滅ぼしたのだというのだから。そうとなれば、この片付かない気持ちは持て余したままだ。


「ピーターはどんな奴だったんだ」


 と、急にカリスの方から訊ねてきた。


「教えてくれないか?」


 かすれ気味の声で言われ、少し考えた。

 沈黙というものは恐ろしい。思考が勝手に動き出し、暴走してしまうことがある。しかし、誰かと喋っていると、ある程度の制御が出来る。カリスの信用にひびが入っているのは確かだが、だからこそ話してやるのは、いい気まぐれになるかもしれない。


「ピーターは真面目な青年だった」


 思い出しながら、私はベッドの下の気配に向かって話した。


「カンパニュラで共に学んだうちの一人だ。前に話したグロリアやジャンヌと共に、四人でよく学問や世界、未来や信仰について話した。同性の同期生の中では、一番仲が良かったと言える。共に過ごした時間も長かったし、一緒に居て不快ではなかった」


 しかし、彼は死んだ。任務中の事故だった。敵の正体は知らない、ただ別の魔族の戦士がその場で仇を討ったのだと聞かされた。

 あの衝撃は、余韻ならば今でも覚えている。共にアルカ聖戦士となった時から覚悟はしていたはずだった。だが、青春を共に過ごし、共に成長してきた仲間との別れの辛さは想像以上のものだった。覚悟や予想など、単なる想像に過ぎないのだとその時初めて思い知った。そして、それは今も同じ。


「ピーターと、ジャンヌはその……特別な関係だったのか?」


 カリスの窺うような声が聞こえ、静かに首を横に振った。


「それは、おれも知らない」


 今となっては、確認すらできない。彼らの間にどんな思い出があったのか、どんな記憶があったのか、聞くことすら出来なくなってしまった。


「……そうか」


 カリスの呟くような声が聞こえた後、ふとその吐息がより近くにあることに気づいた。どうやら影から這い出してきているらしい。その姿はいまだベッドの下から出てきてはいないが、私の傍で息を潜め、身を休めているようだ。


「お前の事はマルの里にあるセルピエンテ教会に紹介しよう」


 より近くなった気配に向かって、私は言った。


「この状況で此処はまずい。マルの里まで一緒に来てくれるか」

「……勿論」


 様子を窺うような声だ。距離を感じる。こちらも距離があるというのに、あちらから同じことをされると寂しく思うのだから勝手なものだ。

 だが、当然の反応だと分かっていた。私は彼女を疑ったのだ。一瞬だけでも聖剣を向けかけた。そして、今でさえ、半信半疑のままなのだ。ぎこちないこの関係が整う日は来るだろうか。マルの里ならば、竜人たちが引き受けてくれるはずだ。そう思うと、より一層、どうにかしなければという思いが弱まっていく。


 所詮、私たちは違う生き物なのだ。私は魔の血を継がず、塵の世界に苦しむだけの人間で、カリスは日の光を厭い、影に暮らす人狼。食う者と食われる者であり、価値観も生きる世界も違いすぎる。

 それでも、これらの壁を乗り越えて共に生きる者たちはいるのだろう。私はそうなれただろうか。そうなろうかと思った瞬間はあったかもしれない。ヴィア・ラッテア大渓谷からジュルネ地方に足を踏み入れるまでの間、カリスとの時間が本気で楽しいと思えた瞬間はあったのだ。

 しかし、あと一歩踏み出すには躊躇いがある。永遠の愛を誓った亡きサファイアの名を思い出してしまうと、どうしてもカリスが人狼であることに戸惑ってしまう。


 ここが限界なのだ。


 ――サファイアはもう死んでしまったというのに。


 気持ちを切り替えることが出来ればどんなに良かっただろう。サファイアはもういない。何処にもいない。ミールと共に迫害も暴力もない安らかな世界へ旅立ったのだと思うことが出来れば、カリスを信じて共に生きる道も考えられただろう。

 しかし、ローザ大国では全てを忘れることが出来ない出会いがあった。ミールを失ってすぐ。ローザ大国の片隅で力なく泣き崩れたあの時。愛しい人にそっくりな姿で現れた女が私に囁いたのだ。


 死人は復活なんてしない。亡き人の霊は滅多に再会してくれない。

 そんなことは分かっていた。

 それでも、私はもう一度だけ、心より愛した彼女の姿を見たかった。


 諦められないのだ。今は亡き人との未来を。だからこそ、カリスが怖かった。

 これまで距離を置いてきた人狼という種族のはずなのに、カリスと共に歩むのが楽しいと思い始めている自分に気づき、躊躇った。そして、同時に、苦しかった。

 半信半疑であるのはこのお陰でもあるだろう。もしも、カリスとの日々が楽しくなければ、人狼という種族を半分も信じたりはしなかった。そして今も、この葛藤に苦しみ続けている。


「死霊というものは、怖いんだな」


 カリスがぽつりとそう言った。


「人狼からすれば、奴らは虫けらと変わらない。人の魂は捕らえられても、私たちのような魔物の魂を捕らえることが出来ないからね。でも、もしも私が人間で、すでに死んだ友の姿で現れたとしたら……ジャンヌのようになっているだろう」


 淡々と語る彼女は、人狼ながら本当に怯えているようだった。


「ああ、死霊は厄介だ」


 カリスの気配に向かって、私は答えた。


「彼らがこの世にいる限り、過ぎ去ったはずの死別の記憶を、いつまでも忘れさせてくれないからね」


 脳裏に浮かぶのは愛しい人の姿。しかし、それは本当にサファイアなのだろうか。いいや違う。死んだ人は二度と現れない。現れたとすればそれは死霊だ。

 リリウム教会の教えでは、死霊は神の意志に反する存在だとされてきた。したがって、死んだ者の声に耳を傾けてはならないのだと。だが、その教えを何処から何処まで信じればいいのか分からない。分からなくなってしまった理由は、実際に愛しい人の姿をした死霊に会ってしまったからだ。


 女性型の死霊はソロル。そう呼ぶべきだが、約束の地で再会した時は、どうしてもこう呼びたかった。


 ――サファイア。


 マルの里まで行けば、彼女は再び目の前に現れてくれる。その約束に囚われながら、ここまで来てしまったのだ。カリスとの日々も、ジャンヌの死も、この希望への諦めにはならないだろう。


 死霊は厄介だ。本心から、そう思った。

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